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不死殺しのイドラ  作者: 彗星無視
第二部二章プロローグ 恋するアンチノミー
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第百十五話 『退屈なエンドロールに別れを告げて』

「さっきの、『ちょっとした手違い』の原因よ。柳景一——方舟の副総裁……いえ、総裁の松田もあの時に殺されてたから、今はあの男が総裁なのかしら? なんにしろ、あいつに横やりを入れられたの。まったく、どういうつもりなのかしら! 今思い出しても腹が立つわぁ」

「ヤナギ……ああ、顔は知らんが話に聞いたことはある」


 頬を膨らませ、カノンはぷりぷり怒ってみせる。その様にも、平然とうなずくレツェリにも、内心でベルチャーナは困惑していた。


(当然のことみたいに流してるけど……この女、信者を『アセンション』させるために、地域丸々をアンゴルモアに襲わせたってことでしょ? そんなの——)


——イカれてる。

 それとも、もしかすると、それは彼女の善意でさえあるのだろうか?

 黒神会の信者でない人間たちも、アンゴルモアに襲わせてやることで、同じく次元上昇(アセンション)させてやる、という。

 アンゴルモアに殺されることで誘われる、永遠の幸福に満ちた波動空間。そんな——なんの証拠もない、論理に欠けた、荒唐無稽で、馬鹿馬鹿しい虚妄!

 だが誤解を恐れずに言うならば、あまねく信仰とはそういうものだ。存在の証明ができないものを信じ込むという時点で、そこには論理を越えた確信がある。


「先ほど言っていた、肉体を(コア)に適応させるよう調整するとは、具体的にどうする?」

「んー? へえ、計画に興味があるのね? どうしようかしら。ただで教えてあげるっていうのもねえ。ワタシたちの努力の結晶とも呼べるものだし」

「どうせ技術的な部分はすべて方舟の担当だろう。私と駆け引きをするつもりか?」

「あら、バレちゃった。実は、ひとつだけお願いがあるのよねえ。それを聞き入れてくれるなら、ワタシに話せることはなんでも話すわ」

「内容次第だなァ、それは」

「大丈夫、あなたならそう難しいことじゃないわ。そう、ほんのひと手間……。だから、先に約束さえしてくれればそれでいい」

「ふむ。それなら、構わん。約束しよう」


 間を置かず、了承したレツェリ。

 ベルチャーナは、『最悪話を聞いた後で反故にしてもいいと思ってる顔だ』と看破した。


「ありがとう、赤い目のひと。ふふ、じゃあ早速あなたの疑問に答えてあげる。肉体の調整は簡単よ。薬品ひとつ、体に打てばこと足りるわ」

「薬品? ……当然、開発は方舟か。簡単なのは貴様だけだろう」

「そうねえ、ふふふ。アンゴルモア研究部を北部(こっち)に移して、医療部の人たちも何人か呼び寄せて……大変だったみたいね? 研究部の方々はきちんと次元上昇(アセンション)できたみたいだから、よかったわあ」


 なにひとつよくはない。そう思いつつも、ベルチャーナは口を挟まなかった。

 今はそれよりも、レツェリの方に集中する。


(偽神計画のことを聞き出して……どうするつもりなの?)


 恐れに似た懸念がベルチャーナの胸中で湧き上がる。

 底知れなさで言えば、カノンもこの男も変わらない。そして重要なことだが、身動きの取れないカノンと違って、レツェリには無事な二本の足がある。

 自由——

 今や、拘束は無に帰した。


「薬品アンプルなら、隣接する研究室——植物プラントに扮した施設の地下にまだあるかもしれないわ。もっとも、保存状態までは保証できないけれど。向こうはワタシもよく知らないし」

「方舟の施設なら、残存する資料にも目を通したい。のちほど立ち寄ってみよう」

「好きにすればいいわ。咎める者など、もういな……あっ、アンゴルモアがいたわね」

「問題ない」

「お強いのね? 素敵だわ。もっとも、ここまで来られる時点で普通じゃないけれど。てっきり最初は方舟の狩人たちが訪れたのかと思ったわ。でも、そうでもないみたいだし」


 そこで、カノンはベルチャーナへと視線を移す。

 どんな魔物を、そして死を忘却した怪物(イモータル)を前にしても怯まぬベルチャーナが、思わず身じろぎをしそうになる。

 吸い込まれそうな青い瞳。それから白い髪と肌……それらは、なにも女王核(コア)の中身を取り入れたことによる影響ではない。彼女の、ケイカノンの天性のものだ。

 アルビノが時として神聖視されるのは、歴史上珍しくもない。


「そちらの綺麗な髪のお嬢さんと併せて興味はあるけれど……今のワタシには、すべてが過ぎたこと。ごめんなさいね。今となってはぜんぶぜんぶ、映画の後のエンドロールみたいなものなの」

