再会
殺風景な家の中で、グレイは目を覚ました。窓から射している陽が顔に当たっている。今は昼過ぎだろうか。
久しぶりに、よく眠れた気がする。考えてみれば、これまでは節約のために、安宿にすら泊まらなかったのだ。こうして屋根と壁のついた場所で眠るのは、何日ぶりのことだろう。
グレイの傍らでは、ムーランが芸に使う道具を手入れしている。笛や化粧道具、そして衣装などを床に広げていた。
やがてムーランは、グレイの視線に気づいた。彼の方に顔を向ける。
「起こしちゃったかい?」
「いや、大丈夫だよ。なあムーラン、村長の話だが……お前はどう思う?」
「伯爵の目的は……この村にいる、一人の女だ。伯爵は数年前に妻に先立たれ、以来ずっと独り身で暮らしていた。ところが、この村に住む一人の女を見初めたのだ。それ以来、差し出すように何度も要求してきている。だが、我々はその度に断ってきた。すると伯爵は、山を通行止めにしてしまったのだ。ゴブリンが出る、などと嘘の噂を流してな……このままでは、我々は村にとって必要な様々な取り引きが出来ない。だから、お前たちに頼むのだ。伯爵を仕留めてくれ。出来るだけ早く頼むぞ」
髪も髭も真っ白だが、未だ体力は衰えていない様子の村長……彼は鋭い目でグレイとムーランを見つめ、そう言った。
「俺にはわからんな……貴族ともあろう者が、何故ここまで愚かな真似をする? たった一人の女のために、ここまでの騒ぎを起こしたというのか?」
グレイは、半ば自分自身に問いかけるような口調で言った。そう、理解できないのだ。仮にこのまま時間が経過すれば、セールイ村は大変な痛手を被ることになるらしい。いわば兵糧攻めにして、女を差し出すのを待っているのだろう。
だが、それよりも……商人たちが山を迂回することによる、周辺の町や村の損失の方が遥かに大きいはずなのだ。そんなことが続けば、いずれは国王が動くことになる。国王の前には、ロクスリー伯爵のような田舎貴族など、ひとたまりもなく潰されてしまう。
いや、そこまでいかなくても……有力な商人たちが裏で手を回す可能性もあるのだ。腕利きの暗殺者に頼み、伯爵を始末する……あり得る話だ。商人たちにとって、アルラト山を迂回することによる損失はかなりの額のはず。
その程度のことすら理解できないほど、ロクスリー伯爵はおめでたい頭の持ち主なのだろうか。
「たかが女一人のために、って……あんたにだけはそれを言う資格はないと思うけど」
衣装を修繕しながら、ムーランがボソリと呟いた。
「何だ、それは……どういう意味だ?」
「あんただって、たかが女一人のために、色んな物を捨てちまったじゃないか……騎士の地位も名誉も財産も、全部捨てちまった。本当にバカな男だよ」
自嘲気味にそう言ったムーランの表情は、どこか哀しげであった。グレイはうろたえ、思わず咳払いをする。
そして立ち上がった。
「しかし、伯爵の城はどんな造りになっているんだろうな。何とか誘き出せればいいのだが……」
おかしな雰囲気の空気を変えようと、さして意味のないことを呟くグレイ。だが、その時……もう一つの疑問を思い出した。
「ところで、この村はどうなっているんだろうな? どうやって収入を得ているんだ?」
「うん……あたしも、それは感じてた。この村は変だよ――」
ムーランの言葉を、グレイは片手を挙げ遮る。近づく者の気配を感じたのだ。彼は自らの口に人差し指を当て、黙るように促す。ムーランは口を閉じた。
案の定、足音が聞こえてきた。そして足音は、扉の前で止まる。
「グレイさん、ムーランさん……すまねえが、子供連れの旅人が来てるんだ。二〜三日したら出て行く、と言ってんだよ。子供連れは無下に出来ないし、あんたらさえ良ければ、この家に泊めるつもりだが、どうだね? あんたらがどうしても嫌だと言うなら、他の村に行ってもらうけど」
外から聞こえてきた声……グレイは眉をひそめた。何故、この家に泊めるのだろう?
