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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
最終章プロローグ 神殺しの夜に
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第百四十二話 『知られざる一幕』

 *


 レツェリを産んだ母は信心深く、また父も主の従僕とでも言うべき男だった。

 父は言う。主は間違えない、と。

 母は言う。主を信じ、主の恵みたもうた自然や命に感謝しなさい、と。

 馬鹿が。

 今のレツェリなら、そう短く吐き捨てて蔑むだろう。


(悲劇の約束された生が、間違いではない?)


 かつてはレツェリも両親の教えを信じていた。子は親に従うのがふつうで、その親は神に従っているのだから、レツェリがロトコル教の教えに従うのも当然だった。

 しかし、神はレツェリを裏切った。


(瞬きのような短さで過ぎゆき、やがて意志も肉体もなにもかも消え去ってしまう命に、感謝だと?)


 有限の命に待つのは死という悲劇。避けられない結末が決定付けられている。

——ああ、人間とはどうしようもなく、不完全な代物だ。

 十歳の折、レツェリは己の眼球をくりぬいた。

 天より授かった天恵(ギフト)は、眼のかたちをしていた。天恵試験紙によればレアリティは1で、あまりに稀有な存在に、両親は選ばれし子だと大層喜んだ。

 なので、父と母は嬉々としてレツェリを抑え、器具でレツェリの左目をえぐり出した。あの時の、右目で視た両親の興奮した表情と、脳を突き刺されるような激痛は今もレツェリの記憶に色濃く残っている。

 とはいえレツェリ自身もその行為に異議はなく、自らも進んで行った。

 眼球の天恵を受け取ってしまったのだから。元ある眼は、捨てねばならない。

 そうして痛みを対価に、新たに眼窩に収まった眼球にレツェリは誓ったのだ。


「あらゆる天恵を超越する」、と。


 ごく短い間だけ、認識する空間における時間の流れを遅らせる。時間の遷延能力。

 それを活かすため何年も訓練をした。視界内に仮想的な『(りっぽうたい)』を配置し、空間を適切に区切る見方。さらには己の体が持つ時間的猶予を伸ばす、寿命の延長という超越的にして例外的な使い方まで体得した。これはレアリティ1がゆえの特異性や、レツェリ自身の生命に対する執着あってこそのもので、通常のギフトでこのようなことはまず起こりえない。

 そして天恵の訓練と平行し、レツェリは両親の伝手も使い、葬送協会内で頭角を現わしていく。司祭となり、やがて司教となった。

 両親は事故を偽って殺害した。天恵の秘密を知る者は念のために消しておきたかった。

 その頃には内心、神の教えとは決別し、不死への探求が始まっていた。

 同時に協会内では、レツェリの年齢に触れることはタブーだった。だが両親の知り合いも中にはいるため、レツェリの外見が実年齢と乖離していることに気が付いていた者はいただろう。

 だが、きっとこう思うだけだ。『司教の天恵は、寿命を延ばす能力なのだ』と。

 眼の秘密は明かさない。寿命の延長が能力の本質ではなく、副次的なものだとはまさか誰も思わない。

 そして司教としての立場を活かして、秘密裏に不死に至る方法を模索、あらゆる方面から検討し——

 デーグラムの聖堂で、その旅人に出会ったのは、レツェリがそこでイドラに敗れる六十年ほど前だった。


「ワタシには目的がある。そのために、色々なギフトの情報が欲しくてね」


 ふらりと現れた黒い髪の女は、信徒でもないのに聖堂に毎日やってきた。

 腰には見慣れない剣を帯びていた。どうやらカタナ、と言うものだそうだ。抜いたところはついぞ見たことがなかったが、天恵の一種だろうとレツェリは判断した。


「司教さまなら、ギフトにも詳しいはずだよね?」


 天恵は空の向こう、天に住まう神より授かるもの。

 ロトコル教ではそう信じられているため、自然と、各地の天恵の情報は協会に集まってくる。天恵試験紙を配るアサインドシスターのこともある。


「対価は? あるのかね?」


 レツェリはその女の前では、少しだけ地を出した。

 その旅人はどこか妙だった。若い外見とは裏腹に、旅の知識は豊富で——その瞳にはどこまでもひたむきな、迷いない決意を表すような光が宿っていた。

 彼女の目的とやらがなんだったのか、レツェリは知らない。

 しかし、ひょっとすると、どこか親近感のようなものを覚えていたのかもしれない。

 赤い眼球の力で、外見よりも老練した精神。生命が先天的に持つ有限という不完全さを克服するため、不死性を得ようとする執着。

 そう、レツェリとウラシマには、外見と年齢の乖離、それと固い目的意識という共通点があった。


「うーん、それを言われると。一介の旅人としては、司教さまに差し上げられるものなんて中々思いつかないかな。魔物退治の人手が必要とかなら、いくらでも協力できるんだけど」

