第二幕 司教補佐の憂鬱
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巡回布教とは、付近の町や村を回って布教をする活動のことだ。
なにも葬送協会に特有のものではなく、世界各地のロトコル教の教会にてたびたび行われている。
そして大巡回布教は名前の通り、大規模な巡回布教を指す。数週間、ことによれば数カ月をかけて各地を赴く。
もっとも今回の大巡回布教は、レツェリがデーグラムの新司教に就いたのを周知するために実施される。よってレツェリが同道する都合上、聖堂を何カ月も離れるわけにもいかないため、期間は四週間ほどを予定していた。
「……エルディチカ君。少々荷物が多いな」
「へっ!? す、すみません、どうしても不安で……」
そして当日。まだ陽も昇らぬうちに、大巡回布教に赴く数十名がデーグラムの聖堂の前に集う。
立場上、レツェリは一団からやや離れていた。そして少なくとも名目上は彼の補佐であるエルディチカもまた、レツェリのそばで、地主の屋敷に泥棒でも働いてきた帰りなのかと疑うほど巨大な風呂敷包みを背負って立っていた。
「食糧かね? であれば馬車の荷台にまとめて積んである。それに、ありがたいことに行く先々でいただくこともできる。そう心配は要らん」
「あ、いえ。武器です……」
「……は? 武器と言ったのか、今?」
「は、はい……だって……盗賊団に出くわしたり、魔物に襲われたり……もしかしたらイモータルにだって出会っちゃうかも! そう思ったら怖くて、つい短剣に手斧に鉈に連接棍に弓矢にこっそり配合したエクソシストの人が使う聖水に——とにかく色々持ってきちゃって」
「貴様、何本腕が生えているつもりだ?」
エルディチカの細腕では、同時に扱えるのはせいぜいひとつきりだと思われた。
レツェリは強引に風呂敷を奪うと、聖堂の入口へと乱暴な手つきで投げ込んだ。
「わー!」
「わーではない」
レツェリはため息を漏らす。人選を誤ったのではないかと本気で思っている顔だった。
エルディチカ当人もその周囲も、なぜ一介のシスターが突然司教の補佐に任命されたのかと疑問に思っている。そこでレツェリまで失敗だったと認めれば、いよいよエルディチカはどうして補佐についているのか本当にわからなくなってしまうだろう。
「無論、それなりの危険は伴う。だが護衛にエクソシストが数名つく。それにいざとなれば、この眼を……いや、とにかくそう不安がることはない。神の加護を信じたまえ」
「は、はいぃ……。あ、でも風呂敷の中にはわたしの天恵も入っているので、それだけ取ってきます」
「ならばそうしろ。急ぎでな」
「はいっ」
ブン投げられた風呂敷から、黒い鞘に納められたひと振りの剣を回収する。
天恵——この地平世界において十歳を迎えたすべての人間のもとへ、天よりもたらされる唯一無二の品。傷を癒す・空間を断つといった、様々な固有能力を有する。
そうしてエルディチカがレツェリのところへ戻ると、彼の正面には、いつの間にか恰幅のいい中年の男性が立っていた。
「お? エルディチカじゃないか!」
男はエルディチカの姿を認めると、ぶんぶんと太い腕を振る。
「あ……アーナック司祭!」
「がはは、久しいな。昔のようにおじさん呼びでもよいのだぞ?」
「いっ、いえそんな! そのように失礼な呼び方、もうできませんよ……!」
焦るエルディチカを見て、アーナックは体を震わせて豪快に笑う。
もとより巡回布教は司祭が率いることが多かった。今回はより規模の大きな催しだが、全体の指揮を執るのは彼、アーナック司祭に任せられている。
ひどい虐待癖を持つ両親のもとを離れて孤児院にいたころ、仲のよい友達もおらず孤立していたエルディチカ。そんな時、たびたび孤児院を訪れては構ってくれたのがアーナックだった。相変わらず平均男性をはるかに上回るウェイトをしているようだったが、数年ぶりに姿を見てエルディチカは懐かしさについ笑みがこぼれる。
「いやぁ、どうだかな。お前、いつの間にか司教の補佐についているではないか。ありえない出世だぞ? 俺の立場が下になる日も近いんじゃないのかぁ?」
「え? ええっ、そ、そんなこと決して……!」
「——あぁそうだ! 謎多き司教をどうやってこの田舎娘が篭絡したのか、ご本人に教えていただこうではないか? んん?」
「え……?」
