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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
第二部二章 堕落戦線
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第百三十五話 『剣理一刀 2/3』

「来て、黄金連環(オーメン)!」

「鎖……!?」


 ジャリリリリリリリリリ——

 重なる鎖の音は、閑散としたフロアによく響いた。

 床から放たれた、黄金の色をした三本の鎖。そのどれもがソニアの腕ほどの太さを持ち、ソニアを捕まえんと猟犬のごとく迫ってくる。


「——っ!」

「避けた? ウソ……っ」


 ソニアは咄嗟にあえて斜め前方に滑り込み、多角的に迫ってくる鎖の圏内から辛くも逃れ出た。


(危なかった……! ありがとうございますイドラさんっ)


 ベルチャーナからすれば、ワダツミと違い自らの新たな天恵——黄金連環(オーメン)の能力はまだ見せていないのだから、初見のソニアには対応できないと思っていたはずだ。

 だがそれこそ、先ほどイドラから受けた無線の内容だった。

 当然ながらイドラとて、そのギフトの存在を知っていたわけではない。しかしながら、いつも彼女の修道服の胸元を飾っていた銀色のリングがないことには気が付いていた。

 ヒーリングリング。他者の傷を癒すギフト。その優しい天恵が見当たらないのをイドラが確認し、自身のマイナスナイフと同じことが起きたのではないかと考えたのは自然の流れだ。

 つまり——マイナスナイフがコンペンセイターに『順化』したように。負数を帯びた青い短剣が、あらゆるものを補整する赤い短剣に変じたように。

 ベルチャーナのヒーリングリングも、なにか別のギフトに変化したのではないか?

 その懸念をイドラは、無線でソニアに伝えていた。

 結果、まだ見ぬベルチャーナの新たなギフトがなにをするのかまではわからずとも、なにか未知の能力を有していると備えることはできた。その意識的警戒が、ソニアに初見殺しを辛うじて越えさせたのだった。


「だけれど! 捕縛ができなくたって……!」


 危機を潜り抜けたソニアへ、ベルチャーナ自身が第二の危機となって迫る。

 再びの接近戦になるのはソニアにとって避けたいところだ。牽制交じりの一刀を彼女の鼻先へ振りかざす——

 振り抜けない。


「え……!?」


 どれだけ力を入れても、振り上げた腕が下ろせない。反射的にソニアはさらに力を込める。ワダツミの刃を阻害するなにかを強引に叩き斬ろうと。


「——まだ、最後の一本が残ってる」

「しまっ——」


 振り上げたワダツミの刃を止めていたのは、天井から壁に向かっていつの間にか伸ばされていた、四本目の鎖だ。

 ここで驚くべきは、その鎖が不壊の性質を帯びていることだった。

 ベルチャーナのギフトは、ヒーリングリングが変化した、右手に着けている黄金の指輪だ。しかしその能力によって生じる鎖もまた、ギフトの一部として見なされている。

 ギフトは決して砕けない。傷つかず、壊れない。地底世界で定められたこの基本原則だけは、現実世界でも機能している。

 ベルチャーナの黄金連環(オーメン)が同時に展開できる鎖は四本。どれもが不壊。それを斬り壊そうとしたのがソニアの失敗だ。

 イモータル由来の力に頼った、強引な戦い方の癖は中々抜けきるものではない。


「やぁッ!」

「——うあぁっ!!」


 ワダツミを動かせず、がら空きになったソニアの腹部に、渾身の正拳が叩き込まれる。

 馬にでも轢かれたような衝撃。

 ソニアは一気に壁まで吹き飛ばされ、ごぼりと血の塊を吐き出す。そして小さくうめくと、力なく崩れ落ちた。


「……ふぅ、終わったかな。しばらくは安静にしておいた方がいいよ」


 思いのほか手こずった、といった風に長い息を吐くベルチャーナ。周囲に展開した鎖が消失する。

 フロアに静寂が戻る。すると、窓の外からも戦闘の音がかすかに聞こえてきた。

 規模からしてクイーン二体と交戦していた『鳴箭』ではない。アンゴルモアの群れがこの辺りまで進んできて、それをどこかの戦闘班のチームが抑えている。そんなところだろう。


