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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
番外編① 冷たい夜に慈悲の赦しを
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第五幕 凍てついた死、望郷の果て

 戦闘が長引けば、全身の皮膚を氷に削られてしまうだろう。

 おかしな話だった。天気は快晴で、空には雲ひとつないというのに、地上には吹雪が吹き荒れている。


「コォォォォ————ッ!」


 しかし、イドラたちが大根おろしのようになってしまうのを待つつもりもないのか、イモータルは吹雪の中を突進する。無差別な吹雪を形作る氷塊はお構いなしにイモータル自身へも突き刺さるように思われたが、不死身の怪物にはなんら影響を及ぼさない。


「はぁ——っ!」


 抜刀と同時にソニアがそれを迎え撃った。ワダツミの刃とて、イモータルを傷つけることはできないが、やはり隙を作ることはできる。側方からイドラが回り込み、刺突を繰り出す隙を。


「そこだ!」


 逆手に構えたマイナスナイフの連続刺突。一方が気を引き、一方が本命の攻撃を繰り出す——方舟で叩きこまれた連携の基礎だ。

 イドラは有効な手ごたえを感じた。

 実体なき世界だからこそ成立する、不死という永遠。だがそれさえ、マイナスナイフというイレギュラーによって断たれてしまうのだから、レツェリの野望が頓挫するのも自明の理であるのかもしれなかった。


「コォォォォオオオッ!!」

「——!」


 しかし一撃で仕留めきるにはいたらず、イモータルはより強く叫びを発する。呼応するように喉元が輝き、イドラは側方から迫る氷塊の渦のようなものを目視した。


(吹雪を操作しているのか——ワダツミの水流操作のように!)


 これまで無秩序だった吹雪が、明確な指向性を持ってイドラに迫ってくる。

 まるで小規模な竜巻だ。そして言うまでもなくその内部では、無数の細かな氷塊がぐるぐると回転しながら加速している。


「イドラさんっ!」


 恐るべきは白狼のイモータルが持つ魔法の力だ。周囲一帯を巻き込むほどの規模を持ちながら、さりとてこうも繊細な操作をも可能とする。

 魔法器官を持つイモータル自体稀だったが、こうも強力な魔法を操るイモータルと戦うのはさしもの不死殺しでも、かのヴェートラルを除けば初めてだろう。

 いや——


「そう簡単に……」


 そうではないのだろうか?

 不死を狩る旅の中で、同じように強力なイモータルや魔物と相対したことは、本当に皆無だと言えるのだろうか?