「他の家に泊めればいいだろうが。何故、この家に泊めるんだ?」
「村のしきたりでな、客人を泊める場所は、この家と決まっているんだよ。他の家には泊められないんだ……あんたらが嫌なら追い返すが、どうする?」
男の問いに対し、グレイは下を向き考えた。正直、どこの何者かも知らない奴らと一つ屋根の下で暮らすのは……あまり気が進まない。追い返してもらうべきだろう。
だが――
「いいじゃないか……二〜三日で居なくなるんだろ? どうせ、準備にそれくらいの時間はかかるだろうし、泊めてやろうよ」
道具の手入れをしながら、ムーランが口を挟む。グレイは、一瞬ではあるが迷った。しかし――
「いいよ……泊めてやれ。ただし三日だけだぞ」
昨日の村長の話によると、伯爵の暗殺の件を知っているのは村でも数人だという。外にいる男は、グレイたちが殺し屋だという事を知らないのだろう。村長の知り合いか何かだと思っているようだ
いずれにしても、ムーランの言うことにも一理ある。仕事に取りかかるには、準備期間が必要だ。まずは情報を集め、計画を立て、そして仕留める。
そんな時……訳のわからん子供連れの旅人に、この山をうろうろされ、騒ぎを起こされても困るのだ。
ならば、その親子を二〜三日セールイ村に泊めておく。その間に仕事の段取りを決めてしまおう。段取りが決まり、仕事に取りかかる頃には……おとなしく下山してもらうようにすればいい。
・・・
キョウジとココナの二人をセールイ村まで案内した後、チャックは再びアルラト山を探索していた。僅かな匂いを辿り、凄まじい速さで山を移動する。人間には不可能な動きで、チャックは移動していた。
そして、チャックは目指す場所に辿り着いた。
しかし、そこはチャックの想像を超える場所だった……。
「何だ、ここは……」
チャックは思わず呟いていた。彼は今、状況を把握できぬまま、呆然と目の前にあるものを見つめていたのだ。
チャックの前には、古い城がそびえ立っている。さほど大きくはなく、石垣には蔦が絡みついている。門の所には、門番らしき兵士が二人。だが、侵入するのはさほど難しくはなさそうだ。
だが、それよりも奇妙なのは……城の中から、ライカンらしき者の匂いがすることだった。
そして……門の所に、槍に串刺しにされた狼の首が晒されていた。
一見すると、狩りで仕留めた狼の首を晒しているように見える。しかし、チャックにはわかる。この首の持ち主だった者は普通の狼ではない。間違いなく、ライカンだ。しかも、片方はウォリックである。
そして、もう片方は……確か、ダニーとかいう名前だった。チャックが追放される少し前、任務を帯びて人間社会を調査していたはず。あちこちを廻り、長老に様々な報告をしていたのだ。
だが、こんな所で死んでいたとは……。
やがて、我に返ったチャックは草むらの陰に潜み、ゆっくりと移動する。まずは、あの城の中に潜入してみる。他のライカンらしき者の匂い……そちらの正体も探ってみなくてはならない。さらに、二人を殺したのが何者であるか……そちらの方も気になる。
チャックはそっと石垣に近づく。さほど高くはない上、でこぼこしているから登るのは簡単だ。チャックはすいすいと登り、石垣を乗り越えた。
そして、中に侵入する。
城の中は、外ほど不気味ではなかった。中に入ってみると、様々な人間による生活の匂いに満ちている。チャックはこれまで、城のような場所に入ったことはない。まるで小さな町のようである。
しかし、小さな町とは決定的に違う点もある。
ライカンのような者の匂いがしているのだ。
チャックは、慎重に進んで行った。ライカンらしき者の匂いを辿り、城の中を歩く。人目につかないように動き、上の階へと上がっていった。
そして、ライカンの匂いが最も強く感じられる階へと辿り着く。
しかし――
「何だい、ここは……」
