第二十五話 かえる場所
風が収まると再び暗闇が訪れた。今日は新月。満天に広がる星々も、地上までは明かりをくれない。
この場で唯一の炎使いの大樹が気を利かせ、炎を灯す。
その灯りに照らされた広輝は、残心のまま固まっていた。
優里菜には全てを出し切った姿に見えた。
「あの、広輝くん……?」
優里菜は固まったまま動かない広輝を心配そうに覗き込む。広輝の瞳に緑色はなかった。
「……問題ない」
優里菜の視線を躱すように、広輝は太刀を鞘に納める。
大きな力を行使すれば、その反動は術者へ還る。普通は。優里菜や大樹のようにピンピンしている方がおかしい。
「凄まじいな、今の一刀は」
隆也はケンタウロスを両断した斬撃を思い出す。
一瞬だった。広輝が太刀を振り下ろした時、全てが終わっていた。あの技で斬られたら、気づいたら首が飛んでいるか、胴と腰がおさらばしているかだ。もしもケンタウロスに勝機があったとしたら、広輝に太刀を降らせないことの一点だった。
その隣で大樹は広輝を畏れた。あの一閃を思い出すだけで身震いした。
この時、大樹は自分では気づかなかったが、畏れると同時に目標にもなった。また、こいつを超えてやるという隠れた意思も芽生え始めていた。
「帰りましょう」
目的は果たした。ゲーベルから優里菜を救出できた。ここに居残る必要はない。
隆也もそれに同意し、隊列の算段をする。
「そうだな……大樹」
「なんですか?」
「お前が先頭。明かり持ってるの大樹だけだから」
「あ、はい」
大樹は隆也に言われるがまま、おそらく入り口だった方に向かって歩き出す。瓦礫だらけだが、遠くにホールに入った扉らしきものは残っているように見えた。
大樹に隆也が続き、優里菜、広輝の順番で列を作る。優里菜は広輝の様子が変に思えたので、隣にいようとしたところ、「隊長は最後尾って決まっているんだ」と言われ、渋々三番目に並んだ。
大樹の炎を頼りに少し進んだ時、それは起こった。
四人の後方から崩落の音が響く。
これに隆也は心当たりがあった。地竜とアランと戦った地下空間。水蒸気爆発に加えて、ケンタウロスが暴れた。崩壊してもおかしくない。
「走れ!」
少なくともホールまで行けば地下の空間はないはず。
近づいてくる崩落の音を背に、皆が疲れた体に鞭打って走る。
ホールまで後もう少しというところで、嫌な音が優里菜の耳に届いた。崩落の音に混じって確かに聞こえた。
人一人が倒れたような音。後ろには一人しかいない。
「広輝くん!!」
後ろを振り返るが広輝の姿が見えない。大樹の明かりが届かないところにいる。
優里菜はすぐに後ろへ走り出そうとしたが、隆也に引き戻された。
「離して! 広輝くんが!」
「やめろ、崩れる!」
隆也とて、広輝を見捨てたいわけではない。最大の功労者を置いていくなどできるわけがない。
けれど、今、この状況で助けられる命は一つだった。
隆也は優里菜の腰に腕を回し、強制的に跳んだ。
直後にその場所の床が崩れ、闇の底へ落ちていく。
「広輝くん!!」
隆也の腕の中で必死に手を伸ばすも、それを掴む者も、声に応える者もいなかった。
*****
「ったく。世話が焼けるわね」
崩落を音で感じながら、崩落の終息を待つ。
腕に抱えた少年は天力切れを起こし、体力も底をついて文字通り力尽きていた。
腰に佩いた太刀のせいで見た目よりも少しばかり重い。
けれど、それでも、ずっとずっと重くなっていた。
「…………だれ」
辛うじて意識が戻ったらしい。でもそれは儚く微睡みの中の記憶にも残らない覚醒。
それでも邂逅を果たす。
少年を抱えた女性は思いがけない再会に息を呑んだ。
「――?」
「――まだ起きる時じゃないわ。眠ってなさい」
「――、…………」
少年は言われるがままに、目を閉じて、眠りに落ちていった。
「ほんと、世話が焼けるわね」
*****
そこは悲愴に包まれていた。
隆也たちは一樹たちと合流を果たし、一樹たちは優里菜の奪還を喜ぶも、広輝の一報を受けて再び気を引き締める。
すぐにでも救出に向かいたい優里菜だったが、一樹が下した判断は、日の出まで待機だった。少なくとも空が明るくなるまでは、近づくことも許可されなかった。二次災害を防ぐ当然の判断だった。
数人が山を下りて、捜索の応援を呼びに行ったが、それでも捜索開始まで後何時間あることか。
一樹たちも数百という人形相手にずっと戦い続けていた。疲れていないはずがない。火を囲み、体力回復を図りつつ時を待った。
