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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
第二部二章プロローグ 恋するアンチノミー
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第百十七話 『迷いなき者』

 *


 決着が着くまで、十分とかからなかった。

 ベルチャーナは頬や肩、腕に胸、腹部に腰に脚といたるところに傷を作り、にじむように血を流しながら倒れていた。


「そのギフト、以前と大きく変わっているな。少々驚かされた」


 息のひとつも乱さずに、レツェリはベルチャーナを見下ろしながら言う。

 レツェリの眼については、ベルチャーナも知っていた。間近で見て、その性能は理解していた——つもりになっていた。

 身を以って体感した力は、想像をはるかに超えていた。

 万物停滞(アンチパンタレイ)は別格だ。完膚なきまでの敗北。ベルチャーナは全身の痛みと、それを上回る屈辱感にうめいた。


「ギフトは持ち主の成長に合わせて多少変化することがあるが、その能力までは変わらない。だが、先の『鎖』は以前の治癒能力とはまるで違う。世界の移動による影響か……これほどまでに性質が転じることもあるのだな、勉強になったぞ」

「——っ、くぅ……!」


 感謝するような物言いに、ベルチャーナは怒りを覚える。だがその怒りは、四肢に力を込めさせてはくれなかった。

 致命的な傷はない。レツェリは明らかに、ベルチャーナを殺さぬよう気を遣っていた。ベルチャーナの方は、全力で殺しにかかっていたのにだ。

 それがまた、屈辱を一層強く感じさせた。

 冷えた床材が体表の温度を奪う。血も失い、ベルチャーナは意識が次第にかすみつつあるのに気付いた。


(気絶しちゃだめ……! こんな、こんなところで——こんなやつに負けて——)


 ちぎれそうな意識の糸を、激情だけでつなぎ止める。

 怒りと——悔しさ。

 こんなところで死にかけて、自分はなにをやっているのか?

 故郷からも協会からも遠く遠く離れた、異世界の片隅で。恋する相手とも会えず。ただの一縷(いちる)もない勝算をあるものだと勘違いした。


(——このままで、終われない……!)


 もう一度、手足に力を入れようと試みる。ぎこちなくだが、ベルチャーナはなんとか、手近な合成皮革で覆われたソファに手をついて立ち上がった。

 それを見て、レツェリは「ほう」と感心の声を漏らす。


「その失血量で立てるとは大したものだ。しかし、致命的な傷はなるべく避けたが、私のギフトは加減がしづらい。止血しなければ遠からず死ぬぞ。どれ、私が診てやろう」

「近寄らないで……っ!」

「そう邪険にするな。君は優秀だ、殺すには惜しい」

「あなたはそうやって、言葉で人を操るんだ! ミロウちゃんにも同じことを言ったの!?」

「ああ、言ったとも」


 舌先三寸で人を操ろうとするその男は、まるで悪びれもしない。その態度にベルチャーナは愕然とする。


「ミロウ君——彼女も、そうだな、才気にあふれた女だった。ゆえに今度こそ、君の腕は切り落としたくはないのだがな?」

「く……」


 赤い目が、ベルチャーナの腕に焦点を定める。これ以上なく明白な脅迫。

 この男の意にそぐわぬことをすれば、体を徐々に切り詰められる。心が折れるまで。

 ベルチャーナはそう理解した。


「我々に敵対する理由はない。私には私の目的があり、君には君の目的があるはずだ。動けるなら、手当は自分でしたまえ。それまでは待ってやろう」


 ベルチャーナにできた抵抗と言えば、返事を寄こさないことくらいだった。

 (こうべ)を巡らせ、止血用の布を探す。地下のためカーテンなどもなく、使えそうなものは簡単には見つからない。

 普段であれば、服の裾でも破いて使う。しかし、うつむいたベルチャーナの視界に映ったのは、トミタから譲り受けた大切な形見のジャケットだ。


(ごめん……トミタおばあちゃん。ぼろぼろになっちゃった)


 レツェリの眼が生む仮想の『箱』に巻き込まれ、服は鋭利なナイフに切られたかのように、ところどころが裂けている。その下の皮膚も同様で、血がにじんでいた。

 危うく涙ぐみそうになる。

 トミタが何年も保管してきた、大事な品。これ以上ぞんざいにはできない。

 服を破くわけにはいかず、ベルチャーナは迷った結果、ソファの生地をはぎ取って包帯のように傷口に巻いて止血した。不格好で、合皮の硬い感触が傷口に擦れて痛んだが、なにもないよりはマシだ。

 処置が終わるのを見計らい、レツェリは感慨なく声をかけた。


「終わったか。では、教会に戻るとしよう」


 アンプルの入った箱を手に、出口に向かう。

 ベルチャーナはその背についていくほかなかった。


 *


 旧北部を離れ、南下する。根城に戻るため。

 教会では今頃、アマネとトビニシが帰りを待っているはずだった。

 なんと奇妙な集まりだろうか。経歴も思想も目的もまったく異なる四者が、打ち捨てられた教会で肩を寄せ合っている。

 否——そのように安穏とした関係性ではない。いみじくもトビニシは、人間の多くは迷える羊なのだと言った。

 その通りだ。あの廃教会に訪れた者は皆——ひとりを除いて、迷いを抱えていた。

 アマネは孤独に迷い。

 ベルチャーナは恋に迷い。

 トビニシは行き場に迷った。


「風が吹いているな……」


 迷いがないのは、この男だけだ。

 レツェリ。地底の箱庭に生まれ落ちた不死の希求者。

 その黒の右眼と、天恵である赤い左眼は、荒野の先を見つめる。彼は常に前だけを見据えていた。

 なぜレツェリは迷わないのか?

 ベルチャーナは、様々な感情がこもった昏い視線を、その黒衣の背に向ける。

 口に出して問えば、この男はなんと答えるだろうか。


「ベルチャーナ君。聞こえるか」

「——?」


 ベルチャーナが問いを舌に乗せるより先に、黒衣が振り返る。


「そりゃあ、この距離なら聞こえますけれども……」

「私の声のことではない」


 この音だ、とレツェリは前方を視線で示す。

 吹きすさぶ風に乗って、かすかに……人の声が聞こえてくる。それに、剣戟めいた戦闘の音。


「人……? こんなところに?」

「方舟だ。王冠狩り(クラウンスレイヤー)……こちらの世界における、協会の祓魔師(エクソシスト)のようなものだな」

「え?」


 ベルチャーナは全身の痛みも忘れ、思わず聞き返した。


「北部を奪還する作戦らしい。我々が先ほどまでいた旧北部ではない。二か月前の、第二次北部侵攻で失った地域だな」

「……どこでそれを?」

「人の口に戸は立てられん。大規模な作戦であるほど、噂は市井に流れるものだ」


 ミロウから聞いた話では——聖殺作戦の一件でも、ヴェートラルを消滅させるため、噂に聞く不死殺しに白羽の矢を立てたのはレツェリだった。そのことをベルチャーナは思い出す。


「方舟の事情はよく知らんが、まァ市民の機嫌取りだろう。いかにコピーギフトを有していようが、ミンクツの人間に反乱を起こされるのは困るらしい」

「例のアンゴルモアの侵攻で、住むところを失った人たちがいる。それは、なんとなく知ってる……ベルちゃんも絡まれたから」


 実際のところは、トミタの家の前にたむろっていた悪漢たちに、ベルチャーナの方から絡みに行った形だ。


「雲の上は神の国という話だったはずなのだがなァ。結局は、上も下もまるで同じだ……まあいい。それよりも、近づいてみるぞ。面白いものが見れるやもしれん」

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