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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
番外編③ 道なき道に赫赤たる灯りを
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第三幕 司教補佐の言い訳


「先日話した通り、エクソシストの人手は不足傾向にある。採用者としてもやりやすかっただろうよ。そういう経緯があるために、外の人間をエクソシストとして採用する私の案は、司祭にとっては認めがたい」

「不正に得る利益が減るから、ですか……? そんなことあっていいはずがありません! エクソシストが足りなければ、魔物やイモータルに殺される人たちが増えるばかりです! それを、身勝手な金銭欲のために妨害するなど……神に仕える者としてあるまじき行いです!」

「言っただろう、神のしもべとてそんなものだ。利害が絡めばいともたやすく本性を剥き出しにする。獣じみた、醜い欲望を晒すのだ」


 もはや言葉もなかった。聖堂でエルディチカたちシスターが仕事に励み、孤児院では恵まれぬ子らが親にも甘えられず質素なスープを啜っては健気にも清貧の教えを頼りに微笑み、修道院では誰しもがよき神の従僕たらんと自らを戒める。

 その間にも、聖堂の上層部は平気な顔で弱者を貪り、さらにはその口で神の教えを説いている。

 人面獣心とはこのことだ。これこそがもっとも罪深い裏切りだ。


「わたしは、どうすれば……」

「どうもこうもあるまいよ。今、君がすべきは大巡回布教をつつがなく終えることだけだ。あと半日もすれば最初の町にたどり着く。それまでにその沈んだ顔をなんとかしておきたまえ」


 冷淡とも取れる言葉に、エルディチカはレツェリの方を向く。

 司教補佐と言えどシスターだ。レツェリがアーナックに言ったように、彼女自身になんら特権はないし、レツェリに物申すなどできるはずもない。

 だが、ひとつだけどうしても問うてみたかった。


「……レツェリ司教は、どうしてわたしなんかを補佐につけたのですか?」


 レツェリを見る。彼の言った通りなんの接点もなかったにもかかわらず、自身を補佐として選んでくれた司教を。

 知らず、縋るような目を向けてしまう。

 だがやはりと言うべきか。


「その答えは、君自身で見つけることだ」


 底知れぬ司教の返答はそっけなく、エルディチカに対してなんの情も感じさせなかった。

 エルディチカはがくりとうなだれ、壁に背をつける。すると馬車の揺れがダイレクトに伝わり、不愉快に思った。

 ああ、どうすれば、アーナック司祭は怒りを鎮めてくれるのだろう?

 どうすれば、レツェリ司教は自分を認めてくれるのだろう?

 どうすれば。

 わたしは、悩むことなく生きていけるのだろう?


 *


 人に悩みの種は尽きまじ。されど時間の流れは一定で、エルディチカの懊悩に応じて速さを変えてくれはしない。

 初めの町に着いた時は昼下がりで、もちろんデーグラムとは比べるべくもないにしろ、それなりの活気が聖堂の一行を出迎えた。町の中心の教会には神父とシスターが常駐しており、神の教えは町の人々に不足なく行き届いていた。

 エルディチカが驚いたのは、立場上最も矢面に立つレツェリとアーナックのことだ。

 人々に敬愛の眼差しを向けられたふたりは、朝の確執など初めからなかったかのような態度で、さも親密な友人同士のように振る舞った。

 隣人を愛せよ。そう謳う彼らがしかし、ほとんど敵対するような関係であることを今のエルディチカは知っている。

 ただ神に対して純粋な信仰のみが満ちていると願っていた聖堂は、その実、建前と欺瞞ばかりが蔓延る罪深い伏魔殿だったのだと、改めて彼女は気付かされたのだった。


「——すみません、山に入った猟師たちの戻りが遅くて。きっと大物を仕留めてこようと張り切ってるんです」


 そして慌ただしい旅の日々は矢のごとく過ぎ去り、二十日目の夕方。

 目的地となる最後の村で、代表らしい女性は申し訳なさそうにはにかみながらそんなことを一行に伝えた。


「我々は清貧であらねばならない身。どうぞお構いなく」

「どうかそう言わずに。なにぶん娯楽の少ない村ですから、皆楽しみにしております」

「であれば、ご厚意にあずからせていただくとしましょう」


 レツェリは予定調和のようにやり取りを済ませ、女性に軽く頭を下げる。そして、歓待の準備が終わるまで、一行はひとまず馬車で待機の流れとなった。

 そうと決まればエルディチカはそそくさとあのキャリッジに戻り、身を横たえる。危機を察した昆虫がカサカサ脚を動かしてその場から逃げ出すのにも似た、エクソシストもかくやという早業である。

