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【本編完結】ある朝いきなり超人に? それでも太郎は普通の中学生活を送りたい  作者: トオル.T
本編

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第89話

 藤木が目を開けると、真上には暗くてよく見えないが、誰かの顔があった。

「あ……?」

自分はどうやら横になっているらしい。

 置かれている状況が読めず、言葉にならない藤木に、見下ろす位置にあった相手から遠慮がちに声がかけられた。

「あのぅ、藤木さん? ここはもう安全。大丈夫だからね」

安全……? それは。

「あっ!」

そうだ。

 崎田がストーカーだったのだ。

 自分は空き教室に引きずり込まれて……?

 唐突に直前のことを思い出した藤木は、思わず大きな声を出してしまう。


 一息に身を起こそうとして、しかしその動きは柔らかく制止されてしまった。

「そんな急いで起きたら、ほっぺのハンカチが落ちちゃうよ?」

「ハ、ハンカチ?」

慌てて顔へ手をやると、確かに両頬には濡れたハンカチが当てられていた。

「もう少し、冷やしておいたほうがいいと思うの。起きても大丈夫なら、ゆっくりどうぞ」

それも思い出した。


 自分は崎田に頬を叩かれたのだった。

 ハンカチを両手で押さえながら、藤木はおずおずと上半身を起こした。

 少しずつ、暗さに目が慣れてくる。

 傍らにいるのが東部中の女子生徒であることは判別できた。

 が、見たことがあるような気がするものの、誰なのかはわからなかった。

「これ……あなたが?」

「うん、一枚はね」

暗くてあまり表情まではっきりとは見えないが、相手が自分を気遣ってくれているのは声でわかる。

「一枚は? ……あっ!」

藤木はまたひとつ、大事なことを思い出す。

「あの、た……わ、わたしを助けてくれた男の子は? どこにいるの? あの、小柄で眼鏡の……」

とっさのことで、太郎と言いかけた藤木はどうにか踏みとどまったが、代わりに太郎の名字が言えなかった。

 はじめから名前呼びしたために、そもそも一度は聞いたはずの太郎の姓をまともに覚えていなかったのだ。


 「ああ、た……穂村君は、いまここにいないの。その、ハンカチのもう一枚は、穂村君のよ」

そうそう、穂村太郎だっけ。確かにそんな名前だった。

(ん? た……? いまこの子、太郎って言いかけたかしら?)

もしや相手も普段、太郎を名字ではなく名前で呼び交わしている間柄なのか? 

 藤木はふと感じた疑問を咀嚼する。

 自分は太郎に助けられたはずだ。にもかかわらず、なぜいまここにいるのは太郎ではなくこの子なのだろう?


 「あ……あの、どうもありがとう。それで、あなたは……? ここはどこなのかしら」

いま自分たちがいるところもよくわからない。

 校舎の中であることは間違いなさそうだが、明りもないし、どうやってここに来たのかさえ理解できていない。

 藤木は不安になって周りを窺った。

「あ、わたしは世羅ことり。エキストラやってた一人よ。それでここは、撮影していたのと反対側の校舎の中。穂村君があなたをここまで運んできたの」

少し記憶がはっきりしてくる。

「世羅さん……あ! あなた、腕相撲の」

「ええ、そう。五代さんと腕相撲したのはわたし」

見覚えがある気がしたのはそのためか、と藤木は得心する。


 正直に言って、太郎以外のエキストラで見分けられるのは、山王に突っかかった大柄な男子と、腕相撲の二人くらいで、あとはどんな顔が教室にいたのかも判別が付かない。

「穂村君は、いま崎田さんの様子を見に行ってるわ」

「……崎田さんの?」

「うん、空き教室にそのまま置いてきたって言ってたから」

そうだ、最後に思い切り股間を蹴飛ばしてやったのだった。

 前のめりに倒れた崎田は、その場で動けなくなっていた。

 それを確認に行ったということか。してみると、あれからそんなに時間は経っていないのだろうか?

「そうなのね。……大丈夫かしら」

教室に飛び込んで来たあと、太郎はカッターナイフを持っていた崎田を歯牙にも掛けず一蹴したはずだが、暗かったうえに仰向けのままだった藤木には、太郎が何をしたのかまではよく見えていなかった。

 気づいたときにはもう、崎田は太郎に取り押さえられていたのだ。


 「穂村君なら、大丈夫と思うよ。彼、見かけと違ってすごく強いから」

 ……ああ。

 この子は、太郎の強さを実際に見たことがあるわけか。

 きっと自分よりももっと、太郎のことをよく知っているのだろう。

 藤木はそれをちょっと不快に感じている自分に気づいて、どきりとする。

「それで、世羅さん……は? ここで一緒にいてくれたのはとっても心強いのだけれど……エキストラの人たちが帰って、かなり経つでしょう。どうしてここにいることになったの?」

