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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
最終章 忘れじの記憶
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第百五十三話 『理想補整者(コンペンセイター)』

 ふむ、とレツェリは軽く周囲を見渡す。


「もはや我々は雌雄を決するほかないが——この場所は風が強い。戦うのであれば『外殻』も邪魔だ。ここはひとつ、あちら側に渡ってみるか」


 そして、ぱちんと指を鳴らした。


「なっ……!?」

「景色が、変わった——?」


 それだけで風は止み、周囲の光景が切り替わる。イドラたちは一瞬にして、さっきまで立っていたタワービルの屋上ではなく、見知らぬ場所にいた。

 星明かりのきらめく、のどかな——

 どこか人里離れた山間(やまあい)の、黄色い花で満ちた夜の花畑だ。


「ランスポ大陸の南東、もしくはトワ大陸の高地……はたまたプリケ大陸かもしれんな。地底世界の気候や植生はまるでデタラメだ、どの座標に跳んだかは私にもわからん」

「移動したのか? こんなに簡単に、元の——僕たちのいた世界に」

「そう見えるが、厳密には空間を部分的に重ね合わせただけだとも。地底との距離が近づいた今だからこそできる芸当だ。偽物の景色だが、見た目上は快適になっただろう」

「偽物……」


 見上げれば満天の星空。地底世界の星々がイミテーションに等しいと、箱舟で地上に上がったことのあるイドラたちは知っている。

 だが遠目に見上げる輝きは、確かに美しかった。

 橙色のベルのような花弁をつけた、風にそよぐ花々も、とても偽物であるようには見えない。

 だがレツェリの言う通り、本当に地底世界に来たわけではないようだった。イドラが腰のナイフケースから己の天恵を引き抜くと、それは負数を帯びた青い水晶の刃ではなく、『順化』した赤い補整器のままだったのだから。


「あ……この花」


 ソニアがふと、なにかに気付いたかのようにぽつりと漏らす。

 言われて、イドラも気が付いた。

 懐かしい花。かつてシスター・オルファの庭にあり、ソニアの名前の由来にもなったらしい、その名称は——


「——サンダーソニア」


 レツェリが無感動に告げる。


「もっともその名は、現実世界から流れたものだがな。地底世界とは言ってみれば集合的無意識の世界だ。現実世界の人々が生む幻影……もしくは、記録の鏡像だよ」

「集合的無意識? 記録の鏡像?? 一体なんの話をしているんだ、お前は」

「我々のいた地底世界は湖面の月となんら変わらん。実体ありきの存在だ。『星の意志』の放つアンゴルモアが地表の人間をまるごと狩りつくせば、地底世界も泡沫のごとく消え去るのだろう。裏を返せば現在(いま)の窮状でも保たれているあたり、案外、方舟のほかにもコミュニティは存在するのかもしれんな」


 その目はこの場ではない、ほかのどこか遠くを見ているようだ。

 もはやレツェリの吐く言葉は完全にイドラの理解を超えていた。サンダーソニアの花畑で佇む仇敵がまとうその雰囲気は、以前よりも凄みを増し、『星の意志』から継いだ後光も相まって人ならざるモノの視座を思わせる。


「……イドラさん。もしかしてあの人は、『星の意志』から知識を得たんじゃないでしょうか」

「ああ、僕も同じことを考えていた。力を引き出せるなら、記憶……というか、それこそ記録みたいなものまで引き出せてもそう不思議はない」


 ふたりの認識は間違っていない。あの赤い眼球は今となっては、天恵としての機能とは別に、アカシックレコードにも少し似たデータベースを有していると言える。

 地球という星の始まりから、今日に至るまで。

 この地上での出来事のすべて、星の目が届くあらゆる事象が、そこには記録されている。

 もっとも膨大にして乱雑な情報の渦に索引など望むべくもなく、眼球から必要に応じて引き出す形を取る以上、レツェリ自身は万象を識るという域ではないだろうが。


「じゃあ、そんなの……レツェリさんの精神は元のまま保てるものなんでしょうか?」


 イドラは肯定も否定もできず、押し黙った。

 それはオフィス街で、『星の意志』の力を継承したレツェリと正対した時にも感じた疑問。

——今の状態のレツェリは、本当にレツェリなのか?

『星の意志』が持つ膨大なエネルギー、人智を超えた力によって、元々の人格や思想、意志などは消し飛んでしまったのではないか?

