終演
咲弥は通話を切ると、風花のスマートフォンを床に落とした。スマートフォンの画面に映し出されている時計を、目の端で確認する。部屋に火をつけてから、八分ほど経過していた。
マッドピエロは、熱に強い。とはいえ、高温にさらされれば死滅する。
――風花達を監禁する前に、研究データは破棄した。実験用のウイルスも全て死滅させた。
あとはこの建物に残っているウイルスさえなくなれば、ピエロとして踊り続けるのは風花一人になる。
「……もう少し」
咲弥は荒い息を吐きながら、耐えるようにその場に蹲っていた。
そういえば、彼女と長い坂道を自転車で登った時も、とても暑かった。アスファルトがゆらゆらと揺れていたのを、鮮明に覚えている。それから、真っ赤な顔をした彼女も。その頬に張り付いている髪も。
「……ねえ、風花ちゃん」
「なに?」
「ここ登り切ったら、何をお願いする?」
「どうしようかなー。咲弥ちゃんはもう決めてあるの?」
「うん」
必死になって自転車を漕いでいたが、今となっては何が楽しかったのかさっぱり分からない。坂道を登り切れば願い事が叶うなんて話、いくら子供だったとはいえ自分が信じていたとも思えない。
「えーなになに、何をお願いするの?」
「まだ内緒!」
「ええ、今教えてよー」
「あ、ほら危ない。転んじゃう」
――きっと、彼女が側にいたから楽しかったんだろう。一緒に笑ってくれたから、嬉しかったんだろう。
「そんな些細な事で、よかったのに、ね」
いじめを提案した徳田真由。
同調した仲間達。
離れていった風花。
復讐を決意し、親友すらも赦せなかった咲弥。
誰が、どこで間違えてしまったのだろう。
火事が発生から、十分が経過しようとしている。咲弥は風花の通った薄暗い廊下を一瞥すると、先ほど自分が閉めた扉へと向き直った。この向こうには岸野優美と羽村ひいなの死体が、そして『燻ぶっている炎』が残っているはずだ。それはきっと、新鮮な空気を今か今かと待っている。
――計画通りに終わらせるのなら、この扉を開けるのは今だろう。
皮手袋をしたまま、扉へと手を伸ばす。手袋をしている咲弥にも、鉄製の扉が相当な熱さになっているのが分かった。
「……あれ」
震える手は、思うように動かない。頬を伝うものが汗ではないことに、気付く。
ケロイドの上を流れるそれを拭い、咲弥は笑った。
「一度目は怖くなかったのにね」
きっと自分は、マッチ売りの少女のように暖かな場所へは行けないだろう。
風花の進んだ道とは背を向け、咲弥は笑った。
「本日は、ご来演頂き誠にありがとうございました! これをもって、マッドピエロのサーカスは終了させて頂きます!」
――幕引きは、私の役目だ。
咲弥は息を吸い込むと、何もない場所へと続く扉を開いた。