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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
最終章 忘れじの記憶
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第百五十七話 『忘れじの記憶』

「その、腕輪は……ッ?」

「目ざといやつだ。僕が着けてるのにも気づいてたのか」


 ソニアの腕にあるのは、まぎれもなく荊棘之道。同じものを着けていたはずだと、レツェリは血の流れ出る胸を抑えながらイドラの方を振り向く。

 イドラは、ソニアが戦ってくれている間に失った右腕の補整(ちりょう)を済ませていた。そして、地面に落ちた荊棘之道を拾い上げる。


「——僕のは、コピー元だ」


 イドラのものとソニアのもの。この場にふたつある腕輪のうち、ソニアのものこそが、ウラシマの話題にあった、コピーギフト開発部が製造に成功したコピーギフトだった。

 つまりイドラが着けていたものは、地底世界からお守り代わりに着けていたものと同じ……真正のギフト。そして、ギフトはそれを賜った当人以外には使用できない。

 よってイドラの手首にあった荊棘之道は、本当にただのお守りでしかなかった。


「このコピーの腕輪には、ダメージを逃がす能力があります」


 表情に複雑な感情をよぎらせながら、レツェリを見下ろすソニア。その服の襟から、黒いあざのようなものが覗いていた。

 荊棘之道、そのコピーギフト。巻絡(ラッピング)の起動コードで発動するスキルは、体表に激痛を伴う黒い茨のあざが浮かび、一瞬だけその茨があらゆる外傷を担ってくれるというもの。

 コピーに加え、世界を越える『順化』によっていささかの性質は変化しているかもしれないが、元々の荊棘之道の能力もそう離れてはいまい。

 ウラシマが友人から譲り受けたというその腕輪の持ち主は、自らの天恵の反動で亡くなったのかもしれない。


「それを……ソニアに。この小娘に渡していたのか」


 若干の驚愕を込めるように、レツェリはそうつぶやく。

 タイミングを合わせる必要があり、濫用すれば使用者の肉体を蝕むという難点はあるものの、そのコピーギフトはレツェリに対して有効な一手だ。少なくとも一度は不意を突ける。

 そして、その虎の子を、イドラはソニアに託していた。

 決着をつけるのはソニアだとわかっていた。そう、信じていた。


「それが最善だったからだ」

「……ふむ」


 膝立ちのレツェリの体がぐらりと傾ぎ、花々に埋もれるようにして倒れ込む。

 地底世界の夜空を見上げながら、レツェリは無感動に言った。


「見誤った、か」


 目を閉じる。今度こそ——敗北を認めるように。

 どくどくと流れ出ていく赤い血は、レツェリがどこまでいっても人間であるという証でもある。

 そのそばへ、ソニアがゆっくりと近づく。手には抜き身のワダツミ。

 皮肉な結末。それとも、ソニアにしてみれば痛快な結末だろうか?

