第百三十七話 『インテリジェント・デザイナー』
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時は遡り、ソニアがベルチャーナと交戦を始めた頃。
ちょうど二人が廃ビルの窓を叩き割った辺りで、イドラ・カナヒト・セリカの三人も、目的地への到達を間近にしていた。
『星の意志と思しき反応まで、おおよそ二百メートル。目視はどう?』
「まだです。でも、あそこ、なんだか光って——」
「なんだあれは。人型の……光?」
己が目を疑うようにカナヒトがつぶやく。
道の先、なんでもないアスファルトの上を、まるでこのために誂えた豪奢な絨毯を歩くような優雅さで、その存在が歩いている。
優雅さ、と呼ぶにはいささかの語弊があるだろうか?
より的を射た表現をするなら——
神聖。
「あれ、が——星の意志?」
目にしてみれば、それは侵攻ではなく、権利ある進入のようだった。
数十体の黒い軍勢を後方に従えて。黄金に輝く長髪を揺らしながら、人型のソレが行進している。
金の髪と瞳、肌は白く、うっすらと全身が光を帯びている。聖なる存在がまとう光背。
大枠だけ見れば、それはアンゴルモアのクイーンたちと酷似したシルエットをしていた。
つまるところ、これが原型なのだ。
すべてのクイーンは、この『星の意志』のレプリカであり——
それはヒトも同じことなのだと、理屈もなく『片月』の全員が確信した。
クイーンが人型なのは。ヒトと似た形をしているのは、人間を模しているからではなく。
クイーンも人間も、同じ存在を原型としているがゆえの類似なのだ。
原初の人。人間の、クイーンの、最初の一。
唯一の本物は、黄金の瞳で方舟の狩人たちを認めると、その足を止めた。
『人の子ら』
「っ、喋っ……!」
抑揚のない澄んだ声が、イドラたちの頭に響いた。
無線で話されるのとも似た、しかしわずかに違う感覚。人ならざる存在だからこそ行える、念話の類だ。
『それと、地底の幻影。実体なき意識世界の住人よ』
「なんだこの声、まるで頭に入ってくるみたいな——」
『滅びよ。そなたらはともに、滅びなければならない』
無線機を着けたイドラたちの耳元で、ザザ、とノイズが鳴る。
クイーンの念話がジャミングのように作用して、無線が妨害されているのだ。
人類の原型が歩みを再開する。クイーンを上回る統率能力により、アンゴルモアの群れが粛々とそのあとに続く。
『この揺籃を汚し、脅かす子。実存せず、鏡像同然でありながらもこの世に干渉する者。どちらもこの星の存続にあたり、不都合を生じる可能性がある。軛を振り払う者、持たぬ者は滅ぼされるが道理である』
「なにを言っているかいまいちわからないが……僕たちを許すつもりはないらしいな。どうせ戦うつもりなんだ、どうだっていいさ」
「よく言った、イドラ。ああも流暢に人語を話すたぁ思ってなかったが——」
カナヒトは言葉を区切り、未だ一方的に送られ続ける念話を聞く。
『淘汰を受け入れよ。伸びすぎた枝は剪定される。自然の輪を外れれば、滅びるのが世の摂理である』
「——この調子だ。話し合いましょう、って気はさらさらないらしい。だったら聞く必要もねえな、こんなモンは鳥のさえずりとおんなじだ」
「うん……! ここまで来たんだもん、臆してなんかいられない!」
セリカの気勢に共鳴するように、彼女が持つ73号・烈日秋霜の赤い刀身が燐光を湛える。
頼れる仲間に、方舟が多大な労力で製造するコピーギフト。そのどちらもをイドラは頼もしく思う。
最も信頼する少女こそ、傍らにはいなかったが——
(ソニアと、それに『鳴箭』。さらには戦域全体で戦闘班の各チームが、僕たちが星の意志と戦うために道を開いてくれた)
多くの信頼を、期待を、責務を。蔑ろにはできない。
かつてないほど気力は充実していた。意識は冴えわたり、体の動作は淀みなく、三度のアンプル注射という奥の手もある。
『抵抗の意思を確認。ヒトよ、滅びを容認しないのであれば殲滅する』
「呆れた、どっち道殺すんじゃねえか。行くぞお前ら!」
「ああ!」
「うんっ!」
狩人たちが武器を手に接近し、戦端が開かれる。
『星の意志』の周囲にいる数十匹のハウンドが、『星の意志』を守るように前へ出る。クイーンの時と同じだ。
「——伝熱ッ!」
だが、この場にはコピーギフト開発部の傑作が二振りそろっている。
白く熱を持つ日本刀が黒の軍勢を斬り払い、
「紅炎っ!」
赤く燃える西洋剣が同じく終末の黒を焼き尽くす。
イドラも絶好調で、獲物がナイフであるがゆえの身軽さで混戦の中を駆け抜け、ハウンドたちを翻弄する。
陣形が破綻しないぎりぎりを見極める。それができるようになった辺り、イドラもチームプレイに慣れてきたということかもしれない。もっとも、単純に人数が三人に減じ、もちろん総合的な戦力は落ちているのだが、人が少ないぶん連携自体は単純になったのもあるだろう。
このままいけば、イドラたちがアンゴルモアを掃討するのは時間の問題だった。
しかし当然のことながら、むざむざ手勢が処理されているのを『星の意志』がぼうとしながら眺めるメリットなどあるはずもない。
『小門・展開——』
「待てみんな、星の意志が……!」
光を帯びたその存在が動き出したのを見て、イドラは警告を発する。ソニアを除く『片月』の面々は一度固まり、『星の意志』の動向に着目する。
現れたのは、極小の天の窓。
イドラたちにも見覚えあるそれは、空高くからアンゴルモアを投下する通常のポータルではなく、クイーンが武装をその手に呼び出すための言わば武器庫。
だがクイーンと違い、その極小の天の窓はなにも『星の意志』の手元に現れたわけではなく。空中、彼女のそばで、それも八つ展開された。
『——八門』
「まさか……総員、回避に集中しろ!」
八つの天の窓それぞれから、黒い切っ先がずるりと顔を出す。
直剣。短剣。細剣。曲刀。薙刀。小太刀。大槍。手斧。
すべてがイドラたちの方を向いていた。それらは例えるなら、装填された弾丸だ。そして撃鉄は起こされている。
一斉掃射。イドラたちが身構えたのと同時に、銃声も砲声もなく、すべての門からあらゆる武器が放たれる——!
