第91話
「ふわぁ~。すっかり遅くなっちゃった」
ことりが夜空に向かって声を上げる。
隣りを歩く太郎は思わず苦笑いした。
なにしろ撮影の終わりの時間がわからないから遅くなるかも、と予告しておいたにも関わらず、帰りのあまりの遅さを心配した家族から、それぞれ連絡があったほどである。
「でも、まさかねぇ……」
ことりは太郎を見やって言った。
「久保田さん、だっけ? 藤木さんのマネージャーさんと、崎田さんが姉弟だったなんて……」
久保田はアイドルグループ全体のサブマネージャーであって、藤木のマネージャーというわけではないとのことだったが、ことりに細かい区別は付いていなかったようだ。
「うん」
太郎は頷いた。
「そうじゃないかなと思いついたときは、ぼくもびっくりした」
ストーカーとわかってから、崎田の素性についてネットで調べられる情報を漁っていたときの驚きを、太郎はあらためて思い出す。
太郎が藤木に確認を頼んだのは、チーフマネージャーの新井が、ほんとうに久保田から藤木のストーカーについて相談を受けていたか? ということだった。
既にかなり夜更けの時間であったにもかかわらず、新井はちゃんと藤木からの電話にすぐ出てくれた。
二言三言、親しげな挨拶を交わしたあとで、藤木は新井がストーカーの件を知っているかどうかを真っ先に訊いた。
はたしてその返事は。
「なんだそれは? どういうことだ? ストーカーだって? 聞いてないぞ、私は! え? 久保田には言ったのか。美由紀ちゃん、ちょっと詳しく聞かせてくれるか?」
ハンズフリー通話でもないのにそばの太郎とことりにまではっきり聞こえるほど、新井はうろたえて大声を出していた。知らなかったのである。
「やっぱり」
太郎は予想が当たっていたことで、自分の考えの正しさを確信した。
そこから新井への最低限の説明と、あとでかけ直すからと宥めて藤木が電話を切るまでがひと苦労だったのだが、ようよう一段落したあとで、藤木は太郎に向き直る。
「穂村君、これどういうこと? あなたには、新井さんが相談を受けていないとわかっていたの?」
「うん……」
太郎がそう考えるに至ったきっかけは、今年の春先あたりに取材された、崎田のインタビュー動画を見つけたことだった。
ちょうど人気を博した連続ドラマが最終回を迎えた頃で、その主要キャストの一人に抜擢され、いま注目の若手俳優という触れ込みで、ニュースサイトから崎田が単独インタビューを受けていたのだ。
崎田は難関と言われる有名大学にも現役合格し、四月からは大学生としても活動していくところで、二足のわらじであることも注目理由とされていた。
もっとも、動画の大部分は過去に出演したドラマやこれからの役者活動に関する中身で、太郎としては別にどうでもいいことばかりだったが、思わず見入ったのは、崎田の生い立ちの話だった。
「崎田さんのお名前は、芸名ではなくご本名そのままなんですってね?」
インタビュアーがにこやかに訊いていた。
「はい、そうです」
崎田が答える。
「何か理由はあるんですか?」
「いえいえ」
崎田が手を振って否定する。
「事務所の社長さんとかにも考えていただいてたんですが、なんかあんまりしっくりくる芸名が思いつかなかったみたいなんですよ。
ぼく自身も、とくにこだわりはなかったので、それならいっそ本名でいいか、ってことになって」
「まあ、じゃあ成り行きみたいな?」
「そうですね、そんな感じです」
崎田は苦笑していた。
「そうすると、芸能人としてデビューする以前のお知り合いとかにも、すぐに崎田さんってわかっちゃいませんか? 崎田さんの人気を見て、急に連絡取ってくる人とか増えませんでした?」
インタビュアーの質問内容に、崎田は笑って答える。
「ああ、そうですね、ちょっとはいましたよ。こちらが名前を覚えていないような『親友』とかですね」
「あら、やっぱり」
インタビュアーも笑っていた。
「……それでも、応援してくれるというのなら、ぼくにはありがたい話ですけど。でも、うんと古い知り合いは、名前ではわからなかったんじゃないかなぁ」
「ええ? どういうことでしょう」
