第74話
学校からの帰り道、いつものように二人で歩きながら、ことりは太郎の様子を窺っていた。
会話はなかったが、黙っていても雰囲気が悪いわけではない。
でも、以前とは何かが違う。
ことりが一歩踏み出すと、太郎がすっと一歩下がる。
避けられたり離れて行かれるわけではないけれど、太郎との距離を縮めようとしても、太郎が笑顔のまま静かに首を振る。
そんな感覚が続いていた。
ことりが太郎を初めて家に招いた日から、何かが変わってしまったのだ。
相変わらず、ことりが話しかければ太郎はちゃんと応えるし、何か頼み事をしても嫌な顔などされずに聞いてくれる。
こうして二人で帰る習慣も変わらない。
けれど、なんだろう? この違和感は。
親しき仲にも礼儀あり、の礼儀が強すぎる版?
もやもやを抱えながらも、ことりはその正体がわからずに悩んでいた。
「ことりさんは、どうする?」
太郎が珍しく自分からことりに話しかけてきた。
「エキストラのこと?」
うん、と太郎が頷く。
「そうねぇ」
もやもやのことは置いておいても、ことりにとって、太郎と話ができることはやっぱり嬉しいし楽しい。
「とくに出たいとは思っていなかったけど、先生にああいう言い方をされてしまうとね……。ちょっと出ておこうかな、という方に傾いている感じ?」
クラスでも、五十嵐の話で考えを変えたものは多かった。
まだ決めかねているものもいるに違いないが、それでもまったく関心のなかった生徒まで、心が揺れているとわかるほどに迷い始めていた。
「太郎ちゃんは? 出るの?」
「うーん、ぼくもどっちでも良かった……いや、どっちかと言えば出たくない側だったんだけど」
「うん」
太郎ならそうだろうとことりは思った。
もしここで、真理のように「出るに決まっている!」と返答されたら、熱でもあるのかと心配してしまうところだ。
「クラスみんなで、という申し出に、ちょっと惹かれてるのもあるみたい」
「……ん? というと」
「ぼく一人が出るか出ないかじゃなくって、ことりさんやほかの……二組のみんなで出ておくというのは、ちょっといいかなって思っちゃったんだよね。個人単位で募集されたのなら、たぶん不参加にしたと思う。でも、クラス単位だったら、やってみたいかなって。あ、もちろん、だからってみんなで出るべきだ、なんてこと言いたいわけじゃないけど」
およそらしくない物言いであることを、きっと太郎も自覚しているのだろう。
照れた感じで話す太郎を見て、ことりも、確かに四月の頃の太郎だったら、そんな考え方しなかったかもしれないな、と思う。
「うん、そうね。わたしもいいと思う、それ」
今日は火曜日だ。
アンケート提出期限の木曜朝まで、あと一日猶予がある。
太郎の願いを叶えたくなったことりは、行動することにした。
翌水曜、学校に着いたことりは、まず職員室へ五十嵐を探しに行く。
ちょうど歩いてくる五十嵐を見かけたので、「先生、ちょっといいですか?」と呼び止めた。
「お、世羅か。なんだ? ホームルームまであんまり時間がないから、ほんとうにちょっとだけだぞ」
五十嵐は忙しげにしながらもいちおう立ち止まってくれる。
「えっとですね、エキストラの件なんですけど」
ことりは考えてきたことを五十嵐に相談してみた。
話を聞いた五十嵐は、「ふぅむ」と言ってあごをなでる。
「こっちから撮影サイドにリクエストが出せるかどうかは、正直おれにもわからん。だが、伝えるだけは伝えてみよう。何も言わんよりはましかもしれん」
「ありがとうございます。お願いします」
ことりは五十嵐に頭を下げて、自分の教室へと引き返す。
この日は休み時間のたびに、真理や佳子をはじめ、クラス委員の綾子らを捕まえては、ことりから相談を持ちかけた。
その結果、ことりのやりたいことを形にするには、帰りのホームルームのあとでクラス全員に向けて意見を伝えるのが良いのではないか、という話になった。
その際、誰が声をかけるべきかとの問いには、相談した相手の全員から「そりゃおおとりが自分で言うべきだ」と返され、ことりも覚悟を決めた。
帰りのホームルームが終わり、五十嵐が教室を出るか出ないか、といったタイミングで、ことりが意を決して立ち上がると、それに先んじて綾子が「はい! みんなちゅうもーく!」と大きな声を出し、手を叩いてみなの注意を引いた。
帰ろうとしていたクラスメートが、何事かと綾子の方を見る。
ふと見ると、五十嵐も職員室に戻る足を止め、振り返っていた。
綾子はにっと笑うと、「みんなに、世羅さんから大事なお話があるの! ちょっと聞いてあげて!」と言って、ことりに向かいさらに続けた。
「さ、どうぞ!」
教壇に立てと手で指し示してみせる。
不意打ちされたことりは真っ赤になって、せっかく立ち上がっていたのに思わずまた座ってしまった。
「ちょ! 篠崎さん?」
聞いてないですよ? そんなプレッシャーたっぷりな前振りやってくださるなんて!