チャックは思わず呟いていた。明らかに、他の階とは違う雰囲気だ。掃除が行き届いており、内装も凝っている。身分の高い貴族の住む場所……そんな印象を受ける階だ。まさかとは思うが、城の持ち主がライカンだとでもいうのだろうか……チャックは慎重に進んでいった。
だが、階段を昇って来る足音が聞こえてきた。下の階と違い、ここではチャックの姿は明らかに場違いだ。彼は、身を隠す場所を探した。だが見当たらない。
さらに、前の方からも何者かが歩いて来る……。
チャックは迷った。逃げる方法は一つだ。それを実行するのは危険である。しかし、背に腹は換えられないのだ。チャックは目の前の扉を開け、中に飛び込んで行った。
そして扉を閉める。
「だ、誰ですか……」
部屋に飛び込んで来たチャックへの第一声は、間の抜けたものだった。チャックは声の主の方を向く。
だが、チャックは息を呑んだ。
目の前でベッドの上に寝ている者は、一見すると少年のように見えた……鼻からの情報もまた、少年であると言っている。確かに体は小さく華奢で、顔にはまだあどけなさがあった。
だが、少年の髪の毛は真っ白だった。しかも、ところどころ抜け落ちている。さらに、顔には皺が多い……一人の人間に少年と老人が同居しているような、そんな奇妙な印象を受ける。
「あなたは、泥棒なのですか?」
少年は、なおも尋ねてくる。チャックを警戒しているような素振りは、全く見えない。
チャックは、部屋の中をざっと見回す。洋服ダンスや棚、テーブルと椅子などといった家具一式が揃っている。また、本棚には本がぎっしり詰まっていた。ベッドにも本が開かれたままになっている。
そして、窓が開いていた……チャックなら、ここの窓から壁を伝い、下に降りることも可能だ。最悪の場合、飛び降りたとしても……ライカンならば死にはしない。このような状況では、さっさと逃げるべきだろう。
だが、チャックは好奇心旺盛な男だった。
「い、いや……泥棒ではないよ。チャックという名の旅人さ。ここに迷いこんだんだよ。ところで、君は誰だい?」
ニコニコしながら話しかけるチャック……だが次の瞬間、その笑みは凍りついた。
「僕の名はセドリックです……父はここの城主である、ロバート・ロクスリー伯爵です」
・・・
家の中には、妙に重苦しい空気が漂っている。キョウジは居心地の悪さを感じながら、傍らにいるココナの方を見る。
ココナ――耳を隠すために頭にバンダナのような布を巻いている――は、不安そうな様子でキョウジを見上げた。
キョウジは微笑んで見せた。そう、自分は不安そうな表情を見せてはいけない。彼女を安心させなくてはならないのだ。
「ココナ、干しブドウ食べるか?」
キョウジが尋ねると、ココナはおずおずと口を開いた。
「で、でも……キョウジさんは食べてないのですにゃ……ココナばっかり食べてますにゃ……」
「気にするな」
キョウジとココナは今、セールイ村の外れにある大きな家の中にいた。中は殺風景で、余計な物は置かれていない。まるで刑務所の雑居房のようだ。
そして、二人の先客がいた。
一人は、頬に刀傷のある男だ。年齢は二十代半ばから三十代前半といったところか。身長はキョウジよりやや高く、ライトヘビー級のボクサーのような見事な体つきをしていた。恐らく、剣や槍などの武器を振るうことで造り上げた筋肉なのだろう……白兵戦に関しては、キョウジに優るとも劣らないのではないかと思われる。
その隣にいるのは女だ。顔はよく見えないが、黒い髪と黄色がかった肌の色をしているように見える。ひょっとしたら、自分と同じ東洋人のような外見をしているのだろうか……もっとも、この世界に東洋人という概念があるかどうかは知らないが。
二人は、とても無愛想だった。キョウジたちに軽く挨拶したきり、一言も喋ろうとはしない。
キョウジはココナと一緒に、先客から離れた位置で荷物を置いて座っていた。ココナは先客を警戒し、キョウジにピッタリとくっついている。
