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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
最終章プロローグ 神殺しの夜に
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第百四十四話 『不遜です!』

「さあ——最後の賭けだ。今、神なき荒野に踏み出そう」


 上を向き、心臓を掲げ。逆の手で、『偽神計画』の薬剤を首筋に注入する。


「どうなってるんだよ……! レツェリッ!」


 赤い短剣を手に向かってくるイドラ。

 その剣が届くより先に、原初の心臓からこぼれた星屑のようにきらめく雫が、レツェリの赤い左眼に触れ—— 


「ぐ、ぁ——っ、あああああああああああああァァァァァァ!!」


 瞬間、すべてが白く切り替わる。

 光の柱が立ち上り、周囲のすべてをまばゆく神聖な輝きが洗い流していく。

 そしてレツェリもまた、光の中にいた。

 白い白い光。目はなにも見えず、音も届かず、光以外になにも感じない。

——否、唯一鮮明に感じるものがある。

 痛み。

 鮮烈にして凄烈な痛み。激痛と呼ぶにも生ぬるい、脳を焼くような感覚。

 それは遠い昔、幼き日に眼球を両親にくりぬかれた時の痛みに似ていた。


(流れてくる——『星の意志』の力が、機構が、意義が——視座が!)


 白くスパークする痛覚の火花の中に、情報が幾重にも折りたたまれていた。

 無限の廊下を渡るような、無限の奈落を堕ちるような。形容しがたい感覚がレツェリを呑む。抵抗の余地などない。星が蓄えてきた情報の奔流の中で、レツェリという一個人など些細な石くれに等しい。

 小さな水風船に浴槽いっぱいの水を注げばどうなるだろうか?

 決まっている。容量を超えれば、無残に破裂するのみ。人間で同じことが起きたのが、動けぬ樹木となり、さりとて死ぬこともできなかったケイカノンの末路だ。


(だが……私は、神の視座など求めはしない!)


 人間という器が、『星の意志』の力に耐えられるはずがない。

 されど。レツェリの眼窩には、不壊の眼球が収まっている。

 天恵にして臓器。情報の奔流は、すべてそこへ注ぎ込まれる。


『不遜』


 声が、頭蓋の中で響いた。


『不遜です!』


 女の声。鈴を転がす音のように澄んでいながらも、そこには確かに怒りの感情がにじんでいた。


「貴様、は……」


 急速に視界が晴れる。無限の雲中(うんちゅう)を抜け、景色が開ける。痛みも引き、レツェリは気付けば暗闇の中に立っていた。

 闇の中に、ちらほらと、彼方で輝く光がある。

 その不思議な光景はレツェリにも初めて目にするものだったが、どことなく、地底世界から現実世界に上がる際の箱舟から見た景色に類似しているように思えた。

 眼前には、黄金の髪の女が立っている。

 後光は消失していたが、それは『星の意志』と同じ容貌をしていた。


「……驚いたなァ。そのように人らしい表情(かお)もできたのか」


——『星の意志』に人格があったとは。

 もっともそれも、膨大な情報の中から再現された、単なる模倣に過ぎないのかもしれないが。

 レツェリは自然と、目の前の女が実存を伴うものではなく、力に混じって左眼に流れ込んできた『星の意志』の残滓とでも呼ぶべき存在だと理解した。


『貴方は、人の子でありながら、星を管理する力を得ようとしています』

「それが、不遜だと?」

『然り』


 黄金の瞳で、『星の意志』の残滓はジッと咎めるようにレツェリを見つめる。

 その表情は怒りと呆れが入り混じりながらも、どこか稚気を帯びていて、まるでクラスの不良を叱る学級委員のようだ。


『星の管理者への造反。たとえあなたが自然に育まれた人の子ではなく、人が持つ無意識領域の産物……湖面の月で生まれ育った人の子だとしても、その後に機構(システム)を継ぐというのなら、まだ私は溜飲を下ろしましょう』

「ふむ」


 女の言葉は難解だったが、レツェリにはするりとその意味がわかった。

 すべての情報は眼の中にある。

 わざわざ索引があるわけでもないので、膨大な書庫から一冊の本を探すことは難しい。けれど、目前の彼女もまたその書庫にある一冊の本なのだ。ゆえに、彼女の話す言葉だけは、レツェリも感覚的な理解ができた。


