第二話 試し撃ち
鳴上市のオフィス街と住宅街よりもさらに南東には山々が連なっていて、合間を縫うように次の街まで峠道が延々と伸びている。
その道中、もしくは山中に、村よりも小さな集落の跡がいくつも点在していた。人が住まなくなったその一つに、大きな猿型の妖魔が出て、峠道を通る車を襲っているらしい。積極的に襲っているわけではなく、運悪く出くわした車のみだったが、谷底に落とされる事例も報告されていた。現在は通行止めとなっている。
この峠道を開通させるため、その猿型の妖魔を浄化するのが今回の広輝と優里菜の任務である。
廃集落となって久しい妖魔との遭遇現場。舗装路はなく大きな道も砂利の道。少しでも脇にそれれば手入れされていない雑草が生い茂り、土の道を覆い隠す。
少しでも戦いやすいように車輪の後が辛うじて残る砂利の道へ誘き出したが、優里菜は苦戦を強いられていた。
「くっ」
長い髪を後ろに束ね、ウンディーネの杯を顕現させた双剣を握って、この猿型の妖魔と戦っている。
大猿の大ぶりの拳を避けきれず、水守を展開して防いだが、結界ごと押し戻された。慣れない砂利道で普段より踏ん張りが利かない。それでも衝撃を抑えきると、優里菜は果敢に大猿の懐へ飛び込んでいった。
その様子をあろうことか日差しを避け、脇道にある樹木の日陰から広輝は見守る。
(大きな猿というより、大きなゴリラだな)
広輝が背負う肩がけのバックには、熱中症対策の飲み物や塩分補給用の飴、タオルや制汗スプレーなどが入っていた。
この現場のいいところは街とは違い、日陰がちゃんと日陰で涼しく、吹き抜ける風も温風でないところ。その分、虫が煩いので広輝は風をシャットアウトして、ミネラルウォーターを飲みながら日陰の涼しさの恩恵を受けていた。
なぜ優里菜が慣れない接近戦を行い、広輝が見守るような形をとっているかというと、一重に広輝の指導方針だった。
ゴールデンウィークの事件後、天術だけではなく、一定の身のこなし(武術)が必要だと感じた優里菜が広輝から武術を教えてもらっていた。
頼み込んだ時の広輝の面倒そうな顔は今でも鮮明に思い出せるほどだが、広輝は指導役としての責務を放棄しない。まずは体作りからだとランニングや筋トレなどの基礎トレーニングから始めた。今までもそれなりの体作りを行っていた優里菜だったが、広輝の課すメニューは強豪校の運動部で行われているようなドきつい基礎トレーニング。筋肉痛に悩まされる日々だったが、天力の出力を上げるトレーニングと同じように優里菜は愚直にやり続けた。これを課した広輝の腹には、優里菜に音を上げてほしい本音もあったのだが、一ヶ月も続けられてたので広輝が折れた。
高校の中間テストが終わった後から武術の基礎を教え始め、任務において優里菜に接近戦を強いた。広輝も援護もするが、基本は優里菜一人での討滅を指示していた。この目的は、優里菜に圧倒的に不足している実戦の経験値を積ませる為である。決して広輝が楽したわけではない。決して……。
こういった経緯もあって、八月まるごと姿を消した広輝に対して心配と若干の不信感を優里菜が抱くことになる。
また、今日の任務は少し違う趣向があり、優里菜に時間制限を与えていた。
広輝はその準備に入る。
広輝の視線の先では、優里菜が妖魔の攻撃パターンを読みきれず、一進一退の攻防を続けていた。
双剣の間合いは妖魔の腕よりも短い。双剣で妖魔を斬るには、妖魔の懐に入る必要があった。けれど、優里菜が間合いに入ろうとすると、その両腕を地面を抉るのも厭わずに交互に連続で振り抜き続け、優里菜を近づけさせない。
優里菜は妖魔の後ろを取ろうともしたが、広輝のようなスピードは出ず、妖魔が半回転する方が速かった。
攻撃用の天術を使えば、この妖魔も優里菜の敵ではない。ものの数分も要らずに終わる相手。
どうすればこの大猿を倒せるか、考えながら戦うも強い日差しとこの森の中でも真夏日となる暑さが優里菜の体力を削っていた。
優里菜に与えられた時間は十分。その間に倒せなければ、広輝が新しい天術を試すと言う。本当か嘘かは置いておいて、この制限時間が意図せず優里菜にプレッシャーを与えていた。
ダメな奴と烙印を押されるのではないかと。
三ヶ月(実質二ヶ月)も指導してもらって、この程度の妖魔も倒せないのかと。