 わからない。もう、イドラ自身でさえ、わからないのだ。

 レツェリの野望、二世界の融合とそれによる理想郷の実現を阻んだ代償はあまりに大きい。

 万物流転——それがこの宇宙のルールなら、覆水盆に返らず、もまた同じく絶対の規則なのだ。

 その手がなにを取りこぼしたのか、それさえイドラ自身に判別する方法はない。


「……やられてたまるか!」


 不死殺しとしての使命につい焦燥を抱いてしまったのは、無意識に記憶の欠落を補おうとした結果だったのかもしれない。

 だが——今は違う。

 凍てつく竜巻が身を削るより先に、イドラは引き抜きざまのマイナスナイフで虚空を斬りつけた。空間の膨張に押し出され、イドラの座標が後方へとずれ込む。


「コォォォォオオオオオ————!!」


 瞬間移動による回避を見せたイドラに、なおも不死の白狼は吼え立てる。

 離れたのなら再び追うまで。魔法の勢力は衰えておらず、なおも追いすがるようにイドラへと向かっていく。

 そこへ。


氾濫(フラッディング)——わたしが防ぎます、イドラさん!」

「ああ、任せた!」


 ワダツミを腰の鞘へと納めたソニアが、離れた位置から居合の姿勢を取る。

 不死の力を失った彼女は、技を鍛えた。肉体に不死を宿すようなものとは違い、それはどこまでも地道で、退屈で、時間のかかる作業であり、それゆえに人らしくもあった。

 彼女が行うのはその技の象徴。師から受け継ぎ、今や完全に我が物とした、ワダツミのための居合術。


「は……ぁぁぁあああああああ——っ!!」


 極限まで圧力を高められた水流が、斬撃とともに発射される。

 どれだけ極められた剣術、魔剣の類であろうとも、不死の怪物たるイモータルを傷つけることなどできはしない。

 しかし、魔法。その引き起こされた一個の現象を、より強い力で打ち消すことは当然可能だ。

 氷の竜巻と水流の斬撃が激突し、相殺する。

 防御をソニアに任せていたイドラは、その隙に白狼の懐へと潜り込み——渾身の一撃をその頸に見舞った。


「これで……終わりだ!」


 記憶を欠くことはまさに、盆の上の水を返すのと同じことだ。

 もう戻ることはない。なにが失われたかさえわからない。

 しかし、なにが残ったかはわかる。多くのものを取りこぼしたその手は、されど、すべてを手放したわけではないのだから。


「コ……ォ————ッ」


 不死殺しの青い刃は、凍てついた死を真の死へと引き戻した。白狼は白い砂となり、積雪と混じって見えなくなる。

 魔法の効力も消え、局所的な吹雪が消失する。すると笑みを湛え、再びワダツミを鞘に納めながらソニアが歩み寄ってくる。


「お疲れさまでした。怪我はないですか?」

「おかげで。そっちはどうだ?」

「大丈夫です。どうしてもイモータルが相手だと、役立てることも少ないですから」

「そんなことはない、さっきも助かった」


 マイナスナイフを腰のナイフケースにしまい、イドラは労うようにソニアの髪のほつれを直してやる。戦闘の激しい動きで乱れてしまったのだ。


「……えへへ」


 それを心地よさそうに受け入れるソニア。

 イドラはその微笑みを見て、実感するのだ。馬車のことも、箸の使い方も忘れてしまい、自身の経験さえ疑わねばならなくなってしまった身の上だが——

 本当に大切なものはここにある。今、この時もそばにいてくれる。


(だったら……迷う必要も焦る必要も、なかったのにな)


 失った過去よりも、これから先の未来をイドラは選んだ。

 積もる雪を踏み越え、イドラたちは山を出る。国境へと向かう。

 そして協会の手配した人員と接触し、協会の総本山である聖堂のある町、デーグラムへと発つ。馬車を使うので、ここまでくれば楽なものだ。

 そしてある朝。何度か宿で馬を替え、数日がかりでイドラたちはようやく、デーグラムへと到着したのだった。


 *


「お尻が痛いです……」


 ようやく馬車を降り、デーグラムの石畳を踏んだソニアが真っ先に口にした感想がそれだった。

 無理からぬことではあった。連邦との国境からずっと馬車で運ばれてきたのだ。尻も痛もうというもの。

 それでも歩いて向かうよりは、ずっと楽なはず。しかし——


「方舟の作戦で乗せてもらった、ジドーシャ? が恋しいです」

「ああ……あれはすごかった。方舟、というか向こうの世界の技術力には驚かされるばかりだったけど、あれは格別だな」


 イドラとソニアが話していると、馬車の御者を務めてくれていた協会の男性が近づいてくる。

 てっきりこの先は彼が徒歩で案内してくれるのかと思ったが、そうではないらしく、別の係の女性を紹介し、彼は馬を連れて去っていった。


「では、ここからは私が。ついてきてください、お二方」


 紹介された女性が街路を先導する。聖堂で働く協会の職員だろうと思われた。

 相変わらずデーグラムの町はにぎわっており、まだ朝だというのに通りをたくさんの人々が行き交っている。


「……あれ? 聖堂じゃないのか」

「はい。裏手にある療養所にて、ミロウ様がお待ちです」


 聖堂の前を通り過ぎ、そのまま外周をぐるりと迂回する。聖堂が巨大な建物だけに、裏手に回るのも一苦労だった。

 ようやく聖堂の裏に回ると、そこには白を基調とした、庭付きの建物があった。

 こじんまりとしているが協会の施設らしい清廉な印象を受けるそれは、協会の建てた療養所だ。入院しているのはなにも協会の人間だけでなく、一般人もいる。


「中へどうぞ」


 案内されイドラとソニアは療養所に入る。よく清掃の行き届いた、温かみを感じさせる木製の壁や床。建物自体も近年建てられたもののようだ。


「……まさか、ミロウになにかあったのか?」


 行き先が聖堂ではなく療養所であることに、イドラは一抹の不安を覚える。

 以前、聖堂におけるいざこざでミロウは片腕を失った。また彼女の身によからぬことが起きたのではないか。

 そんなイドラの懸念は、しかし杞憂のようだった。


「いえ——失礼します、イドラ様とソニア様をお連れしました」


 療養所の奥にある一室の前で、案内役の彼女は室内に向けてドア越しに言う。わずかに緊張した様子で、背筋も伸びていた。


「お入りください」


 聞き覚えのある女性の声が、室内から響いた。

 ガチャリとドアを開く。そこは広い部屋ではなかったが、大きな窓が昼前の日差しを目一杯に取り込んでおり、その窓のそばに木製の椅子が置かれていた。

 椅子にひとり。そして、着座するその女性に付き添うようにして、もうひとり——金の髪を邪魔にならないよう短く切りそろえた、隻腕の女性が立っている。


「……ミロウ!」

「しばらくぶり、ですわね。イドラ、ソニア」


 ミロウは息災だった。和やかな微笑を浮かべ、友人との再会の喜びを露わにする。

 久闊(きゅうかつ)を叙そうとするイドラだったが、それより先に、ミロウが付き添っている、椅子に背を預ける女性の方に目がいった。

 どこか——見覚えのある顔。


「あなた、は……」


 着脱の楽な、ゆったりとした服に身を包む姿こそ、見慣れてはいないけれど。

 細い肩。亜麻色の長い髪。北部の生まれ特有の、緑がかった瞳。

 あとはいつものシスター服さえあれば、イドラも部屋に入って一目で気が付いただろう。


「……オルファさん?」


 イドラが声をかけると、椅子の上の彼女は、びくりと小さく肩を震わせる。それからゆっくりと視線を上げ、イドラの顔を窺うように見上げた。

 目が合ってすぐ、イドラはオルファが正しく現実を理解できるようになったのだとわかった。

 そう——シスター・オルファ。彼女こそ、イドラの旅の始まりだった。

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