「ぼく、名字が二回変わっているんですよ」
崎田は、小学校低学年のときに、両親が離婚したのだと言った。
父親と母親、どちらかに一方的な非のある離婚ではなかったことから、子どもの親権についても話し合いのうえで決められた。
崎田には姉が一人いたが、既に中学生で私学へ通っていたために収入の安定した父親に付いていき、まだ小学生で親離れには遠かった崎田は、母親のほうへ身を寄せることとなった。
そうして父親の姓から、離婚して旧姓に戻った母親としばらく暮らした際に、崎田は前とは違う名字で学校へ通った。
さらにその数年後、母親に再婚話が出たのである。その頃には崎田も、母親の幸せを尊重できる程度には成長していたため、素直に再婚を受け入れた。
その相手の姓が。
「いまの崎田です」
そのために、最初の名字、そして母親の旧姓のときの知人には、崎田と聞いてもぼくのことだとはピンと来ないかもしれませんね、と答えていた。
「そのインタビューで聞いた、崎田さんの最初の名字が、『久保田』だったんです」
太郎は藤木とことりに、そう説明した。
つまり、藤木に同行しているサブマネージャーと同じだったのだ。
「それで、離婚したお父さんに付いていったお姉さんというのが、もしかして、と思い始めました」
太郎の言葉に、藤木が唖然として言った。
「ちょ、ちょっとそれは考えが飛躍しすぎじゃないかしら? 世の中に、久保田姓の二十代前半の女の人が、いったい何人いると思っているのよ?」
「ええ、もちろん単なる偶然ってこともあるでしょうね」
太郎は頷く。
「でも、崎田さんが藤木さんの情報をあれだけ詳しく知るには、何か特別な手段が必要なのじゃないかと思ったんです」
同じ芸能界にいれば一般人よりも入手は容易かもしれないが、それでも事務所まで同じというわけではないのだ。素人が思うほど簡単なことではない気がした。
しかしスケジュールや個人情報について、藤木の周りにいる関係者から知ることができるとしたら。
ましてそれがマネージャーだったら。これほど楽な入手方法はないだろう。
「そもそも、今回崎田さんはどうやってこの映画の役をもらえたんですか? 制作側から依頼が行くんでしょうか?」
太郎の疑問に、藤木は首を振った。
「オーディションと聞いているわ」
「オーディション?」
「ええ」
今回の映画の配役では、教師役の実倉のほか、脚本を当て書きされた野々原と藤木については直接の指名オファーによって出演が決まっていたものの、それ以外のキャストはオーディションによって選ばれていたのだという。
「なるほど。藤木さんが今回の映画にキャスティングされる情報も、あらかじめ手に入れられていたら、その映画のオーディションだって受けられるのではないですか?」
マネージャーの久保田からの情報が先に得られるなら、藤木が出るとわかったあとで、オーディションに応募することも可能だったはずだ。
合格するかしないかは運と実力によるとしても、藤木に接近しようと考えれば大きなチャンスには違いない。
「……」
藤木は絶句して考え込む。
「藤木さんから相談を受けたとき、ぼくは久保田さんの対応について、強い違和感を覚えました」
太郎は言った。
「もちろん、仕事として映画を完成させるということは重要でしょう。でも、所属するタレントの身の安全だって、うんと重要じゃないかと思ったんです。まして藤木さんは女性でアイドルです。ストーカーの危険性はもっと深刻に捉えられるべきじゃないのか、と考えました」
太郎にとって、映画の撮影が終了してから対応を考える、というのはいくらなんでものんびりしすぎなのでは、と感じられた。
タレントの安全よりも仕事の成功を優先する事務所だって、たぶん実際に少なからずあるのだろうが、この判断が藤木の所属事務所としての判断なのか、それとも久保田個人のものなのか、それは確認したほうが良いと考えたのだった。
だから、まず新井に連絡を取ってもらった。
もしも久保田が崎田の姉であり、崎田の情報源であったとするのなら。
藤木からストーカーの相談を受けたときに、崎田の仕業と知っていればもちろんのこと、知らなくてもそのストーカーが弟である可能性を、きっと考えただろう。