優里菜は城跡に一番近い場所で、城跡の方を向いて膝を抱えていた。
ちゃんと生きているのか、怪我をしていないだろうか、不安は尽きない。
触れ合った時間は短い。決して良好な仲でもない。それでも自分を助けに来てくれたのに一緒に帰れないなんてあんまりだった。
優里菜が飛び出さないようにと、監視の意味もあるが、優里菜の気持ちに寄り添い、傍を囲うのは女性陣。紫鶴に歩に七重と三人とも陽本だけれど、今ばかりは関係ないと傍に寄り添う。
その様子を男性陣が静かに見守るような感じになっていた。
そこに足音が一人分、城跡の方から近づいてきた。
優里菜が広輝だと思い、飛び出そうとするも七重が止める。短く「魔力」と一言言って。
風に乗ってくる力が天力ではない。魔術師のそれだった。
隆也からアランというゲーベルの他にも手練れの魔術師もいた事は聞いていた。
一樹や隆也たちが女性陣の前に出る。
魔術師はその歩みを止めずに近づいてきて、天子側が姿を確認できそうな距離になると努めて明るい女性の声。
「お届けものでーす♪」
天子側の毒気が抜かれるような、戦意を全く持っていない声。
「お荷物は、男の子一人です♪」
その女性が腕に抱えていたのは、紛れもなく優里菜たちが待ち望んだ人物。
「――っ、広輝くん!」
優里菜が飛び出す。隆也たちもそれを止めはしなかった。改めて警戒をし始めはしたが。
優里菜が近づいてくると女性は膝を折って、広輝の脚を地面に置き、上半身を起こす形を取る。そのまま優里菜に受け渡せるように。
駆け寄った優里菜は、女性に抱えられた少年がちゃんと広輝だと確認すると、胸をなでおろした。
「あ、あの、!?」
広輝ばかりに注目していた優里菜は、やっとまともに女性を見て面食らう。
紅白の猫の仮面。
後頭部で結った燃えるように朱く長い髪。
そして、仮面から除く真紅の瞳。
優里菜は一瞬で引き込まれた。
目を丸くして固まってしまった優里菜に女性はニコリと微笑む。
「ちゃんと見てなきゃだめよ」
「え?」
言葉の意味を読み取れずにいる優里菜に女性は広輝を託し、女性の言葉の真意が読み取れないまま、優里菜はその腕に広輝を迎えた。
「じゃないと、居なくなっちゃうわよ?」
「どういう、意味ですか?」
女性は優里菜の質問に微笑むだけで答えることはなかった。
太刀緒を解き、腰に据えていた広輝の太刀を広輝の傍らにそっと置く。
優里菜には女性の所作が一つ一つが美しく映り、自然と見とれていた。
怖い人影が優里菜に差し掛かると女性はゆっくりと立ち上がる。そして怖い面々を一瞥もせず、視線を合わせずに踵を返した。
優里菜のすぐ後ろには天子が集結していた。
立ち去ろうとする女性に怖い人影の一人の隆也が問う。
「アランの仲間か」
女性は歩き出そうとしていた足の力を止めた。少しばかり思考し、その真紅の瞳だけ隆也たちに向ける。
「……あたしはこの子を助けた。あなたたちはあたしに何も訊かない。OK?」
「…………」
少しでも情報を得るために聞き出す口実を考えるが、一樹が隆也の肩に手を置いて首を横に振る。
それが「了承」の意と受け取ると、視線を暗闇に戻す。一瞬だけ愛おしそうな視線を広輝に向けてから。
「義理堅くて助かるわ。さようなら」
そして女性は現れた方に、新月の闇夜に去っていった。
女性の姿が見えなくなると、優里菜は視線を広輝に落とす。
目が覚めた直後はすぐに戦闘になり、余裕がなくて気づかなかった。所々焼け焦げた衣服、ぼろぼろの身体。優里菜よりも遥かに格上の広輝の傷跡は、戦闘の過酷さを物語っていた。
「ーーっ……。……?」
込み上げる思いで溢れそうになる涙。ぼやけた視界にそっと目に入る、どこか見覚えのある銀色の腕輪。引っかかった記憶を思い出す前に、頭を大きな手で撫でられた。髪がくしゃくしゃになるくらいに。
「良かった。二人共帰ってきてくれて」
見上げると隆也の満面の笑みに迎えられた。
優里菜ははっとし、後ろを振り返る。
そこには優里菜の救出に来た天子たちがいた。合流した時からずっといたのに、置いてきてしまった広輝で頭がいっぱいで全く余裕がなかった。
優里菜は改めて助けに来てくれた面々を見渡す。
みんな安堵し、満足そうな顔をしていた。一人だけ不機嫌な大樹を除いて。その表情に違いはあっても、みんな衣服が汚れ、傷を負っていることは共通していた。
