エピローグ それぞれの晩夏
「武闘演」→「天武演」へ名称を変更しました。(2023/12/4)
**岳隠**
岳隠がある地域の夏休みは短い。お盆が明けて数日すれば二学期が始まる。
その最終日、今日も千花は天守の執務室で激しい剣幕で天守に迫っていた。
「だーかーらー、なんで教えてくれないの!?」
昇格試験から帰ってきた千花の頭には、あるもやもやが残り続けていた。出口の見えない悩みを一人でぐるぐると考えている内に、夏の岳隠名物である合宿の日になり、そんなことを考えている余裕はすぐになくなった。一月の懲罰である地獄の特訓メニュー亜種・春夏秋冬の[夏編]を受けるはずだったが、優里菜が[森林編]に参加すると言うので、対抗して千花も[森林編]に参加したからだ。余計なことを考えていれば、即刻リタイアに追い込まれるメニューに死物狂いに食らいついていき、血反吐を吐きながらもなんとかクリアした。そうやって身体を限界までいじめ抜いたことで、千花の頭の中のモヤは晴れていた。その結果が、答えを知っているだろう天守への直談判だった。
「何度も言うておるじゃろう。お主はーー」
「お姉ちゃんと一緒に捨てられてたっていうんでしょ。ぜーったいうそ! わたしが実の親について知りたいって思うのがそんなに悪いこと!?」
天守である星永泰平は、左肘を机に突いて額に手を当て、深刻な夏バテのように疲れた顔で千花に対応していた。
岳隠が清天寮に孤児として引き取った子供が、自分のアンデンティティを求めて自分の親について聞きに来ることは、よくあることである為、それ自体は泰平も苦慮しない。その子の決意と覚悟を泰平たちが認めれば、なるべく教えることにしている。しかしーー…………
「……だから、知らぬものを教えろと言われても、無理なものは無理だ。お主らのことを調べても、星永の情報を持ってしても肉親の手がかりが掴めんかったのだ」
この回答。千花は昨日と同じように下唇を噛んで湧き上がる怒りに耐える。
千花には到底信じられない受け答えの連続で、その姿は不誠実に映っていた。天位:黒の情報網を持ってしても手がかりさえ引っかからない蒸発の仕方など、千花には思いつかないのだ。
連日の同じような回答に、千花は遂に痺れを切らす。きっかけになった出来事を口にした。
「じゃあ、なんで櫻守正樹がわたしを見て驚くの?」
これだ。千花の脳裏に引っかかり続けていたのは。
永瀬義朋と激闘を繰り広げていただろう主犯の櫻守正樹が、目の前の敵をそっちのけで千花を凝視した。
当初は誰もその意味が分からなかったが、かつて鳴上に起こったことのあらましを教えてもらうと、時期が怖いほどにピッタリだったのだ。一つ疑問を残して。
泰平は至って普通を装い、躱そうとする。
「お主が奴の姉の櫻守葉子に似ていたのだろう」
「なんで似てるのかってことよ」
「似てる人間の一人や二人居るものだ。それにもし本当にそうだったとして、美宙の説明がつかぬ」
千花が思い悩んでいたもう一つの理由がこれだった。千花と美宙の年の差は五つ。千花が生まれた時、すでに物心がついており、一緒に引き取られたのならば血の繋がりの有無を知っていてもおかしくない。つまり、美宙に嘘を付き続けられたことになる。それがどんな理由で、どんな思いだったか、今は知る由も無いことが千花の悩みを深くしていた。
どんなに覚悟をして直談判していても、自分の両親を知りたいという思いと同じくらい、美宙との繋がりが消えてしまうことも怖かった。
千花は込み上げるものを我慢できず、方が震えるほど両手を力いっぱい握りしめ、恐怖を覆い隠すように当たり散らしてしまう。
「〜〜〜〜っ、そんなんだからコウ兄を堕天子なんかにするのよ!」
言い放った後、千花の目に映ったのは、鳩が豆鉄砲を食らったかのように目を見開いた天守の顔が、悲しそうに眉尻を下げて後悔に覆われる様だった。
千花は間違いに気付く。今度は千花の目が開いていき、言ってしまった震える口に両手を当て、一歩後ずさる。
「っ」
それでも優しい目を向けてくれる泰平から、千花は視線を逸らし、目を閉じ、背を向けた。そのまま扉を音を立てて開け放ち、走り去って行った。
「千花!」
冷たい麦茶を持ってきてくれた真白に気付くこと無く。
真白は千花が廊下の角を曲がるのを見届けると、物悲しさ残る執務室に入って、そっと扉を閉める。
