第1話 『咲かなかった薔薇』
銀の棺が地の底へ沈んでいく音を、ミラは自分の胸の内側で聞いていた。
封印の儀は、帝都カサーの旧大聖堂の地下で、夜明けの一刻前に行われた。集められた七人の司祭は誰もが老いていて、誰もが震えていて、そのうちの二人は儀式の途中で泣いた。無理もない。彼らがこれから封じるのは、この大陸で三百年間、"薔薇園の女主人"と呼ばれてきた者だった。
ミラは列柱の陰に立っていた。招かれた客ではない。ただ、誰も彼女を追い出せなかった。追い出せる者は、もう一人も生き残っていなかったからだ。
銀の棺の蓋が閉まる、その最後の一瞬。 棺の中の伯爵夫人が、ミラのほうを見た――気がした。 白い頬に、彼女の癖である微かな笑みがあった。まるで舞踏会の途中で、気に入りの相手にだけ耳打ちをするような笑み。
「――咲きなさい、わたしの子」
声が、聞こえた。 いや、聞こえたのはミラの耳ではなく、鎖骨の下の、二つの古い傷だった。
蓋が落ちた。 鉛と銀と、聖水で溶かれた蜜蝋が縫い目を塞ぎ、儀の言葉が石畳を這った。棺は油圧の音を立てながら地下水路の暗渠へと降りていき、やがて水音一つと共に見えなくなった。
それだけだった。 三百年が、それだけで終わった。
ミラは長い間、動かなかった。 司祭たちが去り、蝋燭が一本ずつ消され、最後の一本が消えたときになってようやく、自分の足で聖堂の階段を上った。歩き方を、思い出すのに時間がかかった。百年間、彼女は伯爵夫人の三歩後ろを歩く以外の歩き方を知らなかった。
外は、雨だった。
石畳に落ちる雨粒の一つ一つが、蒸気ランプの黄色い光の中で、細かな金色の埃のように見えた。帝都の朝はまだ来ない。露店の男が薪を積んでいる。パン屋の煙突から白い息のような湯気が上がる。荷馬車の車輪が濡れた石を鳴らす。
――生きている。 人間が、生きている。 彼らは彼らのまま、朝を迎える。
その当たり前の光景が、ミラの喉を、ゆっくりと絞めた。
渇きは、いつも足元から来る。 冷たい水に膝まで浸かるように、ふくらはぎから太ももへ、腰へ、みぞおちへ。喉に届いた頃には、もう舌の裏側が痺れている。ミラは外套の襟を立て、口元を隠した。歯茎が疼いていた。百年前、伯爵夫人に噛まれたあの日から、この疼きだけが彼女の時計だった。
伯爵夫人の血の匂いを、思い出す。 鉄の匂いではなかった。あの人の血は、なぜか、雨に濡れた古い薔薇の匂いがした。
ミラは、自分の掌を見た。 白い。冷たい。血管の青が、透けている。 この掌で、彼女は百年間、伯爵夫人の髪を梳いた。爪の間の血を拭った。犠牲者だった少女たちの――「咲いた」少女たちの――まぶたを閉じた。
わたしは、咲かなかった。 だからここに、こうして立っている。
「――お嬢さん」
声をかけられて、ミラは顔を上げた。 パン屋の店先に、焼きたてのライ麦パンを一つ、こちらへ差し出している女がいた。若い、赤らんだ頬の、生きている女だった。
「今朝はよく冷える。もう店を開けていいか分からないくらいだよ。一つ、持っていきなさいな。銅貨は要らない。あんた、ずっとそこに立ってるから」
ミラは、パンを受け取った。 礼を言う声が、うまく出なかった。ただ、頷いた。
女が店の奥へ戻っていくのを待って、ミラは路地に入り、雨の当たらない庇の下で、そのパンを一口、噛んだ。
――砂の味がした。
噛めば噛むほど、口の中で、細かな石英の粒が奥歯を軋ませた。喉は、それを受け入れることを拒んだ。ミラは膝をつき、掌に吐き出した。白い掌に、砂色のパンくずと、薄い唾液と、それから、細く一筋、赤いものが混ざった。
自分の唇が切れていた。 いつからだろう。多分、伯爵夫人の名を、心の中で呼びすぎたせいだった。
ミラは、その血を、指ですくった。 鉄の匂いがした。薔薇ではなかった。 当たり前だ、と思った。わたしはもう、薔薇じゃない。
「――やっぱりここにいた」
路地の入口から、男の足音が近づいてきた。擦り切れた外套。腰に、目立たないように吊るされた銀の短剣。吸血鬼ハンターの、それも見習いの、まだ人の血の匂いに慣れていない歩幅。
「地下から、ずっとあんたを追ってきた。あの女の封印を、最後まで見届けた奴が、この帝都に何人いると思う? 二人だ。俺と、あんた」
男は雨の中で立ち止まり、ミラの掌の中の、指の血を見た。それから、少しだけ困った顔をした。
「――で。これから、どうする気だ」
ミラは、ゆっくりと立ち上がった。 鎖骨の下の傷が、まだ、微かに疼いていた。伯爵夫人の最後の声が、そこで小さく反響していた。咲きなさい、わたしの子。
ミラは、その声に、初めて背を向ける言葉を選んだ。
「――旅に、出ます」
自分の声が、思ったより、しっかりしていた。 パンの砂の味が、まだ舌に残っていた。
「人間に、戻る方法を、探しに」
雨が、少しだけ強くなった。 帝都カサーの朝が、彼女の百一年目の、最初の一日として、静かに明けようとしていた。




