憧憬
「あの二人……何なんだろうね」
不意に耳元で囁くムーラン。グレイは目を開け、話題に上がっている二人を見る。
奇妙な二人連れだった。男の方は、さほど大きな体をしている訳ではない。しかし、腕は立ちそうな雰囲気だ……何気ない素振りで、時おりこちらを観察している点からも窺える。隙もない。だがそれよりも、着ているものが変だ。布とも皮ともつかない奇妙な材質の上着を身につけ、腰からは小剣をぶら下げている。もっとも、今は外しているが……。
そして子供の方は、可愛らしい女の子ではある。しかし、頭に頭巾のような布を巻いており、こちらを見ようともしない。常に男にピッタリと寄り添い、グレイたちには絶対に近寄ろうとはしなかった。
さらに、時おり子供の口から発せられる特徴的な「にゃ」という訛り……あの子供は、ケットシーではないのか。
「なあムーラン、あの子供だが――」
「あれは……ケットシーだね。間違いないよ」
囁きで、グレイの疑問に即答するムーラン。
グレイは思わず首を傾げた。ケットシーは猫のような耳と尻尾を持ち、人間よりも強靭な肉体を持っている。また野性味あふれる顔つきが、独特の美しさを醸し出している種族だ。人間を嫌っており、基本的に人間の前には滅多に姿を現さない。そのためか、調教して奴隷として飼いたがる貴族も少なくない。さらに言うと、そうした趣味の貴族に高く売り付けるため、ケットシーを捕らえようとする商人もまた少なくないのだ。
男の方は、ケットシーを商人に売りつけようとしているのだろうか。
そんなことを考えながら、グレイは男に視線を移した。しかし、男は心ここにあらずといった様子だ。物思いにふけっているように見える。
だが、不意に立ち上がった。そしてケットシーの娘の方を向く。
「ココナ、一緒に外で遊ぶか?」
「にゃにゃ! わかりましたにゃ!」
ココナと呼ばれた娘は嬉しそうな様子で立ち上がり、男の手を握る。その顔は親愛の情に満ちていた。
男はココナの頭を撫で、そしてグレイとムーランの方を向く。軽く会釈し、家を出ていった。
やがて外から、はしゃぐような声が聞こえてきた。
「キョウジさん! 虫を捕まえましたにゃ!」
いかにも嬉しそうな声を聞き、グレイは思わず笑みを浮かべる。すると、ムーランが立ち上がった。
そして扉を開け、外を見つめる。
「あいつら、警戒心がないねえ……」
呆れたような口調で言いながら、ムーランは真剣な表情で見つめている。グレイも立ち上がり、ムーランのそばに行った。
ココナが楽しそうにはしゃぎ、キョウジと呼ばれた男の周りをぐるぐる廻っている。一方、キョウジは微笑みながら立っていた。その目には、溢れんばかりの優しさがある。ココナを商人に売り飛ばそうと画策しているようには見えない。少なくとも、今のところは……。
「可愛いね、あの子」
不意に、ムーランが呟いた。
グレイはムーランの顔を見た。彼女は微笑みながらも、どこか切なそうな表情で、二人の遊ぶ姿を見ている。
「ムーラン……俺たちは、この村には住めそうもない。だが、いつかは俺たちも、居場所を見つけられるはずだ。そしたら……」
グレイは、その先を言い淀んだ。自分はくそ真面目で武骨な男だ……甘い言葉や優しい言葉などがポンポン口から出てくるタイプではない。こんな時、自分が口下手であるのが腹立たしく感じる……。
すると、ムーランははにかみながら口を開いた。
「わかってるって……ありがとう」
そう言って、また外の二人に視線を戻す。ココナは何やら奇妙なおもちゃを取り出し、キョウジに見せている。それに対し、キョウジは真面目な顔つきで、あちこちを指差しながら、何かを説明していた。まるで幼い娘と父親のようだ。
グレイは目を逸らした。今の自分やムーランにとっては、目の毒であるような気がする。
「ムーラン、俺は偵察に行って来る。お前はどうするんだ?」
「あたしは……ここに残るよ。荷物の番もしなきゃならないしね。ま、あいつらは悪さしそうには見えないけど、一応ね」
ムーランは答えると、再び二人の方に視線を戻す。グレイは複雑な思いが湧き上がってくるのを感じながらも、黙ったままその場を離れた。
