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第81話

 朝、ことりは学校へ向かって歩きながら、太郎のことを考えていた。

 昨日の帰り道、太郎はずいぶんと上の空だった。

 もともと無口なほうであるし、何か考えに沈むことはこれまでもよくあったが、会話中の成り行きでの考えごとであったり、ことりも承知している内容で考え込んだり、といったことがほとんどである。

 それが昨日に限っては、何かことりのまったく関知しないことで頭がいっぱいな様子だった。

 二人でいるときに、それはきわめて珍しいことだったので、ことりは声をかけてよいものなのか迷い、結局そのまま家まで着いてしまった。

 太郎から話してくれないということは、自分が聞くべき話ではなかったのだろう、と思ってみたものの、やはり気になったので、夜になってから電話をかけた。


 すると驚いたことに、太郎の携帯端末は話し中であったのだ。

 連絡先を教えあったあと、もう何度電話をかけたかわからないくらいに話をしているが、これまでことりがかけたときに太郎が話し中で出られなかったことは、実のところ一度もなかった。

 それが初めて起きたのである。

 びっくりして、ことりは自分の携帯端末を取り落としそうになったほどだった。

 そのあと、太郎はことりに折り返しの電話をかけてくれたのだったが、ことりがちょうどお風呂に入っていたタイミングで気づくのが遅れ、あっと思ったときにはもう夜更けの時間だった。

 さすがに急用でもないのにそんな遅くではかけ直しづらく、昨夜はそのまま寝てしまった。


 (太郎ちゃん、なに考えてたんだろう? あんな時間に誰と電話してたんだろう? ふたつは関係することなのかしら? それとも全然別のことでたまたま重なっただけ?)

 登校中ずっともやもやが晴れないことりは、学校に着いてからもうっかりいつもの教室のほうに向かいかけ、「あ」と途中で気づいて木造校舎へと向きを変えた。

 もともと学校へ来るのがぎりぎりの時間であることの多いことりにそんな時間のロスもあって、教室に入って真理たちと挨拶したりしていたらすぐにホームルームが始まってしまい、太郎には声をかけそびれた。


 この日はまたはじめの教室へ戻り、そしていよいよ役者が全員揃う日でもあった。

 朝のホームルームで五十嵐からの連絡が一通り終わると、教室の扉のところに控えていた助監督の菊谷が外へ合図し、監督である宮本を先頭に、六人の俳優たちがぞろぞろと教室へ姿を現した。

 実倉と藤木は既に見知った相手であるが、ほかに新たな四名が加わり、転校生の紹介のごとく前に並ぶ。野々原(ののはら)大志(たいし)山王(さんのう)我路(がろ)五代(ごだい)マリア、崎田(さきた)京介(きょうすけ)で、野々原以外の三人は若手俳優としてドラマや映画の出演経験のあるものたちだ。

 ことりもどこで見たのか作品までは覚えていなくとも、顔はどこかで見た気がする、といったメンバーだった。


 藤木を含めた生徒役の五人は、みな既に東部中の制服を着ている。

 ほんとうに中学生なのは藤木だけで、あとは年齢がもっと上のはずだったが、そこはスタイリストなどもいるのだろう、それぞれにちゃんと着こなしており、制服姿は思ったより不自然さを感じない。

 実倉と藤木には慣れてしまった生徒たちも、初めて見る芸能人の登場には興奮を抑えられず、教室のとくに女子生徒は大騒ぎである。

 真理など椅子の上でぴょんぴょん跳ねながら、「ノノタ、ノノタ」と連呼している。五十嵐は処置無しといった様子でしばらく放置していたが、やがて教壇をばん! と叩いて生徒たちに静かにするよう言った。

「おまえらがそうやって騒いでいたら、いつまで経っても挨拶始めてもらえないぞ」


 それでようやく、生徒たちは落着きを取り戻した。

 ことりもまた、役者たちがどんな挨拶をしてくれるのかと一人ずつ顔を眺めて期待する。

 二回目の挨拶となる宮本、実倉、藤木はごく短く、あらためてよろしくと言った感じの簡単なもので済ませたが、ことりは藤木の雰囲気が変化したのを感じていた。

 来たときからその美少女ぶりはまったく変わらないものの、いまから思うと、昨日まではどこか人形めいて血の通っていないかのような印象だった。

 それがいまははっきりと、生き生きとした生命力を感じさせるようになっている。

 声に張りがあって、ひとつひとつの仕草から魅力があふれている。


 (なんかこう、魂が入った……て感じ?)

 もし友達にこんな変化があったとしたら、「なんかいいことあったの?」と訊きたくなるような、そんな違いをことりは見て取った。

 俳優仲間が揃ったことで、気力が充実したとか、そういうことなのだろうか? それともやっと撮影が実際に始まるから、気合いが入った?

(うーん、なんだろう?)

男子たち、とくに太郎の反応が気になった。

 ただでさえとびきりの美少女である。

 それがさらに雪解けしたように魅力を増して目の前にいる。

 ますます魅入られてしまっても無理はあるまい。

 そう思って、ことりはこっそり太郎の表情を盗み見た。


 (……え。太郎、ちゃん?)