 否。彼女の瞳にあるのは報復の歓びなどではなく、深い、憐れみにも似た悲しみばかりだ。


「なにか、言い残すことはありますか?」

「いいや。ああ、だが——そうだな。貴様には訊いておこう」

「——?」


 逆流した血で咳込み、それからレツェリはソニアに問う。


「私を憎んでいるか?」

「……いいえ。不死憑きになったおかげで、イドラさんと出会えましたから」

「ハッ。惚気(のろけ)が」


 目を閉じたまま小さく笑う。

 晴れ晴れとした態度、ではない。むしろレツェリはどこか恨めしそうだ。

 その意志は最期まで変わらず。悲願の成就を断たれ、失望する思いが見て取れる。


「憎んではいませんが、あなたはもう、許される存在ではなくなりました。だから……」


 倒れたレツェリの胸に、ワダツミの切っ先を近づける。


「……殺します」


 地底のときとは違い、今のレツェリには『星の意志』の力が宿っている。

 人間社会が許容できる存在ではないのだ。イドラとソニアが殺さなくとも、方舟はその存在を断じて許さないだろう。

 そして、誰かがレツェリをとどめを刺さねばならないのなら、その役目は自分が担うとソニアは自ら言った。

 それがあの聖堂で、レツェリを生かす選択を取った自らの責任であり——

 過去と真に決別するために、必要な一歩でもあると。


「ああ。この後もせいぜいあがくことだ」


 ひょっとするとレツェリは、偽りの星々を見ることを拒んでいるのかもしれない。

 まぶたは閉じたまま。

 抵抗もせず、その刃を受け入れた。


「——」


 ひゅうと息を吐く。口の端から、逆流した血液をわずかにこぼす。

 そうしてレツェリは絶命し、執念に満ちた、百年を超える長い生を静かに終える。

 ひとつの決着。

『星の意志』から継いだ後光も消え、その眼球に封じた力は失われるだろう。


「終わりましたね……」

「……ああ。ソニア、傷の方はどんなだ?」

「平気です。この腕輪が、守ってくれましたから——」


 ソニアはワダツミを鞘に仕舞うと、己に刺さった刀剣を一本、また一本と引き抜く。とはいえレツェリが死んだ以上、その力で作られた剣も遠からず消え失せるだろう。

 傷口はなく、血も流れ出ない。荊棘之道によって守られていたソニアの体にダメージはない。

 体表に浮かぶ、黒いあざを除けば。


「——っ、すみません」


 ふらりと倒れかけたソニアを、イドラが腕をつかんで支える。精神的疲労がその表情にまでにじんでいた。

 荊棘之道の反動は大きい。濫用すれば命を奪う程度には。

 二度使っただけで、途方もない疲労がのしかかっているようだった。


「ありがとう。しばらく休んでいてくれ」

「はい。……イドラさんは?」

「僕は……」


 ゆっくりと、ソニアをその場に座らせる。

 レツェリが死んだことで、歪んでいた空間が元に戻る。サンダーソニアの花畑が消失し、地底世界ではなく、タワービルから見る屋上の景色に戻ってくる。

 そこにはまだ、白い輝きを強める、卵のような『外殻』が残されていた。


「……あれをなんとかする」


 もはやレツェリがおらずとも、世界の融合は進んでいた。連星——さながら星同士が引かれ合うように。

 雲はなおも巨大さを増して渦巻き、風はさらに強く荒れ狂う。地面が揺れていて、屋上の揺れは増幅されてともすればよろけてしまいそうになる。

 この後もせいぜいあがくことだ。レツェリは最期にそう言い残していた。

 こうなることを知っていたのだろう。

 レツェリが望んだ理想郷が顕現するまで、あとどれほどの猶予が残されているのか。レツェリが死んだ今、誰にもわかるまい。

 身を裂くような突風の中で、イドラはゆっくりと『外殻』に向けて歩み出した。

 手には補整器(コンペンセイター)


(——ああ、きっと、マイナスナイフが変じたのはこの瞬間のためだったんだ)


 宙に浮かぶ『外殻』、そのそばまで近寄る。

 近くで見てみれば、表面は虹色の光を帯びているようだった。景色に溶け込まない巨大な卵のような形状のソレは、白い輝きの内側に、ふたつの世界を巻き込んでない交ぜにしてしまおうとしている。工程が終了すれば、大地はぐるりとひっくり返り、地表はもれなく消し飛ぶだろう。

 さっきから風と地響きの音ばかりが耳に届いている。体中を叩く逆風は、『外殻』を守っているかのよう。

 イドラは風に逆らうようにして、赤い天恵を振り上げ——


「補整しろ、コンペンセイター」


 その能力を発動しながら、白い『外殻』へ突き刺した。

 どくん、と心臓が強く跳ねる。

 理想郷の顕現を止めるには、コンペンセイターの『補整』能力が不可欠だった。

 レツェリが『星の意志』の莫大な力を以って施した、世界の融合。地上と地底の一体化。

 その作用を補整する。超自然を、自然へと引き戻すのだ。

 しかし補整能力には代償を伴う。今やイドラに活力を継ぎ足すアンプルはない。

 ふたつの世界すべてに働きかける作用を止めるのだから、その補整の代償は尋常ではなかった。

 残りの体力すべてでは足りない。昏倒するまで、あるいは死ぬまでの活力を注いでも届かない。

 残る五感——

 レツェリの『箱』を視るために補整した右目は、もうほとんどの視力を失い、わずかにぼやけた景色を視界に映すのみ。だが左目は健在だ。

 聴覚はどうか。これは無事だ。

 味覚、嗅覚はレツェリに受けた傷を治すために捧げてしまったが、併せて二割程度は残っている。

 皮膚感覚。これも痛覚はまるきり消えてしまったが、触覚や温覚、冷覚は残っている。

 だが、そのすべてを捧げても——まだ足りない。

 足りないのだ。レツェリの遺した爆弾を解体するには、未だ届かない。

 では、ほかになにが残っているだろう?

 イドラの中にある、代償として捧げられるモノ。

 炎は上げず、しかし赤く赤く燃えている、熾火の中へとくべる薪。


「——記憶」


 今日に至るまでの、長い長い旅路。

 それこそがイドラの持つ最大の熱量だ。

 赤く透き通った半透明の刃が、喝采を上げるように輝いた。


「持っていけ……!」


 世界の果てより、果ての世界へ。地底における負数を帯びた水晶の青(マイナスナイフ)は、ここでは赤い補整器(コンペンセイター)として順化を果たしている。

 柄を通し、情報が吸い上げられる。累積されてきた記憶が、そぎ落とされるようにして刃の内へ注がれる。

 そしてそれらは燃料として燃やされ、コンペンセイターの刃が炎じみた赤色の光を強めていく。

『外殻』が震え、呼応するように地面も強く震える。

 風は四方八方から、イドラを引きはがそうとするように、あるいはただ狂いもだえるように吹き荒れる。


「おおおおおおおおおおぉぉ————っ!」


 吹き飛ばされぬよう、イドラはコンペンセイターの柄をにぎる手に力を入れる。まるで嵐の中を行く航海で、船の外へ投げ出されぬようにと欄干にしがみつく船夫(せんぷ)のようだ。

——船? 船とはなんだ?

