第六話‐③
長であるパヌさんと別れ、建物から出るとパヌさんの言っていた通り日が暮れてきているのか辺りが暗くなり始めていた。
外の明るさより建物から漏れる灯りの方が明るく感じる。吹き抜ける風も明るい昼間に比べて冷たくなっている様にも思えた。
「俺達の家はここから結構近いんだ。ついてきてくれ。」
ジークとシフォンさんを先頭に私達は今日の宿泊先である二人の家へと歩き出す。道を取り巻く様に立っていた木々達を抜け、そこから更に道をしばらく歩いていくと建物がいくつか出てきた。いくつかの建物の前を通り抜けていき、二人の歩いていた足がある建物の前で止まった。
「ここが俺達の家だ。さ、入ってくれ。」
「…お、大きい……。」
ジークに紹介された目の前に建つ家。木造二階建ての家だ。
いや、家とより屋敷と現した方が近いかもしれない。それ程に大きい建物だった。下手をしたら長がいた建物より大きいんじゃないだろうか……。少なくとも今まで見てきたピネーの建物の中でも断トツに大きい家だ。
ジークに促され私達は家の中へと入っていく。中は勿論、外観同様に広く、大きいものだった。二人で使うには広すぎる気がするけど……、
その割には掃除がしっかりされているのか、どこもかしこも綺麗でゴミ一つ落ちていない。目につく場所には花瓶が置いてあり、そこには色鮮やかな花達が花びらを大きく広げて活けられている。
さっきまで装飾品まみれの長の家を見たせいか特別な物が飾られていない二人の家はシンプルに感じる。どことなく生活感を感じる内装に私は安心したのか小さく息をついた。
そんな私に気付いたのかシフォンさんが不安げに私を見上げた。
「あ、あの…すみません。一応毎日掃除をしているつもりなんですが……どこか気に入らない所とかありましたか?」
「え?い、いやいや。むしろ綺麗でしょ。その…さっき長の家にいたから、それと比べちゃって。」
「確かに、あの家は異常だったわね。その点、ここは比較的普通の家だったから良かったわよね、マツリ。」
「うん。その…気に入らないとかじゃないから。むしろ安心したんだ。紛らわしい事しちゃってごめんね?」
「いえ!私や兄さんは小さい頃から知っているから慣れてますけど……外の方から見たらパヌ爺様の家は少しばかり異様に見えるかもしれませんね。」
苦笑しながら話すシフォンさんに私は「少しばかり?」と疑問を抱きつつも言うとややこしくなりそうだから、それ以上は何も言わずに黙った。
そんな中ジークは「よし!」と笑みを浮かべると私達に向き直った。
「これからの予定を発表するぞ!シフォン、女性陣二人を連れて部屋を案内してやってくれ。俺もクロトを部屋に案内する。」
「わかったわ。」
「案内が終わったら俺が風呂を沸かしてこよう。クロトも体力まだまだ有り余ってそうだし、手伝ってくれ。」
「………。」
「無視はするなよ…。」
ジークの発言にクロトは表情を変える事なければ返事もしない。無反応状態だ。そんなクロトに流石にどう反応すればいいのか分からないジークは眉と声音を下げた。
近くにいた私はクロトを見上げながら小さく声を掛けた。
「クロト、嫌なら嫌って断っていいんだよ…?」
「…いや、問題ない。」
「マツリにだけ反応するのかよッ!…まぁ、いい。俺達が風呂を用意する間、三人は部屋で寛いでいてくれ。用意出来たらシフォンを通して知らせるから。」
「シフォンを通して…?」
「『共鳴』ですよ。さ、部屋に案内しますね。」
あぁ、成程…とシフォンさんの言葉に納得する私はリリィと共に今夜寝泊まりする部屋へとシフォンさんを先頭に案内された。
●●●
「お、おお……。」
二階へと続く階段を上った先。四つ程ある部屋の扉の一つを開けるとその先に広がっていたのは……広い部屋とその壁一面に広がる本棚だった。
天井にある窓と壁の一角にある窓。窓に対面する様にある小さな机と脇にある小さな一人用のベッド。けれどそんな中目が行くのは壁一面にある本棚と大量の本だった。
分厚い物ものから薄いもの。大小様々な本が壁一面にある本棚にぎっしりと詰め込まれている。それだけでなく、壁の一角にある窓の窓枠に数冊、窓と対面する様にある小さな机の上に数十冊、脇にある一人用のベッドに数十冊。
床にも本が積み重なっていて、それがいくつもある状態だ。辛うじて人が座れるスペースがあるか、ないか……。
そんな状態の部屋に思わず声を漏らすと「す、すみません!」とシフォンさんが顔を赤らめながら先に部屋に入った。