山の中をグレイは慎重に進んで行った。獣道に沿って歩いていく。村長の話では、ロクスリー伯爵の居城はさほど遠くないとのことだった。
少し歩くと、大きな道にさしかかった。綺麗に踏み固められ、雑草は取り除かれている。ロクスリー伯爵がアルラト山の中に造らせた街道だ。商人たちの物流をスムーズにさせるため、手間暇かけて造った道である。
この街道に沿って歩いて行くと、やがて二又に分かれている。その片方を辿って行くと、ロクスリー伯爵の城に到着する。
グレイは街道に沿って歩いて行く。だが突然、大勢の人間の喋るような声が聞こえてきた。さらに足音も……グレイはひとまず身を隠し、様子を窺うことにした。恐らくは、ロクスリー伯爵の手下であろう。ならば、避けるのが賢明だ。それに、伯爵に関する情報も集めたい。
では、後をつけてみるとしよう。
グレイは草むらに隠れ、伯爵の手下たちが通るのを待った。
やがて、大勢の男たちが通り過ぎて行く。明らかに兵士とおぼしき者たち。
そして、冒険者のような身なりの男たち……。
「あいつら……」
グレイは思わず呟いていた。街道を歩いているのは、かつてムーランを捕えた冒険者たちだ。革の鎧を着て、槍や斧のような武骨な武器を持った三人の男たちが先に歩いていく。そして黒いローブを着た二人の男が続き、最後に鎖かたびらを着て、長剣を腰からぶら下げた男が続く。確か、ルーファスという名の男だ……。
だが、グレイはすぐに気を取り直す。一定の距離を保ちつつ、ルーファスたちの後を追った。
やがて、ルーファスたちと兵士たちは古い城へと入って行く……間違いなく、ロクスリー伯爵の居城だ。グレイは彼らが城に入って行く姿を見ながら、城への侵入について考えを巡らせた。
・・・
「そしたらな……手のひらに穴が空いて、そこから石が飛んできたんだよ! それも、稲妻みたいな速さでさ! 本当にぶったまげたぜ!」
「ほ、本当ですか?」
目を丸くするセドリック……すると、チャックは訳知り顔で頷いた。
「ああ、本当さ。俺も、そんなの見るの初めてだから驚いたぜ。でも、もっと凄い魔法使いもいるらしい。空を飛んだり、手から火の玉を出したりする奴もいるって聞いたよ」
「そうですか……それにしても、チャックさんは物知りですね……」
感嘆の声を上げるセドリック……その顔には老人のようなシワがあったが、瞳には少年に特有の輝きがあった。チャックはニコニコしながら話を続ける。
「いやいや、俺なんか大したことないよ。で話を戻すと、そこに猫耳を付けた女の子が〜〜」
チャックは今、ロクスリー伯爵の城に入り込み、伯爵の息子であるセドリックと話をしていた。
セドリックとチャックが出会ったのは、昨日が初めてである。しかし持ち前の人懐こさを発揮し、すぐに意気投合した。そして、いろいろ話を交わしたのだが……。
セドリックは生まれつきの病により、体が弱くて外に出られないのだという。転んだだけで骨折したり、出血がなかなか止まらなかったりと、ちょっとした怪我がセドリックにとって命取りなのだ。
そのため、部屋の中で本を読む毎日なのだという。
セドリックから話を聞いたチャックは、彼にひどく同情した。
「そうか……じゃあセドリック、俺が君の友だちになるよ。外の面白い話を聞かせてやるから」
その言葉通り、チャックは今日もやって来た。門番に見つからないよう城に侵入し、セドリックの部屋を訪問する。誰かが来たら、すぐに洋服ダンスの中に隠れるか、窓から脱出するつもりだ。
セドリックの方も、チャックのことを気に入ってくれたらしい。知り合ったのは昨日だが、すっかり打ち解けている。チャックは動物とすぐに仲良くなれるという特技があるが、その特技は子供が相手でも発揮できるらしい。
楽しそうにセドリックと話していたチャックだったが、ふと妙な気配を感じた。窓から外を見ると、妙な男たちが城に入って来ている。革の鎧を着たゴロツキ、黒いローブを着た魔術師風、そして鎖かたびらを着た剣士……。
間違いない。バーレンの『黒猫亭』で暴れていた、ガラの悪い冒険者たちだ。
チャックの表情は凍りついた。奴らは確か、ライカンを狩りに行くと言っていたはず。それが、何故この城に?