 そう、疑問を抱かずにはいられなかったが——


「しかし、不死殺しの貴様ならわかるだろう。仮想の地平だからこそ、イモータルは地底世界に存在できた」

「……ヤナギは、地底世界は実存を伴わないと言っていた。今ならその意味も少しは理解が及ぶ。数値で表せる場所だからこそ、数値観測でコピーギフトを抽出することもできる」

「そうだ。ギフトが持つ不壊の性質も、イモータルの不死と原理的にはそう変わるまい。この眼の記録によれば、諸行無常と言うらしいが——すべてのものは留まらない。それが、実存を伴う世界の絶対的なルールだった」


——やはり、と。

 イドラは先の可能性を切り捨てた。

 レツェリの言わんとすることに、いくらか理解が追い付いた。

 永遠は地底にこそ存在する。

 不死性は地底世界でのみ実現できる。ゆえにこそ、現実では不滅ならざるアンゴルモアと根源を同じくするイモータルが、地底で不死の怪物足りえるのだ。


「だからお前は……不死の存在しうる地底世界と、この世界を合わせるつもりなのか」

「理解してもらえたようでなにより。地底世界は現実への依存から脱却しつつ、現実世界は地底でのみ許容される永遠を受け容れる。そうして生まれるのが新世界だ」

「そんなことをして、両方の世界が無事で済むわけがない……! そこで生きる人々はどうなるって言うんだ!」

「そうだな、現実の地表も、仮想の地平も、おそらく現存する生命はほとんどが消し飛ぶだろう。二割も生き残れば上出来だなァ。世界同士が激突する衝撃だ、大規模な天体衝突となんら変わらん」

「まるで大量殺戮じゃないか! ふざけるなよレツェリ、お前がやろうとしているのはただの人殺しだ!」

「確かに私は人を殺す。だが断言しよう。この死こそが、すべての世界で起きる最後の悲劇だと」


 ふたつの世界、そこで生きる多くの人間を殺すことになろうとも、レツェリは止まらない。この男に迷いはない。

 ともすれば生まれ落ち、その思想を宿した瞬間(とき)より、レツェリという男が迷いを抱いたことなどただの一度もなかったのかもしれない。


「新世界を迎えたすべての命は、実存と仮想が重ね合わされた状態になる。すべての者がイモータルのように不死性を帯びるのだ! 劣化せず、朽ち果てない永遠の命——これこそが理想郷だ!!」

「お前は、やっぱり……ッ」


 熱弁する姿に、イドラは確信を強めるほかなかった。

——これは、レツェリだ。

 レツェリ以外の何者でもない。『星の意志』による人格・思想への影響など微塵もない。

 不死の野望は、地底にいた頃からなにも変わってはいない。


「理想郷——それは、違うと思います」

「……なに?」

「ソニア?」


 意を決するように、ソニアは一歩前へ出る。橙色の瞳がまっすぐにレツェリを見る。


「変わらないことが理想だなんて、わたしはちっとも思いません。ただ止まっているだけの生には、決定的に意義が欠けています」

「……それはイモータルの力を失った自分を慰めるための方便だ。無力なただの小娘が、私の理想を否定するな」


 レツェリはソニアに視線さえ寄こさず言う。その態度は、ソニアのことをまるで脅威と見なしていないかのようだった。


「なにが新世界だ。神にでもなったつもりか?」

「救う神なき世界だからこそ、ヒトはヒト自らの手によって救いの道を探さねばならない。イドラ、貴様はどうだ? 永遠の停滞、変化のない自己こそ、人間の完成形だとは思わないのか?」

「知るか。そんなの、考える価値もない」


 イドラは吐き捨て、レツェリをにらむ。

 ……長話は終わりだ。

 もとより相手は破綻者。尋常の精神から大きく隔絶した、異常の類。

 その信念に、なんらかのきっかけがあろうが、それともなかろうが、イドラには関係がない。

 一切の初めから、わかり合う余地など残されてはいないのだから。


「前にも言わなかったか? 僕はお前の思想に興味なんてない。ただその実現のために、お前がふたつの世界を、そこで生きる人々を脅かそうとするなら——」


 イドラはコンペンセイターをにぎるのとは逆の手で、腰のケースからシリンジを抜き取る。

 ヤナギに渡された薬剤。その、最後の一本だ。


「——その理想を補整する。どれだけ深遠な目的であっても、今を生きる人たちを踏みにじるようなものは間違ってる。そんなのは歪んだ願いだ」

「そうか。なら一足先に新世界の(いしずえ)となるがいい。その赤い天恵で、私の眼をどう攻略するつもりか知らんがな——」


 空気が重く張りつめていく。会話を打ち切る意図を汲み取り、レツェリもまた、戦闘を開始しようとする。

 穏やかな風が吹いて、サンダーソニアの花々を柔らかく揺らす。

 空にはきらめく星々。無機質な偽りの星が、最後の戦いを見下ろしている。


「——では、文明の行く末を決めようか」


 直後、イドラは悶絶するような刃物の痛みに襲われた。

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