「腕に覚えがあるらしいな。それは結構なことだが、あいにくと手は足りている。我々葬送協会には優秀な祓魔師(エクソシスト)たちがいるのでな」

「そうだよねー……弱ったな」


 旅人の女はがっくりと肩を落とす。

 レツェリは、あたかも今ふと思いついたかのように、本命の要求を口にする。


「確かこの大陸に来る前は、ゼンテーシ大陸を旅していたのだったか?」

「ああ、うん。さっき少し話したけど、目的のためにちょっとね。魔物の魔法器官に興味があって」

「ほう? 魔法器官の次はギフト、か。節操のない旅人だなァ」


 曖昧な笑みを浮かべるウラシマ。言及を避けていた。

 だが魔法器官に詳しいのは好都合だ。レツェリも内心で口の端を吊り上げた。

 この時期のレツェリはまだ、イモータルへの研究を本格的に始めてはいなかった。むしろ、不死を目指すにあたり、魔物の魔法器官を用いたアプローチを強く検討していた。

 魔法器官の研究はランスポ大陸よりもゼンテーシ大陸の方が進んでいる。なんでも嘘か真か、魔法器官を利用して疑似的な天恵を造り出す、ダミーギフトなる品まであるらしい。

 現地に行って見分を得たいのは山々だったが、司教という立場上、長期間大陸を離れるのは容易ではなかった。


「ならばその、魔法器官について話してくれればよい。情報の交換だ。私は協会が記録する多様なギフトについて。貴様は、魔法器官について」

「魔法器官は結局ワタシの目的には空振りだったものだし、その知識が対価足りえるならワタシとしては助かるけれど。司教さまが魔法器官にご興味を?」

「なに、ちょっとした好奇心だ。恥ずかしながら外の大陸には疎いのでな。魔物についても、さほど見たことはない」

「ああ……ご多忙な司教さまは、聖堂から離れづらいのだろうね」


 納得したように旅人がうなずく。

 こうして二者は情報を交わす。こんな一幕がかつてあったのだ。

 星に手を伸ばすような、遠大な目的に向かって歩く二人。その道がわずかにだけ——一瞬だけ、交わった。

 不死(えいえん)を実現しようとする者。

 不死(がいらん)を殺す手段を探す者。

 向かう先は真逆だとしても。互いにそうとは知らず。

 交わった道はすぐにまた離れ、それからも長く、長く先に続いていく。

 こんな一幕が——あったのだ。


 *


「……ウラシマ。そういえば、イドラもその名を口にしていたな」


 無機質な階段を上がりながら、レツェリは思い出したようにつぶやく。

 現実世界、旧オフィス街にて。適当に目についた小高いビルに入り、レツェリはその階層をその足で上っていた。

——あの女はひょっとすると、方舟の関係者だったのやもしれん。

 ふとレツェリはそんな気づきを得た。

 しかし、今さらだ。事ここに至り、考えるようなことでもない。古い旅人の正体も、方舟の活動も、今となっては捨て置いていい。

 思考を切り捨て、階段を上り終えたレツェリは、屋上のドアを開け放った。

 暗夜、吹き抜ける突風が黒衣の裾を翻す。

 空にわだかまる雲は厚く、星の明かりはどれひとつとして届かない。代わりに、方舟の照明弾が遠くで打ち上がっていた。


「ふむ……あれか」


 それを頼りに、南方、地平線に目をやる。

 レツェリの左眼は天恵であり、不死憑きほどではないにしろ、そこいらの人間より視力は高い。夜闇を塗りつぶすようなアンゴルモアの大群の輪郭を、彼はしかと捉えた。

 その中心でそれこそ星のように輝く、黄金の存在も。

『星の意志』。アンゴルモアが侵攻を始めた理由について立てられた仮説は数知れないが、正しかったのはガイア理論に基づく説だった。

 それは古く突飛な考えではあったが、レツェリにとっては受け入れやすかった。地底世界のロトコル教やビオス教においても、神は大洪水(マッドフラッド)によって地上文明を滅ぼすとされている。

 同じように、星そのものが人類を淘汰すべく使者を放つ。そういった世界観は、元々は信心深かったレツェリには馴染みのあるものだ。

 そしてレツェリの狙いはアンゴルモアではなく、それを放つ『星の意志』そのもの。


(狙い通り、引きずり出すことができたか。五年でも十年でも粘ろうとは考えていたが、幸運にも早かったな)


 いかにして『星の意志』を地上に引きずり下ろすか。レツェリは単純に考えた。

 アリの巣があるとして。外に出てくる働きアリを順にすべて潰していけば、いずれは女王アリ自身も外へ出なければならなくなる。

 そのため、レツェリは気長にアンゴルモアを潰し続ける気でいたのだが、ことのほか『星の意志』の親征は早かった。

 今日に至るまでの方舟の抵抗。それに加え、先日の北部で突如現れたクイーンの群れを虐殺したのが決め手だったのだろう。『星の意志』自らが地上に降り立ち、直接人類を攻め込まねばならなくなった。

『星の意志』の位置を確認したレツェリは、方舟の戦闘班たちと鉢合わせないようにしつつ、そこへと向かって移動する。

 徒歩での移動のため多少の時間はかかったが、やがて、『星の意志』の姿を建物の陰より認めることができた。

 方舟の戦闘班もまだ来ていない。単独行動で身軽なレツェリと比べれば、彼らはブリーフィングや無線・装備等の確認、各チームの配置などで鈍重だった。


「黄金の髪、瞳……だが形自体はクイーンと同じに見えるな。なるほど、あれが原型か」


 クイーンの原型。そして、ヒトの原型。

 原初の人間を前に、しかしレツェリに畏怖もなければ感慨もない。

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