「どうかしましたか、チャックさん?」
セドリックの心配そうな声を聞き、我に返るチャック。
その時、彼らから聞いた話を思い出した。ライカンを狩る許可をもらうために、ロクスリー伯爵と話をつける……などと言っていたのだ。となると、この城に来たとしても不思議ではないではないか。
だが、実のところ……そのライカンらしき者は、この城に潜んでいるのだ。セドリックとの会話にかまけて、すっかり忘れていたが……。
ならば、まずはセドリックに訊いてみよう。
「ところでセドリック、この城にはライカンがいるのか? 狼みたいな怪物の……」
チャックが尋ねると、セドリックは首を振った。
「いいえ。何でそんなことを訊くんです?」
「いや、この城の門の所にライカンの首が串刺しになってたからさ。もしかして、この城の中にもいるんじゃないかと思ってんだよ」 チャックの言葉を聞き、セドリックは訝しげな表情を見せた。
「城の中にはいないと思いますよ。門の所にあった首は……一月ほど前、父上が山の中にいたライカンを退治したと言っていました。そのライカンの首じゃないでしょうか」
「……そうか。わかった」
そう答えると、チャックは再び窓の外に視線を移した。あの冒険者たちは、城の中に入って行ったらしく姿が見えない。あんな連中をどうする気なのだろうか……。
そういえば、肝心のロクスリー伯爵は今、どこで何をしている?
「そういや、伯爵は何をしてんだい?」
チャックが何気なく口にした疑問……だが、それを聞いたとたんに、セドリックの表情が暗くなった。
「父上とは……ここ一週間ほど会っていません。前は、一日一回はこの部屋に来てくれたのに……」
そう言うと、セドリックは寂しそうにうつむいた。
「え……い、いや、伯爵様ともなると忙しいんだよ! 元気出せよ! な!」
何の根拠も説得力もない言葉だ……それは、言っているチャック本人が充分に分かっている。にもかかわらず、何か言わずにはいられなかった。
目の前にいる少年は、長く生きることは出来ない……恐らく、あと半年ももたないだろう。
チャックの鼻は、そうした情報を嗅ぎ取っていた。そしてセドリック本人も、その事実には気づいているはず。セドリックの体は、不治の病に蝕まれているのだ……常人の数倍の早さで体が年老いていく病。
無論チャックには、その病に対処する術はない。だが、チャックはここでセドリックと出会い、彼の過酷な運命を知ってしまった……ならば、セドリックの残された時間を楽しいものにしてあげること、それが自分に出来ることなのではないか……チャックはそう考えたのだ。
不治の病により、若くしてこの世を去らなくてはならないのがセドリックの運命であるのなら、そのセドリックに付き合い、残りの時間を愉快なものにしてあげること……それが自分に出来る唯一の事だ。
偶然とはいえ、セドリックの運命を知ってしまった以上、見てみぬふりは出来ない。これは自分に課せられた義務なのだ……。
「なあセドリック、明日また来るよ。外の話を聞かせてやるからな」
そう言って、チャックはにっこり微笑んだ。
・・・
不思議な二人だ、とキョウジは思った。
先客の二人は、どうやら旅芸人であるらしい……いや、旅芸人としての顔も持っている、と言った方が正確か。たまに女の方が荷物を広げ、奇妙な衣装や笛などの手入れをしている。ココナは二人に興味が出てきたらしく、ちらちら見ていたが、まだ話しかける勇気はないらしい。
そして、今日は男の方が一人で、昼間どこかに出かけていたのだ。夕方には帰って来たが、ずっと険しい表情をしている。どうやら、この村には……芸を披露するために来たのではないようだ。
本音を言うなら、この二人には関わりたくはない。さっさと、この奇妙な村を出て行きたい……少なくとも、昨日まではそのつもりだった。朝になったらココナを連れ、村を離れるつもりだったのだが。
しかし、そうもいかなくなった。
夜、キョウジは起き上がった。ココナは傍らで、寝息を立てて眠っている。
キョウジは微笑み、先客の方に視線を移した。男女、両方とも横になってはいるが……こちらの様子を窺っているような雰囲気だ。少なくとも、眠ってはいない。
キョウジは迷ったが、立ち上がり外に出て行った。遠くまで行かなければ、大丈夫だろう。
空を見上げると、綺麗な星が出ている。キョウジは星を見ながら、その場に腰を下ろした。そして、この世界に来てしまった理由について考える……どうすれば戻れるのだろうか。
いや、もう戻れないのかもしれない。
