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龍の約束  作者: 雪見桜
本編
54/74

53.義姉と友達



ナサドの傷は事件から半年と少しを経て完治となった。

決して短い療養期間ではなかったが、それでも傷の状態を考えれば常人には有り得ない回復だと医師が驚くほどらしい。

まあ人間ならば数年はかかるであろう状態を半年で治してしまったのだから医師が訝しむのも当然だ。

ナサドがしれっと「診て下さった方々の腕が良かったおかげでしょう」と答え上手いことはぐらかしてしまったので、誰もそれ以上疑問には感じなかったようだが。


王宮のイェランが用意した療養部屋からナサドは治り次第早々に立ち去った。

メイリアーデは番になるのだからと部屋を用意しようとしたが、まだ自分はそれが許される立場ではないとナサドは言う。

今の住まいである平民街へと戻り、従来の立場に一度戻るそうだ。

番になるとしても罪人として扱われる自分では時間がかかるだろうからと、そんな理由で。

龍人の恩情に縋り周囲の理解も得られぬまま恩恵に与っていては王族への信用に関わる、いくら時間がかかろうとこういうのは慎重であるべきだとナサドは譲らなかった。

何ともナサドらしい考えにメイリアーデは笑ってしまう。

そして何よりメイリアーデやメイリアーデの家族を第一に考え動いてくれることが嬉しかった。

だからメイリアーデはナサドの言葉に頷き、ナサドを見送ったのだ。



「メイリアーデ様、おはようございます」


「おはよう、ナサド。今日もよろしくね」


「はっ」


いつも訪れる時間通りやってきたナサドは、従者としての姿勢を崩さず頭を下げる。

共に番として龍として生きようと誓い合ったというのに、正式に認められるまではとこうして従者としてあろうとするナサド。

どこまでいってもやはりナサドはナサドだ。



「病み上がりなんだからあまり無理はしないように。少しでも具合が悪くなったらすぐ言ってね、我慢したら怒るから」


「お心遣いありがとうございます。承知いたしました」


「よし、公務に行きましょう。今日はラン兄様達と会うのだから、時間までに終わらせないと」



メイリアーデも今は主としての自分であろうと心を切り替える。

やることはまだまだ山積みだ。早く一人前の王族として自立しなければメイリアーデの方もナサドを迎え入れることができないだろう。

ナサドの心をこちらに向かせるという大きな壁は越えたが、まだこれからが本番だ。

ナサドとの絆も、従者や国民達との信頼関係も、深くしていかねばならない。

大きく深呼吸をして気合を入れた。



「で、話って何だ」


「ラン兄様、ユーリお姉様、時間をとっていただきありがとうございます」



公務が終わった後、メイリアーデとナサドは揃ってイェランの自室へと訪れる。

事前にお願いしてユーリにも来てもらっていた。

本当は王である父に真っ先に言わなければならないことではあるが、この2人にだけはどうしても一番初めに伝えたい。

ナサドと2人そう話し合って、この場を設けてもらったのだ。


わざわざ夫婦揃って会いたいと言ってきたメイリアーデをこの2人はどう思っているだろうか。

想像するしかできないが、おそらくはイェラン達もある程度は察しているだろうとメイリアーデは思う。

何せナサドの元へ駆けて遠い約束を果たした時、背を押してくれたのはユーリだ。

ユーリからイェランにその話はいっているだろうし、イェランは日本で過ごしたメイリアーデの前世についても知っている。察しの良い彼のことだ、情報量は十分すぎるだろう。

現に部屋を訪れた瞬間、イェランが椅子に勧めたのはメイリアーデだけではなくナサドもだった。

本来従者は椅子には座らず後ろで立って控える。

言うまでもない常識を当然のように破りナサドに座るよう言ったのだから、まあ間違いなく理解しているだろう。ナサドも同じように思ったのか、大人しくイェランの言葉に従いメイリアーデの横に腰かけた。


