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いつか、君の隣へ  作者: U
第一章 再会、開かれた扉

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エピローグ  晴れない空

 優里菜を救出した一行が天宿に戻った後、改めて優里菜が捕らわれていた城の跡に調査隊が派遣された。

 オリバーの遺体は見つからず、決戦の跡らしき瓦礫には大量の血痕が残っているだけだったという。

 また、魔術師ゲーベル・ルシュルドの行方も知れず、遺体もない。ゲーベルについてはこれだけに終わらず、優里菜の情報からソリアスの関係者であることがわかった為、ソリアスにゲーベルの素性について問い合わせた。その回答は「ゲーベル・ルシュルドという人物の在籍歴はない」であった。魔術協会および京都を守護する陰陽師へも問い合わせたが、回答はソリアスと同じ。ゲーベル・ルシュルドは魔術協会にもソリアスにも属さないはぐれ魔術師という扱いになった。

 故に今回の事件は「ソリアス強行派を騙る魔術師がオリバー・エクスフォードを雇い、五大支部の一角である天宿を強襲、かつ月永直系の拉致、そして精霊界への扉を開けた」という一介の魔術師の研究に翻弄された事件となる。これは鳴上支部として非常に体裁が悪く、敵に[雷鬼]というジョーカーがいたことを踏まえながらも、たった一人の魔術師の思惑によって支部機能の大半を失い、その思惑を完遂させてしまった為、五大支部および創まりの三家としての信用も評価も失墜したと言っても過言ではなかった。五大支部の一角を外される可能性もなきしもあらずだった。

 事件の内容に戻るが、隆也が戦ったアラン、広輝を救った赤い髪の女性についても詳細は掴めていない。仮面をつけた魔術師の情報が一切なかったのである。

 城の瓦礫からは、ゲーベルが研究に使ったと思わしき器具や書物は天会が回収したものの、書物の殆どが白紙に抹消され、有益な情報は残っていなかった。

 踏んだり蹴ったりの結果の中、良かったことを強いて挙げるとすれば、[堕天子]が[雷鬼]に勝利したことだった。この大金星は事件の一報と共に各地へと広がっていった。評価の改め方は人それぞれで、堕天子の戦闘力を評価する者もいれば、さらに恐怖を深める者もいた。

 その堕天子こと久下広輝は、城跡近くの天子を診れる病院で治療を受けた後、鳴上の八坂病院に移されていて、ゴールデンウィークの最終日の今日も眠ったままだ。

 連休に入る前の予報では後半は晴れるはずだったが、見事に覆って雨・曇り・強風に見舞われた。今日も外は曇り空の下、強風が吹き、ガラス窓をガタガタと揺らしている。

 この悪天候の中、優里菜は八坂病院に移された広輝の元に通い詰めていた。彼女は鳴上に戻ってから、改めて関係各所にお礼を言って周り、残すは目の前の広輝一人となっている。

 天力切れを起こした天子は疲労に似た倦怠感で眠るように意識を失う為、再び目を覚ますまで一日を要するのは珍しくないが、三、四日も眠り続けることはなかった。

 その為、担当医は雷撃の影響が残っているかも知れないと言っていた。雷撃による内外の火傷や怪我は、他人の治癒を得意とする治癒術士によって治癒されている。尤も、広輝が気絶する前、自分自身に行っていた治癒の効果が大きいとも医師は言っていた。天子の治癒は万能ではなく、怪我を追ってから時間が経てば経つほどその効力を失うからだ。傷跡は多少残ったが、支障がないくらいには回復しているはずだった。それだけに、オリバー・エクスフォードの高電圧で流れた電流が広輝の肉体ないし、脳へダメージを与えたのではないかというのが、医師の推測である。

「…………」

 優里菜は戸棚に置かれた銀色の腕輪を見ては視線を広輝に移し、顔を伏せる。この仕草を何回繰り返したかわからない。

 広輝が目を覚ましたら、助けてもらったお礼を言うことも理由の一つではあったが、それよりも広輝にどうしても聞いておきたいことがあった。

 見覚えのある銀色の腕輪は、優里菜の記憶にある腕輪に酷似していた。同じ物かも知れない。もしも同じならば、目の前の広輝はあの時の少年かも知れなかった。

 久下広輝は月永優里菜に明日をくれた少年、風上広輝かもしれなかった。

 そんな気も知らずに、まるで熟睡しているかのように広輝は静かな呼吸を繰り返す。あまりにも起きないので、左腕の点滴から睡眠作用のある薬剤が投与されていないかと疑いたくなるほど。

 目が覚めるのを期待して、何もない時間を過ごし、今日もまた終わりを告げる十七時のアラームが鳴ってしまった。

 優里菜はバッグからスマートフォンを取り出して、アラームの解除ボタンを押す。再びバッグにスマートフォンをしまい、立ち上がろうとした時、待ち望んだ声が優里菜の耳に届いた。 

