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【本編完結】ある朝いきなり超人に? それでも太郎は普通の中学生活を送りたい  作者: トオル.T
本編

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第88話

(註)今回は2話更新します。これは2話目です。

 ことりが心細さと夜更けの寒さに、ぶるっと身体を震わせる。

「ちぇ。太郎ちゃんと二人のときには、寒いだなんて気づかなかったのに」

我ながら現金なものだな、と思いつつ、立ち上がってちょっと身体でも動かそうか、と考えたとき、渡り廊下の側から足音が聞こえた。

「えっと、太郎ちゃん?」

おそるおそる呼び掛けると、「うん」という返事とともに、太郎が現れた。

「一人で待たせちゃってごめん」

そう言って姿を見せた太郎は、なんと藤木を横抱きにして運んできたのだった。

(ええ! お、お姫様抱っこだぁ?)

太郎が自分以外の女子を、お姫様抱っこしている! その事実は、ことりを思ったよりも大きく打ちのめすことになった。


 いや亜佳音だってされていたから、決して自分以外にしては困るなどと言うつもりはないが、それにしてもやはり太郎が目の前で別の女の子を! 

 しかも、同い年の美少女アイドルを! 

 その姿を直視すると、ことりはあまりのショックの大きさに硬直してしまった。

「? ことりさん?」

完全に機能停止するほどの衝撃をことりが受けているとは知らない太郎は、固まったことりに向けて怪訝そうに声をかける。

「ことりさん? 大丈夫?」

「はっ?」

ようやく再起動がかかり硬直の解けたことりは、慌てて太郎に駆け寄った。


 「藤木さん、よね? え、いったい何があったの?」

「うん、説明する前に、一度寝かせたいんだけど、何か敷くものなんてあるかな?」

そう訊かれても、備品すら置かれていない校舎内では何も見当たらないし、夜が冷え込んできたとはいえ、まだ制服の上にコートが要るような季節でもないため、太郎もことりも何も羽織るものなど持ってきていない。

 仕方ないのでことりに手伝ってもらって、藤木を抱えたまま太郎が学生服の上着を脱ぎ、それを床に敷いてそっと藤木を横たえた。

 ことりたち女子の制服はセーラー服なので、さすがに上着を脱いで提供するわけにはいかない。

 代わりに座ったことりの膝を枕にして、ようやく藤木を寝かせることができたのだった。


 目を閉じた藤木の顔に視線を落としつつ、ことりが尋ねる。

「藤木さん、まさか気絶してるの? 大丈夫?」

「うん、眠ってるだけ……と思うよ」

太郎は相手の『気』の状態がわかるので、眠っているだけというならそうなのだろう。

「あれ?」

しかし暗がりに目の慣れたことりは、藤木の顔を見ていて異常があることに気づく。

「なに?」

「藤木さんのほっぺ、なんだか腫れているような?」

「あ……」

太郎が唇を噛む。何か心当たりがあるのだろう。


 「冷やしたほうが良さそうね。わたし、一枚ならハンカチあるんだけど」

「あ、じゃあ借りてもいい? ぼくも一枚持ってるから」

ことりからハンカチを借り、自分のものと合わせて二枚を水道で濡らしてきた太郎は、藤木の傍らに膝を突き、折り畳んだハンカチを片頬に一枚ずつ当てて、赤く腫れた藤木の顔を冷やし始めた。

「……何があったのか、教えてもらってもいいかしら?」

ことりの質問に、太郎が頷いて答えた。


 少し前に藤木と崎田の二人だけで、撮影中の教室から控え室に使われている教室への移動があったこと。

 それはもともと崎田の意図したものとは考えにくいが、崎田がそのチャンスを逃さず、藤木を空き教室に引っ張り込んだこと。

 そこで藤木を脅し、強引に思いを遂げようとしていたこと。


 「たぶん、そのときに藤木さんは頬を叩かれたんだと思う」

太郎は力なく言った。

「腫れるくらい強くなんて……痛かったでしょうね」

「うん……」

太郎がさらに目を伏せる。

「でも」

ことりは努めて明るく訊いた。

「そこで太郎ちゃんがストーカーから助けたんでしょう? ひどいことされる前に間に合ったなら……」

「間に合って……ない」

小さく、だがはっきりと太郎がことりの声を遮った。

「え? だ、だって」

「間に合わなかった。確かに、崎田さんが藤木さんの服に手をかける前には止めたよ。でも、暴力を振るわれた。止めに入るまでに藤木さんが味わった……味わわされた恐怖は。絶望は……」

