第百二十話 『道示す星明かり 2/2』
赤と黒の大王。あの怪物に匹敵する、白と黄金の不死。あの力が再び身に宿れば、イドラを守れるはず。
毎夜、怪物の不死性に精神を苛まれようが構わない。味覚など、もっとどうでもいい。
「そっか。ソニアちゃんは、それだけイドラ君のことを大切に思っているんだね。自分を犠牲にして……重い『代償』を支払ってでも」
ソニアの弱音を黙って聞いてくれていたウラシマは、車椅子から少し身を乗り出し、知らずソニアの頬に流れていた涙を指先でぬぐった。
「……こんなこと、イドラさんには言えません。せっかく助けてもらっておいて、わたしは——わたしは……っ」
当時、不死の鼓動は月が昇るごとにソニアの体を蝕んでいた。
イモータル化。もっとも、人間がそのままそっくりイモータルになれるわけがない。人間がアンゴルモアを取り込もうとして、黒い樹木となってしまった二十七年前の哀れな失敗例のように。
ソニアの場合——不死憑きの場合、放っておけばそのうち死ぬだろう。肉体が壊れるのが先か、精神が壊れるのが先かはわからないが。
そして、その絶望の運命からソニアを救い出してくれたのがイドラなのだ。
命を救われ、さらに心を救われた。
そんな相手に「もう一度不死憑きになりたい」などと口にできるはずもない。
「ソニアちゃん」
「え? わっ……?」
うつむくソニアは、急にぼふんと柔らかな衝撃を受ける。驚きとともに、どこか安心するような温かさと香りに包まれる。
抱きしめられていると気付いたのは、直後のことだ。
「ウ、ウラシマさん、脚が……」
「もともと、短時間なら立てるのさ。イドラ君のマイナス——じゃなくなったんだったね、コンペンセイターのおかげで、身体的にはもうなんら問題ないんだから」
ウラシマは車椅子から立ち上がっており、ソニアは顔からウラシマの胸に顔をうずめるような格好だ。
気恥ずかしくはあったが、心が落ち着くのも確かだった。身を委ねたくなるような、人を癒す包容力がある。
「ワタシは口がうまい方じゃないから、ソニアちゃんを励まして、その心の不安を言葉によって取り除くことは難しい」
やがて身を離し、しかし車椅子に座り直そうとはしないまま、ウラシマは言う。
「だけど、ソニアちゃんの力にはなれるかもしれない。心の話じゃなく、物理的な方法で」
「物理的? それって……またハ、ハグしてくれるってことですか?」
「こんなことでよければ、いつでもしてあげるけれど……」
「わぷっ」
またぎゅっと抱きしめられながら、どうやら間違いだったらしいとソニアは悟った。
しかし、だったらウラシマはなにをするつもりなのだろう。ソニアが考えていると、ウラシマは再度離れて微笑んだ。
「ワタシだって悔しいんだ。呑気に死んで、ソニアちゃんやイドラ君に使命を丸投げして……生き返ったと思ったら、戦える体じゃなかった。ワタシはいつも肝心な時に役立たずで、つくづく自分が嫌になる」
「……ウラシマさん」
ソニアははっとした。眼前にいる女性は、元々はカナヒトたちと同じ戦闘員だったのだ。
解散したチーム、『山水』のリーダー。そんな彼女が、先日の作戦に直接参加できなかったことに対し、思うところがないはずがない。
ましてや、犠牲者が何人も出たとあれば。
「——それにね。ソニアちゃんも、そのコピーギフトが元は誰のものだったか、いつかイドラ君から聞いてるんじゃないのかな?」
ソニアの手元を見ながらウラシマは言う。先ほどとは違う、理知的な彼女にしては珍しい、どこかいたずらっぽい笑みを湛えながら。
55号・ワダツミ。
太刀に分類される日本刀。刃はやや湾曲しており、樋は一本。鍔は繊細な平安城鍔に近く、柄巻には藍色の糸が使われている。
水流を操るスキルを持ち、起動コードは氾濫。
真正の天恵と同じく、決して折れず砕けず刃こぼれもしない、不壊の性質を持つコピーギフトだ。
