第66話
二学期の中間テストが終わった。
ことりは返ってきた答案を眺めて唸った。
「……なんかわたし、賢くなってる?」
一学期に比べ、明らかにすべての教科で点数が良くなっていた。これまでことりの成績は、クラスでせいぜい中の上といったところだった。
しかしこれなら上位に十分食い込めるレベルである。なにせそんな成績を取ったことがこれまでになかったので、ほんとうに自分の実力が上がったという実感は到底持てなかったが、結果は結果だ。
変化の理由は明らかだった。
「太郎ちゃんのおかげだ」
夏休み明け以降、太郎との図書館通いは途切れず続いていた。
おかげで学校の授業に関しては、ほぼわからないところがないと言えるほど良好に学習が進んでいる。
「これって、授業料払わないとダメかしら」
ことりの眉間にしわが寄る。
「なんで?」
太郎の反応はあっさりしたものだった。
「ことりさんに教えることで、ぼくも理解がさらに進んでいるから、お互い様だよ」
「……そういうもの?」
「うん」
太郎がそう言うのであれば、そうなのかもしれない。
人に教えることで初めてわかる気づきは確かにあるし、教えられるほどに内容がわかっていなければならないのだから、より深い理解が進むことは事実だろう。
しかし、ことりのほうが受け取っているものはやはりずっと多い気がする。
(そのうちに、なんかお礼を考えておこう)
ことりはそう決めた。
東部中では二学期の中間テスト明けに行われるのが体育祭であった。
テスト前より体育の授業は体育祭の準備を含んだ内容に変わっていたが、本格的な練習は週明けからわずか一週間、実質平日の五日間で集団演技、騎馬戦の段取り、リレーのバトンワークなどを一気に仕上げるハードメニューとなる。
とはいっても、学校側もそれほど真剣に盛り上げようという気概はないので、仕上がろうと仕上がるまいと、次の土曜日が来れば体育祭は行われるのだ。
生徒のほうにも学校のそうした姿勢は十分に伝わるため、大半はとりあえずといった感覚で練習に参加しているのが実態だった。
運動全般が苦手であった太郎には、小学校の頃から運動会や体育祭といったイベントは鬼門である。
恥をかくことはあっても、輝ける瞬間はまず訪れない。
そこで台風の通過を待つがごとく、一分一秒でも早く過ぎ去るよう頭を低くして耐えるのが常であった。
太郎の親たちより上の世代では、体育祭の集団演技は男女に分かれており、男子が組体操、女子はマスゲームといった内容がポピュラーであったという。
しかしその後の時代の変化にともない、東部中でもある時期から男女一緒にダンス系の演技を行うように変わっていた。
力強さの表現が多い昔のような組体操をやらされたなら、体格の貧弱な太郎はきっととても困ったのであろうが、それがダンスになったからといってましになるというわけではなく、身体で表現するリズム感も動きのキレも持ち合わせない太郎には、どちらも苦手であることに変わりはなかった。
振り付けの覚えだけはいいのでそれは間違えないのだが、正しく踊っている太郎と、たまたま振り付けを間違えたほかの生徒が並んでいると、誰が見ても太郎が間違えたように思えてしまうほど、太郎はダンスも下手だった。
(どうしたらいいのかなぁ、ぼく)
太郎は悩んでいた。
いまのナノマシン体である太郎は、格闘技に限らず、身体を動かすことであればどんなことでも、見て理解できるものは完全にコピーが可能である。
実際、まだそうした能力の自覚のない頃に、プロ野球や大リーグの名投手数人の投球フォームを動画でつぶさに観て覚えたところ、すべてマネできるようになってしまって驚いたことがあった。
さらにすさまじいのは、体格ではるかに及ばないのにもかかわらず、持ち前のパワーとスピードにより、繰り出す投球の球速は太郎の方が格段に速いのだ。
ただ力任せに投げても効率のよいスピードボールは投げられないが、一流の投球フォームをまねることで投げ方の技術を身に付けたために、本気を出せば音速を超えられるのではないかと太郎は考えていた。
またコントロールももとの投手陣よりずっと正確で、どんな球種を投げようとも、狙った位置から一センチのずれもなく的に命中させることができた。