太郎の声は震えていた。


 『気』を読める太郎は、離れた位置でも相手の感情を識別できる。

 助けに行ったとき、藤木の感じていたものを、太郎もまた共有したに違いない。

「ぼく……ぼく、失敗しちゃった。やっぱり、ちゃんと藤木さんに崎田さんのことを教えるべきだった。そうしたら、あんな恐い思いや、暴力の痛みや……あんなの、藤木さんがあんなひどい目に遭ったのは、ぼくのせいだ。ぼくが崎田さんに気をつけるよう伝えてさえいたら、きっと藤木さんは恐ろしい目に遭わなくて済んだ。ぼく、ぼくが……もっと……ううっ」

太郎のうつむいた顔の下の床に、ぽたりと水が滴った。

 板張りに浸みたそれは一滴だけではなく、見る間にぽたぽたと数を増やしていった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ぼくが……知らせないほうがいいだなんて……そんなこと考えたから……うっ……うう」

「太郎ちゃん……」


 太郎が自分を責めている。

 それはダメだ。

 させてはいけない。

 ことりは反射的に動いた。

 考えてのことではなかった。

「太郎ちゃん!」

ことりの声に、太郎が涙に濡れた顔を上げる。

「こっち来て!」

え? という呆けた表情で、太郎は戸惑っていた。

「早く!」

いまいる位置では、ことりの手が太郎に届かないのだ。

 ことりの膝には藤木の頭があり、ことりから太郎に近づくことができない。だから太郎を近づけるしかない。


 言われるままに、太郎がおずおずとことりににじり寄る。

 ただ、太郎にはことりの意図が掴めない。

「もっと!」

さらに近づく。それでもなお「もっと近く!」と言われてまた近づく。

「眼鏡外して!」

今度は眼鏡? いったい何をしようというのか。

 触れられるほど近づいたことりの前で、太郎は眼鏡を取った。

 その直後、ことりは両手で正面から太郎の頭を抱え込み、自分の胸にぎゅっとかき抱いたのだった。


 「ぶへっ?」

(ここここ、ことりさん! なななな、なにを?)

思わず逃げようとした太郎だが、ことりの両手がそれを許さない。

 がっちり太郎の頭をホールドしたまま、逃げられないようにしっかりと抱きしめた。

 そのため、太郎はもろにことりの胸へ顔を埋める形になった。

「ちょ! こ、ことりさん? ことりさ……」

「黙って!」

ぴしゃりとことりが告げる。

「そのまま!」

そのままって……そのままって、だってこれは。

(ぼく、ことりさんの……む、胸に顔押しつけてる??)

それを自覚した途端、太郎の顔は耳まで真っ赤に、そして頭の中が真っ白になった。

 何も考えられない。どんな感情も抱けない。

 完全にヒューズがふっ飛んだ状態で、太郎はただ言われるがままにじっとしていた。


 どのくらい経ったのかわからない。

 ほんの数秒だけなのか、それとも何分もそのままだったのか、まったく判別できない。

 ひたすらに、ただひたすらに、太郎はことりの柔らかさ、温かさ、匂い、呼吸音の穏やかさだけを感じていた。

 そうして、抱え込まれた太郎の耳に、やがて静かにことりの声が落ちてくる。

「ね。太郎ちゃん。お願いだから、太郎ちゃんのせいだなんて考えないで。……藤木さんが恐怖や絶望を感じたのだとしたら、それは太郎ちゃんのせいなんかじゃない。ストーカーの崎田さんが、無理矢理藤木さんに押しつけたもの。絶対に絶対に、太郎ちゃんではないの」

ぼくのせいじゃない。ぼくの……? 

 でも、と太郎はわずかに身じろぎしてしまう。

「いい? 太郎ちゃん」

太郎の動きを柔らかく抑えながら、ことりが続ける。

「太郎ちゃんが藤木さんにあげたのはね、絶望から逃げ出せて、恐怖を祓った安心なの。太郎ちゃんがいてくれたおかげで、藤木さんは恐怖と絶望で終わらせずに、こころからほっとして眠りに入ることができたんだと思うよ」

(安心……? ほっとした……?)