そうして、アーナックはレツェリの方に向き直る。表情こそ笑顔を作っていたが、その爬虫類のようにぎろりとした目は確かに彼をにらみつけていた。
レツェリは顔色ひとつ変えず——面貌を覆う布で顔色などわかるまいが——返答する。
「司祭の思うようなことは、なにも。私が彼女を補佐に任命するまで、我々の間に接点はなかったのだから」
「そんなわけがないだろうが? 司教の補佐には司祭がつくのが習わしだ。ただのシスターが司教補佐など……ありえん! 特別な理由があって当然ではないですかな? 司教!」
顔を寄せ、鼻息荒く詰め寄るアーナック。
対するレツェリは、「ない」とだけ、北方に積もる雪よりも冷たい声で返した。
「……ふん、まあいいでしょう。せいぜい大巡回布教ではボロを出さぬようにすることですな。なにせ、大勢の信徒や無辜の人々が、我々の一挙手一投足を見ておられるのだから」
冷たくあしらわれたアーナックは踵を返す。その最中、一度だけエルディチカの方に視線を寄こした。
「——」
それはなぜか父を思い出す、赤黒とした怒りに濁った瞳なのだった。
*
「はぁ……」
それからしばらくして、いよいよ大巡回布教が始まり、レツェリとエルディチカは馬車に乗ってガタゴトと揺られる。
「はぁ…………」
馬車の台数も限られている。基本的に信徒はすし詰め同然の状態でキャリッジに乗り込むのだが、流石は司教待遇というべきか、レツェリとエルディチカだけはふたりきりで一台を占有していた。
「はぁ~~……………………」
もっとも外の御者も含めれば三人だが、ともあれ壁と屋根まで付いた個室の中で、レツェリとエルディチカは空間を広々と使うことができた。
「はぁぁぁぁ~~~~…………………………………………」
「貴様はため息で私を窒息させるつもりかね?」
そんな、せっかくおこぼれで得た空間的自由をかなぐり捨て、無限にため息をつく生物と化していたエルディチカに対し、レツェリはいよいよ我慢ならないとばかりに言った。
普段は司教の仮面で表には出さない苛立ちが漏れ出ていた。あと二、三回ほど彼女がため息を繰り返せば、たちまち馬車から放り出されかねない。
「すみません……わたし、なんだかショックで」
「アーナック司祭のことか」
「はい……孤児院で面倒を見てもらってた時は、あんな人じゃなかったはずなのに」
先ほどの一幕は、エルディチカにとってショックな出来事だった。
幼い頃、ひとりのエルディチカを気遣ってくれた優しいアーナックは、レツェリに汚らわしい疑惑をかけ、さらにエルディチカにも怒りの矛先を向けてきた。なぜ?
エルディチカにはわからない。どうして、そこまでレツェリを敵視するのか。
どうして、自分まで。
「フン。神のしもべとて、一皮むけば嫉妬に狂う人の子ということだな」
「嫉妬——わたしが、司教の補佐だから、でしょうか」
「まったくもって傑作だ、私の補佐であるからには、私に次ぐ権力が与えられているとでも思っているのだろうな。実情は一介のシスターだったころとなんら変わっていないというのに!」
「こ、こっちは笑いごとじゃないですよぉ……」
くつくつと愉快そうに笑うレツェリ。
エルディチカはまたため息をついた。聖堂とは、ロトコル教とは、主に従順なしもべが集うところなのではなかったのか。清貧を良しとし、強欲を悪徳としてきたのではなかったのか!
少なくとも自身はそう教えられてきたのだ。ほかならぬ、協会の孤児院で。
「……もしかして、例の書類でレツェリ司教に嫌がらせをしていたのって」
「アーナック司祭だ。もちろん彼ひとりの行動ではないが、代表格だな」
断言をした。どうやらレツェリにはとうに調べが付いていたらしい。
「それも……既得権益のため、ですか?」
「ああ。いくつかの孤児院や修道院の院長に探りを入れたところ、司祭はエクソシストの登用に一枚噛んでいたらしい」
「噛んでいた? どういうことでしょうか」
「エクソシストはただのシスターと違い、戦闘や野外での行動への素質が要る。肉体的、精神的、それから天恵的にもだ。そんなエクソシストを多数輩出する孤児院・修道院は優秀であると褒賞を受けるのだよ。そこでアーナック司祭は聖堂での立場を利用し、採用担当に口利きをする」
「まさか、それで孤児院や修道院からマージンを?」
レツェリは鷹揚にうなずく。
エルディチカは目の前が真っ暗になるような心地だった。幼い頃、かの司祭が足繫く孤児院へ通っていたのは、決して孤独なエルディチカに会いに来てくれたわけではなかったのだ。