第45話 侯爵令嬢と裏路地の幼女 後編
アリスは恐る恐る、気絶して倒れる二人を壁際に寄せた。レティシアは杖を握って、何が起きても対処できるように構えていた。
その作業の途中で、アリスが不思議そうに尋ねる。
「レティ様。さっきの凄い動きって……もしかして、魔法、ですか?」
「はい、クリスさまに魔法をかけていただきました。久しぶりでしたが、うまくいきました!」
「そんな魔法もあるんですね……知りませんでした」
「マイナーなので、学園では習いませんねえ」
「でも、すごく便利だと思うんですけれど、どうして教わらないんですか?」
アリスは、首を傾けて尋ねる。
「無属性の魔法で、扱いがちょっと難しいんです。それに、これで強化できる相手は貴族……つまり、魔法が使える人に限られるんですよ」
アリスも、なるほどという表情でうなずいた。
前衛を兵士に任せて、後衛として戦う貴族には必要のない技術だ。
修得にも時間がかかるため、あまり積極的に覚える貴族はいない。相性のいいレティシアがいるからこそ、クリスタも、切れる手札の一つとして習得していた。
作業を終えたアリスとレティシアは、まずは一息ついた。
これからどうしよう――そう考えて振り返ると、何やら雰囲気が変だ。
「……クリスさま?」
レティシアが、目をぱちくりと瞬かせた。
主の首のあたりに、細い腕が抱きついているように見えたのだ。
急いで前に回ってみて、変な声が出た。
「うぇっ! こ、こらっ、クリスさまになんてことを……!」
助けた平民の幼女が、しっかりと侯爵令嬢に首を回して、抱きついているのを見つけてしまい、大慌てである。
「あっ、ダメです、レティ様!」
「アリスちゃん! でも、これはいくら何でも……っ」
いくら奔放なレティシアでも、主に抱きついている状況を、流石に看破することはできない。
しかし、アリスに促されて、その子供の様子をよく見てみた。
小さな手が震えていた。よほど怖い目に遭ったのだろう……それを困ったように受け入れている主を見て、手を引っ込めた。
ふうっ、と一息ついた。
主が受け入れているのだから、自分が何も言う必要はない。
「怖がらなくていいですよ。さっきの人は、もういませんから」
しがみついていた女の子は、ゆっくりとレティシアを見た。
怯えの色が濃く混じっている。さっきの男達が、よほど怖かったのだろう。
「あなたの名前を、教えてくれませんか?」
「…………」
「レティっていいます。名前、分かりますか?」
「…………」
「むむぅ……」
話しかけてくるレティシアを見つめているものの、一向に何も話そうとしない。
困っていると、横からアリスが入ってくる。
「こんにちは。わたしは、アリスって言うの。あなたの名前が知りたいな」
アリスの、花開くような純真な微笑みが向けられる。
しかし、幼女はかたく目を瞑って、クリスタの胸の中に顔を埋めてしまった。
取りつくしまもない。
二人は、全く聞き入れてくれない様子に困り果ててしまった。
「クリスさま……どうしましょう?」
「そうね……」
クリスタは、倒れている連中に視線を向けた。
犯罪を目撃することは想定の範囲内であったが、誘拐されかけていた幼い子供を保護することは、完全にクリスタの想定外であった。
考えていた予定が狂ってしまったが、仕方がない。
ひとまずこの子を、大人しく衛兵に引き渡すべきだろう。
「……?」
……そう考えたとき、首元が小さな力で引っ張られた。
下を見ると、幼女がじいっと、クリスタの顔を見上げている。
「……くりす?」
「え、ええ……そうですわ。あなたは、名前が言えますの?」
「しゃーろっと……」
クリスタが尋ねると、幼女はあっさりと自分の名前を教えてくれた。
なぜか懐いてしまったらしい。しかしちょうどいいとばかりに、クリスタとアリスが、抱きついた平民の子供に尋ねる。
「家まで連れて行って差し上げますわ。あなた、自分の家は分かりますの?」
「……わかんない」
「シャーロットちゃんは、お父さんか、お母さんとはぐれたの?」
「ううん。いない……」
ようやく会話してくれるようになったシャーロットの暗い返事は、三人を戸惑わせた。
家も分からないといい、そして両親はいないとなると、答えは限られる。