ゆっくりと息を吸い背筋を伸ばしたメイリアーデに、イェランは聞く姿勢をとってくれる。

ユーリは心配からかやや落ち着きのない様子で目を彷徨わせていたが。

2人の様子をまっすぐ見つめながら、メイリアーデは口を開いた。



「単刀直入に言います。私はナサドと番になります。ラン兄様とユーリお姉様には誰よりも早く伝えておきたくて、今回はお時間をいただきました」


きっぱりと、端的に報告するメイリアーデ。

予想通り目の前の2人から動揺する空気は感じられない。

ただユーリはぱあっと顔色を明るくさせ何度も頷いていたが。

一方のイェランはと言えば、メイリアーデの言葉に肯定も否定もせずに少しの間を置き、視線をナサドへと移す。



「ナサド、良いのか」


「……はい。覚悟は決まりました」


互いに視線を交らわせ口にした会話はお互い一言ずつ。

しかしそれで十分だったようだ。

イェランが直後に大きく息を吐いて椅子の背もたれに体を預ける。


「そう、か……そうか」


うわ言のように何度も何度もイェランはそう呟く。

手で顔を覆って何度も大きく息を吐き出す姿に苦笑したのはユーリだ。



「良かったですね、イェラン様。すっごい気揉みましたもんね、はげるかと思うくらい!」


「……はげるとか言うな」


にこにこと笑いユーリはイェランの腕をバシバシ叩く。

遠慮のないその物言いに心底呆れたようつっこむイェランの表情は、安堵した顔そのものだ。

ユーリの言う通り、かなり心配していたのだろう。

ふっとユーリに釣られるよう苦笑したメイリアーデの横ではナサドもやはり同じような表情でイェランを見守っている。

どう声をかけようかと迷った様子のナサドに、メイリアーデはそっと頷いた。

視界の端に映ったその姿に気付きナサドはメイリアーデに頷き返す。

そうして彼はイェランに向かって声をあげた。



「ご心配をおかけしました、イェラン様。ご迷惑をおかけしまして心をよりお詫び申し上げます。そしてもしよろしければこの先も御指導いただけましたら」


「固い」


「はい?」


「いい加減その口調やめろ。メイリアーデと番になるならもう必要ないだろう」


「しかしいまだ私は従者の立場ですが」


「うるさい。どうしてここまで来て俺が遠慮しなきゃいけないんだ。ここには日本の関係者しかいないのにまどろっこしいんだよ」


メイリアーデがいる手前かあくまで臣下としての口調を崩さぬナサドにイェランは不機嫌そうで、今回ばかりは主張を曲げる気もないようだ。

聞けばずっと我慢していたのだという。ナサドを従者などとはとっくに思っていないのに距離をとって跪かれるのが気に食わなかったと言葉も選ばずイェランは言った。

それでも立場というものがあるからと人前では我慢していたが、ここは人前でもない上にナサドの立場も変わると言うのになぜこれ以上我慢しなければいけないんだ。

要約するとイェランの主張はそんなところだ。

そして口調を崩さない限り聞く耳を持たないと大人げなく宣言までしてしまったものだから、ナサドも苦笑するしかない。小さく息をついて「全く」と呟いた。



「100歳越えの龍人様がすることじゃないだろう。子供か」


「こうでもしないと言うこと聞かないお前が悪いんだろうが」


「そうやって人に責任を押し付けるな。まあ、今回のは俺が悪かったよ。悪かった、心配かけて。まだこれから頑張ること尽くしだが、ちゃんとやるから心配しないでくれ」


ナサドの口調がいつもの畏まったものから、もっと気さくなものへと変わる。

メイリアーデが知る松木の口調そのものだ。

ずっと2人きりの時にはそういう会話をしてきたのだろう、お互いに遠慮のない物言いはどこからどう見ても仲の良い友人のそれで、懐かしくも思った。



「黒田先生と松木先生って感じだあ」


「あ? 何言ってるんだ、メイリアーデ」


「だってメイリアーデになってからナサドがこうやって遠慮なく会話しているところ初めて見たから。あ、いや、ルドと話している時はこれに近かったけれど。でもラン兄様とナサドのこういう会話久しぶりだなって」


