36.祝宴
女神の慈悲の日と呼ばれる今日は秋の始まりとされており、収穫を祝う慣習がある。
国民は皆仕事を休み、家族や親しい相手と食事を共にするのが慣わしだ。街ではこの慣習の元となった女神の劇が披露されたり、女神にちなんだ伝統菓子が売られたりする。
そんな国を挙げたお祭りの日に、公爵家の邸では朝から準備に追われていた。
普段は使われることのない晩餐用のホールにテーブルクロスを敷いたテーブルが並べられ、その上にキャンドルを置く燭台とルドベキアの花が飾られている。
いつもより賑やかな厨房では、次々と料理が仕上げられ皿に盛り付けられていく。
それらがテーブルの上に並べばあっという間にパーティー会場のような華やかさになる。
全ての準備が整った夕刻、レネに連れられてエリーナとマリエッタがやって来た。
何も知らされぬまま正装姿にされた二人は、突如現れた目の前の豪奢な光景に足を止め、目を丸くしている。
「うわぁ!何これ!」
「こちらは一体…」
豪華な食事に目を輝かせるマリエッタと、不安そうにネルのことを見るエリーナ。
ネルは安心させるように微笑んで一歩下がると、目を伏せてその場を譲った。
「先日、養子入りの件が無事受領されたからな。その祝いだ。楽しむといい。」
同じように正装姿で決め込んだフィニアスが声を掛ける。ほんの少しだけ細めた瞳には優しさが滲み出ていた。
「フィニアス様…本当に何から何までありがとうございます。こんなにも良くして頂いて、なんと御礼をすれば良いか…」
「前にも言っただろう?笑顔を見せてくれたらそれで十分だ。」
普段の硬質的な声音とは違い、エリーナだけに向けた甘さを帯びた声で言う。
彼の大きな掌は、慣れた手つきでエリーナの頭を撫でていた。
「ひゃっ…はい!」
顔を赤らめたエリーナの声が裏返る。
何度経験しても、唐突に向けられる甘さに慣れることはない。
その様子を間近で見ていたマリエッタがニヤリと口の両端を上げる。
「お姉様、愛されてるねぇ。」
「マリエッタ……!!」
妹の揶揄いに、慌ててフィニアスの反応を仰ぎ見るが、彼の表情は変わらず穏やかで優しさに満ちていた。それがマリエッタの言葉を肯定しているように思えて、エリーナの鼓動が速くなる。
(マリエッタったら、フィニアス様の目の前でなんてことを言うのよ…。こういう時、どんな反応をすれば良いのかしら…)
反応に困っているエリーナの元に、救世主が現れた。
「旦那様、並びに、エリーナ様マリエッタ様、お久しぶりにございます。ご健勝そうで何よりでございます。」
畏まって声をかけて来たのはセラだった。
彼女は公爵家のお仕着せをしており、きっちりと化粧を施していた。その顔に悲壮感はなく、顔色が良くなり痩せた体躯も戻りつつある。
その姿は見違えていた。
「セラぁ!!!」
「セラも元気そうで良かったわ。」
2人が駆け寄り、いつの日かと同じように笑顔で手を取り合った。互いに微笑み合う姿は幸せに満ちており、3人の絆の強さを証明した。
「ロナウド様の計らいで、今後マリエッタ様の専属侍女として仕えることとなりました。改めて宜しくお願いします。」
「嬉しい……!!さすが私のお義父様!」
「これはまた、娘のことを甘やかしていまいそうですな。」
いつの間にか背後にいたロナウドが、ほっほっほと笑いながら話に混ざってきた。
「いやはや、嫁に出すのが惜しいくらいに可愛くて仕方ありませんな。一層のことずっと私の元に…」
「ちょっと待ったああああああっー!!」
聞き捨てならないと俊足で駆け付けて来たのはシュヴァルツだ。
正装姿できっちり髪も整えていたはずだが、相当急いで来たのか珍しく前髪が乱れている。
「マリエッタは僕のお嫁さんなんです!勝手に箱入り娘にしないでください!」
「まだ違うから!!!」
「………まだ?」
「あ゛」
口の滑ったマリエッタが慌てて口を塞ぐが、彼女を見るシュヴァルツの瞳が潤み、キラキラと輝き出す。
「ち、ちがうからっ!!!」
「違うってどの辺りかな?もしかして今すぐに僕と結婚したいってこと?……婚姻年齢の引き下げについて王宮に掛け合ってみるか。」
「やーめーてー!!」
マリエッタが、口を塞いでいた手で今度は耳を塞ごうとしたが、その前に彼の大きな手で絡め取られてしまった。上機嫌なシュヴァルツがガッチリと握りしめる。
「では、若い僕たちはこれで。あ、マリエッタ。君の好きそうな料理が確かあっちに…」
「ちょっと!」
胸に手を当て嫌味なほど礼儀正しく一礼をしたシュヴァルツは、騒ぐマリエッタの手を引いてどこかへと行ってしまった。
セラとロナウドの2人も礼を取ってから持ち場へと戻って行き、フィニアスとエリーナだけが取り残される。
(フィニアス様はお仕事に戻られるのかしら…?)
そっと上目遣いで表情を伺うと、月のように落ち着いている金の瞳と目が合った。
「少し、話さないか?」
「もちろんですわ。」
エスコートのため差し出された手を取るエリーナ。
(温かい…)
マナーの一環でしかないと頭では分かっているのに、握られた手があまりに温かで優しく、胸がドキドキして仕方なかった。