優里菜は少し発想を変え、双剣を指輪に戻す。徒手と天術の組み合わせを試みる。広輝からの課題は接近戦であり、必ずしも水鮮花を使わなければならない訳ではない。今、邪魔になっているのは、大猿の両腕。双剣で斬っても紙で指を切ったような傷にしかならず、大猿は怯みもしなかった。けれど、ふっとばしてしまえばどうか、と優里菜は考えた。
水の衝撃。水を収束させて解き放つ、爆弾のような使い方しかしてこなかったが、至近距離の爆発に指向性を与えられたら。
その指向性のイメージの為に、優里菜は握った右の拳の先に水の衝撃を装備する。
歯を食いしばり、大猿に突貫する。
大猿は先程までと同じように、右腕を振り上げる。
「はあああああ!!」
振り下ろれるその拳に合わせ、優里菜は全霊で体重を乗せた右腕を思い切り突き出した。
大猿の拳が優里菜の拳の先にある水の衝撃たる水玉に触れる。
その瞬間、水玉が爆発した。その爆発は優里菜のイメージ通り、自分の腕のベクトルに合わせて、大猿の方だけに衝撃を放つ。今までも数体の小型の妖魔を討滅していた全方向への爆発が、今は大猿一体の一方向へと炸裂した。
「ガアア!?」
猿よりも虎やライオンに近い声を上げ、大猿の右腕は肩から吹っ飛んだ。
炸裂した天属性の水飛沫の中、大猿がバランスを崩して後ずさる。
「やった!?」
大猿に押し返されることなく、自分の天術でダメージを負うことなく、振り抜けた右腕。大猿攻略への足がかりとなる土壇場の天術の成功に思わず右手を確認する。天術を放ちきった右手に成功を実感した。
その水の衝撃で右腕を失ったが、大猿は倒れず、今までよりも明確な敵意を優里菜に向けた。
優里菜を叩き潰そうと、木槌を振り上げるように残っている左腕を掲げた。
対する優里菜も今度は左手で。ほぼ真上から落ちてくる大猿の槌に左手を突き上げ、衝突と同時に水玉が再び炸裂した。
大猿の肘から先が吹き飛ばされ、宙に飛ぶ。大猿は仰け反って、後退した。
優里菜は勝てると確信する。邪魔だった両腕は吹き飛ばした。後は体に水の衝撃を打ち込めば終わる。
霧雨のような術の残滓の中、両腕を失った大猿の目は優里菜に敵意ではなく、危険なものを見るような視線に変わっていた。優里菜を脅威と認識していた。
優里菜が右手にもう一度水玉を宿すと、大猿は反転し、優里菜から逃げ出した。
「え、待っ」
大猿が逃げると思っていなかった優里菜は対応が遅れる。両腕を失ったにもかからず、中々素早い大猿。追いかけるが、大猿の背中は遠ざかり、天力を集めていなかった足では大猿に追いつけない。
すぐ脇には森に続く林が広がっている。草木が無差別に生い茂り、人の体では通るだけでも一苦労だった。
大猿が優里菜の中距離の天術の射程から出そうなところで、優里菜は天術を放つ。広輝の課題からは外れるが、やむを得なかった。
「水の路!」
水を拳ほどの大きさに収束させ、その一塊を大猿に向かって放つ。普段は三個ほどに分けて使うが、今回は速度と威力重視で、一つに集中した。
水塊は木々を避け、大猿の背中に追いつく。
そして大猿に命中する直前に、大猿の横から一陣の風が吹き、その薄緑色の風の中で水塊で胴に穴の空いた大猿は魔力の粒子となり、浄化されていった。
「…………」
優里菜が風上の方を見ると、案の定広輝が大猿へ向けて手をかざしていた。
(時間、切れ……)
広輝は、十分で倒せなければ新術を試させてもらうと優里菜に言っていた。今の風が新術なのだろうか。優里菜には風の天子が悪霊を浄化する時に使う[天つ風]のように見えた。
二人は猿の魔力と瘴気が完全に消えていることを確認してから草木を掻き分けて林から砂利の道に戻る。優里菜は差し出されたタオルを受け取って汗を拭き取り、飲み物(スポーツドリンク、五百ミリリットル)を一気に飲み干した。空になったペットボトルと塩飴を交換し、塩飴を口に含む。
アスファルトで舗装された峠道まで戻れば、今回二人を送迎してくれる隆也が待っているので、真夏の林道を下っていく。
時間内に倒しきれなくて、気落ちしながらも、最後の天術について訊いてみた。
「さっきのが新術?」
「いや、失敗。ただの強い[天つ風]だ」
優里菜の見立ては当たっていたらしい。
「どんな事しようとしてたの?」
「魔力はもちろん天力すらも無力化する風。算数の×〇をするような」
