第84話
思わぬハプニングから、菊谷の要望どおりに男女一組ずつの腕相撲勝負を撮り終えると、五十嵐はすぐさま机を元通りに並べさせ、授業を開始した。
予告されたとおり、遅れを取り戻そうとするその進め方はいつもよりかなりハイペースで、クラスの何人かは、安易に前借りの形で腕相撲の時間を取ったことを後悔したのだった。
役者チームは五十嵐以降の授業を受けず、この日は全員が別教室に回って、台本の読み合わせを行った。
映画の内容、ストーリーはこの段階ではまだ非公開扱いで、ジャンルやあらすじさえも関係者以外には知らされていない。エキストラに対してもそれは同様で、内容に関わる話を聞かせるわけにはいかないのだ。
藤木らにはあらかじめ台本が渡され、ひととおり目を通してあったが、実際にセリフとして読み合わせ、監督である宮本に聞いてもらうのはこの日が初めてだった。
「あー。まああれだ。キミらアイドルの演技には期待してない。だから、うまく演技してやろうなんて、色気出さなくていいからな」
宮本の一言めがこれだったので、映画の仕事が初めての野々原や藤木は当惑してしまった。
自分が役者として素人でしかないことはわかっているものの、揃って困り顔の出た二人に、宮本はにやりと笑う。
「おれはな、ぽっと出のアイドル役者に名優になってもらおうなんて考えてない。そんなことができるとも思っていない。おれが考えているのは、おまえたちの素の魅力を引き出すことだ。それが、演技素人のおまえたちをキャスティングした意味だ」
「え? どういうことです?」
野々原が監督に問い返す。
「おれ、演技しなくていいってことなんですか?」
「演技はしてもらうさ」
宮本は続ける。
「だが、別人になろうと演技してもらうわけじゃない。そういうことなら、はじめから実績があって、もっと芸達者なやつを選ぶ。おれはな、野々原には野々原を。藤木には藤木を演じてもらうつもりだ」
「……は?」
自分自身を演じるとはどういう意味なのか? 野々原はまだ宮本の示す意図がわからず当惑したが、藤木は感覚的に宮本の言いたいことを呑み込めそうな気がしていた。
「まあ、おいおいわかる。さて、台本読みを始めようじゃないか」
宮本がぱんぱんと手を叩き、読み合わせが始まった。
決められたこの日の予定をすべてこなし、夜になってホテルの自室に戻った藤木は、ベッドに寝転がってうーんと声を出しながら手足を伸ばした。
そうして今日の東部中木造校舎での台本読みを思い返す。宮本監督が、野々原や自分にあんな期待をしていたとは思わなかった。
「まさか、あたしがそのまま映画の登場人物になってるなんて……」
あとでマネージャーの久保田に教わったが、「当て書き」というものらしい。脚本家が、はじめから役を演じさせる俳優を決めておき、役のほうを演者に合わせて台本を書き起こしていく手法なのだという。どこまで合わせるかは書き手によるというが、素の役者そのままを役に当て嵌めて書かれることもあると話してくれた。
久保田が以前に見知ったケースでは、きわめて個性的なベテラン俳優に惚れ込んだ脚本家が、一度も主役をやったことのないその役者のために、主演映画の脚本を一本書き上げたことがあったらしい。
単なる一ファンの創作として映画になる予定もまったくないまま書かれ、日の目を見るかどうかさえわからなかったその脚本に、たまたま興味を持った制作会社が映画化を持ちかけ、もちろん主演はそのベテラン俳優で撮られたのだと聞いた。
結果的にその映画はそこそこのヒットを飛ばし、当のベテラン俳優には、それ以降は主役の依頼もちょくちょく来るようになったと久保田は言っていた。
ファンが入れ込むことにおいては、アイドルである自分のほうが、マニアに好まれるベテラン俳優よりもよほど強烈なものがあるはずと思っている藤木だが、今回はどんないきさつで、素の藤木美由紀を使って映画を撮ろうなどと考えられたのだろう、と不思議だった。
アイドルとして歌って踊ることなら、ステージで何より自分を輝かせる方法を知っているし、その輝きに磨きをかける努力だって惜しんだことはない。
あるいはグラビア撮影なら、鏡など見なくても、カメラマンが一番欲しい表情やポーズでレンズに向かう技術だってマスターできている。しかし、スクリーンで何かの役を演じる自分を見てみたい、と強く思われるとは予想していなかった。
新しい分野へ飛び出すチャンスと思ってオファーは喜んで受けたけれど、演技を専門的に学んだことがあるわけではない。自分に優れた演技力があると思ったこともないし、その結果できあがった凡庸なアイドル映画の大根役者として嘲笑されるリスクは怖い。
しかし今回の脚本なら、なるほど普段ステージに出ている自分そのままでセリフを読めばいいのか、と安堵したのである。