「え? ……あー。えっと、どうして? と言われると、あれれ? ……どうしてだろう?」

さっきまで落ち着いて話していたことりは、藤木に問われて見るからにあたふたと慌て出す。

「エキストラが解散して……そのあと、ああそうだ、学校に残って穂村君となんとなくおしゃべりしてて……成り行きでいまこうなったって感じ? あれ、わたしそんな適当な理由でここにいるんだっけ?」

そこで疑問形か。藤木は思わずぷっと吹き出した。


 いずれにせよ、目の前のことりは太郎とはそれなり以上の親しい関係にありそうだ。

 あの太郎と二人で長時間おしゃべりができるというなら、相当なものだろう。

(なによ、太郎の嘘つき。モテないとか彼女いないとか言い張ったくせに)

モテないと決めつけたのは自分自身であったことも忘れ、藤木の中で太郎に対するむっとした感情が湧いてくる。

 少し探りを入れてみようか、と藤木は考えた。

「ふふふ。いきさつはともかく、そばに誰かいてくれるのはとっても心強いわ。ありがとう」

礼を言う藤木に、ことりがぶんぶんと手を振る。

「いえいえそんな、わたしはただの成り行きだもの」

「それで……ひとつ教えて欲しいのだけれど」

「なにかしら?」

「世羅さんと穂村君は、どういうご関係? 付き合ってるの?」

藤木は探りどころか、いきなり直球を投げ込んでみたのだった。


 「どどど、どういうって……ええーっ!」

ことりは座ったまま、文字通り飛び上がっていた。器用なことをすると藤木は思った。

「そんな、つ、付き合ってるわけじゃ……な、ないです! ……よ?」

「そうなの? てっきり穂村君の彼女さんなのかと……」

「っ! ち、ち、違います! 彼女じゃ……」

暗がりでもはっきりわかるほど、ことりは頬を真っ赤に染めて首を振った。が、その直後にはふっとうなだれたのであった。

「……彼女じゃない……から」

最後はちょっと力なくつぶやく感じになる。


 (あらら)

しょげてしまったように見えることりに、藤木は二つの矛盾する気持ちを抱えることになった。

 太郎に彼女がいるわけではない、という点については、どこかほっとした気持ちが。

 いっぽうで、ことりをこんなにしょげさせているのは、間違いなく太郎が原因であろう。

 その点で怒りがふつふつと湧いてきたのである。

(あの大ばか! 鈍感男! 太郎のくせに、女の子にこんなこと言わせるなんて!)

太郎が聞いていたら、いや言わせたのは藤木さんですよね、と反論するに違いないことを考え、それでもあふれる義憤に藤木は燃え始めていた。

「ごめんなさいね、つい調子に乗って立ち入ったこと訊いてしまって。わたしが悪かったわ」

「へ? いやそんな、藤木さんが悪いだなんて」

ことりがびっくりして顔を上げる。


 「ううん、こんな時間まで一緒に残っていたからには、てっきり穂村君とそういう仲なんだとばかり思ってしまったの。でもそうじゃないのなら、遅くまでわたしのトラブルに付き添ってもらったのは申し訳ないなって……」

藤木の言葉に、ことりが目をぱちくりさせた。

「え? なんで?」

「……なんでって?」

「いえ、だってほんの何日かだけど、藤木さんとは机並べて一緒に授業受けた仲でしょ。だったらクラスメートも同然なんだし、困ってるクラスの仲間を助けるのって……別に普通のことよね? 申し訳ないなんて藤木さんが思う必要は、ぜんぜんないと思うよ?」

(あっ……! クラスメ……ト?)

藤木の目が見開かれる。


 同じ言葉を、ついこの前にも聞いたばかりだった。

(太郎……あんた。この子とあんたって……)

 なんということだろう。

 なんてことを言うのだろう。

 二人、揃いも揃って。

 義憤に盛り上がった気持ちが一気に萎んでいく。不意にじわりと涙がにじんできて、藤木は頬に当てたハンカチを直す振りをしながら目頭を押さえるのをごまかした。

(なんでよ。バカ太郎。こんなのないわ……)

 負け。

 なぜかその二文字が藤木の頭に浮かんだ。

(太郎、あんたってほんとに腹立つ。こんな子がそばにいるなんて聞いてない。何がモテないよ。彼女いないなんてよく言うわよ。あんた底なしの鈍感よね。ほんとに……ふざけんじゃないわよ)

