第百五十四話 『星が空に瞬かずとも』
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屋上に向け、イドラとソニアが長い階段を上っている頃。
タワーのふもとでは、方舟の戦闘班が黒い海の中で奮戦していた。
「キリがないなぁ、もう……! 紅炎っ!」
一面の黒は、すなわち地を埋めるアンゴルモアだ。タワーの周囲一面に広がっていた侵略者たちは、方舟の戦闘員たちを見るや否やそちらに向けて殺到していた。
斬っても焼いても尽きない暗黒の群れに、セリカは悪態をつく。
「はッ——このぶんだと、夜明けまで戦うことになりそうだの。年齢的にもそろそろ無理はしたくないんじゃが」
それに反応して、まだ中年という歳でもないだろうに、タカモトもため息交じりにぼやく。
そこへ真っ黒い虎のような形をした、大型のハウンドが大口を開けて飛びかかった。
展開——
起動コードに反応し、タカモトのコピーギフト、42号・墨雲が盾の形状に変形する。そうして敵の攻撃を防ぐと、その黒い盾はさらにうねうねと変形し、今度は鋭い剣のような形状を取った。
「ふんっ!」
一刀両断。アンゴルモアは絶命し、影と消える。
だが敵は無数。一匹を殺したところで、二匹目、三匹目はすぐに、生きる者をおしなべて屍に変えんと牙を剥く。
「よかったじゃないですかぁ。無理をするのも、きっと今日が最後ですよぉ」
それを、赤い大鎌が寸断した。
49号・千手刈手。ミナの操るコピーギフトは、ひと振りで複数の斬撃を放つことができる。対多数のこの状況では実にあつらえ向きだ。
そんなミナの隣で、大槍でハウンドを串刺しにしながらタカヤが同調する。
「そうやな。イドラクンたちが打ち勝てば、明日からは平和な世界が待っとるんや。そうなれば戦う必要もなくなりますよ、リーダー!」
「それもありますけどぉ。あの地底世界から来たふたりが負けるか、私たちがここで死ぬ——そうなった場合でも、戦いは今日で終わりですからぁ。どう転んでも、って感じです」
「いや縁起悪いわ!! あんまそういうこと言わへん方がいいよ美菜ちゃん!!」
倒せど倒せど、無尽蔵に湧いてくるアンゴルモア。世界中のすべての個体がこの塔のもとに集結しているかのようだ。
いかに戦闘班の精鋭と言えど、気を抜けば暗黒の濁流に呑み込まれ、骸と化すだろう。
——されど。
「まあ、でも。むざむざ負けてやるつもりも、ありませんけど……!」
赤い鎌が振るわれ、押し寄せる濁流を跳ねのける。
窮状であろうと、狩人たちは未だ健在。彼らは劣勢に慣れている。
「簡単に死んだら、先輩に呆れられちゃいますから!」
「ああ——そうじゃな。せっかく平和になるというのに、ここで死ぬのはまっぴらじゃ。総員、生きて帰るぞ!」
「了解——!」
押し寄せる波濤の中で、彼らは必死に応戦する。
命を賭して戦っているのは彼ら『鳴箭』の者だけではない。
『寒厳』、『巻雲』、『逆風』、『無色』——あらゆる戦闘班の人員が、一丸となってアンゴルモアたちに対抗する。もちろんカナヒトのように、負傷してこの場に集えない者もいたが、そうでない者は死地にあってなお生きるために死力を尽くす。
四面楚歌の黒い海で、勝利を信じて力を振り絞る。
その様はまるで暗澹たる夜空に散るまばらな星々が、彼方へ届けと輝きを放つようだ。
とはいえ全体で見れば、それらは弱々しい光に過ぎない。広大な闇に辛うじて呑まれていないだけの、ごくごくか細い輝き。
光を摘まんと、侵略者たちが押し寄せる——
その中には地を這う雑兵だけでなく、得物を手にした女王もいた。
「うっ、あぶなッ……!」
クイーンが振るう漆黒の大剣を危ういところで回避し、セリカはたたらを踏む。
ハウンドどもと違い、クイーンは流石に一筋縄ではいかない相手だ。セリカもその手ににぎる赤い西洋剣、73号・烈日秋霜で何度か斬りつけたものの、まだ倒すには至っていない。
多勢が相手だ。一匹にあまり手間をかけてもいられない。
——ここは周囲と連携し、一気に仕留める。
そうセリカが目算を立てたところで、クイーンはセリカから目を離し、一目散に駆け出した。
「えっ……!?」
ハウンドに阻まれ、追うこともできない。
クイーンはなにを思ったのか、向かう先は狩人たちではなく、自身が守る塔。
ハウンドより知能の高いそれは、なんらかの理由から悟ったのかもしれなかった。戦闘班の者たちを相手にするのではなく、今しがたビルに入っていった二人組を始末することこそ、最も優先されるべき事柄であると。
付近の敵に対処するので精一杯で、戦闘班の狩人たちはそのクイーンの独走に気が付けない。あるいは気が付いても、止めるすべがない。
これ幸いと、クイーンは狩人たちには目もくれずビルの入り口に突進する。
やはり戦闘班の者たちに対処の余裕はない。
しかし——この場にひとり。
ただひとりだけ、戦闘班のあらゆるチームに所属しない、例外がいた。
「そんなに急いでどこへ行こうというのかな? いいさ、通りたいなら通ればいい。ただし——」
かつて存在し、そして現在は解散したチーム、『山水』のリーダー。
彼女はタワーの入口の前に立ち。ロフストランド杖を地面に捨て置き、腰を軽く落とすと、佩いた刀の柄に手をやった。
刀——そう。彼女の腰にはひと振りの太刀がある。
けれど彼女の愛刀、地底世界を実に百年以上連れ添った傑作コピーギフト、55号・ワダツミは今もタワーを上るソニアが持っている。
では、彼女の腰にある太刀は?
