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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
最終章 忘れじの記憶
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第百四十六話 『託される意味』

「——ぁぁあッ、あああああああッッ!!」

「なにッ……!?」


 それでも決死の一刀は止まらない。刃の切っ先はレツェリに届き、その赤い血を肩口から噴出させた。


「貴様——、っ」


『星の意志』と違い、レツェリには血が流れている。当然だ。彼は『星の意志』と同化したわけではなく、あくまでその眼に封じ込めているだけに過ぎない。

 しかし刀の間合いに入り切る前だったため、レツェリの傷はそう深くない。肩口を抑えながら、彼はよろめくようにして下がった。


「頑丈な男だ……! だが致命傷だ、じきに死ぬだろうよ」

「レツェリぃ——!」

「次は貴様か? 構わんぞ。先のように、眼から術理を——っ?」


 唐突にレツェリがその動きを止める。

 イドラが怪訝に思うと同時に、今度は左目を抑え、ぐらりとふらついて前傾した。


「うッ、が——ぁ、ぐぶッ」


 嘔吐。首筋を汗ばませ、透明な胃液を苦しげに吐き出す。

 そのいきなりの不調を見て、イドラの頭に仮説がひとつ浮かんだ。


(あれは……もしかして、あいつは『星の意志』の力を引き出していて、その反動なんじゃないか?)


 先ほどの武術についても、『星の意志』から得たものなのではないか。

 そう考えるイドラには根拠がある。『星の意志』、ひいては武装したクイーンは卓越した剣技を身に付けていた。

 あれらが持つ達人じみた技能を、『星の意志』の力を封じた眼を介して獲得している——

 イドラの考察は正鵠を射ていた。


「今の私が引き出せるのは……この辺りが限度か。より深く、権能を掌握せねば」

「逃げるつもりか!? そうはさせるか!」

「私が貴様らを見逃してやるのだ。今ここで死ぬのも——世界の変革に巻き込まれて死ぬのも、そう変わるまい」


 レツェリはちらりと、すぐ隣に立つビルを視る。

 視線を投げかける。そんな些細な動作だけで、それは万物を断つ不可視の剣を振るうのと同じだった。

 踵を返し、その場を立ち去ろうとするレツェリ。

 当然追いかけようとしたイドラの頭上に、巨大な影が被さった。


「な……」


 見上げれば、そこにはへし折られた棺。

 百数十メートルはあろうかという高層ビルが根元から切断され、イドラの方へ倒れてきていた。

 逃げなければ圧殺だ。突如の危機に脳が警鐘を鳴らし、イドラの視界に映る景色が減速する。

 スローモーションの世界で、イドラは確かに視た。

 落下するビル。数秒後には地面と接触し、かつてビルだった残骸へと変じるであろう塊。

 それは、既に空中で二つに分かたれていた。

 根元に近い方は短く。先端に近い方は長く。その比率は八対二程度。


「——箱?」


 それはつまり、一本のビルの根元に、ちょうどビルと同じくらいの幅をした直方体を被せたような切り方をしていた。

 直感。その後に論理が追従する。

 かつてデーグラムの聖堂で、イドラはレツェリの天恵が持つ秘密を暴いてみせた。

 すなわち、万物停滞(アンチパンタレイ)の能力とは、指定した空間の時間を一瞬の間だけ遅らせるものであると。

 しかし傍目にわかるのはそこまで。

 レツェリが具体的にどう空間を認識し、区切っているかまではわからなかった。


「イドラっ、なにやってんの! こっち逃げて!」

「あ……ああ!」


 セリカの呼びかけで我に返る。離れた彼女の方へ、遅れてイドラも駆け出した。

 自転する世界で、レツェリの天恵は静止物をも断てるよう『純化』した。しかしそれゆえに、イドラに気づきを与えたのだ。

 箱。


(レツェリは、空間を箱型に区切ることで能力の範囲を指定している……!)


 その発見がなにをもたらすのか——

 今は、この場を切り抜けるのが先決だろう。


「こっちっ! 走って!」

「うっ、あっぶな……!」

 

 背後で轟音。そして砂礫を含んだ風がイドラの背を打つ。

 間一髪で下敷きにはならなかった。だがレツェリには逃げられた。


「……カナヒト!」


 それともやはり、見逃されたと言うべきなのだろうか?