黙ってしまった藤木に、ことりが顔をのぞき込んできた。

「藤木さん……痛むの?」

「ううん、違うの。大丈夫よ。ちょっと嬉しかっただけ」

「……嬉しい?」

「ええ。クラスメートって言ってもらって嬉しかったの。ありがとう、世羅さん」

「あ、うん。どういたしまして?」

なぜ礼を言われることになるのか、ことりはなんだかよくわかっていないようだったが、とりあえず藤木が痛そうにしているのでないならいいか、とでも思ったらしかった。


 そのとき、暗がりの奥から再び足音が聞こえた。

 びくっとする藤木を見て、ことりは急いで足音に向かって声を掛ける。

「穂村君なの?」

「うん、ぼくです」

すぐに渡り廊下のほうから太郎が姿を見せた。

「一人?」

「うん」

「崎田さんは?」

「それがね……」

言いかけて、太郎は藤木が起き上がっているのを確認したようだ。

 目が覚めたこと自体は、太郎には来る前からわかっていただろう。

「あ、藤木さん。起きたんですね」


 藤木は太郎を見ると、一瞬口籠もったが、すぐにしゃんと背筋を伸ばしてから、深々とお辞儀をした。 

 その様子に太郎が面食らっている。

 顔を上げた藤木は、真っ直ぐに太郎へ顔を向けて言った。

「穂村君、助けてくれてありがとう。あなたが来てくれなかったら、わたしいまごろどうなっていたかわからないわ。なんと言って感謝したらいいか。……ほんとうにありがとう」

そうしてまたお辞儀をする藤木の前で、どう反応したらいいのか戸惑っている、といったふうに太郎が立ち尽くしていた。

「……いえ、お役に立てて何よりです」

妙に不自然な間が空いたあとで、太郎はようよう返事をする。


 ことりには太郎の態度の理由がわからなかったが、もしかしたらまだ藤木にストーカーの正体を告げなかったことを気にしているのかもしれない。

「えっと。頬はどうですか? まだ痛みます?」

「あ、ええ。……もう大丈夫そう、かな」

ハンカチを外した藤木の頬は、まだ腫れが残っているが、最初よりは赤みも退いているように見えた。

「もう一度濡らしてきます。貸してください」

「え、そんな」

「まだ冷やしておいたほうがいいですよ」

そう言って太郎は半ば強引にハンカチを藤木からもぎ取り、水道まで行って濡らし直してから戻ってきた。

「どうぞ」

「……ありがとう」

ハンカチを受け取った藤木が、再び頬に当てて押さえる。

 たったそれだけの動作なのに、ものすごく絵になるのを、ことりは感心して眺めていた。


 (トップアイドルって、ほんとに動くだけでエンタメなんだわ……)

いったん忘れかけていた、藤木に太郎のパートナーを奪われる恐怖がことりに復活する。見ていられなくなって、思わず二人から目を背けてしまう。

(やだ……わたし。こんなの……みっともないよ)

「……それで、崎田さんなんだけど」

危うく思いに沈みかけたことりは、太郎の言葉に直前ではっと自分を取り戻した。ことりは太郎に目を戻し、急いで頷く。

「どうだったの? まだ気絶したままだった?」

「いや……もう意識はあったんだけどね」


 太郎が再び空き教室へ入ったとき、崎田はちょうどむくりと半身を起こしたところだった。

 まだ股間が痛むのか、立ち上がることはせずに、三角座りのような格好でうずくまり、小さくなってうつむいている。

 太郎からは顔を背けた姿勢だったため、こちらに気がついていないのかと、太郎は自分から崎田に声を掛けた。

「崎田さん?」

聞こえていないはずはないのに、崎田は太郎の呼び掛けにまったく反応しなかった。

「崎田さーん?」

もう一度呼んでみたが同じである。

 正面に回ってしゃがみ込む。ところが崎田は顔を伏せたままで、目を合わせることもままならない。どうしたものかと太郎は途方に暮れる。


 と、なにやら崎田が口の中で小さくつぶやいているのに気がついた。

 痛みにうめいているのかと思ったらそうではないようだ。

 普通なら聞き取れないレベルであるが、太郎の聴力はそのかすかな声を拾い上げる。

「違う……あれはぼくの美由紀ちゃんじゃない……美由紀ちゃんはあんな野蛮なことしない……違う……違う……」

ぶつぶつと「違う、違う」をひたすら繰り返していて、完全に自分を閉ざしてしまっているように見えた。

(違う……ってなんのこと?)

「あ」

太郎は藤木の最後の行動を思い出す。

「もしかして、藤木さんに蹴られたあれ?」

びくっと、初めて崎田が反応を見せた。


 だがそれだけだった。

 相変わらず話ができそうな様子はない。しかし、どうやら正解なのだろうと太郎は思う。

(うーん。自分の中での藤木さんのイメージを裏切る行動をされて幻滅したとか、そういうことなのかなぁ?)

 可憐でたおやかな美少女アイドルとばかり思っていれば、それは確かにあのキックでイメージを崩壊させてしまったとしてもおかしくはないだろう。

 だがそれでここまでショックを受けるものなのだろうか? 

 芸能人であろうとなかろうと、これまでとくにファンとなるような対象を持ったことのない太郎には、いまひとつ理解しきれなかった。

お読みいただきありがとうございます。

週に1話ずつ更新します。

カクヨム様にも投稿しております。

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