優里菜は自分の為にこんなにたくさんのことをしてくれたんだと、改めて胸が一杯になった。
広輝を一旦地面に寝かせ、振り返る。溢れた涙を拭くこともせず、も崩れた顔を隠さず、震える声で深く頭を下げた。
「ありがとう、ございました……!」
*****
暗闇の閉ざされた城近くの森の中。
度重なる城からの爆音に夜行性のみならず全ての動物たちの気が立っていた。
僅かな物音も妖魔か野生動物かの警戒が必要なほどに不気味な深き森。
一寸先も見えない闇の中、一人の老人が城から遠ざかるように覚束ない足を慎重に進めていた。
「あれは本当に精霊界への扉じゃったのか?」
老人――ゲーベル――は、碧の球体のことを考え続けていた。
「あれが扉じゃったのなら、なぜ精霊はこちらに来ない」
シルフがこちらに来たように、一人や二人こちらに来ても良いものをと思っていた。長たる水精や地精、火精もしくはその眷属でも構わなかった。
「なぜ風だけが吹き荒、れる……」
ゲーベルはそこで一つの可能性に思い至った。
「シルフはこちらの世界で死んだ。故に風の精霊の長は不在。ならば、統率できていない風の精霊がこちらに来ていた?」
もしも長以外の精霊が人間の目に映らないのだとしたら? あの吹き荒れていた風が風精の仕業だとしたら?
「あの球体は、精霊界への扉じゃった……?」
可能性に脳が震えた。自分の研究が間違っていなかった、実証できた証拠になる。もしも正しいのなら長年の成果が結実したことになるからだ。
歓喜の波に脈動が激しくなった。
暗闇の向こうから少年らしき声がゲーベルの問に答える。
「正解」
「誰じゃ!?」
ゲーベルは周囲を見渡すも暗闇しかなく、その声はどこから発せられているかもわからなかった。
ゲーベルが突如現れた人物に慌てる中、その声は律儀にもゲーベルの「誰じゃ」に答えた。
「アラン・オークス」
「オークスう? ……[神童]の騙りが何の用じゃ」
ゲーベルの情報にも[アラン・オークス]の名前はあった。かつて[神童]と謳われた天子の名門[オークス]の嫡子。齢十才にして当代最高の治癒術士としてこれからを期待されていたが、十三才でこの世を去った悲劇の子供。死因が公表されず、事故に遭ったとも、病魔に侵されたとも、暗殺されたとも言われていた。
その名を名乗るということは、同姓同名もしくは偽者のどちらかしかなかった。
「騙りじゃないんだけどな」
アランは本名だと弁明しつつも、その中には仕方がないというニュアンスが含まれていた。
そしてアランの口調が強いものに変わる。まるで格下を相手にしているようだ。
「名前を明かしたのはせめてもの餞別。お前の役目は終わりだ、魔道人形:ゲーベル・ルシュルド」
「……………………は?」
ゲーベルには意味がわからなかった。字面の意味は理解できる。しかしそれを受け入れるなど到底できなかった。
「精霊界への扉の開き方を実証したことでお前に与えられた役割は終わったんだ。大人しくその魔工生命を引き渡してくれると助かるんだけど」
「……何を、言っておる?」
「お前も、お前が使役していた魔道人形と同じだと言っているんだよ、魔道人形Ⅴ型[魔術師:ゲーベル・ルシュルド]」
アランはゲーベルへゲーベルの真実を淡々と述べていく。
次々に並べられる自身の身の上にゲーベルは動揺を隠せない。アランが言っていることは嘘のはずなのに、それを嘘と思えない自分がいた。
ゲーベルは、ゲーベルの直感がアランが正しいと言っていることに目を背けて反論を闇に吠えた。
「ば、バカを言うな。儂には感情がある、記憶がある! 儂という人格とこれまで生きてきた記憶が! これをどう説明するつもりじゃ!」
人格。それはその人が今まで培ってきた人生で形成された一個人の倫理観や価値観、行動理念。唯一無二のはずである。
記憶。それはその人が今まで歩んできた人生。誰のものでもないはずである。
それをアランはゲーベルに限っては違うと否定する。
「そうマスターが作ったからさ。その人格はそういう風に感じ、行動するように作られた精神。その記憶だってただの情報だ。お前、自分の経歴を言えても思い出を語れないだろう? 語ることができても精々半年も良いところだろうさ」
「ーー!!!!」