(とはいえ……それだって、あたしの「素」ってわけじゃないけどね)
藤木は思う。
あれは、見かけに合わせて作ったアイドルとしての藤木美由紀なのだから。
小さい頃から容姿に優れていた藤木は、周りが自分にどのように振る舞って欲しいのかを敏感に感じ取る子どもだった。どんな人物像なら外見のイメージを裏切らないのか、常に周囲の反応を窺いながら、修正を加え期待に応え続けてきた。
そうして作り上げた外向きの自分を見せていたら、そのままアイドルとして通用してしまったのである。
いまとなってはもはやそのキャラクターも立派な自分自身であって、かぶり続けた仮面が顔から外せなくなってしまったのでは、と思えるほど板に付いていた。だから、外向きの藤木美由紀で当て書きをされても、そのこと自体に何も問題はなかった。
ただ、藤木が家族やほんとうに心許せる一部の友人以外に、その仮面の下を見せることはない。そう、ないはずだったのだ。なのに……。
(なんであたし、始めから太郎に素で行っちゃったんだろう?)
あらためて考えると不思議だった。かなり精神的に追い詰められていて、自分が普通の状態になかったことは間違いない。
自分が一人でいるときの教室に、太郎が入ってきたのはたまたまだった。
前日に来たストーカーのメッセージを考えれば、すぐマネージャーのいる控え室に戻るほうがいいに決まっていた。なのに、ぐずぐずと考えに沈んでしまって戻りそびれていたのだが、もしさっさと引き上げていたら太郎とはすれ違いだったのだ。
相手がほかの誰かではなく太郎だったことも含め、巡り合わせと言うほかないだろう。
それにしたって、初対面の相手であるにもかかわらず、いきなり仮面を脱いで接するなど、いままでなら考えられない。
(あー。たぶん、あれかな?)
太郎の目に、憧れや好意がなかったからか。
藤木は最初の出会いを思い返す。
久し振りだったのだ。男子から、無関心に等しい目を向けられたのは。そればかりか、太郎は態度も素っ気なかった。
嫌われたり、いじわるをされたことはある。しかし、嫌いは好きの裏返し。関心があるという点では同じことだ。
太郎の反応はそうではなかった。授業を優先していて、自分のために時間を割こうとしてくれなかった。
世の中の男子全てが、自分に関心を持っているなどとうぬぼれているわけではない。けれど、とくに芸能活動を始めてからは、近寄ってくる男子はほぼ全員がそうだった。
逆に藤木のほうから、仕事以外で同世代の男子へアプローチすることはない。
だから、自分に関心のない異性と話す機会はずっとなかった。
まったく特別扱いしてもらえない。それが腹立たしく……心地よかったのだと思った。
(あ、そうだ。太郎に電話しなくちゃ!)
藤木は携帯端末を取り出した。
かける前に、前回何度コールしても太郎が出なかったことを思い出し、ちょっと顔をしかめた藤木であったが、今度はすぐに太郎の声が聞こえてきた。
「はい」
「あ、太郎。いま電話しても大丈夫?」
「ええ、まあ」
太郎の淡々とした口調は相変わらずで、少なくとも嬉しそうな声ではない。
「なに、その薄い反応」
藤木は電話に向かって口を尖らせた。
「アイドルが電話かけてあげてんのよ? もうちょっと喜んでみせるとかないの?」
「喜ぶことなんですか? それ」
「ちょっと! あんたってば、ほんと失礼よね!」
思わず声が大きくなるが、太郎も負けじと反論してくる。
「だって、今日は藤木さんのせいで、危うくぼくと山王さんが喧嘩になるところでしたよ?」
「そう、それよ!」
「……それとは?」
藤木は勢い込んで続ける。なにしろ、それこそが電話した理由であるからだ。
「太郎、あんたほんとに強いのね? 腕相撲とはいえ、山王さんに自分から負けを認めさせるだなんて! クラス一ってのは、嘘じゃなかったみたいでびっくりしたわ!」
「ああ、それってそのことでしたか。じゃあ藤木さん、信じてなかったんですね?」
太郎の声には呆れが混ざる。
「なんでよ? 信じてあげたから、あんたを指差したんじゃない」
「よくぬけぬけと言いますね。いやしかも、ぼくが昨日の話を口にできないのをいいことに、さらっと自分の神秘的なイメージ作りに使いましたね? ぼくのこと」
「えっへん。なかなかうまいこといったでしょ? 別に、あたしと二人っきりで会ってコーヒー奢ってもらったって、太郎が世間に言いふらしてもかまわないけど?」
電話越しにはっきり聞こえるほど、大きなため息が太郎の口から落ちた。言えるわけがないでしょう、という声なき声が伝わってくる。
普通なら絶対にそうは見えない太郎が、実はクラスで一番強いのだと、いつどこで知ることができたのか?