 息をつく間もなく。セリカのもとへ走ってきたイドラが見たのは、腹部から血を流し、意識を失ったカナヒトの姿だった。


「イドラ、早く……! リーダーを助けて!」

「ああ、わかってる! 待っててくれカナヒト、すぐに治してやる!」


 コンペンセイター、赤い短剣に意識を集中する。

 その能力は『補整』。相応の代償を捧げれば、カナヒトの肉体の損傷を修復することは可能だろう。

 そう、相応の代償を捧げれば。


()……て。……イドラ」

「っ!?」


 意識のないように見えたカナヒトが、その手を伸ばしてイドラの腕を力強くつかむ。

 そこには明確な、制止の意思があった。

 今まさに、注がれる代償を今か今かと待ちわびる赤い輝きに応えようとしていたイドラは、思わぬカナヒトの行動に驚愕する。


「スキル、は……使うな」

「なにを——言うんだ! なに言ってるんだよ! このままじゃあ出血で死ぬかもしれないぞ!」

「だとしても、命令だ……そのギフトは使うな!」


 気力を振り絞るような迫真さに、イドラは二の句を継げなくなる。

 同じようなことが、先日。北部の作戦でもあった。

 クイーンに片腕を斬り落とされたソニアは、失血の中、イドラがコンペンセイターを使うことを止めようとした。

 イドラに負担をかけまいと。朦朧とする意識で、イドラのことを労った。

 しかし、今のカナヒトはそのように朦朧とした状態ではない。とめどなく血を流し、けれどその瞳には固い意思の光がある。

 その言葉は、うわ言じみたものではなく。

 確固たる論理に立脚した——迷いなき意志の表れ。


「な、なんでさリーダーっ! リーダーまで死んだら、あたし……あたし嫌だよ!!」


 取り乱すセリカ。それを、苦しげな息で、それでいて落ち着いた口調のカナヒトが諭す。


「あのレツェリとかいうやつを、イドラは一度倒してる。……そうだろ? イドラ」

「あ、ああ。僕とソニアはこの世界に来る前にあいつを倒した。命こそ、奪いはしなかったが……」

「なら……『星の意志』の力を奪ったレツェリを倒せる可能性があるのも、お前らだ。お前と、ソニアが、あいつをぶっ倒せ」


 腕をつかむ手に、さらに力がこもる。さながら意思を託すように。

 カナヒトの意図をイドラは不足なく理解した。

 レツェリとの戦闘に備え、ここで『補整』を使うことで無用な代償を負うなと言っているのだ。

 天秤に掛けられているのが、自らの命そのものだとわかっていながら!


「っ——、いいか、ここで俺にスキルを使えば、レツェリに勝つ見込みが減る。あいつの眼は規格外だ。加えてあれは……『星の意志』の力まで部分的に使っているような節があった」


 血を飲み込み、カナヒトは話し続ける。その声は次第に小さくなる。意識を保つのももはや難しいのだ。


「あのバケモンを倒せるのは、イドラ、お前と……っ。あと一歩、あの男さえ倒せば、ようやく平和な世界になる……!」

「もう喋るなカナヒト。命令は、遂行する」

「イドラ、それでいいのっ? リーダーがこのままじゃ!」

「カナヒトの望みは、僕がここで戦力を削ぐことじゃない」


『星の意志』を倒し、今日まで築かれてきた屍の山——

 払われてきた代償。あらゆる犠牲に、意味を持たせること。

 それがカナヒトの念願であると、イドラはもう知っている。


「レツェリを倒せば、『星の意志』も今度こそ消滅する。なら僕は……『片月』の一員として、レツェリと戦う」


 今日まで続く犠牲の列に。

 トウヤの後ろに、カナヒトが続くのだとしても。

 最大限に勝率を上げ、レツェリを打倒することが、『片月』に身を置くイドラの役目なのだ。


「イドラ……」

「薄情だと思うか?」

「ううん。死の意味を持たせるんだって、リーダーは言ってたもんね。イドラの選択は間違いじゃない……あたしたちは、方舟の戦闘班なんだから」

「ありがとう。——とはいえ、まだカナヒトが死ぬと決まったわけじゃない。できる限りの止血をして、助けを呼ぼう」


 カナヒトはいよいよ意識を失い、イドラの腕も放している。

 その目が次に開くことはあるのか。

 ない、とわずかにでも考えるだけで、イドラは己の天恵を使いたくなってしまう。

 だがそれでも、カナヒトにその意志を託されたのだ。


「そうだよね……! そうだ、無線で救急隊を呼ばないとっ」

『——心配ない。既にそちらの座標へ向かっているところさ』

「浦島さん!」

「先生……!」


 無線が入る。イドラたちが交戦をしている間、既に人員を向かわせていたのか、遠くから響くエンジンの音がイドラたちの耳にかすかに届き始めた。


『そちらの状況はおおむね把握した。奏人君に切断された部位があるなら回収して、医療チームに渡しておいてくれるかな』

「わかりました。すまんセリカ、ここは任せる」

「任せて!」


 処置をセリカに託し、イドラは周囲を見渡す。

 レツェリに切断された脇腹の肉は、ブロック状にくり抜かれて道路の脇に転がっていた。


(やはり……箱型だ。もっともこれだけじゃ、流石に気づけなかっただろうけど)


 注意深く、イドラはその肉塊を拾い上げる。

 あの時レツェリの展開した『箱』は、芯を捉えてはいなかった。おそらくカナヒトの動きが予想以上に速く、レツェリも目測を誤ったのだろう。

 だがそれでも『箱』の範囲から完全に逃れられたわけではなく、端に巻き込まれた。その結果がこの精肉店で売られていても違和感のなさそうな塊だ。


(あの眼に対抗するには、僕自身が——)

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