第七幕 道なき道に赫赤たる灯りを
「そ、葬送なんて……! 無茶です司教!」
なぜならここには、葬送陥穽がない。
葬送、エクソシストが実行するイモータルの無力化には、ふたつのパターンしかない。
ひとつ。地面に大穴を作り、そこにイモータルを誘導し、埋める。
ふたつ。専用の堅牢な檻にイモータルを閉じ込め、海中へ沈める。
これらが葬送であり、そうしても時折イモータルが葬送陥穽から脱出する事故は起こる。しょせんは殺せぬ相手に対する苦肉の策だ。
そして今この場には、地に用意する陥穽も、あの異形を閉じ込められるような檻もない。
葬送など、誰が見ても不可能!
「そんな言葉は使うな、エルディチカ君。特にこの私の前ではな」
イモータルの一撃を受け止めたレツェリは、一歩飛び退いて後退する。
それから、袖の中から、そこに仕込んであった棒状のものを取り出した。
「司教、その杖……!?」
「アイスロータス。貴様も聞いたことがあるだろう、祝福されし英雄の天恵——アーナックの天恵が予期せぬ力を隠しているやもしれぬと警戒して持ってきたが、まさかイモータルに使うことになるとはな」
それは金属の光沢を湛えた、小ぶりな金色の杖だった。杖先には美しく開いた蓮の意匠が飾られ、まるで芸術品のような様相を呈している。
「ゴッ、ガアアァァ————!!」
「来いイモータル! どれ、私が直々に葬ってくれる……! 凍結ッ!」
この大陸で、あるいはこの世で最も恐れられる怪物を前に、レツェリは歪んだ笑みさえ浮かべて杖を掲げる。その上方より振るわれる異形の前脚。このイモータルの五本の脚はどれもが別の形状をしており、先ほどは鞭のようにしなやかなものだったが、今度はより太く、丸太のような形をしていた。
「司教っ」
圧死するかに思えたレツェリだが、巨大な脚とレツェリとの間に、一瞬にして透明な盾が現れる。
否、それは澄んだ氷だった。
氷の立方体。巨大な質量を持つ攻撃は、巨大な質量を持つキューブが防ぎきった。
「氷……!? そんな、ふたつめの天恵なんてありえない! それにあれは——」
——原初のイモータルを封じた英雄、ハブリのギフト。
葬送協会、特にその中でも聖堂に身を置く者であれば誰もが知っている伝説。なにせデーグラムには、かの地底世界よりやって来た勇者の像まで建てられている。
「ガ、ガガッ、ゴァァアアアアア——ッ!」
「それにしても狂暴な個体だ。まったく迷惑千万極まりないな」
人を殺すようプログラムされた機械のようなその在り方は、ともすれば、元来の終末の使者のそれに近かったのかもしれない。
まだ海の果て、雲の上を知らぬレツェリにそんな感想を抱けるはずもなく、振るわれる脚をすべて回避、あるいは氷のキューブで防ぐ。エクソシスト顔負けの身のこなしだった。
だが、アイスロータスは本来このようにキューブを生み出す能力など持たない。ただ対象を凍り付かせる、それがこの祝福された天恵——コピーギフト、32号・凝華連氷のスキルだ。
トリックを可能にするタネは、レツェリが万物停滞の能力を扱うため訓練した、『空間を立方体で区切る』という視方にある。
要するに普段は万物停滞の範囲を指定するために使う、視野の中に仮想の立方体を重ねる特殊な視方を、そのままアイスロータスの能力に応用しているのだ。
結果、実際には存在しない、空間を区切る立方体をアイスロータスは凍てつかせる。もちろん大きさの制限はあるが、なにもない場所に、レツェリが思うサイズの氷のキューブが現れることになる。
「だが力は想定を超えない程度、知能も低い。不死身なだけの木偶の坊だなァ。私の求める不死とはそのように無様な有様ではない……やはり研究対象とするのはまだ先だな。各地の天恵や魔法器官の方がより関心を惹かれるというもの」
レツェリを追いかけ、狂ったように暴れるイモータル。だがレツェリは足元にキューブをいくつも積み上げ、その上を飛び回るようにしながら攻撃をいなしていく。
そして瞬く間に、イモータルはレツェリが生み出したキューブたちの山に囲まれるような形となった。
「——エルディチカ君、出番だ。天井を崩せ!」
「は——はい!」
合図を受けたエルディチカが、抜いたままだった黒い剣、ストームブリンガーを頭上へ向ける。
レツェリの指示は耳を疑うようなものだったが、もう疑問を挟むのはやめていた。
エクソシストでもない身でイモータルを葬送する、それも葬送陥穽さえない場で。その時点で正気を疑うような目論見。
されど。その狂気に等しい観念こそ、エルディチカが見たいものだ。
そして、道理を殺してでも我を貫く鋼の意志こそ、エルディチカが願う生き方だ。
不死を目指すと言うのなら、同じ不死の怪物程度に臆してもらっては困るというもの——!
