第92話
前回更新後に、初レビューをいただきました。
ありがとうございます。
読んでくださる方々により楽しんでいただけるよう、これからも励んで参ります。
日曜日。
ロケの撮影は続いているはずだったが、太郎たちのエキストラの撮影期間は、土曜日で既に終わっている。
この日は朝から関係者の話し合いも持たれたはずで、あれからどうなったのか、どうすることにしたのか、太郎も気にしてはいたが、一日何の連絡も来なかった。
(当たり前か。ぼくら、『部外者』なんだもの)
太郎は、自らそう口にしたことを思い出す。
実際、たまたま藤木と知己を得たために深く関わることになってしまったが、大人の目から見たら、ただの中学生でエキストラの一人に過ぎない。
映画を作るうえで重要な関係者でも、当事者でもありはしない。
藤木の願いどおり、映画の撮影が続けられたらいいと思う。
しかしそれは大人たちが決めることであって、おそらく藤木自身でさえ決定には関わらせてもらえまい。せいぜいが、続ける意志が残っているかどうかを問われる程度だろう。
それにしても、と太郎は思う。
(藤木さんの豹変ぶり、すごかったな……)
ことりがいるというだけで、ものの見事にアイドル藤木美由紀の、つまりはクラス全員の前で見せていたのと同じ、外見にふさわしいしとやかな態度を崩さなかった。
まさか藤木から、あんな優雅にお辞儀をされるとは予想しておらず、太郎は面食らって言葉を失ったほどであった。
一人称まで、明確に「あたし」から「わたし」へと変わっていたのだ。あれではほぼ別人格ではないのか。
初対面でいきなり「おい太郎」と口にした藤木は何だったのか。
あのあとは会っていないし、向こうからもこちらからも連絡は取っていないので、二人のときの遠慮のない態度が、いまもそのままなのかどうかわからない。
ただ太郎にしてみれば、なまじ直接会話した時間が長かったためにそちらの藤木の印象が強くて、その落差は驚きであったのだ。
藤木が特別なのか、それともどの女子も実はあんなふうになれるのか。太郎にはわからない。
(そういや、ことりさんのほうは、ご両親からなに言われたんだろう)
昨夜もまた家の前まで送りはしたが、帰りがものすごく遅かったことで、太郎でさえ母の京子にはかなり心配をかけてしまった。
まして女子であることりの家では、もっと大変だったのではないだろうか。
どこにいたのかと問われれば「学校」と正直に答えたし、エキストラ出演が終わってからも、なんだか帰りたくなくて友達と学校に残って話していた、ということにしてある。
調べようと思えば、太郎たちはそれぞれ携帯端末を持参していたので、GPSの位置情報の記録を確認してもらうことも可能だから、そこで嘘は言っていない。
親のほうも、子どもが何か隠していることくらいはお見通しだろうと思ったが、学校にいたのであれば、そんなに危ないマネもしていなかったのじゃないか、と思っているのかもしれない。心配するから、今度からはもっと早く帰ってきなさいと言われ、素直に頷いておいた。
(まあ、エキストラはこれで終わりなので、もう『今度』はないけどね)
などと余計なことは言わない。
夜になってことりから電話があり、帰りが遅くなったことについて、太郎が心配したほどには親から何も言われなかったと教えられたので、少しほっとした。
「昨日はありがとう」
太郎は昨日ちゃんと伝えていなかったことに気づき、ことりに礼を言った。
「え?」
ことりはびっくりした声を出す。
「わたし、太郎ちゃんに何かしたっけ?」
ことりには、礼を言われる心当たりがなかったようだった。
「ん? おにぎり買ってきてくれたじゃない」
笑いを含みながら太郎が答えると、ことりは「あっ」と声を上げて思い出したようだが、「でも、そのお礼ならもう言ってもらったよ?」と返してきた。
「そうだっけ?」
「そうだよ」
太郎はちょっとだけ口を噤む。間が空いたけれど、珍しくことりも黙っていた。
「……ほんとはね、あの場にことりさんにいてもらってとっても助かったし、嬉しかった」
「……」
「責任を取るためにって、一人で頑張ってみるつもりだったけど、思ったよりぼくには余裕がなかったみたい。ことりさんがそばにいてくれなかったら、きっと何か、取り返しの付かない失敗をしてた気がする」
いまなら、昨夜の自分が相当に張り詰めた状態にあったことがわかる。
視野が狭くなり、想定と違ったことが起きたときの対処などができなくなってしまうことも考えられた。
ことりという存在が、太郎を正常な判断力のある状態へ戻してくれたのだ。
そう思っている。
「だから、ほんとうにありがとう」
「……あ、あの」
「うん?」
ところが、電話の向こうのことりの態度は、なんだかちょっと様子が変だった。
「その、デスネ」
「?」
「ソ、ソノセツハ、タイヘンハシタナイマネヲシマシテ、シツレイシマシタ」
棒読みで懸命に言葉を絞り出している。はしたない? どういうことだろう。なんでそんな……。
「あっ!」
そこでようやく、ことりが何のことを言っているのか太郎にもわかった。
(ぼく、ことりさんの胸に顔突っ込んだんだっけ!)