「…………ゆり、な……?」

「広輝、くん?」

 諦め、帰ろうとしていたところに届いた声。すぐには信じられず、疑問符がついてしまった。

「ここは……病院、か?」

 はっきりとしない意識の中、広輝は現状把握に努める。この目に映る風景、病院独特のにおい、白い布団の柔らかさと重さ。どれも覚えがあった。

 眠り続けて固まった身体に力を入れて、少しずつ起こしていく。左腕の点滴に注意しながら、上半身をゆっくりと起こしていく。

「だ、だめだよ。むりに体動かしちゃ」

 優里菜は広輝を寝かすのではなく、背中に手を回して起き上がろうとする広輝を支えた。その手には思いの外、広輝の重さが乗り、広輝に気力が戻っていないことを感じさせた。

 上半身を起こすと、左手首にあるはずのものがないことに気付く。視線と右左に泳がし、次に首を右に左に振って探し始める。

「……――――」

「あ、待って待って。取るから」

 木棚に置いてあるのを見つけると、点滴の針がない右手を伸ばしてそれを取ろうとするが、優里菜が広輝の求めていることに気付くと、代わりに取って広輝に渡した。

 長袖の内に隠れて、中々気づかなかったその銀色の腕輪。

 あの病室で、あの少年がずっと手に取っていた銀色の腕輪。

 広輝にその腕輪を渡しながら、優里菜は勇気を振り絞って聞いた。

 ずっと会いたかった少年なのか、を。

 腕輪を取ってくれたお礼を言おうとした広輝の視線と、不安と期待が入り混じった優里菜の視線が交差した。

「……広輝くんは、風上広輝くん、なの?」

 その問いに広輝は体をピクリと震わせ、視線を落とす。腕輪を大事そうに、包み込むように半分だけ握った両手の中に収めた。

 腕輪を愛おしそうに眺めながら、長い沈黙。既にその沈黙こそが答えに等しかったが、広輝はきちんと優里菜に答えた。

「…………うん」

 その声にはいつものような覇気がない。でもその分、優里菜にずっと素直だった。

優里菜は心のまま言葉を洩らす。

「――どうして」

 言ってくれなかったのか。

 優里菜はずっと、ずっと待っていた。

 病院を退院し、初めて登校することができた小学二年生の二学期。初めての友達と遊んだり勉強ができると心弾ませていた。『またあした』って言い合うことができる。すごく、すごく楽しみにしていた。

 だけど広輝は、学校に来なかった。夏休み中に退院の目処が立ったところで、親戚に引き取られることが決まり、夏休みが明けると同時に広輝は転校してしまっていた。

 悲しくて一晩、枕を濡らしたのを今でも憶えている。

 それでもいつかまた会えたら良いなと、前を向いて歩いてきた。

 広輝は違ったのかと、自分には会いたくなかったのかと不安になった。

 それとも優里菜が、あの時の自分だと気づかなかったのか。

 いろんな感情が溢れてきて、言葉が詰まった。

 けれど、広輝の答えはどれとも違っていた。

「……合わせる顔がなかったから」 

 広輝は視線を落としたまま。優里菜に目を向けることができなかった。

「また会うことができるのなら、真っ当に生きて、胸を張って会いたかった。絶望から救ってくれた恩人には」

 [堕天子]などと呼ばれ、大罪を負ったこの身で、どうして碧い瞳の少女ゆりなに会うことができるのか。

 自分が幸福を感じて良いはずがない。

 だから、たとえ碧い瞳の少女ゆりなが再会を楽しみにしていてくれたとしても、その再会はしてはいけないと決めつけていた。

「…………」

 優里菜は何かを言葉にすると、声が震えそうで、涙が溢れてしまいそうで、何も言えなかった。広輝が[堕天子]と呼ばれていることが関係しているだろうことだけはわかった。

「でも、それはできなかった。せめて、オレに気づいていないのなら、あの時の少年は今もどこかで、ちゃんと・・・・生きている……そう、思い続けてほしかった」

 これが広輝が優里菜に黙っていた理由。

 優里菜に落胆されるのが怖かったわけではない。失望されるのが怖かったわけではない。

 ただ、落胆させたくなかった、失望させたくなかった。せっかく助けた少年が、こんな歪んだ成長をしていることなど知って欲しくなかった。

「――だから……?」

 優里菜から零れた、たった一つの単語、たった三つの文字。ただそれだけでも、声は涙声に濡れ、頬に涙が落ちてしまった。

「うん、だから、黙っていた」

 広輝は腕輪を覆い隠すように、両手で閉じ込める。

「優里菜の碧い瞳を見て、ほとんど確信していた。優里菜があの時の女の子かも知れないって」

 紫鶴と守護者を追い、討ち果たしたあの時。偶然に再会したあの時。吸い込まれそうだった碧い瞳は、広輝の記憶を蘇らせるには十分だった。

「…………」

 どうして話してくれる気になったのか、優里菜にはわからない。追求するように「どうして」とさらに訊くのは何か違うと思った。だから全部を飲み込んで、できる限り震えを抑えて、ちゃんと言う。

「ありがとう、話してくれて」

「…………」

 視線を落としたままの広輝には気づけない。優里菜が精一杯に笑みを浮かべてくれていることに。

 そればかりか広輝はズキリと胸に痛みを憶えていた。お礼を言われることではないし、その声だけでも無理させているのがわかったから。

 広輝もどうして話す気になったのか自分でも分からなかった。寝起きだったから、いつもはかかるブレーキがかからなかったのか、それとも心配をかけた贖罪か。今思うと否定しておけばよかったと思う。否定して、少年への幻想を壊さずにいれば良かったと。でも時を戻すことはできない。

 いっそ[堕天子]の顛末も話してしまおうかと最低が脳裏に過ぎる。

「それから、助けてくれて、ありがとう」

「……うん」

 その微笑みに、その精一杯に、今は広輝もこれが限界だった。

 これ以上、優里菜の心を乱すことはできなかった。



 空の分厚い曇はまだ晴れない。それでも窓を鳴らす風はなくなっていた。


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