Ⅳ 妖精の涙
ユリが見つからない、でも探さなきゃ、けど家も作らなくちゃいけない。
そうしてただ時間だけが過ぎていき、とうとう五月七日の大祭の日を迎えてしまった。
妖精女王と妖精王のために、お爺さんに手伝ってもらって作り上げた新居は、展望室を設けた木組みの三階建てだ。妖精には羽があるため空を飛べる。展望室は必要ないのではとも思ったが、しかし地に足をつけ、俯瞰から地上を見下ろすのとでは見え方も感じ方も違うというもの。
普段、空中から見ている大地を、今度は自分たちのように地上から見下ろしてみてほしい。そう考え、今年は展望室を付けてみた。これはリルのアイデアだ。
将来、毎年この森へ来てやっているように、お爺さんみたいな妖精の家大工になるのがリルの夢なのだ。妖精に少しでも喜んでもらえるような家を作りたい。幼心なりに熱い思いを胸に抱いてやっている。
そんな家の家具はほぼリルが拵えたもので、ダブルベッドのマットや布団、金属を加工して作った食器などは、リルにはまだ難しいためお爺さんが作ってくれた。本当に小さなおもちゃみたいな家具だけれど、機能性も利便性も人間のそれと大差ない。
家自体はだいたい百五十センチ四方の立方体くらいの大きさだ。台車に乗せて二人で家だけをまず運び、後から家具などを設置した。
けれど、せっかく家を取り替えたというのに、その庭には女王様の姿しか見当たらない。
「んーもう! なんなのよ、こんな葉書だけ書いてよこして! あの人は一体いつ来るのかしら!」
女王様がなにかを放り投げ、それはリルの足元近くにひらひらと落ちた。
それは、女王様がいま口にしていた葉書だ。リルはサッとそれを拾い上げ、親指大の植物の葉っぱに書かれた細かな文字を読み解く。
『少しだけ遅れます。けど、待っていてください』
それは、妖精王の筆跡だった。以前、お礼の葉書が家に届いたことがあったから間違いない。
ぷりぷりと怒るティターニアを、場にいるすべての者がオロオロとして見つめている。
お爺さんも、リルも。そして大祭を祝うために集まった妖精のオーケストラも。手に持つ葉巻の笛や胡桃の殻で作った太鼓、よく出来たバイオリンなんかを遊ばせており、皆が皆、手持ち無沙汰だ。
「お爺ちゃん、オベロン様、遅いね」
リルも心配し、辺りを見渡しながらお爺さんに小声で話しかける。
以前、泉であった時は心配しなくても良さそうな雰囲気だったのに。妖精王になにかあったのだろうかと、少し不安になってきた。
「…………」
けれど、お爺さんの心配事はそんなことではなかったのだ。
用意した展望室の屋根を飾るためのユリの花。今は屋根には何も取り付けられていない。茎を差し込むための穴が一つ開いているだけだ。
大祭の最後に、二人へ献上する手筈になっているのだが。
青いユリの花が、どこを探しても見つからなかった。妖精の大家の象徴、目印でもあり、森の平穏の象徴でもある青ユリ。
やはり喧嘩をしたからなのかとお爺さんは、夫婦間の亀裂によって生じるこの森の存続を危ぶんでいた。
そんなお爺さんの後ろに隠れるリルがその手に携えていたのは、真っ白いユリだったから。
「――っ!?」
すると不意に、ティターニアが空を見上げた。
何かに気づいたように宙を見続けていると、ザッ! っと何かが勢いよく彼女の隣に落ちてきた。
一瞬、なにが降ってきたのかリルには分からなかったが、よくよく見てみると、それは薄い青色の羽を持つ、妖精王オベロンだったのだ。
「……なにを、しにきたの」
驚いた顔をしたのも束の間。女王様はそっけなくそんなことを言った。
衣装についた土埃を叩きながら妻の顔を見返すオベロンは、けれどなにも言葉をかけなかった。
「私のことなんて、どうでもよくなったんじゃなかったの!」
声を荒げ怒りの表情を露にするも、しかし内心不安と切なさでいっぱいだったのだろう。ティターニアはその美しい琥珀色の瞳に涙を浮かべた。
感情をぶつけてもなお口を噤んだままの夫に、愛想が尽きたように女王様はそっぽを向いた。
「僕が……」
妻の見えていないところで、オベロンは自身の服のポケットに手を入れる。
感情のこもった声に、ティターニアはハッとした。
「僕が、君のことをどうでもいいだなんて、思うわけがないじゃないか」
振り向いた拍子に涙がこぼれ、敷かれた葉っぱに水玉を落とす。
妻が振り向いた時に、そこにあるようにして出していた妖精王の手のひらには、小さな輪っか状の物が乗せられていた。それは、数日前にオベロンがリルと約束事をした際に、作ると言っていた指輪だった。蔦のようなものが二重に巻かれ、中心に『妖精の真心』と呼ばれる赤い宝石があしらわれている。さらに全体が小さな葉っぱで、月桂冠のように美しく装飾されていた。
「これ、は……指輪……?」
「そうだよ」
「でも、どうして? 忘れてたんじゃ、なかったの?」
目元の涙を陽の光で煌かせながら、ティターニアは不思議そうに問う。
それに優しく微笑み返すと、オベロンは言った。
「僕が結婚記念日を忘れるわけないじゃないか。毎年こうして祝ってきたんだ。それに愛する妻との思い出だよ。自然の美しさより綺麗な、君との大切な思い出だ。どうして忘れることが出来ると思う?」
妖精王は、手のひらから小さな指輪をとり、優しく妻の左手を取った。そして細指から薬指を選択し、作成した指輪をそっとはめる。
真剣な眼差しでティターニアを見つめ、オベロンは、ずっと考えていた言葉を口にした。
「ティターニア、今日のこの日この時に、また君と契りたい。僕と、結婚してください」
まるで、この瞬間を待っていたかのようだった。
―キーコキーコ、プァー、ドンドン!