ふっと、太郎を抱え込んだことりの腕から力が抜けた。


 太郎はゆっくりと頭を起こし、目を上げてことりの顔を見た。

 窓から入るわずかな光の中、そこには穏やかなことりの笑顔があった。

「見て」

ことりが促す。

 太郎は、ことりの見る方と同じに、藤木の寝顔へと視線を落とした。

「……小さい子みたいに、安心しきった寝顔だと思わない?」

薄明かりでも、太郎の目には藤木の顔が問題なく見えている。

 まったく意識していなかったが、そう言われると確かに、そこにあるのは恐怖でも絶望でもない、落ち着いた眠りの顔に見える。

「これが、太郎ちゃんが藤木さんにあげたものよ。間違えちゃダメ。……ね?」

「うん……」

太郎には、まだことりの言葉通りに考えて良いのかどうかわからない。

 ただことりのおかげで、冷静さは取り戻せた。

 取り乱し、変なマイナス感情のスパイラルにとらわれることは、きっともうしないで済む。


 そうだ。

 ストーカーが何か問題を起こしたとしても、それはストーカーが悪いのであって、ほかの誰かのせいではない。

 他ならぬ太郎自身が、ほんの何日か前にそう考えたばかりではないか。

 なのに、実際に藤木が被害に遭うところを目の当たりにした途端、そうした割り切りなどきれいに忘れてしまっていた。

「ありがとう、ことりさん」

「うん」

太郎の感謝に、ことりがにっこりして応える。

 ちょっと見とれそうになって、太郎は慌てて視線を逸らした。


 「ん?」

 ややあって、再び太郎が反対側の校舎のほうに注意を向ける。

「今度はなに?」

「崎田さんが、目を覚ましそう」

「あ……」

ことりはそれで初めて、崎田が意識を失った状態であったことを知る。

 きっと太郎がノックアウトしたのだろうと考えた。そのまま空き教室に放置してきたのに違いない。

 太郎は少し考えて、立ち上がった。

「ぼく、ちょっと行ってくる」

「……ひとりで大丈夫?」

山王より腕っ節で劣る崎田が、超人太郎をどうにかできるとは思えないが、相手は大学生だ。

 中学生には思いつかないこともやってくるかもしれない。

「うん。気をつけるよ。ありがとう」

そのまま太郎はまた渡り廊下のほうへ姿を消した。


 ことりはまた一人になった。

 いや今度は藤木を膝枕しているから、二人だ。

 頬を冷やすハンカチをずれないように直しながら、その寝顔を見下ろしたことりは、あらためて藤木のかわいらしさにため息を吐く。

(お姫様抱っこ、されてたな……)

つい先ほどの衝撃的な光景を思い出し、ことりはちょっと切なくなった。


 太郎が誰を抱っこしようとそれは太郎の自由であって、しかも今回はストーカーから藤木を救い出して来たのだ。

 当然必要だからしたことであり、そこに文句など付けられるはずもない。

 ないのだが。

(そこ、わたしの場所なのに!)

思わずことりはそう叫びたくなってしまったのだった。


 そして、まさか自分がそんな思いを抱えていたとは気づいておらず、それを初めて自覚したことにも、またショックを受けていた。

(……焼きもち? ううん、そういうのとはちょっと違うような)

もっと特別な、自分だけの領域を侵された。そんな感覚だった気がする。

 まさかと思うが、太郎は藤木にも自分の力のことを伝えているのだろうか? 

 この世でただ一人、太郎のナノマシン体について知っているのは自分だけなのだ、という思いは、もしかしたらもうことり一人のものではなくなっている? 

(え……それ、いやだ)


 超人太郎のパートナーポジション。

 それだけは誰にも譲りたくない。

 ことりは自分の根源的かつ最も強烈な欲求に気づいてしまった。

 アメコミ映画でも、撮影や俳優の都合でヒロイン役の女優がシリーズ中に交代してしまうことはしばしば起きている。

 藤木というとびきりの美少女の登場により、ことりの役割はもう終わってしまった、などということだって、あるのではないか。

(いや! そんなの絶対いや!)

別に映画を撮っているわけではないのだから、そう簡単に自分がお役御免だなどということがあるはずはない。

 太郎はそんな冷酷な選択はしない。

 そう頭では考えてみても、目の前の圧倒的な美少女(ヒロイン)を見てしまうと、一度湧き上がったことりの不安はなかなか静まってくれなかった。


 さらにことりは、先程の自分の振る舞いを思い出す。

 珍しく取り乱した太郎を見て、ことりはつい反射的に、いつも弟の海里にやっているように太郎を扱ってしまった。

 幼い頃より、泣き出したあと自分一人では泣き止めなくなった海里を落ち着かせるには、頭を抱え込んでぎゅうっと抱きしめてやるのが一番効果的だったのだ。

 さすがに中学へ入ってからは海里が嫌がるので、ほぼからかい目的の遊びになってしまったが。


 (そうだ。わたし、太郎ちゃんの顔に自分のおっ……押しつけちゃったんだ)

途端に、ことりは羞恥の念が頭のてっぺんまで、ものすごい勢いで駆け上るのを感じた。

 かあっと顔が熱くなる。

 いま自分は茹で蛸並みに真っ赤になっているに違いない。

(うっわー! わ、わたしったら、太郎ちゃんになんてことしたんだろ? ええー?)

わたわたと慌て出すが、慌てたところでもちろんどうなるものでもなかった。

(え? え? これまずくない? 太郎ちゃん、きっと呆れたよね? ハシタナイ女だと思ったよね? ぎゃー。いやどうしよう?)

こんなことでドン引きされて、それこそパートナーとしてお払い箱にされてしまったら。ことりは頭を抱えて悩み出す。

 そのとき、「う……」というかすかな声とともに、藤木が目覚める様子を見せた。

お読みいただきありがとうございます。

カクヨム様にも投稿しております。

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