 エルディチカは怠惰な性格ではない。むしろ、ひと一倍職務に忠実で、真面目な人柄と言える。

 だと言うのにこうして隙あらば惰眠を貪ろうとするのは、ひとえに積み重なった疲労のせいだ。デーグラムを発って二十日目、旅慣れない彼女にとって大巡回布教は大きな負担だった。常にプレッシャーを発する上司と四六時中いっしょにいる心労も含め。


「ちょっとだけ……猟師の人たちがまだ戻ってないって言ってたし、ひと眠りするくらいの時間はあるよねー……」


 板張りの床は硬かったが、強烈な睡魔はそんなことなどお構いなしに全身の力を抜き去り、意識を深く沈めていく。

 心地よいまどろみ。エルディチカはつかの間の休息に浸る——


「おい貴様。なにを寝こけているのだ? ナメてるのか?」

「ウワアアアァァァァァ——!?」


 すぐにレツェリに叩き起こされた。

 まぶたを開くと眼前には、今にもなんらかの超常的なパワーでエルディチカの全身をバラバラに断裂させてしまいそうに怒気を発するレツェリ。例のごとく顔を覆う白い布で表情こそ窺えなかったが、もう絶対に怒っていた。エルディチカがかつて見たことがないほどに。


「レ、レツェリ司教……! 違うんですこれは、そのっ」

「ほう、なにが違う? 貴様が職務中に呑気かつ滑稽な寝顔(あほづら)を晒していた事実はもはや動かせんと思うがな」

「あの、これは——寝ていたのではなく!」

「ではなく?」

「大地と……一体化しておりました……!!」

「————」


 ロトコル教において、この大地やそこに息づく自然のすべては、雲の上におわすロトコル神による偉大なる恵みであるとされている。

 ゆえに大地に感謝を捧げることは、そのまま神への信仰となる。これはつまり、目を閉じ地面に身を横たえることで、大地を通じて神の存在を感じ取る一種の祈祷なのである——

 エルディチカは自らの理論武装の完璧さに内心ほくそ笑んだ。天恵(ギフト)が持つ不壊の性質のそれとも相違ない、あまりに隙のない論理! 寝起きの頭で咄嗟にこの言い訳が出る辺り、存外自分の思考力も司教にそう劣らない。いやむしろ超えているのではないか? エルディチカはそんなことを思いつつ満足げにレツェリを見返す。


「そうか」


 完全に呆れている口調が返ってきた。もはや怒りを通り越していた。


「出るぞ。支度は要らん、急げ」

「出る? あ、もしかして、宴会の準備整ったんですか?」

「なにも宴会をするわけではない、言っておくが羽目を外すなよ。それから要件は別だ。……ああ、ギフトは携帯しておきたまえ。これも当然のことだがな」


 言われた通り、黒い鞘に収められた剣を腰に帯びる。そしてエルディチカは、ろくな説明も寄こさず外へ出た上司の背を追った。

 レツェリの足が向かう先は、聖堂の一団からも、そして村の家屋が密集する地帯からも遠のいていく。


「あの、司教。一体どこへ……いえ、そもそもなんの用事があるんでしょうか」

「司祭と落ち合う」

「アーナック司祭と、ですか?」

「それ以外に誰がいるのだ。なんでも、この村に聖堂の人員を派遣する検討を行いたいそうだが」


 確かに現状、この村にアサインドシスターはいないようだった。デーグラムから距離もあり、付近に大きな町などもないためだろう。

 しかし、よりロトコル教の教えを広範に伝えるため、大陸の北端や南端といった現状で派遣の難しい地域へもアサインドシスターを送り出すべきだという意見は聖堂内でもあり、たびたび議論の的になっている。そうしたことを実現する足がかりとして、まずこの村へシスターを駐在させるというのは妥当なステップだと言えた。

 けれども、エルディチカはなんとなく、レツェリの言葉に釈然としていないような響きを感じ取った。

 その正体を追及する間もなく、村から外れた林の中に、ぽつねんと佇む小さな教会が姿を現した。


「こんなところに建物があったなんて。今は使われていないんでしょうか」

「そのようだ。入るぞ、司祭を待たせるのも悪いのでなァ」


 軋む扉を押し開き、中へとはいるレツェリ。その声色にはなぜか、喜楽的な響きを伴っているようにエルディチカは感じた。

 小ぢんまりとした教会の内側は、エルディチカの予想よりも秩序が保たれていた。それどころか、礼拝堂の床には塵やごみのひとつもなく、几帳面な掃除が隅々まで行き届いている。村人による手入れが今も続いているのだ。

 そして、やはり丁寧に磨き上げられた曇りひとつないステンドグラスから差し込む斜陽を背にしながら、巨岩のような大男がそこに佇んでいた。

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