静かに天守の机まで近づき、お盆に乗った透明なグラスに入った氷入りの麦茶を一つ天守へ差し出し、もう一つを机に置いた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
泰平は半分の麦茶で喉を鳴らすと、グラスを手に持ったまま机の上に置き、ふうっと一つ息をつく。
真白もここ数日の二人のやり取りを知っている。その場にいた者として、やはり行く末は気になっていた。
「天守、千花を子供扱いし過ぎではありませんか」
「儂はあの男の素性を知らぬ」
「しかし」
「あの男が奴だったのならば、なおさら教えられん」
「……なぜそこまで」
確かに二人は、あの夜に千花を託しに来た男に素性を尋ねることなく、惜別漂うその背中を見送った。それでも風の乗った情勢を聞く限り、推測は十分な推論として成り立っていた。
残るは科学的根拠さえ揃えばいろいろなことが確定するのだが、泰平は頑としてそれを行おうとはしなかった。
「推測が真実だと確定し、真実が明るみになれば、多かれ少なかれ否が応でも千花は二家の何かに巻き込まれる」
泰平は、千花の本気に押されて吐露してしまいそうになった自分の弱い意思を、腹の内に戻すように、残る麦茶を一気に飲み干す。そして再び決意を固め、カランと氷の鳴るグラスを机に置いた。
「奴は娘の健やかな成長と穏やかな幸せを願って、断腸の思いで儂に託したのだ。一緒に居たかっただろう、成長を見守りたかっただろう。それでも妻を奪われ、次は自分だとなれば、せめて娘だけでもと思うのは自然なこと」
泰平自身も一人の父親である。あの時以上に、彼の気持ちを痛く理解できた。
「だから、もうこれ以上、千花を不要な諍いに巻き込む訳にはいかない」
「天守……」
堕天子の件で、多大な迷惑をかけた。岳隠を無用な混乱に陥れ、何人もの子どもたちに要らぬ道を歩ませ、遠回りさせてしまった自覚が泰平にはあった。真実を隠すことが大人の欺瞞であることも痛感している。
しかし、千花のこの件に関しては、『だが、それでも』なのであった。
・
[使用中]の札がかかった面会室。
そこには赤いカバーのスマートフォンを両手で握りしめて机に俯す千花の姿があった。
今にも漏れてしまいそうな嗚咽を歯を食いしばって耐え、肩を震わせている。
その手からスマートフォンがすっと抜き取られ、本来の持ち主である紅実の手で[小鳥遊真白]と表示された画面の通話終了のボタンが押された。
千花を見る紅実の表情はとても剣呑で、完全なお叱りモードだ。
「他言無用よ」
「……っ、……はい」
千花は鼻を啜ると、両手を赤くなった両目の涙を拭いつつ、附した顔を上げる。その左頬にはきれいな紅葉が咲いていた。
「はあ……ずるいなあ、本当にずるい。みんな卑怯だ」
「そうよ。大人はずるいの。子供を守る為だったら尚更ね」
**鳴上支部・併設道場**
大樹がおよそ二週間振りに道場へと足を踏み入れると、中では黒帯の道着を着た、大樹の父親と似た体格の男性が大樹を待ち構えていた。
男性は大樹の晴れた顔を見ると、確信を持ったかのようにそれを問う。
「覚悟はできたようだな」
「はい。今日からまた、よろしくお願いします!」
自分の中に眠る力と一族の使命に思い悩んでいた大樹に、休息を提案したのはこの男性だった。大樹が父の伝手を辿り、直々に教えを願った徒手のスペシャリスト。
彼は大樹の答えに満足そうにうなずくと、両拳を合わせて晴れやかに地獄を言い放つのだった。
「いいだろう。岳隠の特訓にも負けぬ鍛錬をしようか」
「…………お手柔らかにお願いできませんか」
**月永邸・優里菜の自室**
夏休みの最終日となった今日。
全くと言っていいほど、一向に降らなかった雨が、超大型台風という形で南から北へと縦断行程中であり、鳴上は今まさにその暴風域に突入していた。
暗雲の中では何度もゴロゴロと稲光り、閃光を伴って地に落ちてはお腹に響くくらい大きな轟音を鳴上に響き渡す。
ここまでの雷となると優里菜は若干トラウマ気味になっていてた[雷鬼]たるオリバーの影がちらついてくる。窓に叩きつけられる強烈な弾丸のような雨が一層の恐怖を増していた。
優里菜は少しでも雷から連想される恐さから離れるように、机の上に開いた天会から送られてきた一通のお知らせの方に意識を向ける。