それを思い出したのだ。たちまち太郎も真っ赤になって、言葉がうまく出てこなくなった。
「イエ、ソソソンナ……トンデモナイデス」
それきり、二人とも話が続けられない。
そうしてどちらからともなく、「じゃあ」「また」と電話は切られたのだった。
週明けの月曜日になった。
この日から二組は平常に戻り、太郎たちも木造校舎ではなく元の校舎で授業を受けている。帰りのホームルームのあと、担任の五十嵐が太郎とことりを職員室へ呼んだ。
「何ですか?」
この二人が揃って呼び出されたのは初めてだ。思い当たる理由はなかった。
「おまえたち二人に会いたいと、来客があってな」
太郎とことりは顔を見合わせる。
職員室からさらに案内された応接室には、ピシッとしたスーツにネクタイ姿の中年男性が待っていた。
見た目40歳くらいのデキるビジネスマン、と言ったイメージの男は、藤木の所属するアイドルグループで、チーフマネージャーをしている新井と名乗った。
新井は、生徒のみで相手させるのはちょっと、と渋る五十嵐をうまく言いくるめて退出させ、太郎とことりだけを前にするとまず立ち上がって、オールバックに撫で付けた頭を深々と下げた。
「今回の件では、藤木があなたがたに助けてもらったと聞いています。もしあなたがたがいなかったら、藤木がどうなっていたかわかりません。ありがとう。ほんとうに感謝に堪えない思いです」
太郎もことりも、椅子から飛び上がる勢いでびっくりして首を振る。
太郎は拳法家の黄にもいきなり謝られたことがあるが、感謝だろうと謝罪だろうと、初対面の大人から頭を下げられるなどというのは、何度体験しても慣れられるものではない。
とはいえ新井も、子ども相手であっても通すべき筋は通すといった主義らしく、気が済むまで頭を上げてくれなかったので、太郎とことりはしばし居心地の悪さに耐えなければならなかった。
「それで今日は、お礼とともに、あなたがたに経過を伝えたいと思って来ました」
ようやく座り直した新井は、二人に向かってそう言った。
「え、わざわざ……ぼくたちにですか?」
しょせん、部外者のエキストラ。
それも中学生である。
チーフマネージャーがあえて足を運ぶほどの相手とは思えない。
驚く太郎に、新井は頷いた。
「はい。そのくらいして当然と思えるほど、私たちはあなたがたに感謝しているということです」
藤木自身もまだ市内に留まっており、ほんとうなら本人が挨拶に来るべきところだが、アイドルが予定にない不自然な動きをすると、どこでどんな噂が立つかもわからない。
とくに今回はトラブルの中身が中身であって、下手に勘繰られたりすると、被害者でありながら藤木がアイドルとして、致命的なスキャンダルに巻き込まれる可能性もある。
そのために、申し訳ないが自分ひとりが代理で来たのだと新井は言った。
「藤木からは、くれぐれもよろしく伝えて欲しいと言付かっています」
そう言われても、太郎もことりももはやどう反応して良いのかもわからなかったので、とりあえず「はい」と答えることしかできない。
「あ、あの」
それでも藤木の名前を聞いたことで、思わず太郎は口を挟んだ。
「はい」
「藤木さんは……大丈夫そうでしょうか?」
新井がちょっと眉を上げる。少しだが表情が穏やかになった気がした。
「まず藤木の心配をしてくれるんですね。ありがとう。……ええ、そうですね。もちろん受けたショックは大きかったので、まったく影響がないわけではないですが」
新井が頷きつつ続けた。
「ちゃんと元気を取り戻していますよ。藤木は見た目よりタフな子です。仕事も続けられています」
新井の返事に、太郎とことりは目線を合わせてほっとする。
「じゃあ、話し合われた結果のほうをお伝えしますね」
新井が説明を始めた。
応接室に入ってきた中学生二人を見ると、新井は職業柄、どうしてもタレントとしての素質を値踏みしてしまう。男の子のほうは小柄で細身、眼鏡の地味なガリ勉タイプで、一瞥して芸能界を目指せる素材には感じられなかった。
しかしこう見えて、体格で勝る山王を腕相撲で退け、カッターナイフを持った崎田をあっという間に取り押さえたというのだが、何とも信じ難い。
そんな剛の者という印象は持てない。
女の子のほうは、すらりとした長身でスタイルが良く、活発そうなのが見ただけでわかる。
磨けば相当に光りそうなポテンシャルを感じたが、あいにく新井のいる事務所のカラーには合わないタイプだな、と考えた。
(スポーツ界で活躍できたら、アイドル選手として人気を集めそうだが……)