暇を持て余していたオーケストラたちが、一斉に楽器を奏で始めたのだ。タクトを持つ指揮者が訳知り顔で悠然と立ち居振舞う。
指揮者の妖精には、再びプロポーズをすることを、オベロンは伝えていたのだ。言葉を口にしたらと
タイミングまで演出していた。
これにはティターニアも驚いたようで、少しの間呆然としていたけれど、やがて言葉の意味を理解したのか、満開の花にも負けない満面の笑みを浮かべて、
「……はい」
と幸せそうに頷いた。
ファンファーレのような短い曲が演奏された後、二人は、この祝祭の日のために素敵な贈り物をくれた功労者らへと振り返る。
「ジョバンニ、そしてリル」
オベロンは前に一歩でて、お爺さんと少女を交互に見やった。
「今日のこの良き日に、僕たちのためにこんなに素敵な新居を拵えてくれてありがとう。毎年、本当に感謝しているよ」
「ありがとう」
ティターニアも彼の後ろで、ドレスの裾を摘んで腰を落とし、丁寧なお辞儀をしてみせた。
機嫌が直ったことは本当によかったと、リルも安堵の表情で会釈する。しかしリルは思い出す。これから献上するのは、白いユリであることを。
昨日見つけた白ユリを、今朝摘んできたもので、匂いは青ユリとさほど変わらないように思える。一生懸命探したけれど、結局見つからなかったから、その代替として持ってきたのだ。
申し訳なさから視線を外したリルの挙動を、しかしオベロンは見逃さなかった。
「さあ、さっそく屋根を飾ってくれ」
なんて、まるで心の機微なんか関係ないかのように、訳知り顔でものを言う。
「は、はい……」
気まずそうに顔をしかめながらも、リルはお爺さんに背中をトンと押され、促されるまま、花を持つ両手を後ろに隠して新居へと近づいていく。
徐々に近づいていくたびに、怒られないかとどきどきしていた。自然に唾を飲み込んだ。思いのほか大きな音が鳴ってしまった。
目の前まで来ると、妖精王と妖精女王が仲良く微笑んでいる。この笑顔を壊してしまうのではないか。いっそのこと、妖精に連れ去られて消えてしまいたい。手を出すことを躊躇い、内心ひやひやしていると――
「リル」
「は、はい!」
「手を、出してごらん」
オベロンから声がかかった。何を考えているのか、相変わらずにこにこと笑っている。
この場へ来てしまったからにはもう後戻りは出来ない。覚悟を決め、リルは、そっと両手を差し出した。
「まあ。これは綺麗な白ユリね」
「ごめんなさい」
「あら、どうして謝るの?」
リルは無言で俯いた。女王様の言葉が、皮肉を言っているように思えたから。
やっぱり怒っているんだと、しょんぼりしていると、背中に触れる温もりを感じた。振り返ると、お爺さんがすぐ側まで来ていた。
「ティターニア様、オベロン様。リルはこの一週間、泥んこになりながらも、森を駆けずり回って青ユリを探していました。ですから、どうか怒らないでやってください。見つからなかった非は、私めにもありますゆえ……」
「ジョバンニ、あなたは私とオベロンが怒っていると思っているの?」
「違うのですか?」
ティターニアもオベロンも、その言葉に二人で顔を見合わせる。
どちらからともなく笑うと、いまだ俯いたままのリルに女王様が声をかけた。
「リル?」
「はい」
「花を、屋根に挿しなさい」
「……はい」
リルは観念したように、丸く削った展望室の屋根に開いた穴に、そっと白ユリを挿し込んだ。
それを後ろから見ていたオベロンは、オーケストラの指揮者に目配せし、合図する。
するとタクトが振られ、いきなりワルツの演奏が始まった。大祭を締めくくる最後の演目だ。
顔を上げ、不思議そうに夫婦を見返すと、「安心なさい」と女王様が微笑んでくれた。
そして二人は、ワルツのリズムに乗せて踊りだす。くるくるくると、まるでお人形さんが廻っているような可愛らしいものだった。
やがて二人は組んず解れつ睦まじく、抱き合いながら飛翔する。
二人の姿が空へと消えたころ、しばらくして空から雫が降ってきた。白ユリの花びらがそれをキラリと跳ね返す。
霧に濡れた樹葉が重みに耐えられずに泣いたのかとも思ったけれど、そうではなかった。見れば、雫の落ちた箇所から、ユリの花びらが少しずつ青く染まり始めたのだ。
「――ああ、そっか」
リルは思い出す。五歳の頃に読んだ、『妖精の涙』という童話を。
妖精の涙が、花に色を与えるという内容だった。
ティターニア様の嬉し涙が、白ユリを青く染めたのだ。今年もこの森は安泰ね。
わたしの努力は無駄じゃなかった。諦めなくてよかったと、リルは青く染まったユリを見つめて思う。
小さなその胸に、誇りと夢と、希望を抱いて……。
ティターニアの涙をお読みくださいまして、ありがとうございます。
この話は、冬の童話祭2013に参加するべくして書いたもので、これからもこういったフェス的な何かにちょこちょこ顔を出していけたらなと思いますので、どうぞよろしくお願いします。