つまり、この子は孤児である可能性が極めて高いということだ。
しかし、それにしては妙な点があった。
身なりが明らかに孤児院のそれではなく、今は汚れているものの、そこそこ良い身なりをしていた。どうやら何か事情がありそうだ。
しかし、それを問い質すのはクリスタ達の役目ではない。
「とりあえず、表に戻って兵士さんに後を任せますか?」
考え込んだレティシアが、そう提案した。
確かにそれが真っ当な対応だ。事情説明のために、倒した男たちも連れて行かれてしまうだろうが、今回は仕方がない。
クリスタの頭の中にある予定が一つ狂ったが、全く問題がない程度だ。
「やっ……! 白いおねえちゃん、行かないで……」
しかしシャーロットは、クリスタの首元を硬く掴んで、離そうとしなかった。
「シャーロットちゃん、クリスさまを困らせちゃ駄目ですよ……?」
「や!」
頑として首を縦に振らず、全く離れる様子がなかった。
しかしクリスタも、いつまでも自由にさせているわけにもいかない。犯罪に巻き込まれた王国の民を、そのまま見捨てることはできないが、クリスタには、クリスタ達の目的があるのだ。
平民のことは、平民の世界をよく知る兵士に任せたほうが良いだろう。
だから、このまま連れて行こうと決断しようとした。
だがその前にシャーロットが、クリスタの首元の服を引っ張って尋ねた。
「おねえちゃん……さっきのピカって光るやつ、どうやったの……?」
「……?」
急に、クリスタに奇妙なことを言い始めた幼女を訝しんだ。
言っている本人も説明に困ったのか、ちょっと考えこんでから、思いついたようにレティシアに視線を移した。
「そっちの赤いおねえちゃんにやったの、もう一回見せてほしいの……!」
「ほえっ?」
「何を言っていますの……?」
「クリス様……もしかして、さっきレティ様にかけた"あれ"じゃないですか?」
二人が全く理解できていない中で、アリスだけが思いついたように言った。
そして少し考えて、ようやくその発想に至った。
「……まさか」
クリスタとレティシアは、顔を見合わせて、意思を確認しあった。
急に深刻な表情を浮かべた二人に、アリスは不思議そうに首を傾げる。その間に、レティシアは耳元で主人から命令を受けて、懐に手を伸ばした。
「はい。では軽く……『アウラ・アエストゥス』、です!」
取り出した杖で、幼女から見えないように、こっそりと風系統魔法を使った。
単純に小さな風の流れを作り出すだけの下級魔法だ。そよ風を起こすだけの魔法で、言われなければ、魔法が使われたことに気づくことさえできないだろう。
しかし、何も知らないはずのシャーロットは違った。
「みどり……! すごい、きらきら……!」
しかし幼女は、明らかに風の流れを目で追って、その方向に手を伸ばしていた。
それを見たクリスタは目を見開いた。
レティシアも、信じられないものを見るように幼女を見つめる。
「おねえちゃんは、きらきらを出す木の棒、ないの?」
それを聞いた瞬間に、二人は確信に至った。
主と視線を合わせて頷き合い、クリスタは、シャーロットを抱き抱えたまま立ち上がった。
「はわっ。おねえちゃん……?」
「アリス。私は、一旦この子を連れて拠点に帰りますわ」
「えっ……兵士の人に引き渡さないんですか!?」
アリスは、大変驚いた。
誘拐された子供を見つけたのに、なぜ連れて帰ってしまうのか。
だが、事情がわかっているらしいレティシアは、たしなめるように言う。
「戻ってからアリスちゃんにも事情を話します。そこの失礼な人は、兵士さんに連れていってもらってください」
疑問の最中で、レティシアからアリスに、丸めた羊皮紙が手渡される。
「え。これは、何ですか?」
「それを見せれば、話が通ると思います……あっ。シャーロットちゃんのことは、クリスさまが話すまで、誰にも内緒にしておいてくださいね」
「えっ? えっ……?」
「とにかく、急がなければなりませんので、よろしくお願いしますっ」
困惑をよそに、誘拐された少女を抱えたクリスタとレティシアは、慌てた様子で、表通りに戻っていった。
アリスには意味がわからなかった。
しかし、気絶する二人の男とともに取り残されていることを思い出す。ここで目覚められたら大変だと、大慌てで、兵士を呼びに走り出した。