「一分…いえ、三十秒下さい!」
そう言うとシフォンさんはバンッと勢いよく部屋の扉を閉めた。残された私とリリィは廊下で立つ事になってしまった。
「…あれは片付けたくなるよね…。けどゴミが散らかってる訳じゃないし、私はそんなに気にならないけどな…。」
「甘いわねぇ。今日初対面の、しかも相手は勇者よ?マツリが気にしなくても、あの子は気にするんでしょ。」
「そういうものかなぁ。」
「そういうもんよ。まぁ、私達が泊まると分かった時点で自分の部屋の状況を思い出せないなんて、普段から本でいっぱいの部屋なのね。」
ガタガタと部屋の中から片付ける音を聞きながら私はリリィの話を聞いていた。そして部屋から聞こえていた音がピタリと止まると同時に部屋の扉が開かれる音がした。
「お、お待たせしました。ど、どうぞ…。」
恥ずかしそうに扉から顔を覗かせたシフォンさん。扉を開け、私とリリィは部屋へと足を踏み入れた。
部屋に入ると床一杯にあった本は本棚に入りきらなかったのだろうか、部屋の一角に全て集められて山が出来ていた。そのおかげか床は広く、私達が座れるスペースは出来ていた。
「うぅ…すみません。本当、お恥ずかしい限りです……。」
「いやいや、全然気にしてないから。むしろ急いで片付けさせてごめんね?」
「そ、そんな!日頃から片付けをしていない私が悪いんです。…あぁ、家の片付けや掃除は出来るのに何故本だけ無理なんでしょう。片付けようとしてもついつい手を伸ばして読んでしまって、片付けられないんです…。」
「あー…それ、ちょっと分かるかも。」
かく言う私も何度か自室を片付けようとした時雑誌や漫画があると、ついつい読んじゃって掃除しなくなっちゃうんだよね……。分かる、分かる。
そんな中、恥ずかし気に話すシフォンさんを他所に隣にいたリリィが近くにあった本棚を見上げては「ふぅん」と声を漏らした。
「魔術書に魔法書。植物図鑑に世界経済録。数学書、世界言語辞典。心理書に精神分析録。人体書に医術書、応急処置対処本……見事にオールジャンル。よくこれだけの本を集めれたわね。」
「小さい頃から本を読むのが好きで…昔から集めていたんです。知人から譲ってもらったり、時々来る商人に頼んだものを買ったり……気づいたらこの数になってました。あ、けど最近は兄さんが買ってきてくれるんです。」
「兄さん…ていうとジークの事?」
「はい。ここ数年、使いで外界に出る頻度が高いんです。その度に兄さんは「土産だ」と言って私に本を買って来てくれるんです。」
「へぇ……優しいね。」
「はい。自慢の兄です。」
ふわりと優しく笑みを浮かべるシフォンさん。その表情はジークがシフォンさんを話していた時と同じで優しく、大切にしているのが見て伝わる。兄が妹を、妹が兄を…互いに大切に思い合っているんだ。なんだか微笑ましい。
そう思う私に対してリリィは何も思っていないのか顔色一つ変えずに本棚から一冊本を取り出すとペラペラと捲ってはバタンと閉じた。
「シフォン、って言ったわね。シフォンは自分で買いに行かないの?」
「え、」
「いや、だからさ…外界に本を買いに行かないのかなって思って。ジークと違ってシフォンの方がしっかりしてる様に見えるし、街に出かける位ならシフォンでも出来そうだけど。」
「確かに…。人払いの森やその抜けた先の平原には魔物はいなかったし……比較的安全そうだから、行けそうな感じするけどね。」
「…私も行ってみたいとは思います。けど…掟で出来ないんです。」
「「掟?」」
リリィと声が被る。聞き慣れない言葉に首を傾げる中、シフォンさんは視線を床に落としながら口を開いた。
「この谷にはいくつか掟があるんです。その中の一つで『女人は外出るべからず』というものがあって、女性は外界に出ちゃいけない事になってるんです。」
「そ、そんな…。」
「破っちゃえばいいじゃない。そんな堅苦しい掟。」
「掟を破れば種を軽んじている証だとして家や金品は全て奪われ、谷からも追放されるんです。簡単には出来ません。」
「追放って……酷い。」
「むちゃくちゃね。人払いといい、外部から人が入れない様にするといい…どうにも気に入らないわね、それ。」
「でも昔からの事なので全く嫌だという訳じゃないんですよ?そりゃあ外界に出たい気持ちもあります。どんな世界が広がっているのか、どんな人達が住んでいるのか…気になりますし、興味もあります。けど、掟なので仕方ありません。」
「シフォンさん…。」