目で訴えるが綾子は意に介さず、にこやかに手を差し伸べて待っている。
そこへすかさず佳子と真理が拍手しながら、「いよっ! 待ってました」「頑張れおおとり!」と声を合わせた。
そればかりか、今日相談した相手が揃って拍手してくるではないか。
ここまでされてはやむを得ず、ことりも再度立ち上がり、ぎくしゃくと教壇へ歩を進める。
覚悟を決めたつもりだったが、大仰にサプライズのお膳立てをされたおかげで顔を赤くしたままのことりは、緊張のあまり頭が真っ白になって、何を言っていいのかわからなくなってしまった。
困った顔で教室を見渡せば、それぞれがそれぞれの表情でことりのほうを見ている。
期待に満ちた顔も迷惑そうな顔も、面白がって見る顔も、不審そうに窺う顔もあった。だが、この時点では全員がことりに注目している、という点で一致していた。
(え、どど、どうしよう?)
焦って泳ぐことりの目が留まった先は、やはり太郎の顔だった。
今日、ことりが行動に出ることは、太郎には相談していない。
だから自分がこれから何を言おうとしているのか、彼は知らないはずだ。
その太郎は相変わらず読みにくいポーカーフェイスであったが、ことりと目が合ったとき、それでもことりに対してこくんと小さく頷いてくれた。
それで……ことりは自分でもびっくりするほど、すっと落着きを取り戻す。
もともと大勢の前で話すのは、バスケ部の主将時代から決して苦手ではない。
えへん、とひとつ咳払いしたあと、ことりはにっこり笑って言った。
「はい、ご注目感謝ー。ほんの二、三分だけだから、ちょっと話聞いてもらえるかな?」
そうしてことりは、予告なく場を盛り上げてしまった綾子を軽く一睨みしたあと、もう一度教室内を見渡して言った。
「映画のエキストラのことなんだけど。明日が返答期限でしょう? もし……もしね、まだ決めかねている人がいるなら、ぜひ一緒にやろうって言いたかったの。そう、できることなら二組の全員で参加してみたいんだ」
ことりはいったんそこで言葉を切り、クラスメートたちの反応を眺めた。
何を言い出すのか、という戸惑いはあっても、とりあえず、すぐさま反発は返ってこないようだ。
「あ、いちおうなんだけど、言いたいのはクラスはひとつにまとまって行動すべきだ、とかそういう意味じゃないからね」
すると、前の方の席にいた吉崎が口を挟んだ。
「……じゃあ、どういう意味なんだ?」
ことりはぱっと吉崎を指差して笑顔を見せる。
「うん! 吉崎君、ナイスな質問、ありがとう!」
「え? 待てよ、なんかおれサクラみたいになってる?」
「なんだ吉崎、サクラ質問かよ?」
「いやだから違うって! サクラじゃねーからな?」
思わぬことりの返しに吉崎へのヤジが飛び、わっと笑い声が上がった。
その声が引いていく瞬間に、すかさずことりは言葉を継いでいく。
「あのね、この映画の撮影をほかの学校行事と同じように、わたしたち三年二組の共有イベントとして、みんなで体験してみたいの。たとえば、この間の体育祭だったり、修学旅行だったり、あるいは定期テストなんかと同じようにね」
ことりは吉崎の顔を見つめ、自分の言葉が染みこむのを待つ。
まだ吉崎は話が見えないという表情だ。
「たぶんね、映画への参加は、したい人も、したくない人も、どうでもいい人もいると思う。でもね、どんな気持ちの人も等しく、クラスのイベントとして一緒にやってみたい。えっと、体育祭だって、みんながみんな楽しみにしてたわけじゃないよね。……まあ、わたしは最高に楽しみだったけど」
「そりゃおおとりはねぇ?」
「わかるー!」
「さすが脳筋キャプテン!」
「誰よ、いま脳筋って言ったのは?」
たぶん真理だろうと察しながらことりが思わず言い返す。
この前の中間テストの答案公開してみせようか? と反論したくなったがぐっと我慢した。
「でも、楽しみじゃなかった人も、体育祭は一緒にやるでしょう? そうすると……きっと、あとからみんなで共通の体験として、体育祭の話ができるようになると思うの」
まだ吉崎は納得顔には遠い。
ことりが何を言いたいのか、腑に落ちていない。
それはつまり、クラスメートの大部分がそうだということなのだろう。
ことりは言葉を選びながら伝え続けた。
「今回はみんなで参加できたけど、もし体育祭を欠席した人がいたら、その人は体育祭の思い出が……それが良いものであっても悪いものであっても、ほかの人より少ないことになるじゃない? たとえば東部中を卒業したあと何年か経って、わたしたちが再会したとき、共通の話題はあればあるほど嬉しい。