 ことりは離れた席の太郎の横顔に思わず声を上げそうになった。

 太郎が()()()()()


 太郎の表情は相変わらず変化に乏しかったが、秘密を明かされてからずっと太郎を見てきたことりは、だんだんとわずかな違いを感じ取ることができるようになっていた。

 そう、きちんと注意してみれば、太郎の気持ちはちゃんと顔に出ているのである。

 ただそれがごく微妙であるために、たいていの人には違いを見分けられないだけなのだ。

 そうして、ことりが太郎の表情から感じていることを読み取る力は、いまや母親の京子に匹敵する、いや条件によっては凌駕するといってもよい域に達している。

 そのことりが、太郎の横顔に驚きを見て取った。


 (太郎ちゃん、何にびっくりしたっていうの?)

 もしや、あらためて藤木の美少女ぶりに魅せられてしまったとでもいうのだろうか。

 そう思って藤木の方を見ると、こちらもことりをぎょっとさせる。

(んん? 藤木さん……太郎ちゃんを見てる?)

まさかと思って見直すが……どうやらほんとうに藤木の視線は太郎のほうを向いていた。

(なんで? どういうこと?)

ことりは混乱した。

 太郎はといえば、やっぱりまだ驚いている。


 人の好みはそれぞれであり、何を以て好ましいと感じるかは異なるとはいえ、一般的な感覚では太郎の顔には華がなく、あまり異性の目を惹くほうとは言えない。

 いまやことりから見た太郎は、好みであるとかないとかいった枠をはみ出ており、「よく見たら、目鼻立ちは結構整ってるのよね」などと考えつつ見つめてしまうことさえできる。

 けれど、例えば四月の頃のことりであれば、大勢の中から太郎の顔に目を留めることは、きっとなかった。

 だから、ほかの女の子が太郎の見た目に注目する、などということは考えたことがなかったのである。

 ましてアイドルの藤木が、太郎に見入る理由などあるとは思えないし、想像すらできない。

 藤木に目を戻すと、もう太郎を見てはいなかった。

 しかし、明らかに不自然なほど長く、太郎のほうへ目を向けていたのは間違いない。

 ことりの胸が妙にざわついた。


 挨拶が野々原の番になると、またぞろ女子生徒が騒ぎ出し、収集付かなくなりかけたが、野々原本人の声掛けにより何とか場を収められた。

 野々原は四人組人気男性アイドルグループの一員でもあり、文句なしにもっとも人目を惹き寄せる華があった。

 真理の「後光が射して見える」という感想は大げさにしても、その気持ちはことりにもわかる。


 次いで山王、五代、崎田が一言ずつ抱負など述べつつ挨拶を済ませていく。

 山王はもともと甲子園球児でプロ野球選手になりたかったのが、怪我で断念して俳優の道を目指したと聞いたことがある。

 一時期荒れたこともあったらしいが、いまは演技の世界に道を定めたという。

 身体が大きく運動神経も良さそうな、ワイルドなイメージの俳優であった。


 五代はバネの利いた身体のしなやかさが制服越しでもわかってしまう、女性ながら俊敏な印象の俳優である。

 新体操の経験があるそうで、時代劇でくのいち役でもやったらぴったりではないかとことりは想像した。


 崎田は線が細めで非常に知的なイメージの強い俳優だ。

 眼鏡男子な点は太郎だって同じなのだが、かたや太郎の眼鏡はいまでこそ伊達であるものの、もともとの印象としては勉強しすぎで視力の落ちたことによる必需品と受け止められ、ほぼ顔の一部と見做されている感覚である。

 それに対し崎田の眼鏡は、好感度を何割か上げる効果のある、ファッションアイテムのように似合っていた。

 現役の大学生でもあるといい、都内の有名大学の工学部に通う身だと聞いた。


 (うーん。制服の着こなしはともかく、全員中学生の設定は、ちょっと厳しくないかな?)

 体格で言えばたとえば山王と外山はそんなに違わないし、五代よりもことりのほうが少し背は高いくらいなのだが、そこはやはり年齢によって纏う雰囲気は違ってくるのが当たり前である。

 藤木以外は高校生ならまだしも、中学生にはちょっと見えない。


 挨拶を終え、最後列に用意された机へと向かう生徒役の五人を横目に眺めて考えることりが気になったのは、それでも役柄の年齢設定より先ほどの藤木の視線だった。

(太郎ちゃんと藤木さん……接点なんてない、はずよね?)