「それに、私には兄と兄が買って来てくれる本がありますから大丈夫です。十分に満足してますよ。」
笑みを浮かべながら話すシフォンさん。その表情は柔らかなものだけど、どことなく寂し気に見えてしまうのは私だけだろうか。
それでいて返す言葉も見つからない。大丈夫と十分に満足していると言われてしまっては励ます事も慰める事も掟に対して怒る事も出来ない。ただ、黙っている事しか出来ない。
「あ、お風呂の準備が出来たみたいです。お風呂場に案内しますね。」
ジークからの『共鳴』があったのだろうか、長い耳元を押さえては私とリリィに話すシフォンさん。
皮肉な事に三連続の野宿とピネーに辿り着くまでの長い歩行距離で疲労感が半端なかった私は「お風呂」という単語だけでさっきまで感じていた複雑な感情を殆ど消してしまった。なんとも薄情な奴だ、私は。
いや、私より隣で「いえ~い!待ってました!」と喜びながらはしゃぐリリィに比べたらまだ、マシかな……。
シフォンさんに案内を頼み、私とリリィは用意してもらったお風呂に入る為、一階にある脱衣所に向かった。
●●●
ー数分前 ジーク・シフォン家裏ー
「…ふぅ、こんなもんだろ。悪かったな、薪を運んでもらって。」
目の前の窯で燃え上がる炎。その中にはクロトとジークが運んだ薪や紙等があり、それらが全て燃え上がっている。
ここで燃え上がる炎によってこの先にある風呂の湯が温まるというものだ。炎の熱で浮かび上がる額の汗を手で拭いながらジークはしゃがんでいた腰を上げた。
振り返るとクロトは案の定何も反応せずにいる。こういうやり取りを準備の際に何度かしているが、未だに反応してくれない。それだけ警戒しているという事なのだろう。
「ハァ…いい加減、少しは返事をしてくれ。一人で喋ってるみたいで恥ずかしいじゃないか。」
「………。」
「…無理、か。つまらない男だな。ここまで反応されないと意地でも話してやりたいと思うな。」
「……何を考えている。」
「お、やっと話してくれるか。」
クロトと対峙する様にジークは立つ。二人の視線が交わるが、互いに何を考えているのか理解出来ない。互いに探り合っているのだ。互いが何を考え、何を思い、何を『隠している』のか。
静かな時が流れる。だが、最初に口を開いたのはジークだった。
「何を考えているのかという質問だったな。別に、俺は何も考えてないさ。まぁ、強いていうなら勇者が女なんてあるんだなって思う位だな。」
「……違う。」
「ん?」
「お前はもっと、別の場所を見ている。アイツを見ている訳じゃない。もっと先の何かを見ている。」
「……へぇ、なんでそんな風に思うんだ?」
「………。」
「肝心な所はだんまり、か。まぁ、いいさ。じゃあ、今度は俺からの質問だ。……お前が腰に下げてる剣、珍しいもんだよな。」
「……。」
「俺は何度か外界に出た事があるが、売り物として同じ物を見た事がない。形は同じにしても刀身の輝き、材質、強度…それと全く同じ物は売り物としては見た事はない。」
「………。」
「そう、売り物ではな。でもおかしな事に、お前と全く同じ剣を持った奴を何人か見た事がある。どんな奴か知りたいか?」
「……………。」
「おっと、そんなに睨まないでくれ。…まぁ、要するにあれだ。お前に触れられたくない事もあれば、俺にも隠したい事が一つや二つはあるって事だ。」
「それで…アイツを危険に巻き込むのか。」
「巻き込むつもりはない。むしろ俺達が巻き込まれていくんだ。知らず知らずに、渦になって巻き込まれて…最後には全部終わる。マツリ達も俺も…。」
「………。」
「安心しろって。マツリ達に危害を加えるつもりはないし、邪魔をするつもりもない。むしろ俺は協力する。」
「信用、すると思うか。」
「思わないな。…けど、俺はどっちでもいいんだ。明日の事、成功しようがしまいが…俺はどっちでもいい。だが、全てを終わらせる為にはマツリ達の…いや、マツリの力が必要だ。」
「…どういうつもりだ。」
「…復讐だよ。」
ざぁ、と夜風が二人の間を吹き抜ける。風が舞い、葉が揺れる。雲で隠れていた月が見え始め、月明りがジークを照らし出す。
その瞳は、憎悪と執念で光っていた。
「この腐った箱庭を壊す為の、復讐だ。」
「………。」
「…なんてな。そろそろ戻るか。部屋に案内してやろう。シフォン達にも湯が沸いた事教えなくちゃな。」
笑みを浮かべながら家に向かって歩き出すジーク。その背をクロトは静かに見つめていた。