「私が貴様の仕事を、役割を継ぐのなら、貴様が殺されても構わないということか」

『業腹ですが。同じ機能を持ち、同じ働きをするのなら、それらは同一と見なせます』

「暴論に聞こえるがなァ、それは。しかし、私は貴様の跡を継ぐ気はさらさらない」

『理解しています。それゆえに、貴方を非難しているのです』

「……要するに、わざわざ文句を言うために私の意識に接触したわけか?」


 レツェリはため息をついた。期せずして眼球にインストールしてしまった女のせいで、不要な面倒を強いられている。

 この空間はあくまで意識の中だけのものだ。流れている時間も、現実と同じ速度ではない。

 しかしだからと言って、悲願の成就を前にしながら、ここで憎まれ口を聞き続けるのは——

 とてつもなく、うんざりする。

 そんな思いが表れていたのか、レツェリの顔を見て、女はムッとした。


『いいですか? この暗闇の海で生命が息づくために、星は暖かな揺り籠でなくてはなりません。現生人類は星に育まれながら、星を汚しました』

「その辺りの道理はわかっている。長く大地が保たれるという点において、貴様の言い分は正しいのだろうよ」

『であれば、貴方も機構(システム)としてあるべきです。すべての人類を滅ぼし尽くし、地上に新たなスタートを切るのです』

「お断りだな。私は人間だ。寿命を持ち、やがて塵芥(ちりあくた)と消える一個体だ。世界のことなど知ったことか。私は、あくまで私が永遠を手にするために——」

『自己欺瞞』

「——なんだと?」


 見透かしたような女の言葉に、レツェリはぎろりとにらみ返す。

 が、その行為に意味はなかった。なぜなら意識の世界では、さしもの天恵もその能力を発揮しない。


『貴方ひとりが永遠を生きたいのなら、私の言うことを聞いても同じことです。ですが貴方はそうあろうとはしていない。貴方は——この星の在り方そのものを変えようとしている』

「……私の頭を覗いたのか?」

『ふふ。貴方も私の情報を盗んだのですから、同じことでしょう』


 いたずらっぽく微笑む女。どこまでも人間らしい所作。

 それは逆説的に、女が『星の意志』としての権能を欠いていることを意味する。

 もとより残滓。すぐにその意識も、人格も、表出するような事態は起こらなくなるだろう。


『誰かに慕われたいわけでも、崇められたいわけでもない。だというのに、貴方は人の子に救済をもたらそうとするのですね』

「ああ、そうだ」

『なぜですか?』

「一言で言えば、悲哀。それだけだとも」


 あるいは同情。

 どうせ頭を覗けるのなら、言葉を尽くしても仕方がない。


「貴様が嫌味を言うのなら、私も文句のひとつは付けさせてもらおう。神を謳うのならば、もう少しマシな形にヒトを作れ」

『あら、神などという概念は貴方たちの創作に過ぎませんよ。それにシンプルな話、永遠に生き続ける個体なんて増やしたら、この星はあっという間に過密でしょう?』

「知るか。なんとかしろ、神ならば。それができないのなら、死ぬしかない命に初めから意識など持たせるな」

『な、なんですかそれはっ。そんなの、暴論は貴方の方ではないですか——ふふっ。あははっ』


 女は笑った。心底おかしいとばかりに——楽しそうに、目じりに涙まで浮かべて。


『あぁ——、ふぅ』


 きっとこの女は、笑みを浮かべたのなど初めてなのだろう。そうレツェリは思った。

 思っただけで、これが過ごしてきたであろう何十億年という、レツェリの長い人生とも比較にならないようなスケールの時間について、その期間弛まず保たれてきた偉業について思いを馳せるようなことはしなかった。

 ひとしきり笑い終えると、女はもう一度レツェリを見つめる。

 今度は怒りや呆れではなく。その表情には、厳しくもどこか優しい——

 子を慈しむような感情が、ほのかに宿っていた。


『せいぜい、貴方の眼から見物させてもらいます。不遜な簒奪者(さんだつしゃ)の末路を。もしくは、文明の行く末を』

「そうしていろ。貴様に嫌というほど見せつけてやろう。長らく護り、保ってきた世界の変革をな」


 暗闇が薄らいでいく。彼方の星々が、その輝きを失っていく。

 明滅がなくなる。静寂がひび割れる。

『星の意志』の残滓に残った力が尽きたのだ。意識の交信が終わる。女の意識はレツェリの眼の中に溶けていき、このような機会はもう起こるまい。


『ですが、貴方の謳う救済を受け入れるか——』


 宇宙空間を模した、『星の意志』の残滓が用意した空間が消えていく。


『それを選択するのもまた、人の子なのです』


 その間際。女の告げた言葉が、なぜだかレツェリの胸に残った。

 現実の時間が流れ出す。

 目を開けば、荒涼とした街並み。レツェリの意識は旧オフィス街の路上へと戻ってくる。

 眼前には敵の姿。方舟の狩人がふたり——それから、宿敵たる男。

『星の意志』の力を継ぎ、周囲には燐光がきらめき。背後からは朝陽が差し込む。

 長い夜が明け、朝がやってくる。

 摂理の消えた世界。神はその眼の内に堕落し——

 そして、最後の一日が始まった。

最終章プロローグ 『神殺しの夜に』 了

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