少なくともエキストラの自分たちと藤木とが、学校で私的な会話を交わすことはできない。

 太郎には東京に父方の縁があるとはいえ、それだけで太郎と藤木がもともと知り合いだったということもあるまい。

 それに藤木に限らず、以前からの個人的な知人が役者にいるというのなら、太郎はことりに教えてくれただろうと思っている。


 (あー。なんかもやもやする……)

 ことりの思いをよそに、この日はまず役者である実倉による、国語の授業が行われた。

 本物の国語教師である松崎(まつざき)しのぶが脇に控え、実倉が教壇に立つのである。

 当然その様子はすべて撮影され、一部は映画で使われることになるようだ。


 ただこの日はとくに台本どおりに何かする必要はなく、普通に授業を受けてさえいればよいとことりたちは説明された。

 もし実倉の授業に何か修正が必要なことがあれば、都度松崎からの指摘も入ると言われていたが、結局実倉は最後までそつなく授業をこなし切って、松崎が口を挟むことは一度もなかった。

 始めから終わりまで、見事に教師として授業を演じ通したのである。

 授業が終わって、労う松崎に実倉がほっとした笑顔を見せながら、「ご指摘なくてよかった。緊張しました」と告げていたが、ことりたち生徒から見て、実倉にそんな緊張の素振りはまったく感じ取れなかった。

(プロの役者さんって、すごいな)

ことりは素直に感心する。


 そうして教師たちが引き上げたあと、例によって生徒役の五人もすぐに別教室に移動するのだとばかり思っていたのだが。


 「おい、おまえ」

 険のある声にことりが振り返ると、山王が外山の机の横に立って見下ろしていた。

「うぜぇんだよ、あからさまにガン飛ばしてきやがって」

外山はにやついた顔で山王を見上げると、ゆっくりと立ち上がる。

 二人の身長はわずかに山王が高いくらいでほぼ同じであったので、お互いに同じ高さで相手を睨み合う構図ができあがる。

 バチバチと音がしそうな視線の交錯に、教室内の空気が一変した。

「へぇ。てっきりビビって反応できねーのかと思ったんだがな。ちゃんと伝わってたなら、案外見かけ倒しでもなかったってか?」

どうやら外山が、ずっと山王を視線で挑発していたらしかった。


 外山が関心を持ったということは、役者であっても山王は、実のところ喧嘩っ早い性分であるのかもしれない。

 身に纏った暴力の匂いを感じ取ったということなのだろう。

「……中坊がイキってんじゃねーよ。田舎にいると身の程をわきまえねーやつが多くてな。井の中の蛙って言葉、知ってるか?」

「知るかよ、んなもん。なんなら教えてくれねーか、役者サマにできるもんならな」

「……けっ」

山王が吐き捨てて、一歩引いた。


 しかし緊張感は高まったままだ。

 小田原のあとで後期のクラス委員になった百瀬(ももせ)哲治(てつじ)が、出て行ったばかりの先生たちを呼び戻しに行くべきかどうか、迷って廊下と室内のあいだで目を泳がせている。

 野々原たち役者組は、やや心配そうにしながらも様子見といった表情だった。

「ったく、エキストラが役者の邪魔してどーすんだってハナシだよなぁ。だがいいぜ、やりたいなら相手になってやっても」

山王は傲岸な目付きで外山を睨み続けた。


 「ロケとか行くとよ。たまーにいるんだよ、ついつい自己主張したくなるヤンチャぼーずがな。見たとこおまえがこの中じゃ、一番の喧嘩自慢なんだろう? おまえをおとなしくさせられりゃ、一緒にほかの連中も静かにしててもらえるってわけだ」

まさに一触即発。

 いまにも開戦のゴングがなるのかと思いきや、山王の言葉を聞いた外山が、ふと微妙な顔になった。

「む……」

「ん? なんだ」

その変化を感じ取り、山王が早くも勝ち誇った様子で続ける。


 「おいおーい、いざやるとなったら腰が引けたか? 口だけかよ、達者なのは。ええ?」

「いや……やるのはもちろん歓迎なんだがな」

「ああ? じゃあなんだ? まさか今日は体調が悪いとかいうなよ?」

「いわねーよ。ただな、おれがここで一番といわれるとな」

「……へぇ? 違うのか」

山王が眉間にしわを寄せ、あらためてクラスを一渡り見回した。

「おまえより強そうなのは、いるように見えないがな」

「……まあ、おまえにゃわからねーよ」

「あん?」


 やや自嘲気味に応える外山に、山王はわずかな戸惑いを見せる。

「だがおれが一番じゃないのは事実だ。だからよ、おれに勝っても全員抑えることにはならねーよ。……まあ、おれをおとなしくさせられたとして、だがな」

「なんだと?」

山王は、もう一度クラス全員を眺め直す。

 一瞬、体格の良い富田に目を留めるが、ブルブルと首を横に振られてしまう。

 ほかにこれといった生徒を見出すことはできなかったようだ。


 「……おまえ、ビビってテキトーなこと言ってんじゃねーだろうな?」

外山はくくっと声を出して嗤った。

「いや、わかんねーか、まあそうだろうよ。わかるほうがきっとおかしいからな」

「……ほぉ? じゃあ誰が一番だってんだ? ほんとにいんのか、そんなやつが。……ハッタリなんだろう? え?」

苛立ってきた山王が教室内と外山を交互に睨む。


 そこへ、静かだが良く通る声が響いた。

「彼よ」

声の主は藤木だった。その指差す先にいたのは、太郎である。

お読みいただきありがとうございます。

週に1話ずつ更新します。

カクヨム様にも投稿しております。

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↓ほんそれ。
早く続きが読みたい~!
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