そのひとつに映画のエキストラ出演が入っていたらいいなとわたしは思う。だって二組だけの限定イベントなんだもの、間違いなく話が盛り上がるよ。それに……」
ことりは吉崎ではなく今度は太郎の顔をちらっと見る。
「みんなで参加した結果、二組は体育祭で優勝することができたでしょう。でも誰かひとりでも欠けていたら、違う結果だったかもしれないよ? やる前には望まないイベントでも、参加して全力を尽くせば、意外に楽しめてしまうことだってきっとある。だって何が起きるかは、参加した人にしかわからないんだもの」
自分のことを言われたと思ってか、太郎がちょっと赤くなったのがわかった。
これまでは知らないが、今年の体育祭は、太郎もきっと楽しめたはずだとことりは確信していた。
「なるほどな。参加してこそ、それがつまらないかどうかもわかるってことか」
小田原が思わずという感じで声を上げる。
「そのときつまんなくても、あとから笑い話にできるってこともあるよな」
今度は加藤。
するとそこへ「あんたは存在自体が笑い話だけどね」と佳子がすぐさま突っ込みを入れた。
そこから皆が好き勝手にわいわいと声を上げ始める。
こうなるともう収集がつかなくなり、ことりもこのあたりが引き際と考えて、最後に声を張り上げた。
「だからね、どうしてもイヤってわけじゃなかったら、ぜひ一緒にやりましょうってこと! 普段行けない木造校舎だって、堂々と入れるし! 東部中にいるからには、一度はちゃんと中見たいよね? わたしからは以上でーす! ご清聴ありがとー!」
何人かがヒューヒューと囃し立てる中、ことりは教壇を降りた。
綾子が「お疲れ様!」と立ち上がってことりをハイタッチで迎える。
離れ際、「なかなかいい演説だったんじゃない? あたしももちろん参加するわ」とウィンクされた。
真理が駆け寄ってハグしてくる。ことりは「脳筋」のお礼とばかり、にこやかに全力の鯖折りを返しておいた。
教室内のあちこちで、いまのことりの話からそれぞれに議論が生まれていく。
これで参加者が増えるのかどうかはわからない。
しかし、ことりはなんとなく手応えを感じていた。
みなに共感してもらえた気がしていたのだった。
翌日、木曜の朝。
職員室に戻った担任の五十嵐は、ホームルームで集まったアンケート用紙の束を見て思わず唸る。
「うーむ」
「どうされたんですか? 五十嵐先生」
同僚の真中がコーヒーカップを片手に声をかけてきた。
お互い、次の時間は授業がないのだ。
五十嵐は机の紙束を指さして答える。
「これですよ。エキストラのアンケート」
「ああ、二組にオファーが来ているというあれですか。何か問題でも? 参加者が集まらないとか」
「いや、逆です」
「逆とは?」
「全員、参加するとの回答なんですよ」
「……ほぉ?」
なんと二組の生徒は、一人残らず参加にマルを付けてきたのだった。
何人か、場合によっては半数ほどは不参加になるだろうと予想していた五十嵐は、この結果にかなり驚いていた。
(……正直、そこまで結束の固いクラスだとは思ってなかったんだが)
少し乗せすぎたかな? と火曜日の自分の発言を思い返して五十嵐はあごを掻いた。
(それとも、世羅の演説が功を奏したか)
昨日の帰り際、ことりが教壇でクラス全員に向かって参加を呼び掛けたのは、五十嵐も立ち止まって聞いていた。
女子バスケ部の主将として部員を鼓舞するのに慣れているのか、なかなかに気持ちを動かす話をするものだな、と感心はしたが、もともとやる意志のない生徒まで参加に傾くような効果があったのかは疑問だった。
「……みながやる気になってくれたのなら、いいことじゃないですか」
真中は気楽に感想を伝える。
確かに、欠員が多くて補充を募らなければならなくなったり、中途半端な人数が別に授業を受けさせる対象になったりすると、それはそれでまた面倒が増える。
クラス丸ごとで行動をひとつにしてくれるのなら、助かることの方が多い。
「まあ、そうなんですがね」
しかしなぁ、と五十嵐はアンケートのいちばん上に載せた一枚を手に取った。
あ、と思わず出した声が真中の口から漏れる。それは外山の書いたアンケート用紙だった。
「芸能人と揉め事起こさなきゃいいんだがなぁ……」
五十嵐のつぶやきに、今度は真中も無言であった。
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