41.増幅する欲
その後二人は会場内へと戻り、ロナウドの挨拶で締めくくられて会はお開きとなった。エリーナはマリエッタと共に部屋に戻り、着替えと湯浴みを済ませていた。
今夜は疲れているでしょうからと、寝支度の手伝いを終えたネルとセラの二人も早めに退出していく。
マリエッタは既に横になっているが、エリーナはベッドの端に腰掛けたままだ。
「お姉様、まだ寝ないの?」
「・・・・」
寝転んだまま顔だけを向けて声を掛けるが、エリーナの返答はない。身動きせず、壁の一点を見つめている。どう見ても様子がおかしい。
「お姉様!」
「………え?マリエッタ、どうしたの?」
ようやくこちらを向いたエリーナに、マリエッタが大きなため息をつく。
「どうしたのじゃないよもう!ずっと様子が変だけど、何かあったの?」
「別に…………何もないわ。」
スッと不自然に目を逸らしたエリーナの耳が赤い。よく見れば、頬もほんのりと色付いている。何かあったのは一目瞭然だ。
「まさか…フィニアス様に何か変なことでもされた?」
ベッドから起き上がったマリエッタが低い声で問う。殺気が漏れ出ていた。
「何もないわよ。」
「うそ!絶対あった!!お姉様が教えてくれないなら、私が直接問いただしにっ…」
「こら、待ちなさい!」
ベッドから飛び降り、部屋から出て行こうとするマリエッタの腕を掴んで止めた。彼女なら本気でやりかねない。
「あのね…その…」
マリエッタの腕を両手で掴んだまま、思い詰めた表情で俯いたエリーナが言いにくそうに口を開く。それはまるで罪人が罪を白状するような様だ。
マリエッタも固唾を飲んで彼女の言葉を待つ。部屋にずしりと重い緊張感が漂う。
「く、くち…」
「口?」
「口付けを…」
蚊の鳴くような声でたったそれだけ言うと、エリーナの顔が真っ赤になってしまった。もうこれで許してと、両手で顔を覆い泣きそうになりながらマリエッタの反応を待つ。
「え」
マリエッタが固まる。
見たことのない姉の姿に、半開きの口で唖然としていた顔が、みるみる内に驚きの表情へと変わっていく。
「まだキスしてなかったのーーーーー!!?」
叫び声が部屋に響き渡った。
まさかの大人びた妹の反応に、エリーナは色々と耐えきれず、燃え尽きるようにしてそのまま床に崩れ落ちてしまった。
しばらくの間廃人と化し、地べたに蹲ったまま顔を上げられずにいたのだった。
***
「フィニアス様、こんな時にまで仕事するなんて勤勉過ぎやしません?ちょっと病的ですよ。」
そう言いながらも、フィニアスの書類仕事に手を貸すシュヴァルツ。
なお、酒好きだが大して強くないロナウドは酒癖が悪いため早々に部屋に下がらせていた。現在執務室にいるのは二人だけだ。
フィニアスはシュヴァルツの軽口に反応せず、黙々と書類を捌いていく。
その様子は鬼気迫るものがあり、顔が険しい。かなり集中しているように見える。常人なら話し掛けることも躊躇うほどの迫力であったが、生憎シュヴァルツはそのような繊細さは持ち合わせていない。
「さっきから一生懸命に書類捌いてますけど、これ別に明日でも間に合うやつですよね?」
目ざとく気付いて尋ねると、フィニアスの手の動きが一瞬だけ止まった。その後、何事も無かったようにサラサラとペンが走り出す。
それを見逃さなかったシュヴァルツがニヤリと口角を上げた。
「エリーナ様が恋しくて、今すぐ彼女の寝室に飛び込みたい気持ちを紛らわせるためとかですか?」
「ゴホッゴホッ」
「え、うそ、当たり…?」
「……お前と一緒にするな。」
シュヴァルツの軽口につい反応してしまった自分が不甲斐なく、深いため息を吐いたフィニアス。前髪をかき揚げ、気を取り直して書類に向き合う。
(いずれは…と思うことはあるが、今ではない。しかし、想像以上に欲深くなっている自分がいる。最初は笑顔だけで良かったのに、今では全てに触れたくて堪らない。あれで満足するどころか、欲が増すとは…)
またペンが止まり、深く息を吐いた。己の煩悩の多さに嫌気が差す。彼女のことを愛しいと思えば思うほど、どうしようもなく欲が膨れ上がるのだ。
頭を軽く振って書類に向き直る。
「僕は常にマリエッタが恋しいですよ。四六時中この腕の中に囲って、彼女の全てを手に入れたいと思ってます。大好きな相手ってそういうものじゃないんですかね?」
「そういうもの、なのか…」
シュヴァルツの言う通り、好きな相手なら全て欲しくなるのは当然だと言われれば、それが普通にも思えてきた。
(自分の中で増幅する欲も、愛情と表裏一体なのであれば否定しなくてもいいのか…俺はそれだけ彼女のことを…)
フィニアスの中で溜飲が下がる。
嫌悪していた邪な欲も少しは認められそうな気がした。
「そうなんですよ。だからこれお願いしますね!」
ニコニコ顔のシュヴァルツが両手で書類の束を差し出してきた。表紙には几帳面な文字でこう書かれている。
『婚姻年齢を15歳に引き下げる嘆願書』
その文字を目にした途端、フィニアスの表情が歪んだ。心底嫌そうな顔で、期待に満ちた顔をしているシュヴァルに蔑みの目を向ける。
「これは犯罪だろ。」
「だーかーらー!合法にしたいんですってー!」
騒ぐシュヴァルツを無視して、フィニアスが書類の束を床に放り投げた。どすんと重量感のある音が響く。
「ロナウドを説得出来たら考えてやってもいいぞ。」
「それ無理じゃないですか…………」
いつも口手八丁で言いくるめられてしまう相手に勝てる気がしない。とても良い性格をしているロナウドは、人一倍交渉ごとに長けているのだ。
真剣な表情で、武力ならなんとか…と物騒なことを言い出すシュヴァルツを無視して、フィニアスは軽くなった心で仕事を再開させたのだった。




