第63話
波乱の修学旅行は終わった。
太郞の関わったあれこれは、結局のところ班のメンバー以外の耳に入ることはなく、もちろん学校側にも知られずに済んだ。
せいぜいが、パークでの昼ご飯の話で、加藤がうっかりクラスメートにホテルのビュッフェで贅沢なランチを食べたと言ってしまいそうになり、たまたまそばにいた佳子に、すかさず足を踏まれて悲鳴を上げたくらいである。
ことりはできることなら旅行中の外山の探索やスターンとの試合について、直接太郞から詳しい説明を聞きたかったが、他聞をはばかる内容になりそうだったので、学校内は無論のこと、普段行く機会の多い図書館でも適切と思えず、かといって外の喫茶店やファーストフードではあまり条件が変わらない。
さりとてお互いの家に訪問となったらこれがまた、太郞にとってもことりにとっても非常にハードルが高く、それぞれ相手に招ばれたら返事はYESしかないと考えているのに、もしや望まれていないお願いなのではとお互い心配になり、自分からは声をかけられないという有り様である。
佳子や真理が「そんなのとっとと押しかけるか、サクっと誘っちゃえばいいのに、ばかじゃないの」とじれったく見ているものとはつゆ知らず、結局内緒話はそれぞれの自宅へ戻ってからの電話でということになるのだった。
太郞がスターンとの試合で中国拳法の技を使ったと聞いたときには、いったいいつの間に覚えたの、と内心かなりびっくりはしていたのだが、それが自分のバスケットボールの応援に来てもらったことがきっかけと知って、もっと驚いた。
「すごい拳法家の人がいるのね」
「うん、出会えて幸運だったよ。ことりさんの応援に行ったおかげかな」
そんなふうに言われるとことりも面映ゆいが、悪い気はしなかった。
「じゃあ、外山君を探したときには、その『気』っていうので探したってことなのね」
「そう。でもまさか、それがスターンさんに気づかれることになるとは思ってなかったなぁ」
「スターンさんは、拳法なんて習ってないんでしょう?」
「だと思うよ。なのに『気』を感じ取れてしまうんだから、ものすごい人だったんだよ」
そのすごい人に、太郞ちゃんは勝っちゃったんだけどね、とことりは秘密を知るものとしてちょっと誇らしい。
しかも、勝ったのに相手から感謝されてしまうのだ。
やっぱり太郞ちゃんこそほんとうにすごいと言っていいのじゃないかなとことりは考えるが、口に出すと太郞はたぶん喜ばないので言わなかった。
どうも太郞は、照れているとかではなく、本気で褒められたくないと思っているようで、その感覚は正直ことりにはよくわからない。
(だって、スターンさんから「地上最強の男」って言ってもらえたのよ? これってもう、すごいとしか思えないんだけど)
太郞の力が宇宙人との事故によって与えられたもので、太郞自身が望んで獲得したものとは違うのだと、前に言っていたのは覚えている。
与えられたものでも獲得したものでも、力を持っていることには変わりがないのでは、とことりは思うのだが、太郞にとっては大きな違いであるらしかった。
だからなのか、与えられた力を振るって為すことに、太郞自身はあまり価値を見出していないようなのだ。
ことりは非常にもったいないと思ってしまうが、太郞が喜ばないならあえて言うこともないと考えていたのである。
「それで、スターンさんが目の前にいるときに、太郞ちゃんが犯人だとバレちゃったわけね」
「犯人……」
「あ、ごめん。……元凶? いえ震源地? 張本人??」
「ナンデモイイデス」
「あ、ごめん! ごめんって!」
太郞の説明では、外山を探したときと、パーク内でスターンを見つけたときとでは、厳密には同じことをしたわけではないらしい。
ただスターン側からしてみると、太郞から意識を向けられたときの感じ方がよく似ていたのではないか、とのことだった。
それでパークのときは太郞が視界の中にいたために、どこから見られているのかを相手にも知られてしまった。
太郞は単に他人から『気』を向けられ、探られる感覚が不快だったのかと思ったのだが、まさかスターンの真意が、強い相手と戦いたいことであったとは考えもしていなかった。
ランチに誘われたときから何かある、ただごはんを食べて済むことではないと予感し、警戒はしていたが、結局スターンの気持ちに絆される形で願いを叶えることになってしまった。
ことりにも、太郞自身にも、より多くの人に太郞の力を見られてしまうことが、良いことなのかどうかはわからない。