「キョウジさん、どうしましたにゃ?」
不意に後ろから聞こえてきた声……キョウジが振り返ると、ココナが不安そうな表情で宿から出て来た。そして、キョウジの隣に腰を降ろす。
キョウジは微笑んだ。
「ちょっと、な。お前こそ何をやってるんだ?」
「キョウジさんがいないから、心配になりましたにゃ……ひょっとして、ココナを置いていなくなってしまったのかと思いましたにゃ……」
言いながら、キョウジの顔を見上げるココナ。
キョウジは胸に痛みを感じた。
「バカ言うな。俺がそんなこと、するはずないだろううが」
「本当……ですにゃ? ずっと一緒に居てくれますにゃ?」
「……ああ」
そう言うと、キョウジはココナから目を逸らした。ココナは、自分の気持ちを見抜いているのだろうか……。
(キョウジ……君には無限の可能性があるんだ。これから先は、人として生きてくれ。誰かの命令のままに動く機械としてでなく、人として……)
ユウキ博士の、最期の言葉が甦る。確かに、自分は命令のままに動く機械のような存在だった。
今は違う。今は自分の意思で動いている。ユウキ博士の復讐……そのために、元の世界に帰る方法を探さなくてはならないのだ。
しかし、そのためには……。
「キョウジさん! 誰か来ましたにゃ!」
ココナの声。キョウジは、こちらに歩いて来る何者かを見つめた。
歩いて来た者は、三メートルほど手前で立ち止まった。白い着物を身にまとった、美しい女だ。緊張した面持ちで、じっとキョウジを見つめている。
「また、会ったな……」
キョウジは声をかける。この女と会うのは、これ三度目だ。最初は、どこかの洞窟の棺桶。そして昨日は、この村で……。
ココナは怯えた様子で、キョウジの後ろに隠れている。だが、キョウジは立ち上がった。まずは安心させるために、ココナの頭を撫でる。
そして言った。
「あんた、名前は?」
「ない」
女はそう答えた……キョウジの眉間にシワが寄る。
「名前がない……どういう意味だ?」
「意味は言葉の通り。名前はまだない」
再度、女は繰り返す。妙な喋り方だ……顔は人形のように美しいが、その表情はぎこちない。まるで、映画やアニメなどで見るアンドロイドのようである。しかし、この世界にアンドロイドなど、いるはずもないのだが。
「では質問を変えよう。お前は何者なんだ?」
キョウジはさらに問いかける。すると、女の表情に僅かながら変化が生じた。「私はホムンクルスだ。この村の人たちにより造られた」
「ホムンクルスだと……」
キョウジはそれ以上、何も言えなくなってしまった……ホムンクルスとは、いったい何者だ? 造られた、とはどういう意味だ? この世界に、アンドロイドやクローンを造る技術などないはず。だが、この女は初めて会った時、奇妙な液体に満たされた棺桶の中にいたのだ。普通の人間では、あり得ない状態だ。
ホムンクルスとは、人造人間のことなのだろうか。
混乱しながらも、必死で考えをまとめようとするキョウジ。だが続いて発せられた言葉は、キョウジにさらなる衝撃を与えた――
「いつも、あなたの顔が目に浮かんでいた。私が目覚めた時、最初に見たものがあなた……私が初めて見た光だ」
そして、ホムンクルスはじっとキョウジを見つめる……澄んだ瞳だ。まるで、少女のようだった。曇りのない純粋な眼差しはあまりにも眩しく、キョウジは胸の高鳴りを感じていた。
「それは……ただの刷り込み効果だ……何の意味もない」
キョウジはどもりながらも言葉を返す。このホムンクルスとやらは、誕生すると同時に自分の顔を見てしまったのか? いや、ひょっとしたら、自分と会った時はまだ目覚める前だったのかもしれない。そして無意識のうちに、キョウジの顔が刷り込まれてしまった……ただの偶然だ。
しかし――
「何を言っているのかわからない。理解不能だ」
キョウジの言葉に対し、首を傾げるホムンクルス。彼女は先ほどと変わらず、キョウジを真っ直ぐ見つめている。
キョウジはどうすればいいのかわからなかった。戸惑い、視線を逸らした時にココナと目が合う。ココナの顔からは、先ほどまでの恐れの表情が消えており、興味津々といった様子だ。キョウジとホムンクルスの顔を交互に見ている。
だが、キョウジは何も言えなかった。ただ、うつむくだけだった。
「そろそろ戻らなくてはならない。明日、また来てもいいか?」
「あ、ああ……」
キョウジが頷くと、ホムンクルスは悲しげな瞳でちらりと二人を一瞥した後、しなやかな動きで闇の中に消えて行った。