「ベル、——がっ、ごほッ」


 ソニアの口が動き、なにかを話そうとする。だが言葉を紡ぐ前に、一度大きく咳込んで血を吐いた。

 窓の外に目をやっていたベルチャーナが、ソニアに視線を戻す。


「もう諦めた? イドラちゃんの隣から身を引くって約束できるなら、仲間のところまで運んであげるよ。たぶん、前線の手前に拠点を敷いてるでしょ?」

「ベルチャーナ……さん。ああ、やっぱりそうなんですね。わたしってば、全然気が付きませんでした」

「……? なにが?」


 ベルチャーナのある種の慈悲を見せた呼びかけも、ソニアは答えない。

 代わりに、怒る素振りも痛がる素振りもなく、落ち着いて言った。


「ベルチャーナさん、イドラさんのことが好きだったんですね」


 ベルチャーナは虚をつかれたような顔をした。

 そして一秒、二秒と経ち、五秒ほどしたところで、「なっ」と絞り出すような声を喉奥から出す。


「す、好きって——な、なんでそんないきなりっ」

「え……流石にわかりますって、流れ的に。ずっとイドラさんのことばっかり言ってるじゃないですか」

「うっ」


 暴走した恋心は、ベルチャーナの中の辞書から客観視という言葉を丸っきり消してしまっていた。ごく当然なソニアの指摘に、火が出てしまいそうなほど顔を赤くする。


「そ——そういうソニアちゃんはどうなのさ」


 この期に及んで誤魔化せるはずもないのだが、ベルチャーナはそう問いかける。


「好きですよ。……大好きです」

「————っっ」


 苦しまぎれの返し刀も即答され、かえって面食らってしまう。

 対し、ソニアは恥じ入ることなく続けた。


「優しいところも、気丈なところも、たまに迷うところも、笑った顔も、呆れた顔も怒った顔も真剣な顔も、ぜんぶぜんぶ大好きです。だから、誰にも譲りたくはありません!」


 橙色の目にはまだ光が満ちている。少女は、ぎこちなくも二本の足で立ち上がった。


「なんで……? なんで立ち上がるの? あんなに打ち込んで、もうとっくに限界でしょ?」

「ベルチャーナさんの言う通り、わたしはどこにでもいる人間で、協会のエクソシストの人に比べれば、なんでもない凡人なのかもしれません。でも——この気持ちだけは絶対に負けない……! 誰にだって!!」


 折れない心、迷いなき眼差しに、思わずベルチャーナは表情を歪める。

 おかしな話だった。疲弊しているのも、傷を負っているのもソニアの方だというのに。


「そんな……こと、言ったって! 気持ちだけじゃ力の差は覆らないよ!」


 ジャリリリリリリ——

 薬指の指輪が輝き、床から二本の鎖が放たれる。

 向かってくるそれらを、ソニアは冷静にワダツミで叩き落とした。


「……まだ倒れないの?」

「諦めたりしません。イドラさんの一番そばにいたいから」

「いたい、って。いられるじゃんか。わたしが出会った時からずっと、ソニアちゃんはイドラちゃんの隣にいて! 独り占めじゃんか!」

「そんなこと、ないですよ」

「ある!!」

「ないです。だって、イドラさんってば、ウラシマさんにはデレデレですし」

「……え? で、でれでれ?」


 思わぬ反論に、状況も忘れて訊き返す。


「ほんとですよ。出会った順で言えばあの人が最初で、イドラさんにとって特別な存在だって感じます。出撃前も、無線であんなに楽しそうに話し込んでて——」


 次第にソニアの口調に熱が入っていく。小さく一呼吸置いて、しかも、と続けた。


「ちょっと目を離したら、いつの間にか観測班の女の子とも仲良くなってますし! さっきも別のチームの人と……! 独り占めなんてことありません!」

「そ、そうなの?」

「そうですよ! わたしの気も知らないで、イドラさんってばすぐ先生がどうだこうだって! そんなことばっかりですよ!」


 ソニアはいつの間にか鬱憤を叫ぶかのようだった。この会話も通信機を介し、オペレーターに聞かれているということはすっかり頭から抜け落ちている。

 この世に当たり前のことなどないと、ソニアは知っている。どんな幸福も、延々と続くかのような日常も、きっかけ一つで脆く崩れ去るのだと経験から学んでいる。

 ベルチャーナも、本来的にはそうであるはずなのだ。


「もう一度言います。イドラさんの隣にいられて当然だなんて、ちっとも思ってません!」

「だったらわたしも、もう一度言ったげる。気持ちだけじゃ力の差は覆らない!」

「証明してみせます。この一刀で、気持ちだけじゃないって」


 ソニアはワダツミを腰の鞘へと、ゆっくりと納めた。

 ある日不死憑きとなり、親とも引き離されて監禁され、化け物として扱われたソニア。ある日イモータルに村を襲われ、家族を全員亡くし、葬送協会の孤児院に引き取られたベルチャーナ。