「……おいナサド。お前まさか2人きりでもメイリアーデに畏まってるんじゃないだろうな」


「それが何だ。悪いか」


「悪いわ。敬語いらねえだろうが」


「メイリアーデ様は今も俺の主だ、不敬は働けない。そもそもお前に対してこの口調にするのにもどれだけかかったと思ってるんだ、すぐには無理だろ」


「昔あれだけガンガンため口使っておいて今更か」


「津村は津村でメイリアーデ様はメイリアーデ様だ。そう簡単に切り替えられるか」


「……この石頭が」


「お前に言われたくない」



ぽんぽん飛び交う言葉に、仲の良い喧嘩。

2人ともメイリアーデの前ではそう口数の多い方ではなかったため、矢継ぎ早の会話に思わず目を瞬かせる。ユーリはやれやれとばかりに慣れた様子で見守っていたが。



「メイリアーデ、気を付けろよ。こいつ慣れた相手には説教くさいからな」


「おいイェラン、一体何を」


「説教くさい……? あ、確かに私もお説教されました」


「え、お説教? 何それメイリアーデ、もっと詳しく」



やがて会話はメイリアーデとユーリも巻き込んで部屋は一気に賑やかさを増す。

こうして4人で話していると時間が女子高生時代に戻ったかのような不思議な感覚だ。

お互い立ち位置は違えど関係性は対等で、言いたいことを言い合って笑い合ってそうやって過ごしていたあの日々を思い出す。

その会話の内容もほとんど抜けてはいるが、この空気感はどことなく覚えがあるのだ。

そしてだからこそ、ふと気づいたこともあったのかもしれない。

いや、それとなく気付いていたことに確信が持てたと言った方が正しいだろうか。



「ユーリお姉様」


「ん? なあに、メイリアーデ」


声をかければ、義姉はいつもと変わらず華やかな笑みで返事をくれる。

嘘も隠し事も下手で、暴走しがちで、ちょっと抜けていて、それでもとびきり明るく温かな人。

思わずこちらまで笑顔にさせてくれるような、そんな人。



「私にはね、日本で過ごした前世の記憶があるの」


「え? うん。あ、イェラン様から聞いてるよ。私達同郷なんだよね」


「ええ、同郷です。けれど私の持っている記憶はひどく曖昧で、思い出せたことは松木先生と黒田先生のことだけで、家族の顔も名前も兄弟の有無すら分からない」


「……メイリアーデ?」


「けどね、うっすらと覚えていることもあるんです。私には、友達がいたって」


「……え」


「やっぱり顔も名前も声だって思い出せないけれど。それでも馬鹿なことをやって笑い合って、共感して、励まし合って、そうやって私と一緒に過ごしてくれた友達がいたことだけは忘れなかった。その友達のことを思い出すと私はいつも温かで元気な気持ちになれるんです」


「……っ」


「ありがとう、ユーリお姉様。お姉様にも言わなければいけなかったことがあるの。私ね、幸せだったよ。津村芽衣として生きた人生は短かったかもしれないけれど、温かで優しい人達に囲まれた満ち足りた人生だった。意味のある人生を送らせてくれて本当にありがとう」



言葉を全て吐き出せば、目の前でメイリアーデの大好きな義姉は泣き崩れるようにその場にうずくまる。

ぶんぶんと勢いよく首を振るのは何を示してなのか分からないが、今もユーリが津村芽衣のことを愛してくれているのだとそれだけはよく伝わった。

体を丸めその状態から動かないユーリに、イェランは手を差し出しその頭を撫でる。

ユーリは差し出された手に縋るよう手を絡め、やがてイェランに抱きついた。

メイリアーデからうっすら見えた彼女の目からは大粒の涙が流れている。

イェランが宥めるようあやす様にゆっくりとユーリを包み込み背を撫でる姿は、メイリアーデが初めて目にするもの。

愛する人に包まれた安心からかユーリの口から嗚咽のような声が漏れる。

イェランは言葉こそ発しないものの、その間ずっとユーリを抱き込み宥めていた。


メイリアーデは知らない2人の20年。

記憶の中でいつだって黒田を追っていたユーリは、20年後こうしてイェランに包まれ守られ愛されながら立派に妃として生きている。

その姿を見ることができて良かったと、そう心から思った。

横を見ればナサドもまた目を細め2人を見守っている。

「良かった」と小さく呟いたその言葉に、何故だか涙がこぼれそうだ。

誤魔化す様に笑って頷けば、ナサドは頷き返しそっとメイリアーデの手を握ってくれた。



「大事なものさえ残っていれば、絆は結び直せます。メイリアーデ様、彼女の本名は野村悠里。貴女様にとって無二の親友でした」


「野村、悠里さん」


「私が覚えていることはいくらでもお話できます。そしてお二人の絆はちゃんと残っている。姉妹として、友として、今以上に関係を深めていければ良いですね」



メイリアーデの気持ちを汲み、そう優しく声をかけてくれるナサド。

「ええ」と力強く返事をすればナサドは笑みを深め再度頷いた。

いつの間にかその様をイェランとユーリが見つめていて、微妙な沈黙が流れる。

真っ赤な目元のまま輝いた表情でユーリはこちらを見ていて、反対にイェランは何故か最大限に苦い顔をしている。

何だか雰囲気にのまれ普通にナサドと手を繋いでしまったが、ここまで凝視されると妙に恥ずかしい。

ナサドも同様なのだろう、誤魔化すように手をぱっと離して声をあげた。



「ところで先ほど仰っていたことですが、ずいぶん詳しく野村との思い出を語っておいででしたね。何か覚えていることでもあるのですか?」


そうして尋ねられた内容に首を傾げる。

照れが勝って言葉が入ってくるまで時間がかかったのだ。

少しずつ言われたことを呑み込み内容をちゃんと理解したころでメイリアーデは「ああ!」と声を上げて笑った。



「あのね、黒田先生がクールビューティーな男性で素敵って話をした後にユーリお姉様が双眼鏡を」


「……どうしてよりにもよってそうろくでもないことを記憶してるんだ、お前」


「なっ、ろくでもないって! か弱い乙女が大好きな人を追いかける微笑ましいエピソードじゃないですか!」


「か弱い乙女があんないかつい双眼鏡担ぐか。恐怖すら覚えたぞ、俺は」


「……あまりに強烈だったからな。メイリアーデ様の記憶に焼き付くとは相当だぞ野村」



数少ないメイリアーデの過去の記憶を広げて4人笑い合う。

今と昔と、世界も立場も違えど繋がり合うものはちゃんと残っている。

そんなことを実感しながら、メイリアーデは今の生に感謝の念を深めるのだった。












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