あいにく体育の授業で行われる球技に野球はなかったし、またあったとしても、よりによって太郎にピッチャーを任せようと考えるものは皆無であったろうから、恐るべき人外投手にデビューの機会は訪れなかった。
もっとも、ただ速くてコントロールの良いボールを投げられれば優れたピッチャーになれるかといえば当然そんなことはない。
最低限の野球のルールくらいはわかっていても、スポーツするセンス自体が致命的に欠けている。
さらにボールカバーだとか捕球したゴロの送球先といった守備の常識などもまったく知識がなかったので、プレイヤーとしてあまり役に立たないことはすぐに露見してしまうに違いなかった。
それでもこの目にした技術なら身に付けられる能力によって、三年生の課題曲が決まり、ダンスの得意な振り付け担当の体育教師がお手本を示したとき、おそらく学年でただ一人太郎だけが一度で完全に、かなり難度の高いそれをものにしてしまったのである。
体格が違うので見栄えは劣るが、細かな表現力も含めて、太郎には教師の振り付けをそのまま忠実に再現することができた。
(しまったなぁ。つい毎年のくせで、しっかり見ちゃった……)
もとより下手の自覚はあったため、せめて振り付けを正しく早く覚えようと、毎年の練習初回からよく教師のお手本を観察するようにしていたことが徒になり、つい無意識にやってしまった。
既に身に付いたものはもう拭い去ることができない。
日頃の体育の時間では、ナノマシン体の太郎は目立った活躍をしないよう、上手な選手やプレーをわざと見ないようにしてきた。
いくらパワーとスピードに優れようとも、技術が伴わなければスポーツにはならないからだ。
身体に技術が修得できていなければ、超人であってもいままでどおりの太郎と何も変わりがないのである。
気をつけなければいけないのは力加減だけだった。
例外的なのは陸上種目で、これは多くがパワーとスピードこそ記録の要であるため加減が難しく、危うく世界記録を更新しそうになって慌てたことも何度かあったが、これまでは何とか上手くごまかしきって来た。
なのに、今回はうっかりその技術を身につけてしまったのだった。
しかし。
(さすがに、これをやったら目立っちゃう……)
できるからといって、存分に気持ちよく踊ってしまったら、いくら何でも去年までの太郎とのギャップが大きすぎた。
いままででもダンスだけは上手かった、というのであればまだしも、飛び抜けて下手だった太郎がいきなりお手本クラスに上達してしまったら、不自然の極みである。
既に突如として喧嘩が強くなったことだけでも、十分周りには不審がられているだろう。
それでも実際に戦っているところを見せた相手は少ない。
単に噂話だけであるなら、それがほんとうであるのかどうかは、太郎本人の外見から、みなどうしても首を傾げたくなるところで、太郎としてもそれでいいと考えていた。
ほんとうかどうかわからない、その程度の違和感であってくれたら、大きな支障はないと想定していたのだった。
なのに、みなの前で指導役レベルのダンスをいきなり披露してしまえば、そのときの注目度は桁違いであろう。
(手抜きするしかないのか……?)
それはそれで、根が真面目な太郎には辛い選択だった。
自分が苦手だっただけあって、クラスの中にほかにもいる、ダンスの下手なメンバーの苦労はとてもよくわかる。
彼らは彼らでなるべくクラスに迷惑をかけまいと、苦手なりに去年までの自分と同じように頑張っているのだ。
少ない練習時間でどこまで周りに遅れずにやっていけるのか、生徒によっては自宅で個人的に特訓を積んでいるものも少なくないはずだった。
彼らからしてみたら、できるのにわざと下手に見せるようなマネをする生徒がいたら、それは腹立たしいだろうと太郎は思った。
「え、手抜きなんてもったいない。力いっぱい踊ったらいいと思うよ?」
太郎から相談を受けたことりは、迷わずそう答えた。
太郎はその明解さに面食らって、ぽかんと口を開けてしまう。
「いや……だってそれじゃあ……」
「中学最後の体育祭だよ? 手抜きで終わったら悲しいよ。せっかく身に付けたものは、惜しみなく出すべきじゃないかな」
「でも……目立っちゃうのは……」
「目立たなければいいんでしょう?」
「? どういうこと?」
「太郎ちゃん、気配を消せるんじゃなかったっけ」
「あっ……!」
