10.続いていくもの
メイリアーデの中から、前世に関わる全部の記憶が消えた。
はじめはただただ寂しくて泣いてしまったメイリアーデだったが、次第に落ち着いたその後はむしろすっきりとした心境へと変化している。
前世の魂が洗い流されるというのは、こういうことなのかもしれない。
大事なものも多く失われてしまうけれど、その分しがらみや苦しみも溶けて無くなる。
2人分の人生を抱えていたメイリアーデは、ここでようやくメイリアーデ1人だけの人生を歩み始めることになるのだ。
そうしてメイリアーデが強く思ったのは、今の生に対する執着だった。
ナサドと共に歩む人生への執着。
これからも一緒に手を取り合い生きていきたい。
自分の選んだ番に対する真っすぐな思いが、メイリアーデには残った。
「ナサド」
「はい、メイリアーデ様」
中庭の奥まった場所。
ナサドがよく1人で来るのだという、そんな場所。
ここまでやって来て、メイリアーデはナサドに向き合う。
同じようにお互い立って。
主従の関係ではなくて、番として。
どうしたってメイリアーデからこぼれるのは笑みでしかなかった。
大好きな人と番になれた。
こうして今だって視線を合わせて、同じ方向を目指して生きていける。
すぐ隣で笑い合うこともできる。
だからこそ、どうしたって伝えたいことがメイリアーデにはあったのだ。
自分がいつか本当にメイリアーデになった時、伝えるのだとメイリアーデは決めていた。
「大好きよ、ナサド」
その約束自体を、メイリアーデはもう覚えてはいないけれど。
ナサドがとても大事に待ち続けてくれた言葉を、今の自分はその時の気持ちでは無くてメイリアーデとしての気持ちでしか答えられないけれど。
それでもきっと、変わらない。
ナサドに出会い、好きになって、共に生きていけるようになった今だって何一つ。
メイリアーデの心にはナサドを想う強い気持ちがきちんと存在している。
前世の自分にだって負けないぞと、そう思えるくらいに。
メイリアーデの言葉に、笑みに、ナサドは目を見開かせる。
そうしてゆるゆると眉を歪め、天を仰ぎ、何かを堪えているように見えた。
どれだけ時間が経ったか分からない。
視線を元に戻したナサドはふっと泣き笑いのような表情を見せて、メイリアーデの手を掴む。
その手の冷たさに、メイリアーデが驚いた。
これはナサドがひどく緊張している時になるもの。
わずかに震えるのは、相当堪えた何かがあった証だ。
一体どうしたのかと問う前に、ナサドの手に力が入りメイリアーデは顔を歪めた。
歪めてしまうほど、強い力だったのだ。
「自信が持てなかったんだ……、メイから前世の記憶が全て消えてしまっても俺を変わらず愛してくれるだろうかと。枷に、なってはしまわないだろうかって」
正直に告げられたのは、全く予想外のナサドの気持ち。
前世に引っ張られナサドを選んだのではないかと、だから前世との繋がりが無くなればナサドに対する想いも薄れ番に選んだことを後悔するのではないかと。
どんな思いでメイリアーデがナサドを番に選んだのかを知っている。
メイリアーデが真実、心からナサドを大事に想ってくれていることを知っている。
だからとてもメイリアーデには言えなかった。
それでもどうしたって枷や重荷になってしまうのではないかと、そういう不安を拭うことが出来なかったのだと。
ナサドはここで初めてメイリアーデに胸の内を直接伝えた。
歪んだままの表情を隠すこともせずに。
「……ごめん。それは貴女を信じていないと言っているようなものなのに」
頭を下げるナサドに、メイリアーデは苦笑して首を振る。
本当に、最初から最後までナサドは変わらない。
こんな時でもやはりメイリアーデ第一だ。
ナサドはメイリアーデの心が離れることを不安がるのではなく、メイリアーデが後悔することを心配している。
「後悔など、何一つしていないわ。貴方と番として生きる今の自分を、私は誇りに思ってる。変わらないよ、何も」
そう、後悔などメイリアーデにはひと欠片もなかった。
ナサドと過ごす今は、悩み苦しみ、それでも自分でこうしたいこうありたいと願い動いた結果だ。
自分で選び望んだ道だから、たとえこの先どれだけ辛い思いをしてもこの人生に悔いはないとそう思える。
「あ……」
「メイ?」
「分かったわ、宿題の答え。なるほど、こういうこと」
過去に山ほど後悔を抱えても、人生に悔いはない。
ナサドが自分の人生をそう言っていた。
その意味を、メイリアーデはようやく理解する。
「ナサドもそう思ってくれたの? この先何か悔いることがあったとしても私と生きる選択をしてくれたことに悔いはないって」
問えば、ナサドが笑んで当然のように頷く。
「悔いることは、山のようにあるんだ。あの時ああしていれば、この時ああならばと。けれどそうした失敗や悔いがなければ出会えなかった人も思いもあった、確かに。そう思うと俺は、どの苦い経験も受け入れられるように思った」