セーブしたものとはいえ、やせっぽちの中学生がスターンと戦えるだけでも十分に人外の領域の力であって、それにより注目を浴びてしまえば、太郞にとって良いことはあまり起きそうにない感覚はある。
たまたま、形だけでも今回は関係者への口止めという約束を取り付けることができたけれど、まったく外へ漏れないというのはおそらく無理な話だろう。
そのへんの中学生がスターンに勝ったと言っても、誰も信じようとしないだけだ。
したがって、無用な拡散は起きづらいと思えることは幸いであった。ことりは、太郞が太郞の望むような生活を維持するために、自分に協力できることは何かを考えていた。
この日もかなりの長話になったあと、ことりは通話を切ってから、ふうっとため息をつく。
太郞と話ができるのは楽しいし、嬉しい。それに不満なんてない。ないのだが。
「やっぱり、会って話したいなぁ」
学校では毎日会える。
しかし、好きなだけ話したいことを話せる場ではなかった。
いっそ普通のカップルであれば、学校内でいちゃついていても、周りから呆れられたり煙たがられたりといったことはあるのだろうが、自分たちの世界を作ってしまうこともできただろう。
しかしほかの生徒や先生の目のあるところでは、ことりの聞きたい話は聞けないのだ。
さらに電話の弊害として、もともと表情の乏しい太郞の反応が、会話中ますますわかりにくいということがある。
せめて顔を見ながらであれば、感触を確かめつつ会話の深度を模索するといったこともできるのだが。
ことりには、今日太郞に訊けなかったことがあったのだった。
(太郞ちゃんは、修学旅行を楽しめたのかしら……)
外山のお守りのような役割を五十嵐から押しつけられ、嫌がりもせず引き受けた太郞は、きっと何かの義務感を内に抱えて旅行に臨んでいたに違いない。
太郞が負担に思うことが減るように、と班長を引き受けたのに、結局外山の件については丸ごと太郞に頼ることになってしまった。
最後にことりが太郞と二人で乗ったパーク内のアトラクションは、ことりとしては修学旅行の最高の締めくくりになった。
はじめから意図していたものとは考えにくいが、佳子とまさかの外山の連携プレーのおかげであった。
あれは太郞にとって、はたして楽しい思い出になってくれたのかどうか。
「だったらいいんだけどなぁ……」
太郞と一緒に乗れたから、自分はとっても嬉しくて楽しかったよ、と言いたかった。
でもことりには、それもとてつもなく高いハードルなのであった。
太郞に、ことりを介さず直接、市長の武雄から連絡があったのは、それから間もなくのことだった。
登録時に「市長」と入力したのは太郞自身だが、発信者としてその名前が表示されると、一瞬何かの冗談では、という気になる。
その市長から、話したいことがあるから一度うちに来て欲しい、と言われ、断わる理由もないので承知した太郞であったが、それをうっかりことりに話してしまったのは、実のところ直接電話してきた武雄の意図から外れる展開であったようだ。
「なに、ことりちゃんも一緒なのか」
当日、市長宅に当然のように太郞と揃って現れたことりに向かって、武雄が「来ちゃったの?」という顔をしたので、ことりは大いに頬を膨らませることになった。
太郞も、ことりが当たり前のように一緒に行く話をし始めたため、大丈夫なのかなとは思ったものの、そこで太郞が「ダメ」と言うこともできず、そのまま流されてきたのである。
「何かわたしがいたら困る話をする気だったんですかねー、伯父さんは?」
「いやー、ははは」
太郞と武雄は顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
客間では警察署長の斉藤が私服姿で待っていた。
太郞と一緒に入ってきたことりを見て、こちらも「おっ?」という顔をしたが、武雄から「姪だ」と紹介を受けると、なるほどと得心顔で挨拶を交わす。
太郞は斉藤の顔を見て、今日の話の中身を察することになった。
おそらく事件の捜査で、何か進展があったということだろう。
いちおう席を外してもらう選択肢もあったけれど、ことりも市長宅への誘拐犯侵入事件に関してはまさに当事者である。
イレギュラーではあったが、話を聞かせても問題はなかろう、と武雄はことりの同席を認めたのだった。
というか、認めなかったらあとが怖いと思ったのは、怖いの中身は違えども、太郞と武雄の共通認識であったと言える。
多佳子が運んできてくれたお茶を前にして、太郞、ことり、武雄に斉藤の四人が向かい合って座ると、武雄がマガジンラックから新聞を取り出した。