「元は……ウラシマさんが使ってたって」
この刀はウラシマによって地底世界に持ち込まれた。元々の使い手は、ウラシマの方。
促され、ソニアはワダツミをウラシマに手渡す。
「ああ、鞘の方も貸してもらえるかな」
「え? は、はい」
ソニアの身長では、ワダツミは腰に佩くには大きすぎるため、鞘に紐を巻き付けて斜め掛けにし、背負うような形にしていた。言われた通りソニアは背中の鞘を下ろし、それも渡す。するとウラシマはそこに刀身を収めた。
納刀? なぜ? ソニアの頭の中に、さながら雨後の筍のように『?』のマークがぽこぽこと沸き立つ。
鞘についてはコピーギフトでもなんでもない。これは抽出されたワダツミに合わせて、後から造られたものだ。
「いいかな。ちゃんと、見ておくんだよ——」
疑問への答えは、すぐに訪れた。
「——氾濫」
ソニアは目の当たりにする。長い時間をかけて研鑽された技術の結晶。論理に基づいて結実された一個の刀剣技芸を。
「こ、これは……」
「ふう。こんなところかな」
刀を下ろすウラシマ。距離にして八メートルほど、彼女の向かいに厚くそびえる鉄の壁面。
そこに大きな一文字の、深く抉れるような傷跡が刻まれていた。
傍目からでもわかる威力。ソニアが密かに願っていた『不死憑きの自分』であったとしても、ただワダツミを振り回しただけではこれだけの力は発揮できないだろう。
それゆえに、ソニアにとっては不可解でもあった。
まぎれもなく人の身で、それも病み上がりだというのに、先の一刀はソニアの力を大きく凌駕していた。
どうしてそのようなことができるのか? 自分が同じことをするには、同じ力を得るにはどうすればよいのか?
問いただそうと振り向いたソニアは、ぐらりとふらつき、まさに倒れる寸前のウラシマの姿を見た。
「ウラシマさんっ!」
「っ、と。悪いね……ありがとう」
慌ててソニアが支えると、ウラシマはそれを頼りにして、なんとか車椅子に腰を下ろした。
「ふう……。やっぱり、ひと振りが限界かな。まだまだ本格的な復帰は先か——口惜しいよ、心底」
額を汗ばませ、ぐったりと背を預けながら、ウラシマは息を吐く。一瞬にして極度の疲労に陥ったかのようだった。
「で、でも、すごい一撃でした。今のは一体……?」
「ソニアちゃんの戦い方には、まだまだ改善の余地があるって話さ。例えば剣術らしい型を修めてみるとかね。だけど、ワダツミの真髄は水流操作——そこを覚えるのが一番手っ取り早い」
言われて初めてソニアは、自分の戦い方が拙いものであったと漠然ながら気が付いた。
そう、ソニアは元々ただの田舎の娘でしかない。道場で剣術を習ったこともなければ、独自に剣理を探求したようなこともないのだ。
そんなソニアの剣筋は、はっきりと言ってしまえば素人の棒振りそのもの。型もなければ構えも甘く、ただ乱暴に刀剣を振り回すだけ。それが通用していたのは、やはりひとえに不死憑きであるがゆえの並外れた膂力のおかげだった。
獣が棒を手に暴れている。だからこそ強かった。棒をにぎるのが獣ではなくただの小娘になれば、そんなものは脅威にならなくて当然だ。
(——ばかだな、わたし。なんて思い上がり)
ソニアに必要なのは、不死憑きに戻ることでもなければ、がむしゃらに刀を振るう訓練でもない。
体系的な修練だ。
そのことを、ウラシマはこれ以上なく見透かしていた。
「今日からワタシが今の技を教えよう、付け焼き刃としては上等のはず。なにせ地底世界で百年以上ワダツミを使ってきたんだ。そのコピーギフトの扱いについては、誰にだって負けないよ」
「はい……! お願いしますっ、ウラシマさん!」
どこか吹っ切れた様子で、深々とソニアはお辞儀する。
ウラシマは「うん」と、地底世界の果ての村で、負数の天恵に選ばれた少年にそうしたように、柔らかく笑った。