第77話
途端に藤木は表情をむすっと不機嫌なものに変えて、「信じらんない」「あたしが頼んでるのに断わる? ふつう」「お願いビームが通じないなんて初めての屈辱だわ」などとぶつぶつ言い出した。
太郎は取り合わずに回れ右をする。
そのまま教室から出て行こうとしているのを察すると、藤木は慌てて太郎を呼び止めた。
「あ! ちょっと待ちなさいよ!」
「なんですか?」
「ねえ、じゃあ授業が終わったら聞いてくれるの?」
今度は太郎が驚いて足を止めた。
単なるその場の気まぐれではなく、まさかほんとうに話し相手が欲しかったのか?
「……ぼくらはエキストラなので、時間がどうあれ藤木さんとぼくはお話できませんよ? それはご存じでしょう。映画スタッフの方から叱られます」
むう、と藤木が不満げに頬を膨らませる。
そこはいちおうルールとして藤木も承知しているらしい。
「……じゃあ、学校の外ならどう? 太郎の連絡先教えてよ」
藤木は自分の携帯端末を取り出すと、太郎にも出せと要求した。
「学校への持ち込みは禁止なので、いま持ってないです」
「真面目だな!」
すかさず藤木が叫んでがっくりと首を垂れる。
それでもすぐに気を取り直し、自分のノートの端を小さく破いて、何かさっと書き付けた。
そうしてその紙片を太郎に向かって突き出す。
「はい、あたしの連絡先」
太郎の目が真ん丸に見開かれた。
アイドルが個人の連絡先を、自ら一般人のこちらへ寄越すというのか?
いくら芸能関連の常識に疎いと言っても、さすがにそれは異常事態だろうと太郎は思う。
「……それを、ぼくがもらっていいんですか?」
そんなことをして大丈夫なのだろうか。
手を出す前に、太郎は確認せずにいられなかった。
「いいの。だから渡すのよ。あ、でももしどこかへ流出したことがわかったら、あんたのせいにするからね?」
「……じゃあ、要りません」
「ちょっと!」
これには藤木も目がつり上がる。
「要らないって、何よそれ!」
「だって、藤木さんの連絡先を知っているのが、ぼくだけってことはないですよね?」
「あたりまえじゃない」
何を言っているのか、と藤木は憤然としている。
「なのに、情報が漏れたらぼくのせいになるのだとしたら、それは割に合わないです。ほかの誰かのぶんまで責任は取りたくないので、連絡先自体もらわない方がマシです」
太郎の返事に、藤木はしばらく開いた口が塞がらない様子だったが、やがて太郎の言い分にも一理あると思い直したのか、太郎のそばまでやって来ると、黙って再び紙片を差し出した。
「……いいんですか?」
「漏れてもあんたのせいにはしないから、受け取りなさいよ。だいたい、あたしの連絡先を要らないってどういうことよ? 価値わかってんの? ていうか、絶対ほかに漏らさないでね? あと、学校終わったらちゃんと連絡してよ?」
「わかりました」
太郎は紙片を受け取った。
アイドルの個人情報の貴重さよりも、太郎にとってはどちらかというとトラブルのリスクの方が大きな紙切れである。
それこそ、持っていることだけでも誰かに知られたら、自分がどんな目に遭うのか想像に難くなかった。
それでもようやく、太郎は教室を出て忘れ物の用事に戻ることができる。
「待ってるから」
最後にそう声をかけられ、太郎は小さく頷き返して理科室へ向かった。
なんだか大変なことになってしまったとため息が出た。
(まさかと思うけど、アイドルの悩み相談? 絶対にぼくの柄じゃないのに、どうしてこうなった……?)
理科室から戻った後も、上の空だったはずの藤木の意識がなぜか太郎の方へ向いていて、クラスのみんながいる前でもかまわず声をかけてきそうなほどだったので、気が気では無かった。
いまをときめくアイドルから名指して話しかけられた日には、そのあとどれだけ取り繕っても騒ぎになることは間違いなく、そのうえクラスの男子全員を敵に回すだろう。
そんな立場はまっぴらだ。
なんとか何事もなくその日の授業がすべて終わり、太郎はいつもどおりにことりと二人で帰ったが、さすがに悩みの中身も定かでない藤木の件を口にするわけにはいかず、どことなく落ち着かない気分が拭えない。
(うーん、なんだろう? この居心地の悪さは)
お互いに意識し合って気まずくなったことはこれまでにもあったが、ことりの隣りで太郎が一方的に、居心地が悪いと感じたのは初めてである。
太郎は自分の感覚の理由をよくよく考え、ようやくひとつの仮説に突き当たる。
(もしかして、ことりさんの横で別の女の子のことを考えているからか?)