 望まない転機に日常を奪われたという点において、二人の境遇はどこか似ていた。そしてだからこそ、ベルチャーナは余計にソニアを妬んでしまうのかもしれなかった。


「……剣を納めた? なんのつもりか知らないけれど、挑発なら乗ってあげるよ!」


 今度こそその心を挫かんと、ベルチャーナは全力の気勢で接近する。

 ソニアはそれに対し、落ち着いて腰を落とす。そして集中の海に身を投じながら、左手で鞘を握り、右手で柄をつかむ。

 思い出すのは、訓練室の壁を抉ったウラシマの一刀。

 あの動きを脳裏に描く。何度も、何度も模倣した動作。


(ベルチャーナさんの言うことは間違ってない。確かにわたしは、力不足でイドラさんやチームの皆さんの足を引っ張った……)


 潜る。集中の海の、その深みへ精神が没頭する。

 音が遠のく。視界に映る景色が減速する。

 思考だけが加速し、柄をつかむ手が触れる柄巻の糸の、一本一本までを感じ取れるようになる。


(でも、今のわたしは違う。イドラさんのためにわたしは、昨日の自分を打倒する——!)


 視界に躍る浅葱色。ベルチャーナは大きく踏み込み、持ち前の速度を活かした全速の突きを放とうとする。

 ソニアの脚は動かない。動かす必要がない。

 前進も後退も不要。必要なのは、間合いの向こう、未だ刀の射程外にあるその敵の迎撃。

 地を砕くような一足を、修練された一刀で以って迎え撃つ。


「——氾濫(フラッディング)


 ソニアの唇が起動コードを紡ぐ。未だ刀身は鞘の中。

 刀からあふれた水流が、鞘の内側で循環する。

 剣には剣の術理が——

 槍には槍の術理が、弓には弓の術理が存在する。

 同時に、ならば。55号・ワダツミというコピーギフトにもまた、それならではの剣理があるはず——そう考えた女がいた。

 外乱の排除という使命を帯び、ワダツミを携えて地底世界へ身を投じた彼女は、長い旅の中で自然とワダツミに最適化された戦法を極めた。


「はああああぁぁぁぁぁぁぁ————っ!!」


 ベルチャーナが刀身の届く間合いに入るより、さらに早く。極限まで高められた圧力を解放するように、ソニアの腕が閃いた。刀身がついに鞘の内から放たれる。

 居合斬り。それもワダツミのスキルを用い、鞘の中で加圧された水流を、適切な水流操作で斬撃とともに発射する水流居合。

 これこそがソニアが継承した、ワダツミの名を冠するコピーギフトと百年以上旅をともにしたウラシマがたどり着いた極地の技。

 そう、これは人間の技だ。不死の怪物がもたらす人外の力ではなく、あくまで人が理論を以って編み出し、論理を以って結実する一個の技術。

 ゆえにこそこの抜刀術は、不死憑きでなくなり、ただの少女へと戻っていくソニアにこの上なくふさわしい。


「——、来て! 黄金連環(オーメン)っ……!」


 抜刀が高速なら、ベルチャーナの判断もまた迅速だった。

 ベルチャーナは間合いを詰めるのを中断し、即座に黄金の鎖で防御を試みる。

 けれど悲しいかな。鎖の防壁に対し、斬撃は流体だった。不壊の連環は確かにその気勢をいささか減じさせることには成功したものの、水の刃の大部分はそのまま鎖をすり抜け——吸い込まれるように、ベルチャーナの胸に直撃した。


「がッ、ぅ——っ!!」


 舞う血しぶき。ベルチャーナはなんとか倒れまいとしたが、叶わず膝から崩れ落ちた。

 滴る赤色が血溜まりを作る。傷は深く、ソニアの一刀は勝敗を決するには十分な威力があった。

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