第71話
騎馬の二人の当惑をよそに、太郎はターゲット探しに困り始めた。
(あっち向いててくれる騎馬が、そろそろいなくなっちゃう)
騎馬戦ももはや終盤、生き残りは多くなかった。
そうなると、はじめから太郎たちを誰も意識していないような騎馬は見つけられなくなってきたのだ。
太郎がやっていたのは、相手の気を逸らす操作だった。
(外山君の殺気というか闘気というか、戦いたい気持ちが強すぎるんだよな……)
太郎一人なら気配を殺して相手に近づくことなど造作もないのだが、外山や富田、吉崎まで含めて気配を薄めることはさすがにできない。
そこで、はじめから太郎たちを見ていない、意識に入っていない相手であれば、そのままの状態を保つよう、相手の騎馬の気を逸らし続ける方法を選んだのである。
そうすれば、大声を出すとか名前を呼ぶといった、こちらから敵方の気を引く行為さえしない限り、触れられる距離まで気取られずに近づくことも可能なのだ。
しかし騎馬を組む四人の中に、一人でも太郎たちを認識しているメンバーがいると、たまたま相手が自ら意識を逸らしてでもくれない限り、太郎たちに気がつかなくさせることまではできなかった。
騎馬自体の数が減ると、外山のいる太郎たちの騎馬はどうしても警戒されやすく、まさにたったいま帽子の取り合いをしている騎馬同士くらいしか、意識から外してくれる相手はいない。
「てっぺん! 早く次だ!」
歯を剥き出して嬉しそうに叫ぶ外山だが、太郎はもう自分たちに気づいていない騎馬を見つけることができなかった。
仕方なしに「じゃあ、あっちで」と、獲得ポイントでライバル状態にある一組の騎馬を指す。
「よっしゃぁ!」
勇んで指された方へ踏み出す外山から、相手はすぐさま逃げ出すと思っていた。
ところが、逆にその騎馬は太郎たちへ向かってきたのである。これは太郎にとっては意外な反応だった。
(へえ。終盤なら戦ってもいい気になったのかな?)
理由はすぐにわかった。
一組はまだ三騎の騎馬が健在で、それらが連携して一斉に太郎たちの騎馬に向かって来たのだ。
三騎がかりでもよそから横やりが入らない程度に、全体の数が減ったからこその戦法であろう。
あるいはずっと多対一の数に勝る戦略を徹底していたのかもしれない。
(……すごいな、ちゃんと作戦立てて戦っているんだ)
この終盤で同じ組の騎馬が三騎生き残っているだけでも驚きであった。
勝ちたい、という気持ちだけではなく、一組ではおそらくすべての競技で、勝つための具体策が練られたに違いない。
小田原が100メートル走のオーダーを考えただけで、周りに驚かれていた二組とは根本的に準備のレベルが異なっている。
一組の三騎は、三方向から太郎たちを取り囲むような配置を採った。
そうして同時に武者役から太郎の帽子をめがけて手が伸びてくるのだ。
外山がどれかの騎馬に向かって踏み出すと、そこだけがすっと下がり、ほかの二騎が詰めてくる。
それは見事な連携っぷりで、太郎は舌を巻いた。
(これ、相当に練習やってるよね? まさか体育祭の騎馬戦くらいで、フォーメーション作れるだなんて!)
取り囲まれたことで、外山はともかく富田と吉崎は浮き足立っていた。
太郎が軽いので多少の当たりで崩れるようなことにはならなかったが、二人の顔つきに明確な焦りが出ている。
が、太郎は落ち着いていた。
三方向から完全に同タイミングで手を伸ばされたとしても、太郎には問題なく避けることができたからだ。
実際にはせいぜいがだいたい同時といったレベル、それも外山に相対している騎馬からはまず手が出てこないので、二方向のみに気をつければいいのだから、とくに苦労はなかった。
後ろから手が伸びてきてさえ、音と温度感知に気配も加え、正面からの相手と同じように避けられた。
相手にしてみれば、後ろに目でも付いているのか? と思いたくなる動きであったが、常人ならほんとうに目が付いているのと変わらない回避能力に見えただろう。
とはいえ一組の武者役は三人とも太郎よりリーチが長く、向こうがただ手を伸ばしてきた程度だと、太郎の手は相手の帽子に届かない。