それは今回の昇格試験についてだった。
あんな事件があった為、今回の試験は[中止]扱いとなり昇格者はゼロ人。しかしながら、三日目のペア戦までの記録は残っている為、受験者一人ひとりの結果に応じて、次回はいくつかの試験を免除するとのこと。
その通知には、筆記試験と個人戦は合格、ペア戦は不合格と記載されていた。
優里菜はその結果を「やっぱり」と素直に受け入れる。昇格する為の割り切りができず、退くべき時に退かなかった自覚があったから。
天位:翠になれば黄色や白色とペアを組んで仕事することもあり、その時の退き際は上位色である翠に判断を委ねられる。先の試験が実践だったならば、優里菜が光の相手をしている間に大樹が千花を手に掛けることも可能だったということ。仲間の命よりも勝利を優先したと取られていても何も不思議ではない。
その時、空と大地を貫く雷鳴が優里菜の鼓膜を突き抜け、ビクリと飛び上がりそうになった。
バリバリと空気を割る音が鳴り響き、優里菜は椅子から立ち上がり、窓に手を当てて土砂降りの窓の外を右から左へと眺める。特に変わった様子はなく、空の黒い雲の中で雷光が点滅を繰り返すばかりだった。
ふと窓に映る自分と目が合う。
碧眼ーー水精の隔世遺伝の証であり、代々女系を貫いてきた血統主義の証でもあった。これは優里菜が首に下げている[ウンディーネの杯]を双剣として顕現できることが何よりの証拠になっている。
櫻守に至っては、異なる力を煉獄の業火と称して連綿と継承し続け、月永と共に在り続けた。人々の拠り所となる櫻を犯す不浄を絶つ為に。
そういう意味では、櫻守正樹はその使命に準じたと言っていい。優里菜が地下空間で頼人から聞かされた義朋の非道の数々は耳を塞ぎたくなるものばかりだった。優里菜の祖父、大悟の言葉を用いるのならば、"行き過ぎた"血統主義は目的以外を蔑ろにして、あらゆるものを傷つけていた。
優里菜も昇格試験から帰った後、陽本の櫻守の悲恋を聞き、白鷺の悲劇を知った。一歩間違えれば、自分もそうやって生まれてきたのかも知れないと思うとゾッとした。
逆に言えば、月永はそうさせる力を持っている家系だ。いくらでも人を不幸にできる。
優里菜は改めて口酸っぱく言われていることを、そして、大樹に言った問い掛けを口にした。
「力はただ力。そこに善も悪もない。私が、どう使いたいか」
生まれた瞬間から運命づけられた"月永"の名。たまたま月永に生まれたから名乗っている姓。
考えれば考えるほど、自覚していく名字の力。先祖が代々積み上げて培ってきた血の力。
今この時、碧眼を持って生まれ、月永を背負う意味とは。
いずれ辿り着いただろう命題。優里菜を月永優里菜にするこの命題に、月永の嫡子が今辿り着いた。
ーー同時刻ーー
広輝は自分の机に向かっていた。
慣れた手付きでノートパソコンをカタカタと鳴らし、任務の報告書を作成している。その傍ら、鳴上支部の月永の現状について思い返していた。
分家の中でも中立な立ち回りをしていた永江家が、正樹と拓真に協力したことで幹部の一席から外され、生活拠点も天宿から出て行った。一応、自主的に天宿から出て行ったことになっているが、傍から見ると追い出されたも同然だった。その永江家に代わって永峰家が幹部の一席に座ることになった。この永峰家は、むかし岳隠の永嶺が月永の直系に婿入りした時に分かれた家系であり、その永嶺にあやかって"峰"の字を入れた家系だ。ここの当主は、永江家よりも中道を行き、家族への損益よりも自分の信念に従って動くため、分家筆頭の永倉家がやりずらそうにしているらしい。また、陽本とも話が合うところがあるようで、月永の当主も苦笑いしているとか。
しかしながら、永江家が主犯に協力していた影響は大きく、鳴上における力のバランスも陽本に優勢になりつつある。陽本の当主である勝炎も事件で暴れまわったものの、特務隊の特命も兼ねていた為、大した問題にはなっていなかった。その勝炎は事件後、またも行方をくらましているが。
広輝は天会の端末を利用した秘匿回線を使って、作成し終わった報告書を上司へメール送信。一仕事終えて背もたれに寄りかかったところで、近くに落雷したかのように大きな雷鳴が広輝の鼓膜を叩いた。
「…………」