つまりこれはあれか。
一種の浮気みたいな状況なのか?
だから居心地が悪い?
(いやいや! だってぼくことりさんと付き合ってるわけじゃないのに!)
いまだに太郎は、ことりと付き合っているというつもりはなかった。
太郎はことりがいずれアメコミヒーローもどきの誤解に気づいて自分から離れていくだろう、それなのにことりのことを彼女にしたいなどと願うのはおこがましいし、そんなわきまえない思いを抱いてはならない、と考えていた。
それでも、太郎がことりのことを好きなのは既に自覚がある。
いっぽう藤木に対しては別に惹かれているわけでも何でもなく、恋愛感情から考えているのとは違うのに、好きな女の子の隣りだからというだけで、なお自分は居心地が悪くなってしまうのか。
(……わきまえ方が足らないのかなぁ)
太郎は小さく肩を落とす。
そんな太郎を、ことりはじっと観察していたのだが、とくに何も言うことなく、二人はこれも寄り道しない日のいつもどおりに、ことりの家の前で別れた。
家へ帰った太郎は、再び悩み始めることになる。
(さて、いつ電話すればいいんだろう?)
ことりからの電話はたいてい向こうがかけてくるし、ごくまれに太郎のほうにかけたい理由があるときは、よほど常識外れの時間でなければ躊躇わずにかけていた。
それで相手が出なければ何か都合があるのだろうと思うだけで、着信履歴は付くので折り返しを待つか、また間を置いてかけ直すことができるくらいには、もうお互いに気心が通じていたからだ。
だが藤木相手となると、どのタイミングであれば相手が電話に応じてくれるのか、その感覚がまったくわからない。
かけて出ないだけならまだしも、うっかり都合の悪いタイミングに当たろうものなら、「こんな時間にかけてくるなんてどれだけ常識がないのよ?」と罵られるくらいのことはありそうだった。
かといって、ずるずるとかけずに引っ張ってしまえば、「なんですぐにかけてこないの?」とこれまたなじられそうで、太郎はどっちに転んでも割に合わないなぁと、まだ何もしないうちからため息が漏れる。
(いっそ電話じゃなく、テキストメッセージの方がいいのか?)
だが携帯端末を友人との通信に使うことが滅多になかった……というか友人とのやりとり自体がほぼなかった太郎は、キーボードがないツールでの文字入力があまり得意ではなかった。
それこそ、ことりに見られたときには「え、太郎ちゃんいつもそんななの?」とびっくりされたくらいには遅いのである。
かなり込み入っていそうな藤木の事情を聞くには、電話の方がずっと楽に思えた。
(はぁ。下手の考え休むに似たり、か。悩んでいる暇があったら、かけてしまおう)
太郎は自分の携帯端末を手に、藤木からもらった電話番号にかけてみた。コール音が鳴り始める。
(さて……出てくれるのかな?)
太郎がそう考えた途端、電話がつながった。
と思ったら、聞こえてきたのは自動音声である。
「現在、電話に出ることができません」
あらま、と太郎は思うが、それなら留守電に一言残しておけばいいかな、と自動音声の案内が終わるのを待って話し始める。
「あ、穂村です」
「遅いよ太郎!」
「え?」
メッセージを残そうとしたら、いきなり藤木の声が返ってきたので太郎は思わず端末をまじまじと見てしまう。
「あの……藤木さん?」
「そうよ! ずっと待ってたんだけど?」
「あ……それはすみません。でもさっきの自動音声は? いま電話に出られないのじゃ」
「知らない番号からかかってきたら、すぐに出たりしないに決まってるでしょ! 太郎が名乗ったから出たの!」
ああ、そういうことか。
ことりと話すようになるまで、知らない番号どころか登録済みの番号からもろくに着信のなかった太郎には、まったく想像もつかない身の守り方だった。
確かに誰からかかってきたのかわからない電話に、すぐ出てしまうのはリスクが大きいだろう。
「わかりました。それで? お話というのはなんでしょう」
「あ……うん」
すとん、と藤木の声に勢いがなくなった。
「えっと……それなんだけどね」
「はい」
「太郎……電話じゃなくて、いまから会えない?」
「……はぃ?」
(どうしてこうなった?)