本気で掴みに来てくれれば太郎も相手に触れられるのだが、半ば牽制の攻撃が続いていて、事態は膠着しつつあった。
しかし、さすがに三騎で囲めばすぐ決着すると考えていたのか、一組の騎馬たちが次第に苛立ち始めた。
武者役はまだしも懸命に帽子を掴もうとするもののなぜか避けられるので戸惑うばかりだったが、騎馬役たちは太郎を舐めているものが多く、小柄な太郎一人に三人でかかりながら、いつまで経っても帽子が奪えないことにイライラを隠せなかった。
まして騎馬役は、目の前の外山の威圧に耐えながら騎馬を維持しているのだ。
「なにやってんだよ? まだか、早くとっちまえよ!」
「うるせぇな、すばしっこいんだよ、こいつが……」
「一人だろう? さっさとやっちまえ!」
「うるせえっつってんだろ! やってるよ! ……あっ?」
一組の騎馬の上下で口論が始まりそうになったとき、ついに武者役の一人が思わず前のめりで掴みかかり、それを太郎がさっと避けざまにカウンターで相手の帽子を奪い取った。
「やべっ! 獲られた?」
「え? な? ええ?」
そこへ二度目の法螺貝の音が吹き鳴らされる。終了の合図だった。
呆然とする一組の騎馬たち。
太郎は、手にした帽子を両手に掲げた。
「帽子六つ、獲れたよ」
生き残りポイントを入れれば65ポイント。
単騎の戦果としては28騎中、最大の獲得ポイントである。
うおおーっと大きな歓声が響き渡った。
二組の応援席、そして戦場の外へ出されていたほかの騎馬メンバーの雄叫びであった。
既にほかの三騎はみな失格になっていて、場外で待機していたのだ。
その12人が一斉に太郎たちに駆け寄り、ところかまわず荒っぽく身体をバシバシ叩いて健闘を称えた。
喧嘩ではなく級友から叩かれたことなど、おそらく初めてに違いない外山も、満更ではなさそうに見えた。
「いよっし! てっぺんを胴上げだ!」
「ふぇっ? い、いいよ! やめてよって……あっ!」
太郎を下ろした外山のかけ声に、皆が呼応して太郎を担ぎ上げた。
太郎は抵抗しようとしたが、何しろ小さくて軽いので、持ち上げられてしまうとどうしようもない。
あっという間にクラスメートの手で宙に舞うことになった。
身体を硬直させた太郎が五度飛び上がると、今度は「じゃあ次は外山!」と誰かが叫び、「なに?」と驚く外山を皆で取り囲んで、こちらはさすがに太郎と違い、持ち上がるまでかなり手間をかけたが、それでも三度宙を舞った。
次いで富田、吉崎も続いたが、さすがに巨漢ばかり三人続くと少々無理があり、吉崎は途中で落っこちかけて周りを慌てさせることになった。
さらにそこまでやると、ほかのクラスはとっくに退場を終えていて、放送席から「二組の生徒、早く応援席に戻りなさい」と注意が飛んだので、それでようやく騎馬戦メンバーは引き揚げることになった。
騎馬戦による二組の獲得ポイントは、綿密な作戦で成果を上げた一組を上回り、この時点で四組を抜き去って、二位まで浮上したのである。
「あー、びっくりした」
この日二度目の感想をつぶやきつつ、京子はカメラを下ろした。
ただし午前中と違うのは、息子の活躍にびっくりできたということだった。
申告通りに騎馬戦の選手として現れたときには、かなりハラハラして見守った。
大柄な生徒の作るいちばん立派な騎馬に、小さな息子がちょこんと乗っかるのはとてもアンバランスで、ほんとうにあれで大丈夫なのかと心配だけが募ったのだ。
しかし始まってみれば、息子はちゃんと活躍をしていた。
見る間にいくつもの敵の帽子を奪い取り、最後は囲まれながらも耐えきって、さらに奪った帽子の数を増やしてみせた。
その活躍に、何とクラスメートから胴上げされていたのには心底驚いた。
体育祭の真っ最中に、特定の生徒が胴上げされるなどというシーンはかつて目にしたことがない。
そのレアな光景の真ん中にいるのが、自分の息子だというのが信じられなかった。
(だって体育祭だよ? 運動会だよ? そこであの太郎が……ねぇ?)
