40.この上ない幸福
月明かりの下に晒されたイエローダイヤモンドは明るい黄金色に変化しており、フィニアスの瞳の色そのものに感じる。
スクエアにカットされたイエローダイヤモンドを囲うように小さなダイヤモンドが敷き詰められ、眩しいほどに光を返す。
シルバーのリング部分には精巧な花模様が彫られており、可憐な中にも洗練された気品が漂っている。
正に一級品。
計算され尽くした完璧な美に、思わずエリーナが息を呑む。
(こんなにも美しいものがこの世に存在するのね。)
ほうっとため息を吐く。
あまりの美しさに目も心も奪われ、今自分の前にフィニアスが跪いているという状況を完全に忘れていた。
言葉もなく、ただただ見惚れている。
すると、フィニアスは惚けているエリーナの手を取り、自分の手のひらの上に重ねた。空いている方の手で淀みなく指輪を嵌める。
「!!」
白く細い指にピタリと収まった。
エリーナのために作られたものだと証明するかのように、色や形サイズまで見事に馴染んでいる。
指にこれまで感じたことのない重みが乗り、我に返ったエリーナ。自分の置かれている状況を思い出して叫びそうになる。
「い、いけませんわ。早くお立ちになってくださいませ!」
兎にも角にも跪くのを止めさせなければと声を大きくしたが、フィニアスが動く気配はない。何か考えているような顔でこちらを見ている。
(フィニアス様が地面にいらっしゃるのに、私だけが座っているだなんて許されないわ。)
彼が動かないならばと、エリーナも地面に膝をつこうとする。この日のために誂えた高価なドレスを着ていたが、今はそんなこと気にしていられなかった。
ドレスの裾を掴んで腰を上げ、フィニアスの正面に向かい合う形で膝をつこうとする。
しかし、彼女の両膝が地面に着く直前、彼に二の腕を掴まれてしまった。
(あっ…)
急なことに対応しきれず、バランスを崩して横に倒れそうになるが、そうなる前にフィニアスの腕の中へと抱え込まれた。
(今一体何が起こって…)
二の腕を掴まれたまま、屈めた腰には腕が回されている。反射的に瞑っていた目を開けると、鼻先がくっつきそうなほどの距離にフィニアスの美しい顔があった。
「も、もも、申し訳ありません!」
(なんて失礼なことをっ………一刻も早く離れなければっ…)
顔を逸らしてフィニアスの胸に軽く両手をつき、自分の上半身を起こそうとするエリーナ。
「………っ!?」
(ど、どうして…………)
身体を離そうとしていたのに、なぜか逆に近づいてしまった。
無論、それはフィニアスが腰に回した腕で引き寄せたせいだが、パニックに陥っているエリーナにはわけが分からなかった。
(こ、こんな体制恥ずかしく…いいえ、そんなことよりもフィニアス様にご迷惑が…はやくはやくはやくはやく…)
胡座をかいたフィニアスの足の間に、ストンと向かい合う形で座ってしまったエリーナ。
ちょうどよい隙間に華奢な身体はすっぽりとハマってしまった上に、上半身には腕を回されている。速くなった鼓動が今すぐ離れろと急かしてくるが、どんなに身を捩っても逃げ出すことは叶わない。
ー トクトクトクトクトク…
密着する身体から体温が伝わって鼓動が速くなる。
「エリーナ」
頭上から声が降って来た。
どこか切なげで、何かに焦っているような余裕のない声音。それは初めて聞く声だった。
「フィニアス様…?どこかお身体の具合で」
機微を感じ取ったエリーナが心配して声を掛けるが、途中で言葉が途切れる。
(え……?)
顔にひんやりとした感触が降ってきたせいだ。
「もう少し余裕のある男だと思っていたんだがな。」
「!!」
悔しさを滲ませて話すフィニアスの手がエリーナの顎に添えられている。上を向かせられ、金眼と目が合う。
月明かりに照らされた彼の姿は神々しく、精悍な顔つきが更に美しく見えた。それが心を寄せる相手なのだから、エリーナの目には実物の数百倍魅力的に映っていた。
(こんな光景、夢みたいだわ。)
視界を奪うほど間近に迫る愛しい人。
それはあまりに非現実的且つ幻想的で、逆に彼女の心は落ち着き、羞恥心を感じなくなっていた。
どこか夢心地のような、ふわふわとした感覚でうっとりと見つめ返す。それを見たフィニアスがごくりと生唾を飲む。
「嫌だったら逃げていい。」
「!?」
言い終えると同時に、瞳を閉じたフィニアスの顔が近付いてきた。
(こ、これは、あの、まさか、そんな)
瞬く間に現実に引き戻されたエリーナ。
状況を思い出し、これから自身に起こることを想像して一瞬で全身の血液が沸騰する。恥ずかしさに悶えるが、その間にも自分よりも高い体温が近付いてくる。
(でも、もし万が一にでも想像したことがこの身に起きるのなら…)
緊張した面持ちで瞳を閉じたエリーナ。
一瞬止まった温もりが、ゆっくりと彼女の唇に吸い寄せられていく。
「……っ」
丁寧に慎重に、しっとりと熱が触れた。
エリーナの唇を覆い尽くす熱に、全身に衝撃が駆け巡る。それは甘美で魅惑的で、彼女の心を満たしていく。
息をするのも忘れ、繰り返し降り注ぐ優しい甘さにただただ酔いしれる。一度離れた温もりが舞い戻ってくる度、自らせがむようにしてそれを受け入れた。
(こんなにも幸せだなんて…)
溢れた幸せが涙となって頬を伝う。
まつ毛を濡らす涙が宝石のように美しい。
「少し、大人げなかったな。」
エリーナの涙を見たフィニアスが困ったような表情をして、指で彼女の涙を拭った。
「いいえ、これ以上の幸福を私は知りませんわ。」
目に涙を浮かべたエリーナが美しく微笑む。満ち足りた顔でフィニアスの手を取り、そっと自分の頬に触れさせた。
「ああ、俺もだ。」
至近距離で視線が交わる。
互いに吸い寄せられるようにして、また口付けを交わし二人。
相手をどれだけ愛おしく思っているか、言葉ではなく触れた熱で優しく伝え合う。
月だけが見守る静かな夜、互いに心地よさに身を委ね、特別な時間を過ごしていた。