あらかじめ本人に聞いていたからだと知らない連中にとっては、どうやって太郎の最強を察知したのか、それこそ藤木に神秘的な力があるのだろうかと、いまも頭を悩ませていることだろう。
「何なんですか、あなたの言ってた神託の巫女とやらは」
太郎が尋ねる。
「それは秘密。教えられないわ」
しかし藤木の答えはにべもない。またも太郎はため息を増やすことになった。
そうして会話が途切れたあと、太郎が藤木に訊いた。
「それで、藤木さんのほうは、どうなんですか?」
「……どうって?」
「ストーカーの件です。なにか身の回りにおかしなこととか、危険なこととかはありませんでしたか?」
「うん、大丈夫よ」
ストーカー、の一言に思わず口元を引き締めて、藤木は頷いた。
「太郎に言われたとおり、久保田さん以外の人と二人にはならないようにしているし、様子のおかしな人が近寄ってこないかどうか、ちゃんと注意もしているわ。あの後は新しいメッセージも入ってない」
「そうですか。ならいいんですけど……。まだストーカーの件は解決していないんです。このあとも、気を緩めないで。用心を怠らないでください。徹底することが身を守ります」
ん? と藤木は太郎の態度に小さな引っかかりを感じ取った。
反応の薄い太郎が、自分のことを気にかけてくれている。それは嬉しい。
だがなぜ太郎は当事者でもないのに、自分に対してここまで強く念押しをするのか? ……それはもしかしたら、なにか太郎だけが知る心配の理由があるのではないか?
「太郎……なんかあたしに隠し事があるのかな? 知ってて言わないことがあるんじゃない? あんた、何を知ってるの?」
「えっ?」
太郎が驚いた声を上げる。
「はい、びっくり二回目ゲットね」
「ちょ、藤木さん? 何言いだして」
太郎の声は上ずったままだ。
「……なーるほど。わかっちゃった。太郎ってば、人に考えを読まれることに慣れてないんだ」
「藤木さん?」
「だから、読まれるとびっくりしたり焦ったりするわけか」
藤木はどうやら、太郎を驚かせる方法に気づいたようだ。
表情の変化に乏しい太郎は、周りから「何を考えているのかわかりにくい」と見られることが多い。実際に太郎自身が、なるべく気持ちを顔に出さないように、と努めているせいもあった。
しかし電話では逆に顔が見えないことでそこに惑わされず、声の変化や間の取り方から、藤木は話していることの裏にある考えを、なんとなく察知していた。
相手の本音と建前を聞き分けるのは、小さい頃から藤木の得意とするところである。
昨日の電話で藤木が使ったようなブラフも、タネを明かさなければ十分、相手の意表を突くのに役立つ。
自分の考えもしなかったことで慌てさせられるのは、太郎がことりによくやられるパターンだが、藤木は「何かある」のを会話の中から嗅ぎ取って突きつけ、太郎を翻弄できると知ったのだ。
ところが。
「何隠してるのよ。白状しなさいよ」
勝ち誇って追求する藤木に、太郎はちょっと間を置いてから答える。
「……何もありませんよ」
「うそ! なんか隠してる! わかるもの!」
すかさず言い募る藤木に、太郎は淡々と返すのみだ。
「そう言われましても。ないものはない、としか」
(ふぅん……)
藤木は考え込んだ。太郎が何か隠している。
それはまず間違いない。
しかし、それを自分に言う意志がない。
認めることもしない。
それもまた、太郎がそうすると固く心に決めたことなのだと察した。
(むぅ、このまま問い詰めても無駄、か)
「……まあいいわ。あんたなら、言わないほうがあたしにとっていいことだと、判断したからそうするんだと思うから」
「……」
「じゃあね、また明日学校で。おやすみ」
太郎の返事を待たず、藤木は電話を切った。
翌日は土曜日である。
授業はなく、一日かけて、エキストラの必要なシーンを撮影する予定の日だった。
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