思わず、関係の近しいあそこの芸能事務所なら、などと考えそうになって、新井は慌てて気を引き締める。新井にとって問題なのは女の子のほうではなく、眼鏡の男の子のほうである。
今回の件についていきさつの説明を受けた際、藤木が自分からエキストラの男子生徒にプライベートな連絡先を渡したと聞いて、新井は何と軽率な、と頭を抱えた。
日頃の大人びた藤木の振る舞いからはちょっと考えづらい行動で、いっそそこまで思い詰めるような状態だったのかと、きちんと藤木の不安に向き合わなかった久保田をあらためて叱責したくなった。
(いやいや、これは久保田の上司としての私の責任でもある。なんと言っても藤木はまだ15歳だ。判断を間違えることだってあるし、きちんとケアをしなくては危ういことだってある。
それができる担当を付けなくてはいけなかったのだ。さすがに久保田と崎田の関係までは、想定しようがなかったが……。そのことに気づかされただけでも良かったと考えるべきだろう)
藤木を助けてもらった礼を言いたい、ということはもちろん掛け値無しに真実であったが、いっぽうで藤木が連絡先を渡してしまった男子生徒が、それを悪用するような人物であるのかどうかをちゃんと見極めなくてはならないというのが、今回の訪問の大きな目的でもあった。
もしもタチの悪い相手だったら、面倒でも藤木の携帯端末を変えてしまうくらいの処置は頭にある。
ひとまず、穂村太郎と名乗った男の子が藤木の様子を訊いてきたことで、持っているはずの連絡先へ自分から直接連絡しようとしていなかったとわかった。
ここは合格点である。
(藤木がどの程度親しく接したのかにもよるが……一般人の男の子が、クラスメートのように気軽に藤木と電話しようとされても困るからな)
特定のファンとの距離感を間違えると、それは藤木のようなアイドルにとって命取りになりかねない。太郎に藤木と接近しようとする意志が見えないのなら、それは歓迎すべきことだった。
満足感を押し隠し、新井は説明を始めた。
「まずストーカーの崎田ですが」
崎田の名前で、目の前の二人に緊張の色が走る。
「これまでのストーカー行為、ならびに土曜日の藤木への暴行を、すべて認めました」
「え」
「まあ」
新井の言葉に二人がそれぞれ驚いていた。
日曜朝の話し合いは、ホテルの会議室を借りてまず新井と久保田、それに藤木の三人で状況確認したあと、藤木には席を外してもらい、そこへ崎田と崎田のマネージャーを呼んで、四人で行われた。
崎田が藤木にしたことを考えれば、いますぐぶん殴りたくなる衝動を抑えるのはなかなかに難儀であったが、いざ対面してみると、なぜか崎田は憑き物が落ちたような状態になっていた。
素直な態度に終始したため、怒りをぶつける対象としてはなんとも肩すかしというか糠に釘といった感覚で、怒気のボルテージを維持するのがすぐに難しくなってしまった。
あとから考えると、藤木への想いをこじらせたりしなければ、こちらが崎田生来の人格なのかもしれない、と新井は思ったほどだ。
両親の離婚で離ればなれになった崎田と久保田が再会したのは、訊けばわりと最近のことであったらしい。離婚直後は両親が不仲なうえ面会の約束もなかなか守られず、かといって崎田が小さかったこともあり、親抜きの子どもだけで会うこともままならなかった。
そのため二人はすぐに疎遠となってしまい、長くお互いに顔は見ていなかったという。
崎田が芸能界入りしたあと、たまたまテレビ局でばったり会ったのが縁で、姉弟で連絡先を交換できたのが最初であった。
その後は何度か会って近況を教え合ったりするうちに、崎田が藤木のいるアイドルグループの大ファンで、とりわけ藤木が一番のお気に入りであることが久保田に伝わった。
再会時の崎田は久保田の仕事を知らず、まさか姉がそのアイドルグループのマネージャーの一人であるとは思っていなかったそうだが、そんな偶然があるのかと二人で驚いた頃は、まだ良かった。
久保田は長く会えなかった弟のために、一般のファンよりは多少先行したスケジュールを教えたり、関係者しか知らない情報をこっそり伝えたりしてあげたのだが、徐々にそれがエスカレートして行くことになる。
はじめはただ喜んでいた崎田も、何度もそれが続くうちに、自分は姉の久保田ではなく、藤木から特別待遇を受けられる立場なのだ、と思い込むようになった。
とくに姉からの情報を利用して受けた映画のオーディションに合格し、藤木と共演できるチャンスを手に入れたとき、これは運命だと確信したことを述懐した。
お読みいただきありがとうございます。
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