「エンド、ロール?」

「知らないのかしら。まあ——言ってしまえば余分なものよ。飛ばせるなら飛ばすし、劇場で観ていれば席を立つ。少なくともワタシはそうするわあ」


 なにを言っているのかわからず、ベルチャーナは沈黙する。

 反面、同じく映画もエンドロールも馴染みはなかろうが、含意を汲み取ることはできたのか、レツェリは「なるほど」と肩をすくめた。


「今は、席を立ちたくとも立てない状況か。まったく哀れだな」

「恥ずかしながら、そういうことになるわね。三十年ほどかしら? もうずっと、つまらない()をここで延々と見せられている……うんざりなのよねえ。だから、あなたたちが来てくれてとても楽しいわ。久しぶりですもの、人を見るなんて」


 カノンの人生は二十七年前に終わっている。ここにいるのは、死体と同じだ。

 無論、実際に死んではいない。だが、今の彼女が生きていると言い切れるかは怪しい。

 思考はできる。話もできる。意味ありげに笑みを振りまくことも、ちょっとしたジョークで場を弛緩させることもできる。

 しかしその体は、多くの不純物と癒着し、暴走した女王核(コア)によって生まれた樹木と固着して、身動きを取ることができない。自らアンゴルモアを招き入れ、崩壊したこの旧北部地域から——誰ひとりいない不毛の地から動けない。

 もはや彼女は、人間でもなければ、アンゴルモアでもない。そして、自分の意志で動くこともできず、クイーン由来のアンゴルモア統率能力も(コア)を取り込んだ一瞬のみを除き、二十七年の間使えた試しがない。

 ただそこにあるだけの樹木と同じ。けれどやはり、それも主観的には正確ではない。

 植物は痛みを感じるだろうか? 意識を持つだろうか?

 カノンはこのなにもないドームで、二十七年、代わり映えしない景色を見つめている。

 黒い樹木と化した体は老化せず、アンゴルモア同様、自然に死を迎えることはない。

 つまるところ。外部からの干渉がなければ、彼女は星が終焉を迎えるその日まで、『退屈なエンドロール』を見続けるはめになるだろう。


「約束通り、願いを叶えてくれるのよね? 赤い目のあなた」

「言ってみろ。中々に有益な時間だった」

「それはなにより。じゃあ、殺してくれる? アンゴルモアを殺す手段があるのなら、きっとできるわよね?」


 微笑み交じりに、食堂で焼き魚定食を頼むような気軽さで、カノンは死を懇願する。

 その異常さにベルチャーナはぎょっとしたが、レツェリに驚いた様子はなかった。


「やはりか。その姿、一度トビニシマルオに見せてやりたかったが、仕方がないな。ククッ、さぞ驚いた顔をしただろうに」

「トビニシ——ああ、丸夫くん? 懐かしいなぁ、すっごく熱心にワタシを見つめてくる男の子。あの子は最後の方で逃げちゃったんだよねえ。そっか、あの子がここのことを教えたんだぁ……ふふっ、本当に懐かしい」

「どうする、やめておくか? 私としてはどちらでも構わん。が、ここに来ることはおそらくもうない」


 人間味のない青い両眼が、赤い左眼の男を視る。


「やって。言ったでしょう? もううんざりなの」

「そうか。では、殺す」


 レツェリは無感動に歩を進め、黒い幹に固定された女を見つめ返す。

 その赤い目に映る視界に、ひとたび空想の箱を重ねれば、それだけでカノンの命脈は断たれるだろう。

 だが、その前にひとつだけ、レツェリは問いを重ねた。


「ところで貴様、次元上昇(アセンション)がどうだとか、他人に信じ込ませるのはいいとしても、貴様自身は本当に信じていたのか?」

「……。ふふ」


 無表情の口元が歪み、微笑みを浮かべる。神仏のそれに似て。

 言外の返答を感じ取ったのか、レツェリは珍しくも驚いたように目を見開く。


「——、ハッ」


 それから、呆れを込めて笑ってみせた。

 万物停滞(アンチパンタレイ)が起動する。

 同じ川の流れに、幾度となく身を置くための鍵。生を受けた者すべてが起源的に約束を交わす完結を、永遠の停滞によって否定するための(きざはし)

 果実が枝から落ちるように、カノンの生白い首が床に転がった。もはやその断面からは血液さえ噴き出ない。

 かくして、ようやく。

 女は劇場の席を立った。

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