太郎は内心冷や汗を流しながら、校区の外れに近いファーストフード店で藤木と向き合っていた。
ファンなら大喜びで天にも昇る心地かもしれないが、よりによって自分がアイドルと密会もどきの立場になるなど、太郎には迷惑以外の何ものでもなかった。
「会って話したい」という藤木に、最初は難色を示したものの、結局押し切られてしまったのである。
さりとて会うには場所の問題がある。
藤木の泊まっているホテルは、太郎の住む校区内では最上級のホテルだったが、一般的にはまあまあといったランクのものであった。
市の中心部まで行けば、もうちょっとハイクラスなところもあるはずなのに、移動時間や距離を考えての選択であったようだ。
ホテルのラウンジや喫茶室などといった選択肢もあった。
だが子どもだけで利用するのにふさわしいと思えず、とにかく目立たないようにするには、日頃の太郎の行動範囲から外れないところにすべきだと考えた。
とはいえ、ことりと長話をしたような公園のベンチではさすがにオープンすぎると思えたし、図書館では話自体ができない。
逆にカラオケやネットカフェのような二人きりで籠もってしまえる場所も、内緒話に向いているとはいえうっかり出入りを見られるリスクを考えると不都合が大きいのと、そもそも太郎はそうした店に行ったことがない。
不案内な場所は選びたくなかったので、結局ホテルの近くにあるファーストフード店で会うことにした。
そこならたいていは同世代の客で賑わっており、太郎たちがいても不自然ではないだろうと思えたのだ。
無論、心配なことはあった。
「藤木さんが店にいたら、大騒ぎになってしまいませんか?」
太郎が懸念を口にすると、藤木は「そんなの変装して行くに決まってるじゃない!」と一蹴したため、待ち合わせ場所が決まった。
母親の京子が帰ってきてからでは出かける理由を説明することになるので、太郎は急ぎその前に家を出る。
普通に歩いて行けばちょっと早く着くくらいで問題ないだろう、と思っていたのに、店には藤木が先に来ていた。
入ったところで視線を感じたためそちらに目をやると、つばのある帽子に濃いサングラス、大きなマスクという、いかにも怪しい格好の藤木が奥の席から太郎に手を振る。
服装も普段のフェミニンなイメージとは違った、ボーイッシュなパンツ姿であった。
どうやら電話の後、すぐにホテルを出てきたようだ。
一人で待っていて、変装がばれて見つかるとか心配じゃないんだろうか?
「お待たせしました」
「……なに飲みたい?」
太郎と入れ替わりに藤木が立ち上がる。
「あ。一緒に行きますよ?」
「いいわよ。おごるわ、ここの飲み物くらい」
「……え、いやそれは」
太郎が驚いていると、藤木はちょっと小馬鹿にしたように笑う。
「あんた稼いでないでしょ? お小遣い生活の中学生に払わせる気はないから安心なさいよ」
太郎はわずかに考え、ここは素直に従うことにした。
「じゃあ、ホットコーヒーをブラックでお願いします」
ナノマシン体になってもう成長しないとわかってから、一日に飲むコーヒーの量は制限しなくなっていた。
「へぇ、シブいの飲むんだ」
「あ、藤木さん」
レジに向かおうとする藤木を、太郎が呼び止めた。
「なに?」
「ぼくが奥の席に行っていいですか?」
それはつまり、向かい合う藤木が店内に背を向けて座ることを意味する。
ほかの客から見える側に顔を向けるのが太郎になるということだ。
藤木は少し驚いた素振りで立ちすくんだが、すぐに「いいわ」と言ってレジに歩いて行った。
店内はまあまあの入りだった。
見たところ、さいわいにも一人客は見当たらない。
幼い子のいる家族連れや中高生の客が多く、みな賑やかなおしゃべりに興じていて、これなら藤木の話を聞いても、狙いどおりとくにこちらへ聞き耳を立てそうなものはいないだろうと太郎はほっとした。
間もなく、藤木が飲み物を二つ持って戻ってくる。
それまでの間に、太郎は店内にいる人の『気』をざっと探っていたが、いまのところ、藤木の正体に気づいて意識を向けている客はいなかった。
それにしても落ち着かないこと夥しい。
なぜ自分がこんな目に、と思わずにはいられない。
表情には出ていないはずだが、もしここで藤木の正体がばれたりしたらと想像すると、冷や汗が止まらない気さえしていた。
注文どおりのホットコーヒーを太郎の前に置いて座ると、藤木は次に、すっと太郎に頭を下げた。
「ありがとう、来てくれて」
太郎はちょっと面食らって目をぱちくりした。
お読みいただきありがとうございます。
週に1話ずつ更新します。
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