第百二十二話 『乙女の秘密』
なにも言わずともそばにいてくれる。そして、居続けようとしてくれている。
そのありがたみを、今一度イドラは嚙み締めた。
(いつもいつも——ああ、本当に。ソニアには助けられてばかりだな)
崩れかけた誓いを思い出す。今でも隣にいてくれるソニアのことを、誰より大切な少女のことを、守らなければならない。
死者のためという一念に沿って刀を振るうカナヒトに、迷いの生じる余地はない。
そしてイドラもまた、最愛の隣人のためならば迷いを捨てられる。
イドラひとりに考えさせるためか、カナヒトは踵を返して立ち去ろうとしていた。その背に、イドラは声を投げかける。
「待ってくれ、カナヒト」
「イドラ?」
「僕ももう、『片月』の一員だ」
振り向いたその男に、決意を述べる。
「だったら、責任はある。仲間を守れなかった責任はあるはずだ」
「お前——」
「背負わせてくれ。せめて、トウヤのぶんは、僕にも」
ソニアはまだ、その人外の力を失いながらも、戦おうとしている。
ならばイドラも逃げるわけにはいかない。諦めていい道理などあるはずもない。
仲間を失おうとも、カナヒトのようにその死を背負い、『片月』の一員として戦い続ける。
「——そうかよ。少しはマシな顔になったじゃねえか」
「そりゃどうも。トウヤがいなくなったのに僕まで塞ぎこんでたら、いよいよ『片月』の人員不足が深刻になりそうなんでね」
「言うじゃねえか、さっきまでメソメソしてたくせに」
「なっ。メ、メソメソはしてないだろ」
「いやぁ? 涙の痕、残ってるぞ」
「……っ!」
イドラは急いで目の下をぬぐう。その必死さに、カナヒトは声を出して笑った。
「ま、立ち直ったんならソニアとも話せよ。きっと心配してるだろ」
「ああ、わかってる——」
イドラが返事を寄こす頃には、カナヒトは角の方へ歩き去っていた。
無人になった廊下でイドラはひとり、肩をすくめてつぶやく。
「——ったく、おせっかいだよ。リーダー」
*
訓練室を使ったことはないイドラだったが、場所くらいは知っていた。
ただ当然ではあるが、訓練室を使うのはなにもチーム『片月』の面々だけではない。前まで来てみると、五つ中四つに施錠のランプが点いていた。今日は人の多い日らしい。
これではどこにソニアがいるのかわからない。
どうしたものかと困りかけたイドラだったが、ある可能性を思いつき、ランプの点いてない一室のドアをそうっと、わずかにだけ開けてみた。
……中から声がする。
(絶対ここだ……)
ロックのかけ忘れ。電子的な仕組みに慣れない気持ちは、イドラにもよくわかった。
「ソニア」
「——わひゃあっ!?」
鉄扉を開けると、よほど驚いたのか、部屋の真ん中にいたソニアはぴょんと飛び上がっていた。
カナヒトの言っていた通り、そのそばにはウラシマもいる。車椅子姿だ。
「イ、イドラさんっ? どうしたんですか?」
「いや——その、最近いっしょにいる時間が少ないからさ。ご飯でもどうかなって」
面と向かって言うのは、それもウラシマの前で誘うのはどこか気恥ずかしいものがある。しかしここまで来てなにも言わないのもそれはそれで不自然なため、イドラはなんでもない風を装った。
「ご飯……はいっ、ぜひ!」
「先生もどうです?」
「そうだね。二人の仲に水を差すのは——と思わなくもないけれど、せっかくだから行こうかな」
「あっ、あのわたし、シャワーだけ浴びてきていいですか? 汗かいちゃったので……」
もちろんだ、とイドラが返すと、ソニアはわたわたと訓練室を出ていった。
ゆっくりでいいのに、なんて思いつつ、イドラはしばらくぶりに見る微笑ましいソニアの姿にほっとする。
(しかし……今のソニア、僕が訓練室に入る前からワダツミを鞘に仕舞ってたな)
訓練室には確か、アンゴルモアの姿を空間に投射して動かす、模擬戦闘の機能があったはずだ。だがそれも使っていないようだった。
かといって往時であればいざ知らず、車椅子なのを見てわかる通り、今のウラシマに稽古の相手を務められるわけもない。
ソニアは日夜、訓練室に籠って一体どんな訓練をしているのだろう?