魔力は天力を侵し、天力は魔力を浄化する。それは周知の事実で、広輝が今やったように魔を浄化することは可能だが、天力を天力で浄化することが果たして可能なのか。天力を天力で打ち消すことはできるが、広輝の言っていることはきっと違う。衝突の余地なく、一方的に無に帰してしまう術。
優里菜は聞いたことがなかった。
「そんなこと可能なの?」
「わからない。でも、あれば便利だろ?」
便利。ただそれだけで、試行する。広輝との違いはこういうところなのかと、優里菜は思った。自分と年も背丈もそう変わらない広輝の横顔を覗い、視線を車輪の跡が残る砂利道に落とす。
広輝も何の当ても無い訳ではなかった。
それは[精霊の力]。広輝のシルフィードとしての力であり、精霊界の門を通じてこちらに来た風の精霊を統率し、精霊界の門を閉じた力。天力でも魔力でもない力なら可能ではないかと思っていた。
ちなみに、広輝はこの力のことを天会に報告していなかった。あの碧い球体も自然消滅した事になっている。報告しない理由はいくつかあったが、一つに広輝自身がこの力を自分で引き出せないことにあった。そもそも自分には天力が宿った代わりにその力は無いと思っていた。おそらく兄には精霊としての力があり、その証拠は、買ったのではなく、父から譲り受けたらしき銀の腕輪。精霊としての力も銀の腕輪も何とか使えないかと試行錯誤し、新術はそのきっかけになればと思っていた。
「…………」
会話がなくなる。二人が砂利を踏む音と夏の鳥と虫の声が嫌に響いた。
「……熱中症か?」
広輝は目に見えて気落ちしている優里菜に飲みかけの水を差し出しつつ体調を伺う。
水を受け取り、優里菜は首を振る。
熱中症や脱水症状ではなさそうで安心はしたが、広輝としては優里菜が気落ちする理由が分からなかった。
分からないので、直接聞いてみる。
「……なんでそんなにテンションが低い?」
「役立たず、だから」
「…………?」
返ってきた答えは、もっと分からなかった。
本格的に武術を始めてほんの数ヶ月。武器への天力の装填に課題を残しながらも、広輝の目から見れば順調すぎるほどに優里菜は上達していた。生憎と接近戦を得意とする妖魔にはその成果が見えなかったが、十六歳で黄色に昇格できる者が役立たずであるはずもない。
優里菜は受け取ったペットボトルの蓋を開けて、躊躇なく飲み干した。スポーツドリンクだけでは足りなかったらしい。
飲み終わったタイミングで改めて聞いてみた。
「なんで?」
「時間、が……」
優里菜はペットボトルに蓋をしようとした時、なんで飲みかけだったのか気づいて、蓋を回す手が止まった。
「時間? ……あー、えっと、そういう意味で設定した訳じゃない」
広輝も時間と聞いて合点がいった。制限時間を設けたのは熱中症対策や新術を試せたら試したいという意味だったが、広輝の説明不足だった。
「高一で黃色なんだ。役立たずな訳ないだろう」
「…………」
優里菜からはきつい視線が返ってきた。
広輝には「嫌味か」と聞こえたが、優里菜が物申したかったのは空になったペットボトルの件。広輝が察することはないので、嫌味ではないことを弁明していく。
「……オレは制度が改定される前に黄色になって翠にもなった。最後の滑り込みだよ」
制度が改定される前は大人たちの判断で、何歳だろうと任務を遂行することも見学することができた。しかし[堕天子]の事件を受け、日本での議論が世界に広がり、曖昧だった基準が明確化された。それが小中学生の任務禁止であり、任務の見学への制限である。ただし、この制度の補足として制度改定時点で天位が翠(世界標準:D)以上の天子はこの制度の制限を受けないことが記載されていた。
それでも中学生で翠・蒼に至る天子は極少数だったことを優里菜は知っている。
「それに、大猿の腕を吹き飛ばした天術。あれは使える。水の衝撃の応用か?」
「……うん」
「真似してもいいか?」
「え、うん」
「水の衝撃の風版だから……ウィンド、いや風の衝撃か?」
表情は変わらないけれど、術を考える広輝はどこか楽しそうだった。広輝はこういうのを考えるのが好きなのかも知れない。
その後、『まずは空気の圧縮からだな』と言って優里菜から離れて空気を集め始めたが、制御しきれずに暴発した自分の突風で森の中へ消えるという一幕があった。