一方、先客の方もキョウジたちを警戒しているらしい。時おり、こちらを見ながら、ひそひそと二人で話している。はっきり言って、あまり感じは良くない行動だ。キョウジたちと仲良くしよう……などという気持ちは欠片もないらしい。
しかし、その無愛想な態度はありがたいことかもしれない。こちらとしては、あれやこれや話しかけられても困るのだ。ココナは人間ではないし、キョウジにいたっては異世界から来た人間である。このまま、いっさい関わりを持たずにいた方がいい。
やがて、村人たちが食事を運んで来た。山で採れる山菜や魚といった粗末なものだ。もっとも、こちらもタダ飯を食わせてもらっている以上、文句は言えないのだが。
そして食べる時も、先客は全く口を開かなかった。四人全員が、押し黙ったまま食事を終える。何とも嫌な感じであった。ココナと二人きりの食事の方がずっと騒がしかったのだが……そのココナも、暗い顔をしている。
この村は長居すべきではない。明日の朝にでも、さっさと出て行くとしよう。
「キョウジさん……おしっこ……行きたいですにゃ……」
夜、ココナが声をかけてきた。キョウジは頷き、立ち上がる。
ふと、先客の二人を見ると……どうやら、男の方は眠っていないようだ。こちらを警戒しているのか、眠った振りをしながらも、キョウジとココナの様子を窺っている。
キョウジは苦笑した。この先客がどこの何者かは知らない。しかし自分たちの存在が、二人に無用の緊張感を与えているらしい。
ならば、さっさと立ち去った方がお互いのためだろう。明日、下山するとしよう……などと思いながら、キョウジはココナの手を引いて外に出て行った。
キョウジたちの泊まっている家のすぐ横には、トイレとして使用するための小屋がある。薬草のような物を燻しているらしく、その煙が匂い消しとしての役割を果たしている。
そして、ココナは小屋に入って行く。キョウジは外で立ち止まり、改めて村を見回してみた。他にも幾つか、しっかりした造りの木の家が建てられている。村の中心と思われる場所には井戸があり、さらに等間隔で火の点いた松明がセットされていた。
村の中を見回しているうちに、キョウジはふと、奇妙な違和感を覚えた。この村は、どこかおかしいような気がする。具体的にここが変だ、と言うことは出来ない。キョウジはここの人間の生活を知らないのだから……しかし、何か妙だ。
まあいい。明日には立ち去るのだ、などと考えながら視線を移した時――
キョウジは驚きのあまり、表情が硬直する……一瞬ではあるが、思考が停止したまま立ち尽くしていた。
いつの間に現れたのか、十メートルほど先に、一人の女が立っている。白い奇妙な着物を着て、哀しげな茶色の瞳でキョウジを真っ直ぐ見つめている。
その顔には、見覚えがあった。
「お、お前は……あの時の……」
キョウジは、かろうじて声を絞り出す。
目の前にいるのは、キョウジが初めてこの世界に来た時に出会った女だ。
不思議な液体の入った棺桶に横たわり、キョウジを見つめていた女。
「俺のことを……覚えているか?」
「……」
声を震わせ、尋ねるキョウジ……しかし、女は何も答えない。黙ったまま、悲しそうな瞳でキョウジを見つめている。
キョウジは一歩、前に踏み出した。
「俺のことを、覚えていないのか?」
「……」
キョウジのさらなる問いに、女は顔をゆがめた。そして身を翻す――
その直後、闇の中に消えてしまった……。
「おい! 待て!」
キョウジは後を追おうとする。しかし、ココナが出て来た。
「キョウジさん? どうしましたにゃ?」
「あ、いや……何でもない……」
キョウジはどうにか平静を取り戻し、ココナの手を引いて家に戻る。
しかし、キョウジの心は今見たものに支配されていた……。
何だ……あれは……。