気になったイドラだったが、先に口を開いたのはウラシマだった。手元のレバーでころころ車輪を操作し、そばまで近づいてくる。
「イドラ君、なんだか吹っ切れたような顔をしてるね」
「え? そうですか?」
「そうとも。奏人君のおかげかな?」
「……なんでそう、みんなしてお見通しなんですかね。いつも」
「ふふ、顔に出やすいからね。キミは」
もっとも、わかりやすいのはキミだけじゃないけれど、とウラシマ。
ほかに誰のことを指しているのか。先ほどまでこの場にいた少女のことを思えば、考えるまでもなかった。
「ところで、先生、ソニアといつもなんの訓練してるんですか?」
話題を換えたくて、ついイドラはそんな質問を投げかける。だが口に出してみれば、それは実際気になる疑問ではあった。
アンゴルモアのホログラムを使うでもなく。ほかの稽古相手がいるでもなく。
問われたウラシマは、「んー」と頬に人差し指を当て、わずかに考え込んでから答える。
「乙女の秘密、かな」
どうやらソニアが自分から教えるまで、教えてくれる気はないらしい。
ならば仕方ない。イドラは「そうですか」と諦め、ソニアが戻るのを待つ。
それから三人で食堂に向かい、久しぶりに他者との穏やかな時間を過ごしたのだった。
*
イドラが総裁室に呼ばれたのはその翌日だった。
「悪いな。急な呼び出しをして」
「いや……」
内線で話があるとだけ告げられ、やってきたイドラを待っていたのは椅子に腰掛けたヤナギだ。
ほかには誰もおらず、ヤナギの机の上には、なんらかの黒いケースが置かれてある。
「……これは?」
開口一番、イドラはその箱について訊く。
ヤナギは鷹揚にうなずいた。
「実は、ソニア君から君のギフトに関して相談を受けていた。身を削る、『代償』を必要とするスキル……懸念を抱くのも無理はない」
「相談? そんなことが」
「加えて、須藤君からも後押しを受けてな。コンペンセイターは真正のギフトだけあり強い力を持つが、そのぶん負担も大きいため、こちらでサポートする必要があると」
スドウも関わっているらしい。イドラは、色々な人に心配をかけているのだなと苦笑した。
「そこで、医療部に作ってもらったのがこのアンプルだ」
「アンプル?」
ヤナギの手がケースを開く。中には、薬剤の入った三つの容器が収められていた。
ヤナギはアンプルと言ったが、正確には違う。プレフィルドシリンジと呼ばれる、前もって薬剤の充填されている注射器だ。
「中身は……まあ、栄養剤や強壮剤、興奮剤の類だな。君のギフトの代償を多少なりとも補えるはずだ」
「よくわからないが、どう使うんだ?」
「容器ごと首にでも押し当てればいい。おっと、注射も馴染みはないかね? ちくりと痛むが、我慢はできるはずだ」
「そうか。なんにしろ、コンペンセイターの代償を和らげられるならありがたい」
「ただ、過信はするなよ——薬剤はあくまでスキル使用後の気絶を防ぐだけで、代償そのものをなかったことにできるわけではない。体への負担も大きいがゆえに、当面はこの三本のみ渡しておくが、連続での使用はなるべく避けることだ」
平たく言えば元気の前借りだ。根本的な解決になるような代物ではない。
ただそれでも、イドラにとってはありがたかった。戦場で気を失えば、次に目覚める可能性は限りなく低い。
「肝に銘じるよ」
この道具は、次の戦いのためのものだ。よって少し前の、悩み迷っていた頃のイドラであれば、受け取るのに躊躇してしまったかもしれない。
しかし、もう迷いはない。ケースを受け取る。
「確かに受け取った。ありがとう」
「礼には及ばん。アンゴルモアはあくまでこちらの世界の事情だというのに、助力してくれていることについて、君たちには心から感謝している。儂個人としても、方舟の総意としてもな」
ヤナギの話し方はどこまでも真摯なもので、嘘偽りないと確信させた。
「それで……用はこれだけか?」
「いいや、もう一点話しておきたいことがある——のだが」
「——?」
てっきり薬を渡すためだけに呼ばれたのかと思ったイドラだったが、そうではないらしい。ヤナギは眉間のしわを深くして言う。
「髙比良は相変わらず、言うことを聞かんらしい」
タカヒラ? 誰の話だ、それは。
そうイドラは問いかけようとしたが、先に、ぱたぱたと廊下を駆ける足音が耳に入った。
部屋の外からだ。総裁室に向かって、軽快なリズムが近づいてくる。
「すみませーんっ、遅れたっす——!」
そして、ノックもなしに大きな声で入室してきたのは、イドラと同程度の年頃と思しき少女だった。
気付けば、第一話の投稿から二年も経ってしまいました。
夏頃には完結まで持っていきたいと思っていますので、もうしばらくお付き合いいただけると幸いです。