ゲーベルは愕然とした。膝を付き、打ち拉がれた。感情・人格はともかく、記憶についてはアランの言っている通りだったから。この城で研究を始めるまでの記憶は情報だけ。そこにあるはずの情景がない。ソリアス強硬派の面々の経歴も顔もわかる。しかし会話した記憶はない。どのように強硬派が追いやられ、どうやってここまで逃げてきたのか、手段も経路も知っている。しかし体験していない。当事者としての思いを語ることができない。
「マスターも一から魔工生命を作るのは骨が折れたからお前が最初で最後だってさ」
ゲーベルはもう何も言わなかった。
自分の人生が無意味だったと絶望した。
長年、自分で蓄積したと思っていた知識は誰かの知恵で、長年、続けていたと思っていた研究は誰かの研鑽で、長年、自分で成し続けた結果も誰かの成果。この長年すらゲーベルの時間ではなく、ゲーベルの真の時間は半年程度。
現実を、真実をすぐに受け止めることができなかった。
アランは目が見えているかのように暗闇の中を移動する。樹木にぶつかることも、木の根や小石に躓くことも、木の枝葉に引っかかることもなくゲーベルの背後に辿り着く。
「……さよならだ。ゲーベル・ルシュルド」
打ちひしがれるゲーベルの背中にアランは魔法陣が描かれた羊皮紙を押し当てた。
「…………」
「start run.」
羊皮紙に描かれた魔法陣が赤く輝くと、ゲーベルの躯体は赤い霧状の魔力に変換され、心臓へと集結していく。やがて魔法陣の光が消えると同時に、赤い魔力は赤い鉱石となり、地面に落ちる前にアランが手に取った。
ゲーベルは最後まで何も言うことはなく、絶望の中で魔工生命を終えた。
「終わった?」
仮にも一つの生命が終わったところ。少しはアランも感慨に浸りたかったが、良くも悪くもタイミングよく女性が近づいてくる。
「ちょうどね。はいこれ」
「見えないわよ」
たった今変換したばかりの魔工生命をアランは女性に差し出すが、女性は暗闇で見えないと一蹴。
女性が右手で火を灯して、ようやくお互いの姿を視認する。
その火によって現れたのは、黒白の狐面をつけたアランと紅白の猫面をつけた女性。女性はアランよりも頭半分ほど背が高い。
「見えないのによくここがわかったね」
「赤い光が見えたからね……これが魔工生命」
女性はアランから差し出された鉱石を左手に取り、まじまじと観察し始めた。
赤く透明な、宝石のような鉱石。
「まるでルビーね」
女性の真紅の瞳に勝るとも劣らない洗練された赤。仮初だとしても生命の輝きが確かにあった。
見惚れているとアランは女性に訊く。本当ならゲーベルに逃げられないように二人で魔工生命を回収するはずだったにも関わらず、広輝を一目見ようとアランに仕事を半ば押し付けたのがこの女性だった。
「それで、会えた?」
「ええ。力尽きてたけど」
左手の魔工生命を腰につけていたポーチにしまう。
「オリバーにケンタウロス、そうなるよな」
アランと女性も雷鬼と呼ばれるオリバー・エクスフォードに対して広輝はかなり分が悪いと思っていた。女性は広輝が殺される前に気絶したのなら、オリバーに止めを刺させない腹づもりでいたくらいだった。
だが、見事に広輝はオリバーに勝利した。最後に仲間の支援があったが、予想を覆してみせた。驚き半分嬉しさ半分だった。
オリバーを乗り越え、ゲーベルの最強の魔道人形・ケンタウロスを倒した。
体力も天力も底を突かない方がどうかしていた。
「…………」
抱きかかえた広輝は傷だらけだった。雷に打たれた後遺症も出てしまうかも知れない。女性は広輝を思い、無事を祈った。
「そんなに気になるなら、ちゃんと会えばいいのに」
「だめよ」
アランの進言を頑なに拒否する。切実な思いがあったから。
「あたしは死んだ。あの子の今を壊したくない」
「いつか壊すのに?」
「それはあの子が決めること」
「そうかなあ」
「あなたに言われたくないわ。壊すことが決まっているあなたには」
「それも、そうだな」
アランは自分の発言を少しだけ後悔した。無粋だったと。
「じゃ、俺はこれで。マスターによろしく」
「ええ」
アランも森を去っていく。
女性は火を消して、暗闇の中一人思い耽る。
いつかの森のように、この森もきっと深くて優しくて、厳しくて沁みるほどの深緑に満ちているのだろう。
最期に見た時とは顔つきが変わってしまったけれど、面影はちゃんとあった。表面の空気は変わってしまったけれど根っこは変わっていなかった。
女性は特別なことは求めていない。元気でいてくれればそれでいいと。
たた、一つだけ願っても良いのなら――
「どうか、幸せに」




