53.伝わらない愛
それは雷が落ちたような衝撃だった。
冷え切った唇に強烈な熱が与えられる。
フィニアスの口付けはこの前とは比べ物にならないほど情熱的で、時折り舌も交わりながら己が乾きを満たそうと激しく唇を重ねてきた。それは荒波のようにとめどなく押し寄せ、一方的に貪られる。
エリーナは唇が離れた僅かな瞬間に息を吸うだけで精一杯で、何も考えられない。フィニアスのシャツに縋り付く。その様子がまた彼に拍車をかけさせた。
何度も繰り返されるうちに唇は血色を取り戻し、頬も健康的に色付いていく。エリーナの息が上がり、呼吸に合わせて肩が上下する。身体の内側から熱を感じるほど全身が熱くなっていた。
濡れた唇を妖艶に舐めたフィニアスが、ようやく口付けを止めた。
彼女は必死に呼吸を整えながら、ぼうっとした表情で瞳を潤ませている。この状況を理解出来ずにいた。
「これでも俺がエリーナを置いていくような軽薄な男だと思うのか?本気で想ってないとでも?」
フィニアスの金の瞳は悲しみで沈み、普段よりも低い彼の声は怒りで震えている。それを見たエリーナが目を見開く。
(私…フィニアス様のお気持ちを何も考えていなかったんだわ…)
真正面から感情をぶつけられ、エリーナはようやく自分の過ちに気付いた。勝手に責任を取ろうとしていたことが彼の気持ちを蔑ろにすることになり、その矜持を踏み躙っていたのだと。
「申し訳ありませんっ…」
思わず泣きそうになるが、フィニアスは謝るエリーナを遮るようにして、優しく抱きしめてきた。そこに先ほどまでの荒々しさはない。彼女の身体は、陽だまりのように穏やかな温もりに包み込まれる。
「エリーナ、愛してる。」
昂った感情のせいで声が掠れている。そのことが余計に色気を感じさせ、言葉以上にエリーナを惑わせた。みるみる内に瞳が大きくなる。
「な、え、あ、あの、フィニアスさま…?」
「もっと早く言葉にすれば良かった。とは言え、こんなにも伝わっていないと思っていなかったがな。まぁこれに関しては俺が悪い。」
「あ、あの…?」
彼は弱々しい声で恨み説を言うが、突如として愛の告白を受けたエリーナはそれどころではない。頭が真っ白になっていた。
「はぁ…初めて口付けを交わしたあの日に、想いが通じ合ったのだと思っていたんだがな…俺の気のせいだったのか。」
「ふぇ」
衝撃的過ぎてもはや言葉にならない。
(そんな…だって私たちは政略結婚というだけで、恋愛感情なんて何もっ…そもそもこんなに素敵なフィニアス様が私のことをす………なんてっ…)
混乱するエリーナの頭を、『政略結婚』という言葉が埋め尽くす。恋愛とは全く別物として解釈していたため、言われた言葉を素直に受け止められない。
「俺の気持ちを伝えたんだが。エリーナはどうなんだ?」
フィニアスが腕の中に捕えたエリーナに、拗ねた顔で問い掛ける。不意に見せられた表情に、トクンッと彼女の胸が高鳴った。
「でも私たちは政略結婚でっ…だからそのっ…あの、ですから…」
「はぁ」
とうとうエリーナの言語が崩壊した。
言葉が意味を成さず、フィニアスもため息を吐く。だがそこに怒りは感じられず、愛が伝わらないもどかしさに臍を曲げているような、幼い態度であった。
「では聞くが、この俺が好きでもない相手に口付けをするとでも?」
「それは…」
エリーナがスッと目を逸らした。
数秒沈黙する。
淑女教育の一貫で男女の性に関する知識も持ち合わせている。だがそれは一方的に植え付けられた知識であり、認識に偏りがあった。
「男性側にはその…女性とは違って抗えない欲がある、と…」
顔を背けたまま小声で呟いた。
「俺はエリーナにそんな風に見られていたのか…」
フィニアスが項垂れた。
獣と同等に思われていたことが相当ショックだったのか、目の前にあるエリーナの頭に額をつけたまま呆然としている。
脱力した姿勢のまま、ポツリと呟いた。
「エリーナは、政略結婚でないと俺と結婚してくれないのか?」
「まさか。そんなことありませんわ。」
エリーナは自分が断る立場にないと思い慌てて否定すると、色々と諦めて吹っ切れた様子でフィニアスが顔を上げる。
達観したような横顔は精悍さが増し、薄暗い中でも光を放っているように見えた。普段の凛々しさの中に、満ちた月のような秘めた輝きが加わる。
(なんて美しいのかしら…)
ただただ見惚れるエリーナ。
ちょうどその時、雲が流れて月が顔を出した。薄暗かった中庭が月明かりに照らされ、神秘的な美しさに包まれる。
「戻るぞ。」
「!!」
有無を言わせぬ声で言うと、フィニアスはエリーナのことを軽々と抱き上げた。
「でも、今から戻っても国王陛下は………」
「国王の調印などいつでも貰える。舞踏会の場でやりたかったのは、単に俺が見せびらかしたかっただけだ。」
「えっ」
しれっと言われた真実に、エリーナが心底驚いた顔で目を瞬く。
(そんな、まさかっ……)
当惑するエリーナに向かって柔らかな笑みを向けたフィニアス。彼は彼女を抱き抱えたまま、涼しい顔で会場へと戻って行った。