「だから、人生に悔いはない?」
「ああ。何一つ。例えば時間が巻き戻ってもう一度同じ人生を歩むことになるとしても、同じ道を選ぶと断言できるほどには」
そうして人生の最期には、「幸せな人生だった」と言える。
ナサドは曇りなくそう言った。
冷えたその指先はメイリアーデの体温を受けて、少しずつ温くなっていく。
手の震えは少し前に止まった。
強い力は緩められ、しかしまだ繋ぎとめられたままナサドは笑う。
「長く待たせてごめん、メイ。番になったというのに、いつまでも他人行儀に話しかけて、そうやって距離を保つことでしか自分の感情を抑えられなくて、ごめん」
「……ううん。何となくそうかもとは思っていたけど」
「お見通しだったか」
「ふふ、けれどその調子だと、もう吹っ切ってくれるの?」
「……ああ。もう大丈夫だと、そう確信を持てたからな」
「長く、かかったなあ」
「ごめん。けれどもうこれで最後だよ」
額が重なる。
落ちた影に視線を上げれば、すぐ近くでナサドがメイリアーデの目を見ていた。
「ありがとう、メイリアーデ。俺に幸せを与えてくれた」
「も、もう。そんなのお互い様よ。お礼を言われるまでもないのに」
「でも言いたいんだよ、すごく」
ちゅっと、唇に感触がひとつ。
驚いてメイリアーデは咄嗟にナサドを押し返す。
「こ、こここ、ここ、外よ!? だ、駄目よ、節度は大事っ、ね?」
「……照れてる?」
「そうだけどそうじゃなくて! だ、誰かに見られたら!」
「大丈夫だろ、人の目が無い穴場だからここを逃げ場にしてきたんだし」
「そういう問題ではなくてっ」
どうやらすっかり立場は逆転したようだ。
ナサドがからかうようにニヤリと笑って、メイリアーデを抱き込む。
ギャアと甲高い声をあげかけたメイリアーデの口を、もう一度塞いで朗らかに笑った。
「今までメイにはたくさん我慢させてしまったしな。代わりに俺の忍耐も試されたし」
「え、何のこと……というより、何だかナサド性格が違う!」
「こういう俺は嫌いか?」
「嫌いじゃないけど! 今までも所々で片鱗は見えていたけれど!」
「ありがとう。もう我慢するのやめたから。大丈夫、場所はきちんと選ぶ」
「それは有難いけれどそうじゃなくて、私の心の準備がっ」
「頑張って慣れてくれ。俺も散々振り回されたんだ、今度は俺も振り回してみたいんだよ」
何年経っても、関係性は変わっていく。
根は変わらないままに、より絆の強いものへと変化していく。
「もう、そんなことを言うなら私だって容赦なくナサドを愛するからね!」
「例えば?」
「えっと、毎朝抱きしめておはようの口付けを私からして、大好きって言って……って、ちょっとそんなにうずくまって笑わなくても」
「……いや、うん、ごめん。ちょっと一々胸に強い衝撃が来るから耐えられなくて」
「はい?」
「何だか一生俺はメイには勝てないんだろうな、この先も」
最後はそうしてナサドも楽し気に笑うから、メイリアーデもつられて笑ってしまう。
勝ち負けなの? と問えば、男の下らぬ誇りがあるのですと神妙に返された。
その無駄に厳かな雰囲気がやはりおかしくて、今度は2人吹き出すよう笑い声をあげる。
「戻ろうか、メイ」
「ええ。もう、ナサドってばおかしい」
「俺から言わせてもらうならメイもそう変わらないけどな」
手を取り合い歩くその姿はいつもとそう大きく変わらない愛し合う番そのもの。
メイリアーデとナサドのやり取りを見聞きしていなくても従者達が「ああ、いつも通り仲睦まじい」と評するまま歩いている。
ちなみにナサドが“人目の無い”と言っていたあの場での出来事をちょうど運悪く目撃した第3王子に後日龍誕祭の場でメイリアーデがからかわれることとなるのだが、それはまた後の話。
この日を境に、私的な場のナサドからはメイリアーデに対する敬語が消えることとなる。
名実ともに完全に対等な立場の番となったのは、ようやくこの時だったのかもしれない。
そうして歩むその先も、2人の耳には互いの色を象徴したピアスが輝き時間が合えばいつも共にあったという。
手を取り合い、互いに笑い合って。
数十年と続いたおとぎ話のような、そんな“奇跡”を全て知る者は、当人であるナサドととある神だけ。
幸せそうに笑み空を飛ぶナサドを心底安心したように見つめる神の姿があったことを、知る者はいない。
メイリアーデとナサドの奇跡の恋愛譚は、続いていく。
今度こそは明るい未来へと向かって、終わりのないまま進んでいく。
ようやくなだらかになったその道の先を、もう案じる者はいなかった。
これはメイリアーデとナサドが番となるまでのお話。
ここから続くのは、幸せに満ちた2人だけの物語だ。
最後までお読みくださりありがとうございました!
これにて番外編完結とさせていただきます




