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第9話 新しい日常のはじまりー1

***


 日曜日の朝。


 目覚めの舞台は、郊外に建つ少し立派な一軒家だ。部屋数も広さも、二人暮らしには持て余すほどの余裕。


 これを提供してくれた親戚のおじさんに心の中で深い感謝を捧げ、俺は再び二度寝という名の夢の続きへダイブしようとした。……が。


 昨日のあの怒涛の展開が脳裏をチラついて、一向に眠れない。


 ようやくウトウトしかけたところを、サップに無慈悲に叩き起こされた時は、さすがの元勇者も逆鱗に触れそうになったが、窓の外が眩しすぎる快晴だったので、怒る気力すら蒸発した。


「おはようございます、マスター。本日の予定はどうされますか?  朝食になさいますか?  洗顔になさいますか?  それとも――私にしますか?」


「……とりあえず、歯を磨いてくるよ」


 我が家の食事は当番制だ。


 サップちゃんは料理が得意というわけではないが、最近はレトルトのパウチを切る技術に関しては神の域に達しつつある。


 それにしても、と。

 洗面台の鏡に映る冴えない顔を眺めながら、俺は昨日の出来事を反芻していた。


 緋宮硝子から、あの一件が終わったあとに、少し詳しいことを聞いていた。


 緋宮硝子。【預言者】なる怪しげな存在に雇われ、俺の命を狙った少女。


 結局、俺たちは「和解」なんていう美しい言葉で結ばれたわけじゃない。ただ、自分を殺そうとした相手が逆に消されないか心配するなんて、俺の「平穏」へのこだわりも、もはや病気かもしれない。


 おかげで、これからも俺は折に触れて緋宮に暗殺されかけるんだろう。一体、昨日のあの保健室での一幕は何だったんだ。


 ……まあ、俺一人が死んで世界が丸く収まるなら、喜んで――なんて言えるほど、俺はお人好しじゃない。


 嫌だ、絶対に死にたくない。誰か俺の代わりに戦ってくれ、切実に。


 なぜ元勇者というだけで、定年退職後のような隠居生活が許されないのか。

 誰か納得のいく理由を十五行以内で、簡潔に教えてほしい。


 冗談はさておき。


 この一連の騒動が突きつけてきた事実は二つ。

 俺の首を欲しがる何者かが、この現代日本に確実に潜んでいること。

 そしてそれが、あの魔王軍と密接に関わっているということだ。


 緋宮の話では、ヘルヴィールドを遣わしたのも【預言者】らしい。

 つまり、その【預言者】とあっちの魔王軍どもは、裏で手を取り合っているわけだ。


 いやあ、厄介なんてレベルじゃないぞ、これは……。


 遠い目をしながら歯ブラシを片付け、リビングに戻ると、そこには湯気の立つ食卓が広がっていた。


「ありがとう、サップちゃん」


「いえいえ、マスター。感謝は態度と身体で示してください」


 言いながら席につき、「いただきます」と手を合わせる。まずはスープを一口。


「……お、おいしい。サップちゃん、これレトルトじゃないよね?」


「光栄です、マスター。それは私が成分を分析し、一から調合した自家製スープですね」


「すごいね……。さすが俺の相棒だ」


 平和だ。実に平和だ。


 こういう、どうでもいい会話をしながら朝食を摂る日常。これこそが、俺が血反吐を吐いて守りたかったものなのだ。


 ピンポーン。


「……おや、朝から元気な鳴き声の鳥がいるものだね」


「そうですね、マスター。あ、このトマト、マスターに献上します」


「こら、好き嫌いしないで野菜も食べなさい」


 ああ、平和だ。日曜の朝を彩る、穏やかな静寂。


 ピンポーン。


「マスター、お皿片付けましょうか?」


「いいよいいよ、俺がやる。サップちゃんは座ってテレビでも見ておきなよ」


「では、私は掃除機を起動して不純物を排除してきます」


「助かるよ、サップちゃん」


 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。


 ……ダメだった。


 くそぉ!  せっかくサップちゃんとのささやかな、慈しむべき日常に浸っていたのに!

 この世界は、俺に三分間の平和すら与えてくれないのか……!


 怒りに任せてインターホンの応答ボタンを押すと、画面越しに、鼓膜が覚えているあの鈴のような声が聞こえてきた。


『……遅い』


「……緋宮。お前、何の用だ?  まさか日曜早朝から暗殺のノルマか?」


『――私、今日からこの家に住むことにしたから』


「……はあ?」


 それは、俺が積み上げてきた平穏の城壁が、大型重機によって根こそぎ粉砕される音だった。

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