浩太に報告したら、信じてもらえないのではないか。
そう思えてしまうほど、京子にとって意外極まる展開である。
ちょっと涙が出てきそうになり、慌てて目を擦った。
まだ体育祭は終わっていないのだ。最後までしっかり見届けなくてはならない。
京子は顔を上げて、応援席でも取り囲まれて見えなくなっている息子の姿を探した。
その後、エキシビション扱いの運動部対抗リレー、文化部対抗の借り物競走などを挟み、加点競技としては最後の種目となる綱引きを残すのみとなった。
これは全員参加種目で、クラスごとにひとりふたり人数が異なっていてもその差は考慮されない。
したがってこの日に病欠や、怪我による欠場などがあると不利になってしまうが、今回の二組に欠員はなく、全員揃って参加することができた。
八クラスある三年生は、ちょうどトーナメントに上手くはまって、現在の得点順に枠が割り振られる。
一位の一組と二位の二組は、トーナメント表の端と端に配置された。
もちろん、ほかの競技で結果が良かったからといって、綱引きも強いとは限らない。
暫定上位のどちらかが、あるいは両方が早々に負けてしまうこともよくある話なので、学校側の意図がズバリ当たる年は多くないのも現実だった。
だが、できれば決勝の結果で優勝が確定するように組み合わせたほうが、勝負は盛り上がる。
教師たちも毎年、今回はどうだろうなと楽しみながらやっている節があった。
太郎たち二組の緒戦の相手は、得点で七位にいる六組だった。
集団綱引きのセオリーは、背の高い順から前に配置すること、さらに男女混合チームでは男子と女子が交互に並ぶことが一般的である。
ここで小田原が採った作戦は、先頭に富田ではなく外山を持ってくることだった。
外山と富田では身長差は一センチもないので、この二人が入れ替わっても二組側に影響はない。
目的は、相手チームへの威嚇だ。
直接外山の姿を目にするのは先頭に近い数名だけで、少し後ろになれば見えないのだが、その見えている数名に対する外山の効果はてきめんで、凄まれて萎縮しないものはいないほどである。
そんな作戦が効いたのかどうか。
緒戦はわりとあっさり二組が勝利した。
もともと六組はクラス全体の真剣味が薄く、ここで頑張っても意味がないし、と思っている生徒が多いのは傍から見てもよくわかったので、やる前から勝負は付いていたと言えるかもしれない。
続いて準決勝となる二回戦は、川原史武のいる五組が相手であった。
二組側の女子ではことりが先頭であるため、ことりのことを密かに想っている史武はちょっと楽しみにしていたのだが、身長から史武のポジションは中程やや後ろ寄りといったところであり、あいにくことりの姿はまったく見えなかった。
勝負はかなり均衡していて、接戦になったのであったが、最後は二組が粘り勝ちで勝利を手にした。
ただここで持久戦になったのは、連戦を考えるとかなり痛い。
決勝の相手は順当に一組が勝ち上がっていて、こちらは決勝までの二戦にほぼ苦戦なしであった。
「あれ、ちゃんと練習したテクニック使ってるよな」
「うん、それっぽい」
小田原たちは一組の綱引きを見て唇を噛みしめる。
一組のまとまり方、力の合わせ方は、ほかのクラスが場当たり的に引っ張っているのとは完全に一線を画しており、綱引きの勝ち方をきちんと学んだ集団のそれである。
いまさら付け焼き刃で追いつくものでもなく、どうしようもないことであるが、二組とのテクニックの差は明白だった。
クラスごとの全員の体重の合計や、ひとりひとりの力の平均などに大きな差がないとするなら、あとは技量で勝負が決まってしまう。
「勝ち目は薄いか」
「いや、やってみなけりゃわかんないだろ」
「そりゃそうだけどさ」
「……やる前から負けを考えるやつがあるかよ!」
小田原が全員を鼓舞する。
「勝つぞ! 二組!」
おおっ! と気勢を上げて、二組は最後の勝負に挑んだ。
太郎は悩んでいた。
一回戦、二回戦は、ほぼ「引いているフリ」で済ませてしまった。それでも勝ったから良かったが、おそらく今回はそのままでは負けるだろう。
体育会系のノリは無理だ。
受け付けない。
それは変わらなかった。
しかし、自分の活躍で仲間が喜んでくれる様子、そして健闘を称えてくれる様子、それらは決して不快ではなかったのだ。
まさか胴上げされるとは思ってもみなかったが、過去にスポーツ経験が乏しく、さらに活躍となるとなお皆無であった太郎には、スポーツで仲間から褒められる嬉しさを知る機会がなかった。
プロスポーツに関しても、どんな種類のものであろうと一般的なニュース以上の関心は持てなかったので、とくにひいきの競技やチームがあるわけではなく、スタジアムで生の試合を観戦したこともなかった。
他人がスポーツで頑張っているのを見て感情を揺さぶられたことなど、ことりの試合を観るまでほんとうに一度もなかったのである。
しかしいま、太郎は小田原の熱意に感化されている自分を感じていた。
このクラスのみんなで、一緒に優勝の喜びを味わってみたいと思い始めていたのだ。
こんな気持ちは初めてのことで、なるほどスポーツのできる人たちはこういう感情をモチベーションに、つらい練習にも耐えられるのかな、と考えたりもした。
背の低い太郎は、綱引きで男子の最後尾である。
太郎の後ろには、女子で一番小さな市川苑子がいるだけだ。
手芸部の苑子もスポーツは苦手なほうだったが、今回は鉢巻き作りでものすごく頑張ったと聞いている。
どれほど役に立っているかは怪しくとも、綱引きでも手を抜かず懸命に引いている様子は後ろから良く伝わってきていた。
決勝前の整列が終了し、全員が綱に沿って並んだ。
合図でしゃがみ、綱に手をかける。
ここに至ってもまだ迷いがあった。
そのときふと、太郎の頭にことりの言葉が浮かんだ。
「中学最後の体育祭だよ? 手抜きで終わったら悲しいよ」
ほんの一瞬、太郎が小さく唇を噛む。
(……よし)
太郎は決心を固めた。
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