なんということか。太郎よりことりのほうが、太郎のできることをよく把握している。
太郎の『気』のコントロール技術はずっと向上し続けており、大きさ、範囲、用途に至るまで、さまざまな応用が利く。
また精度も相応に上がっていて、かなり細かな選択が可能になっていた。
そのため、太郎がその気になって気配を絶てば、すぐそばにいても相手に気づかせないでいることができたし、見ているのに意識に留まらない、つまり見えていないのと同じ状態を保つことも可能だった。
さらに自分の『気』の操作で気配を消しつつ、相手の『気』を自分から逸らす操作も併せて行えば、呼び掛けたり音を立てたりといった注意を引くことをしないかぎり、ほんとうに目の前で何をやっていても気づかれないようにすらできてしまうのだ。
はじめから太郎に意識を向けている相手にだけは、意図した通り気づかれずに済ませることが難しいという点はあったが、それも最近は、よほど集中して太郎を見張っているようなことでもしないと、ふと気を緩めたとたんに太郎を見失わせることができるまでになっていた。
すなわち気配を絶った状態で踊れば、それが上手くても下手であっても、おそらく全校生徒の誰からも気にされない。
体育祭で集団演技を行うそもそもの意義を損なう行為ではあるが、太郎が遠慮なく踊り、それでいて決して目立たない、という目的は達成できる。
「すごいな……ことりさん」
「え、そう? ふふ、お役に立てたかしら?」
「うん」
「じゃあさ。……踊ってみせてくれない?」
「え?」
太郎が目を丸くする。
「見たいなー。その一回でマスターしちゃった太郎ちゃんのダンス」
「ええ? こ、ここで?」
「ここで」
「えええ~っ?」
二人の話していたのは、学校からの帰り道にある小さな公園のベンチだった。
太郎が「相談があるんだけど」と切り出したとき、それじゃあと探した手近で座れるところが公園だったのである。
つまりは第三者の目がある立派な往来だ。
小さいとはいえ遊具も設置されていて、少し離れたところで幼児を連れた親子が二組、一緒に遊んでいた。
「いま、音楽準備するね」
「ちょ、ことりさん?」
慌てる太郎を尻目に、ことりはカバンの底から、ほんとうは学校に持ってきてはいけないはずの自分の携帯端末を取り出すと、ダンスの課題曲を検索し、音が出せるようにして「はい!」と太郎の方へ向けた。
「いつでもいいよ?」
「ことりさーん?」
にこにこしながら太郎に端末画面を向けていることりに、太郎はあきらめ顔で立ち上がり、ベンチから少し離れたところで振り返って気をつけの姿勢になる。
「……どうぞ」
「はい、じゃあ音楽スタート!」
小気味の良いポップな前奏から、昨年ヒットした人気曲が流れ始める。
太郎は音楽に合わせ、覚えた振り付けをなぞり出した。
最初は半ば笑い混じりで見ていたことりが、口に手を当ててすぐに真剣な表情になっていくのがわかった。
太郎も自分の身体が去年までと違って、思い通りによく動くのは悪い気分ではない。
踊り始めは仕方なくであったが、ことりという目の前の観客に向けて、最後の方は太郎自身がノリノリで踊りきっていた。
「びっくり! ほんとに先生と変わらないよ、太郎ちゃん!」
振り付け担当の体育教師、清水小夜子は学生の頃に、ダンスコンテスト全国大会で入賞したことがあると聞いた。
その教師が踊るダンスをそのまま、太郎が披露したのである。
曲が終わったところで、思わず本気で拍手することりに、太郎はちょっと赤くなる。
ところがふと気づくと、後ろからも手を叩く音が聞こえる。
見れば公園にいた親子連れも、子どもと一緒に太郎に向かって拍手していたのだった。
「すごーい!」
「おにいちゃん、上手だったねぇ」
そんな声も聞こえてくる。太郎の顔の赤みが一気に増した。
「こ、ことりさん。行こう!」
「あら、手を振ってあげたらいいのに」
「いいから!」
太郎に代わって親子連れに手を振ることりを促して、真っ赤になったまま、太郎はそそくさと公園を離れた。
「……思いっきり踊ったら、気持ちよかったでしょ?」
歩きながらいたずらっぽく笑うことりに、太郎は渋々ながら「うん」と頷くしかなかった。
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