「起きて! ストームブリンガーッ!」
天恵の力が解放される。漆黒の風が吹き荒れる。渦を巻いて放たれた嵐は一目散に天井へ向かい、そのまま屋根を破壊する——
だけに留まらない。地響きとともに地面が揺れ、たちまち壁がひび割れ始める。
「……へ?」
剣を上へ向けたまま、硬直して戸惑うエルディチカ。その頭に天井から砂粒ほどの欠片や埃がぱらぱらと降ってくる。
「なにを呆けている、すぐに脱出するぞ。神聖なる神の家の下敷きになって死にたいというなら止めはしないが」
「こ、これやっぱり崩れますよね!? 教会つぶれちゃいますよねぇ!」
「なにを今更、エルディチカ君がやったのだろう。あの司祭めがさんざん壁や柱の建材を抜き取り、さらにイモータルが壁を壊したのだぞ。あんな衝撃を与えれば建物ごと崩れて当然だ」
「じゃあ司教の言う葬送って……」
「無論、イモータルを瓦礫の下に沈めてやるのだ。即席の葬送陥穽だな」
「やっ、やっぱり無茶だぁー!」
出口に向かい、ふたりは一目散に駆け出す。そのすぐ背後に崩落した天井の巨大な瓦礫が落下し、さらには壁もガラガラと音を立てて崩れ出す。
直後、ずしん、と大地が大きく割れたかのような轟音が響いた。
命からがら、エルディチカとその隣のレツェリが教会から出て外の地面を踏む。振り返ってみると、神の家だったものは見るも無残な瓦礫の山へと変貌してしまっていた。
「はあっ、しっ、死ぬかと思いました! 司祭に殺されかけた時も大概でしたけど、今のはホントにぺちゃんこになる寸前でしたよ……!」
「はは。貴重な体験ではないか、少なくとも鬱屈とした聖堂の中では得られまい」
あと一歩でイモータルもろとも瓦礫の下敷きになってしまう、危険な策だった。
というかそれならそれで、やる前にせめて説明くらいはしてほしい。訊かなかった自分にも非はあるのだとしても——そんな思いを込め、エルディチカはささやかな抗議の視線をレツェリへと向ける。
「……あれ。司教、今、笑いました?」
しかしすぐ、遅れてやってきた気付きにより、エルディチカはきょとんとした顔に表情を変えた。
「なにを不思議そうに。別に、今初めてエルディチカ君の前で笑ったわけでもないだろう」
「え、それはそうですけどー……いつものはこう、なんか。ええと、うんと」
「——? 歯切れが悪いぞ、はっきり言いたまえ」
「どちらかと言えば邪悪な笑いじゃないですか。人を見下す、っていうか。ニヤニヤ笑いみたいな」
「よし、今からでも遅くない。瓦礫の下に埋め直してくれる」
「はっきり言えって言ったじゃないですか! ちょっ、司教! 申し訳ありませんでした、勘弁してくださ……その左目ピカピカ光らせるのやめてください! え!? それどうやってるんですか!?」
陽は沈み、さらには流れてきた雲が空まで覆ってしまっているようだった。雨の前兆だろうか。
辺りは夜の暗黒へと沈み、空には星ひとつない。
まったき闇。それはまるで、道なき道を行く人生の旅路のようだ。
「まあいい。今のうちに口裏を合わせておくぞ。いいか、アーナック司祭は——」
「シスターの派遣を検討する話し合いをしていたところ、突如現れたイモータルから我々を庇い、天恵の力で教会もろともイモータルを道連れにした」
先回りしてエルディチカが言うと、レツェリは口を引き結ぶ。
「ですよね? 司教。司教のギフトも、あの氷を出す杖も、秘密にします」
「……わかっているならいい。村へ戻るぞ、残念ながら歓待はないだろうがな」
「はい。お供します、どこまでも」
暗澹たる夜闇へとレツェリは歩み出す。エルディチカは、楚々とした微笑でそのあとを追った。
アーナック司祭の死により、原理派の勢いは衰え、協会はレツェリの思うままに変革の時を迎えるだろう。その先に待つのは、傭兵交じりのエクソシストたちと、トワ大陸の大聖堂からより独立性を強め、聖堂のすべてを司教たるレツェリが掌握する未来。
すべては聖なる神などではなく、己が宿願のために。
願いの成就までははるか遠く。雲の果ても、また遠く。
「たとえこの命が、あなたの道行きの終わりよりも先に消えてしまっても——」
道に迷う彼女は自らの星を見つけた。それは地の底にて瞬く、赤い赤い凶星。
正しくなくとも、独善的でも、到底理解など及ばずとも——
彼女は、その光にこそ、道なき道を照らす輝きを見た。
「——きっとわたしに後悔はないでしょう。あなたが、間違えることなくその道を歩んでくださるのなら」
「ならば心配など無用。求むるものは明白なのだ。その過程において、私が誤ることなどありはしない」
「ああ、それは、安心しました」
深い安らぎが心を満たし、微笑となって口元に漏れ出す。
辺境の夜は暗く、星明かりも頼れぬ今、世界のすべてを先の見通せぬ闇ばかりが覆っている。だが、ふたりの足取りに迷いはない。
永遠の求道者は、最期まで誰の理解も得られなかった。
けれどこのひと時は、理解者足りえずとも同じ道を行く者がいる。それもまた、ひとつの事実だった。
*
随伴者は、それから四十年余りの時を司教補佐として生きることになる。
すべては長く、長く続く、遠大な軌跡の上。
エルディチカは結局、レツェリの悲願を目にすることはできなかった。
はるけき雲の上も、不死の怪物を真に殺す青い天恵も見ることはなく、聖堂にて運命を決した司教と不死殺しの戦いに立ち会うことも叶わなかった。
しかしその晩年。
老いぬ司教に看取られて息を引き取った、その最期に浮かべた表情は、悔いのないどこまでも安らかなものだった。
道なき道に赫赤たる灯りを 完