大地を割るかのような雷。広輝の脳裏を過ぎるのは、オリバー・エクスフォード。やはり、広輝が対峙した敵の中でも一線を画していた。次点で[雷穿]の松永匠。身近にいる紫鶴や天武演の準決勝で戦ったことがある瀬戸光ではなく、特務隊の彼であるのは、いま広輝の胸に後悔として残り続けている事が大きかった。
白鷺拓真の死。転じて、どうして助けられなかったのか。
拓真は敵だ。優里菜を拉致し、危険に晒した敵だ。それは間違いない。
しかし、直接戦ったからこそ、拳を交えたからこそ、口だけではない相手の思いを感じ取れたこともある。
後悔があった。憎悪があった。恨みも底が見えないほど深かった。
同時にそれと同じくらいーーどうにかしたいと願っていた、足掻いていた。
因習が染み付いたこの閉鎖した世界に風穴を開けたい、と。
その変革の意志を持った彼を失った。
殺害などせずとも、黒の議決と絆の説得で彼は止まったかも知れない。白鷺を盾に、二度目はないと厳しく警告すれば、今も向洋の元に戻っていたかも知れない。所詮、意味のない想定の話だが、もしそうなっていたらという思いが拭いきれていなかった。絆と向洋がいる銀羽支部を訪れたから余計にそう思うようになっていた。
そして、それを実現するには、最低でもあの場で匠を抑える必要がある。それができなくて、歯痒くて、情けなくて、あの場で光と共に血が滲むほど拳を握っていた。
拓真を撃ち抜いたあの銃弾は広輝の背中からの奇襲であり、広輝が防ぐことは不可能に近かったが、その後、彼を止めることができなたのなら、絆と光の治癒によって一命を取り留めることもできたかも知れない。
広輝が今まで磨いてきた力。堕天子の件を経て、一層研ぎ澄ましてきたと思っていた力。
まだまだ足りなかった。
(『失いたくない』。それだけじゃダメなのか?)
広輝は手を開き、その掌を見る。
左手に銀色の腕輪がある。これを初めて付けた日からこの手は随分と変わった。成長して大きくなり、皮は分厚く、紛うことなき剣士の手だ。それだけやってきた自負もある。やりすぎて、周囲の声も届かず、周囲が見えなくなるほど視野狭窄に陥り、それが大切な人たちをも傷つけていることにも気づけていなかった。
それまでの方法ではダメで、今のままでは足りなくて。
(……ならオレは、どうしたらいい?)
死んでしまうのが、大切な人にならない為には。
ノートパソコンにメール受信を知らせるポップアップが出て、早速さっきのメールの返信が届いたようだった。
これにて『第四章 伝統、行き着く先』は終了です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
いやー長かった。長かったですね。
もう三、四話短いのを想定したのですが、思いの外、義朋とその取り巻きが活躍してくれちゃいました。
彼はプロットでは、政治力は高いが戦闘力の低い天子で、もっと三下ムーブをかます予定だったんですが……各方面に説得力を持たせようとしたら、まさか紅をも上回る強者に生まれ変わりました。
今回は、昇格試験という場所と時期を利用して、特務隊"紅"を以て天子の高みと更にその上があることを見せ、
正樹と拓真によって天会の歪みを露わにし、否が応でも天会に変化をもたらしました。
そして、主要人物四人には成長の"きっかけ"を与えることができました。
内容は今回のエピローグになります。
千花には、自分のアイデンティティを。
大樹と優里菜には、自身に課せられていた運命の自覚を。
広輝には、もう一度自分を見つめ直す為の種を。
今後の成長にご期待ください。
千花の出生については匂わせる程度にしておこうかと思いましたが、
千花自身が少しでも勘付けば、はっきりするまで追求するだろうなと思って書きました。
次の本編、第五章が始まるまでけっこうな量の小話(間章)を挟ませて頂きます。
時系列が戻ってしまいすが、間章1に二話挿入し、第四章から第五章までの間に間章2も紡ぎます。
広輝たちは高校二年生ですから、修学旅行もありますしね。
その後、『第五章 矜持、誇れるものは』を開始しますので、
今後とも『いつか、君の隣へ』をよろしくお願い致します。
最後に、ここまでお読み頂きまして、改めて御礼申し上げます。
追記
間章1「第五幕 林間学校」を投稿済みです。(2023/8/20)
間章1「第六幕 雨宿りの読書」を投稿済みです。(2023/8/30)