「——このワタシを倒せたら、の話だよ」
「——————ッ!!」
刀のことなどクイーンには知る由もない。だいいち、知っていても考慮しない。
女王と言えどアンゴルモア。『星の意志』の不出来なデッドコピー。所詮は人間を探して殺せとプログラムされただけの心なき生命。昆虫の類と大差はない。
よってクイーンはタワーを塞ぐウラシマを見ても、疾走する足を止めようとはせず、むしろ叩き潰さんとその大剣を振り上げる。
瞬く間に二者の距離が縮まる。
蹴散らさんとする者と、迎え撃たんとする者。
「ギィィィィイイイイイイ————ッ!!」
大剣の間合いに入ったその瞬間、ノイズに似た金切り声で、クイーンはその大剣を振り下ろす。
人間などとは比べ物にならぬアンゴルモアの膂力。加えて得物の質量も十分。
もしクイーンに感情があれば、会心の笑みをその真っ黒い面貌に浮かべただろう。そして次の瞬間、怪物は知るのだ。
この塔の前に立つ者こそ、不落の守護者であると。
「抜刀——伝熱」
振り下ろされる剣がウラシマを潰す直前——
逆巻く黒雲の下。星のない夜に、片割れ月が輝いた。
「————ギッ」
12号・灼熱月輪。その白熱した刃が、闇夜の中に弧を描く。
すべての同胞の死が、どうか価値あるものでありますように。
負傷によりこの場にいない担い手に代わり、その意志ごとウラシマは引き継いでいた。
居合の一撃は漆黒の大剣を打ち砕き、さらにそのままクイーンを逆袈裟に斬り上げる。
「さっきクイーンはほかに譲る、って言っちゃったけれど。まあ——イドラ君たちに頼ってばかりなのも事実だからね。ワタシも少しは、先達の務めというモノを果たさないと」
不遜なる侵略者は、一刀のもと、得物もろとも真っ二つに裂かれた。
消滅するクイーン。
ウラシマはこれでも本調子ではなく、少し前までは車椅子生活だった。そんな有り様で戦場に出るなど、およそ正気の沙汰ではない。回りくどい自殺をしに行くようなものだ——
スドウならそう説得するだろう。だが、ウラシマにも意地がある。
結果的にイドラが果たしてくれたからよかったものの、外乱の排除という役目を全うできず、道半ばで死亡し。そのイドラの赤い天恵により地底世界から意識を呼び戻されるも、体は十全に動いてくれず——またこうして、イドラたちにもっとも重要な役割を押し付けている。
先達として、イドラを長い旅へ導いた者として、それから、元『山水』のリーダーとして。
この身には、なにより重い責任があるはず。
その意識がウラシマを方舟本部で大人しくなどさせてくれなかった。
「さあ、何匹でもかかってくるといい。地底の怪物に比べれば、斬って殺せる化け物なんて恐れるほどでもない……!」
眼前で無数に蠢く暗黒の侵略者たち。白く輝く刀を構え、ウラシマは不敵に笑う。
彼女こそ最優の狩人にして地底の旅人。いかに肉体が不調であろうとも、かの世界で培った経験が無に帰るわけではない。
襲いかかる黒い影を何度でも切り裂く、白熱した刃。暗晦の中でひときわ強く輝くもの。
暗闇に瞬く光はそれだけではない。
セリカやタカモトたち、この場にいる方舟所属の誰もが、圧倒的な戦力差を前にしながらも闘志を燃やしている。その明日を求めてあがく生命の輝きこそ、決別の証であり、ヤナギが望んだ前進の意志でもある。
恐怖の大王と人類と、どちらが夜明けを迎えるのか——
それを語るには、塔の頂にて決せられる、文明の行く末を知らねばなるまい。