 イドラは自身の思考に疑問を抱いた。

 記憶がさらさらと、砂のように消えていく。もしくは例えるなら、思い出という一枚の板があったとして、それらがバキバキと無残に割れ砕けていき、次第に虫食いになっていくような。

 色々な物の名称を忘れた。特定の所作を忘れた。多くの者の顔や名前、そのつながりがわからなくなった。

 だがまだ、まだ足りない。表層のものでは。

 もっと大きく、記憶を減じなければ——!


「あああああああああぁぁぁッ、ああああああああ————!!」


 叫んでいるのは全身に力を入れるためではなく、自己がすり減っていく恐怖からだと、イドラはふと気が付いた。

 人格とは多分に偶発的な要因の影響下にあるが、結果的には記憶によって形成される。その記憶を失うということは、自己を喪失していくことにほかならない。

 忘却という奈落。

 ただ血を失って死ぬより何倍も色濃い死。

 だが次の瞬間には、なぜ叫んでいるのかも忘れてしまった。


「————————————ッ」


 どうしてこの場にいるのか。なにをするために、ここに立っているのか——

 けれど、柄をにぎるこの手を離してはならないことだけは、わかっている。


(そうだ……やらないと。僕にしか、できないことなんだから)


 朧げな記憶に、それでも強く刻まれた何人もの顔が浮かぶ。

 この吹き荒れる風の中で、己を支えるもの。それこそ、鉄にも勝る固い意志にほかならない。

 カナヒトは迷わなかった。積み上げられた代償の山、すべての死に意味を持たせるため、終末の使者に抗い続けた。

 ウラシマもまた、長い長い時の中を地底世界でさまよい、それでも外乱の排除という目的を見失うことは片時もなかった。ゆえに果ての村で、イドラに希望を託すことができた。

 ヤナギにも貫徹する意志があった。今や遠く過ぎ去った人類の黄金期を取り戻すため、犠牲を積み上げることさえ厭わず邁進した。

 誰も彼が、己が定めた道を、逸れることなく歩んでいた。

 ……レツェリ。

 宿敵であるあの男でさえ、不死の実現という妄執にすべてを費やし、その道行きには最後の最後まで迷いなどなかった。

 ならば、イドラもまた、一切の迷いを排するべきだ。


「まだ……足りない、ならッ!」


 自身の構成要素(コンポーネント)で、大きく割合を占めるもの。

 大切な人の記憶。忘れられない誰かとの思い出。それから……ほかでもない自分自身に対する認識。

 それらを、この赤い刃に捧げれば——

 そうしなくては——


「——だめっ……!」


 すぐそばで声がする。余分なことに割く意識の余裕はない。

 けれど、その声はなぜか無視できなかった。蔑ろにし難い、心の奥に響くような声色。

 柄からは手を放さず、イドラは軽く振り向いてみる。

 いつの間にか後ろから、ひとりの少女がしがみついていた。


「だめ、です……! イドラさんっ! 棄てちゃいけないものまで棄てないで……!」


 泣いていた。

 なにが悲しいのか、少女は橙色の瞳からはらはらと涙をこぼす。

 きれいな()だとイドラは思った。

 そう、確か、こんな色の花があった。もう名前は思い出せないけれど、誰かの庭に咲いていた。

 風にさらわれてなびく白い髪。


「……ソ、ニア」


 口が自然と、その橙色の瞳と、白い髪を持つ少女の名を紡ぐ。

 ソニア。


(ああ……そうだ)


 まだ憶えている。

 互いの罪を肯定し合うことを選んだ、泥のような夜を。ヴェートラルを倒した峡谷で、夕焼けの中で彼女が見せた笑みを。

 不死の怪物が与えた呪いじみた力と決別し、ひたむきに鍛錬を重ねた奮起を。

 不幸に見舞われた少女が、少しずつ前向きな心を取り戻していく過程を。

 花のような微笑みに、弾けるような笑顔にいつだって救われてきたことを。

 なによりも尊く輝く記憶の数々。星よりも間近にあり、篝火のように暖かなもの。

——そうだ。これを棄てることなどできない。


「ソニア——」

「はい……! わたしはここにいます! だから、どこにも行かないで——そばにいてください! わたしをそばにいさせてください……っ!」


 棄てたくない。この思い出だけは棄てられない。迷いを排したはずの心で、そんな願いを抱いてしまう。

 背中越しに伝わる体温は、手の中で燃える天恵よりも熱く。

 仮に自分自身のすべてを喪失するのだとしても、大切な少女との思い出だけは渡せないと、そう強く、燃える炉心の赤い刃へくべることを拒絶する。

 その、代わりに。

 白く細い雪に似たいつかの記憶が、身を投げるようにするりと刃に注がれる。それはまさしく淡雪のように、赤い熱に触れて消え去った。

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