その場合、言葉どおりに新井へ相談を打ち上げることはせず、自分で何とかしようとするのでは、と太郎は予想したのだ。そうして事を荒立てずに解決できれば、藤木も弟も守ることができる。
久保田がそう考えたのだとしたら、新井はストーカーのことを知らないはずだった。
そうして実際に、新井はストーカーの相談を久保田から受けていなかった。
この事実を以て、太郎は久保田と崎田が姉弟関係にある、と結論付けたのだ。
そのあとは大騒ぎの連続であった。
まずは藤木が新井に再度電話をして、太郎の考えを追加の情報として伝えた。
それから久保田を控え室の外に呼び出し、新井にはハンズフリーの通話で同席してもらった上で、藤木が崎田の件を久保田に問い質すと、久保田はたちまち泣き崩れて、崎田との姉弟関係、さらには藤木のスケジュールを崎田に伝えていたことを認めたのだった。
藤木が崎田から暴行されかけたことを告げたときには、久保田は涙ながらに取り乱して「そんなはずはない、弟はそんなことしない」と言い張ったが、まだわずかに腫れた藤木の頬と、太郎の撮った証拠写真を見せるとさすがに青ざめて黙りこくった。
新井も怒り心頭ではあったものの、ひとまず藤木が無事であったことで冷静さを取り戻し、翌日朝一番でこちらへ来て、直に話をするということになった。
崎田には専属のマネージャーはいなかったが、複数名のタレント掛け持ちとはいえ担当のマネージャーはまだロケに同伴していたため、控え室にいたところを新井が連絡を取って捕まえ、あらましを伝えて驚くマネージャーに翌日の話し合いを約束させた。
崎田自身はそのまま空き教室に座り込んでいたのを、マネージャーが身柄を保護して、タクシーでホテルまで連れ帰ると言っていたそうだ。
さらに新井は監督の宮本にも連絡を取り、翌日の撮影開始時に藤木と崎田が間に合わないことを承知してもらって、話し合いの時間を確保したという。
なにしろもっとも身近であるはずの久保田が、実は信頼を裏切った相手であったとわかってしまったため、ロケ地の藤木には、頼みにできる大人が誰もいなくなってしまった。
そこで部外者ではあるけれど、せめて状況が落ち着くまでは藤木のそばで、太郎とことりが一緒にいることにしたのである。
ほぼ真夜中といえる時間になってから、やっとこの日の撮影がすべて終了し、関係者全員がホテルへマイクロバスの送迎を使って戻ることになっていた。それでようやく付きっきりでいる必要がなくなって、太郎たちは解放されることができたのだった。
「とりあえず、良かった……のよね? これで」
しんと静まりかえった夜道を歩きながら、ことりは太郎に言った。
「うん……きっとね」
太郎が考えながら頷く。先ほどからずっと、あまり晴れやかな顔には見えない。
「いちばん重要なのは、藤木さんの安全。それはもう、大丈夫と思う」
「うん」
「でも……映画は」
「そうね」
そこがどうなるかは、まったく予想が付かない。
「でも、太郎ちゃんはできること全部やったと思う」
ことりの言葉に、太郎が隣りを振り仰ぐ。
「そう……かな? できたかな?」
「できたよ。大丈夫!」
力強く首肯することりに、太郎は少しだけ嬉しそうな顔になった。
それを見たことりは、太郎に気になっていたことを訊いてみた。
「ねぇ、太郎ちゃん」
「はい」
「あのね、藤木さんに……太郎ちゃんの秘密って、教えたの?」
「え?」
太郎は目を見開いた。
「それは……ぼくの身体のこと?」
「そう」
頷くことりに、太郎はとんでもないとぶんぶん首を横に振った。
「教えるわけがないじゃない。もし教えたって、宇宙人にナノマシンなんて、誰が信じるってのさ?」
そこで太郎はすっと目線を逸らす。
「……ことりさんだけだよ。そんなの信じてくれる人は」
途端にことりは顔がかぁっと火照るのを感じた。しかし同時に、安堵の気持ちで満たされていく。
(良かった……)
ことりさんだけ。ことりは太郎の返事を、何度も繰り返し噛みしめた。
(うふふ。嬉しいな……)
にまにまと笑み崩れてしまいそうになるのを懸命に堪えて、ことりは歩いた。
「疲れた……」