「ぐっ……!」
飛来する直剣を避け、細剣をコンペンセンターの赤い刃で弾き落とす。
そして、短剣がイドラの肩を深く貫いた。
「イドラ!」
「——っ、大丈夫、だ!」
咄嗟に抜き払うと、傷口からどぼりと血があふれ出た。かなり深手の傷だ。
神経を侵す痛み。イドラは失態に舌打ちした。
体の調子は悪くなかった。三本の剣が向かってきているのも、目で追えていた。
しかし対処しきれなかった。一手目の時点で、三手目の詰みが見えていて、だというのに判断が追いつかなかった。
(思いのほか早く使うことになったが……仕方ない)
腰のケースから、アンプルと一体型の注射器を取り出して首筋に当てる。
親指に力を入れ、薬液を体内に注入する——
ジュッ、と音がして、得体の知れない熱が体中を巡る。心臓が早鐘を打ち、視界がクリアになって、ただでさえ今日は冴えていた思考が、研ぎ過ぎた刃物みたいにますます冴えわたる。
(——良い)
ヤナギはいい物をくれた。方舟の医療部はいい仕事をしてくれた。
燃料の投げ込まれた炉のように熱い体で、イドラはそう思う。
「起きろ、コンペンセイター」
そしてその熱を、手の内の短剣に注ぐ。『補整器』が注がれた代償に歓喜の光を放ち、その輝く刀身を差し込むと、傷口も痛みも嘘のように消え去った。
北部でソニアの腕を治した時と同じだ。肉体の補整。受けた傷は、欠損として補われた。
「これでよし。二人は平気か?」
イドラはカナヒトとセリカの方を見る。
返答を聞くまでもなく、姿を見た限り二人は被弾していないようだ。
「うん、平気」
「お前はどうなんだ、イドラ。そのギフトは代償を伴うはずだが」
「医療部に作ってもらった薬のおかげで、いつもよりはかなり楽だ」
「そうか——元気の前借り、みたいなシロモノなんだろうが」
一瞬、カナヒトの目に労わるような色が浮かぶ。しかしそれもすぐに消えた。
強制的に活力を引き出すような薬だ。後々、なんらかの反動や後遺症が出かねない。
しかしそれでも、生きていれば、時には無理が必要なのだとカナヒトはよく理解していた。
(周囲のアンゴルモアも危険だが……数は減ってる。クイーンもいないようだし、さして問題はないだろう)
精神が高ぶる。薬の効果で高揚感が引き出されている。
イドラの『補整』した傷は深かったが、言ってしまえば単なる刺傷だ。地底世界に落ちたウラシマの精神を引き戻したり、ソニアの失くした腕を元通りにするよりは、必要な代償は大きくはない。よってイドラにとってはうれしい誤算として、薬で補った活力は未だ残されている状態だった。
そして、極小のポータルを展開し、いくつもの武器を発射するあの攻撃も、初見と二度目では心構えがまるで違う。
(次はしのぎ切れる)
撃ち落とし、避け切れる。三本でも四本でも五本でも、一度見た以上対処はできる。
薬で増した集中の中で、そう確信する。
『小門・展開——』
「次弾来るぞ!」
周囲のアンゴルモアを斬り伏せながら、カナヒトが警告する。
一か所に固まれば掃射のいい的だ。イドラたちは先と違い、近すぎず、それでいて遠すぎずの距離を保つ。やはり初見でなければ、ある程度の対処はできる——
『——六十四門』
そう考えるイドラたちを嘲笑うように、先の八倍の天の窓が展開された。