何日か前の日付のそれは、太郞の家で取っているのと同じ全国紙だった。太郎がそう言うと、武雄はそれなら話が早いとばかりに新聞を広げた。
「この記事、見てくれたかな」
地方ニュースのページで指された小さな囲み記事は、太郞の住むこの市で大規模な暴力団の摘発が行われた、というものであった。
「あ、はい。読みました」
訊かれて答えたのは太郞である。
ことりはふるふると首を振っている。
たぶん、その記事を読んでいないだけでなく、ことりは新聞自体を読んでいないな、と太郎は察した。
「特集の体裁なのに、内容があんまり具体的じゃなくて、ちょっと不思議な記事でしたね」
太郞は読んだときの感想を伝える。
暴力団の組織的、計画的な犯罪行為に対し、警察が一斉摘発により複数の幹部を逮捕、拘束したとして、具体的な逮捕者の名前も出てはいたが、「何の」犯罪行為なのかが非常に曖昧な書き方をされていた。
「うん、その通り」
武雄が頷く。
「具体的にできない理由があってね、わざとぼかしている」
そこからは斉藤が話を引き取った。
「主な罪状は、お察しの通り例の誘拐事件の教唆だよ。実行犯だけではなく、我々も何とか計画した主犯側までたどり着いたというわけさ」
「その事件での逮捕記事だったんですね」
太郞は感心したように大きく首肯した。
「でも、どうやったんですか?」
黒幕の尻尾を掴むのは相当に難しいという話を、以前に太郞は斉藤たちから聞かされている。
「それがね、証拠が出てきたんだよ」
「証拠?」
「犯人たちの中に、この家で捕まった一人がいただろう?」
はじめに拳銃を持っていた元森のことであった。
「あの男、実のところあまり犯人グループのリーダーにも、それから雇い主にも忠誠心はなかったみたいでね」
「というと?」
「保存しておいては困るものを、捨てずに隠していたんだよ。たとえば資金の振り込み履歴にその相手とか、実行犯グループが黒幕と連絡を取っていた履歴と相手の連絡先とか。携帯端末は使い捨てのものを選んでいたようだが、使い終えても処分せずに隠し持っていたとか。まあ情報とカネの流れの記録だね。我々が一番欲しかったものだな。それをたくさん抱え込んでいた」
太郞は眉間にしわを寄せて唸る。
「あの人、もしかして警察の潜入捜査の人だったんですか?」
太郞の発想に斉藤が笑い出した。
「ははは! それはいいな。だったら捜査も楽だったんだが。単純に、自分の保身のためだったようだよ。警察に見られたら十分な証拠になってしまうものを自分が確保しておくことによって、いざというときリーダーや黒幕を牽制できると考えていたみたいだな」
「それって……」
太郞はその考え方に危険なものを感じたので、そのまま斉藤に訊いてみる。
「ずいぶん危ないことしてるんじゃないですか? もしバレてしまったら、タダじゃ済まないですよね」
「ああ、穂村君でもやっぱりそう思うかい? そうだよな。中学生でもわかりそうなものなのに、奴はそれが自分の身を守る盾になると、本気で考えていたようだよ」
斉藤は処置無しと言った面持ちで肩をすくめた。
「もし逮捕されずに、そんな証拠品を隠していたことがバレてしまったら、たぶんすぐに消されてしまった可能性が高いと思うよ。でも、今回はおかげでものすごく助かったわけだけどね」
「消されるって……」
ことりが少し怯えた表情になった。
「うん」
斉藤が頷く。
「つまりそういうことさ。黒幕たちにとって、実行犯なんて取り替えの利くただの消耗品扱いだからね。残してはおけない証拠品を隠しておくような奴がいたら、躊躇いなく殺してしまう……まあ自分たちでやるわけじゃなくて、やっぱりほかの誰かに指示して殺させることにはなるだろうが、結果は同じだな」
「ひどい……」
「役に立っているうちは生かしておいただろうけどね、もともと自分たちが計画を立てて指示したことを知っている連中なんて、誘拐計画が上手く終わってさえいたら、その時点で必要なくなったと判断されたっておかしくないんだ。ましてそれが、自分たちを危険にさらすような裏切り行為をしていたと知ったら、もう躊躇ったりしないよ」
「うわぁ……」
「じゃあもしかして、逮捕されたから却って命が助かった、みたいな?」
「いまの時点で言えば、そうなるだろうね」
はぁ、と二人がため息をつく。
人の命がそんなにも軽く扱われる世界がすぐそばにあるということを、知識としては知っていても、実際に会ったことのある人々の話として聞くのはまた重さが別物だった。
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