戻るなりホテルのベッドに仰向けになって、藤木はつぶやいた。
仕事で深夜まで拘束されたことは何度もあったが、さすがに今日はいろいろと予想もしないことがありすぎた。
まさか崎田がストーカーだったとは思いもしなかったし、さらにマネージャーたる久保田がその実姉で、自分の情報を伝えていたのはもっと予想外だった。
とてもではないが、まだ気持ちの整理は付いていない。
崎田に組み敷かれたときの恐怖は、いま思い返してもぞっとする。
恐ろしかった。
あんな絶望は味わったことがなかった。
だが、太郎が来てくれた。
助かったと知ったとき、どれほど嬉しかったか。
これまで、親以外の誰かに、ここまで自分のために身体を張って何かをしてもらったことはなかった。
事務所やグループのメンバーから受けた恩義は数知れないが、それは仕事としての話である。
ファンからの無償の愛情表現も、いろいろな形で捧げられてきた。
しかし、太郎のしてくれたことは、それらとはまったく違う。
そんな人はいままでにいなかった。
身に覚えのない太郎への電話についてはいまだに不思議だが、確かに自分からかけていたのだから、それは事実として認めるしかなさそうだ。
あのとき、携帯端末に自分から触れるような余裕は全くなかったはずだった。
けれど教室の床に引きずり倒されたとき、どういう拍子にかわからないがリダイヤルボタンが機能した、といったことがあったのかもしれない。
(あれ?)
藤木はふと、太郎に関する重要な記憶を思い出す。
つい、太郎にばらされた股間キックのことばかりが印象に残っていたのだが、そのあとで確か……?
(……あたし、太郎に抱きついてなかったっけ? え? あれれ?)
そのまま気絶するように眠ってしまって、起きたときはことりの膝枕で、置かれた状況を呑み込むのに精一杯だった。
そうして太郎から衝撃的な話を次々と聞かされ、新井と連絡を取ったあとは、その指示を仰ぐのにまたまた精一杯で……。完全に忘れていた。
(やだ。なんてこと。男の子に自分からしがみついたのか、あたし。しかも、太郎に? うわぁ!)
思わずベッドから飛び起きてしまう。
なんと大胆な行動をしてしまったのか。
まさかアイドルの自分が?
考えるほどに、叫び出したくなるようななんとも形容しがたい感情があふれてくる。
太郎のことだから、それをあちこちに言いふらすようなマネはしないだろう。
拡散される心配はきっとない。
けれど、それだけに。
(太郎とあたし、二人だけしか知らない……)
両手を頬に当てた。顔が熱を持っているのがわかる。頬の腫れはもう治まっているのに。
(それなのに、あのバカ太郎。なんか……なんにも動揺してなかったんだけど?)
今度は怒りの感情で熱くなってきた。
(このあたしに抱きつかれて、何も思わなかったのかな。……あり得ないでしょ、それ!)
しかし、である。
そのあとの会話で耳にした、太郎の言葉が問題だ。
(太郎、世羅さんのことを『ことりさん』って呼んでた……)
太郎の部外者発言のとき、うっかりなのか、それとも普段から人前でもそう呼んでいるのか。
太郎は確かに「ぼくやことりさん」とはっきり言った。世羅さん、ではなかった。自分に向かっては、藤木さんとしか言わないのに。
(彼女いないって……お互い付き合ってないって言ってて……それでも名前呼び? そんなのありなの? まさかクラス中で世羅さんを名前呼びしてるとか?)
それともことりは、彼女よりももっと特別な関係だとでもいうのか。それはいったいどんな?
(世羅さんがいるから? 彼女がそばにいれば、ほかの女の子は気にならない?)
藤木は携帯端末を見た。
太郎と話したかった。
いますぐ電話したかった。
いや、できるなら会いたいとさえ思った。
しかし、既に日付の変わった深夜である。
さすがに非常識だ。
太郎はもう寝ているかもしれないし、かけて出なかったらそれはそれで腹が立つ。
(もう! 今日はシャワー浴びて寝る!)
藤木は携帯端末を放り出すと、憤然とベッドから立ち上がった。
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