第44話 侯爵令嬢と裏路地の幼女 前編
休憩を終えて、再び街を歩いていたクリスタは、不意に道の中心で足を止めた。
「クリス様、どうしたんですか?」
後ろからついてきていたアリスが、特に何もない場所を見つめている主を見て、不思議そうに目を瞬かせる。
クリスタが注目したのは、賑わう大通りの建物の間の隙間。
薄暗く、店のものと思われる木箱が積み上げられている雑然とした空間だ。
前を歩いていたレティシアも、戻ってきて一緒に目を細める。そして、何かを見つけたように、うなった。
「むむ……あれは……?」
一見、何もないように見えた裏路地。
しかし、よく見れば何かの影が動いているのが見えた。
「……さっそく、見つけましたわね」
それを見つけたクリスタは悪どく笑んで、裏路地へと真っ直ぐに進んでいく。
ぎょっとしたアリスは、慌てて引き留めようとした。
「クリス様! だめです、そんな場所に入ったら……!」
「いえ、アリスちゃん。問題ありません」
昼間とはいえ、人の目の届かない場所に入りこむべきてはない。
だが、むしろアリスの制止は、レティシアによって止められた。二人はそのまま、何の迷いもなく裏路地に踏み入っていく。
アリスには、なぜ危険に飛び込んでいくのか、訳がわからなかった。
「うぅ……ま、待ってくださいっ……!」
ここに取り残されるわけにもいかないし、主を行かせるわけにもいかない。
五秒ほど逡巡したあと、覚悟を決めて後を追いかけていった。
裏路地は思った通り、道というのもおこがましいほどの場所であった。
狭くて汚く、関係者以外が立ち入るとは思えない。
そして表通りにいたときには聞こえなかった音が聞こえてくる。何やら争うような物音とともに、奥の方で誰かが騒いでいるようだった。
アリスが、その不気味さに怯えながら進んでいると、その正体が分かった。
大の男が三人――そのうちの一人の細身の男が、幼い子供の口を塞いで抱えている真っ最中であった。
「あなたたち。ここで一体、何をしていますの?」
どう見てもまともではない三人組に、クリスタが冷たく問いかける。
子供の口を塞いでいる当人の男は、あからさまに慌てた様子を見せた。
「先輩まずいですよ! ヤバいところを見られちまった……!」
「お、おい馬鹿、余計なことを言うな!」
猿顔の男が、慌ててたしなめるが、もう遅い。
クリスタ達の視線が冷たくなっていく一方で、ボスと思われる日焼けした男が、明らかに訝しむ表情でクリスタ達を見返した。
「なんだ……お前ら? こんな場所に女三人で、何しに来やがった」
クリスタ達三人は、明らかに普通の平民という風態ではない。
しかし、この場に訪れるようなはぐれ者でもない。どこかの商家の娘と使用人だと予想したが、それにしては雰囲気が鋭すぎる。
男は警戒度をより一層高めて、クリスタは細身の男が抱える、幼い子供に視線を落とした。
「もう一度聞きますわ。あなたたち、その子供に何をしていますの?」
「あんたには関係ねえな。三秒数えるから、その間に失せな」
猿顔の男が威嚇するように前に出て、小さなナイフを取り出した。
それを見たアリスは、恐怖で顔を青ざめさせて、後ずさった。だがクリスタと、その前を守るように立ったレティシアは、一向にその場を離れない。
そのまま三秒が経った。
その間に、細身の男も冷静になってきたのか、下衆な笑みを浮かべた。
「度胸のある嬢ちゃんだ。見たところ、どっかの家のお嬢様ってとこか?」
「ヒヒヒッ。驚かせやがって。拐って売っぱらてやろうか……?」
「ひぃっ!」
猿のような男が浮かべた下衆な笑みに、アリスがますます萎縮する。
それに比べて、やはり前の二人には全く動揺がない。特に青い髪の女は何か普通ではないと、リーダーの男は警戒心を高めていた。
一方で、クリスタは見た目や言動から、男達の情報を探っていた。
(思ったよりも早く、当たりを引きましたわね)
視線を堕とす。抱き抱えられている幼女は、おそらく五歳程度。
本来のクリスタの髪色と似た白水色の髪で、今は首を掴まれて、涙を流しながら、大人しく抱えられている。
普通に考えれば、誘拐――そう考えて間違いないだろう。
「あなたたちは、王の膝下であるこの街で、犯罪を犯そうとしていますのよ。それを理解していますの?」
「ああぁ? お前。状況、分かってんのか?」
「ええ、よく分かっていますわ……特にあなた。"裏"の組織の人間ですわね」
クリスタが、悪どい笑みを隠さずに指を差すと、男の警戒度が一変した。
二人は「だから何だ」と言いたげな表情であったが、ボスは舌打ちして、二人に対して命令を下す。
「逃げられると面倒だ……”表”で騒がれないうちに、やれ」
「へへ。任せてください」
細身の男は、口を塞いでいた子供をボスに渡して、壁際に放置されている細長い木材を手に取った。ナイフを持った猿のような男と二人で、かかってくる気らしい。その顔には、ありありと欲望の色が浮かんでいた。
猿顔の男は三人を見定めるように視線を滑らせた。
クリスタ、アリス、そしてレティシアに視線を動かして……後ろに隠れるアリスに視線を戻した。
「よく見りゃあ、先頭のちっこいの以外は、全員いい女だなァ……」
「どこに目をつけているんですか!?」
ギラつき始めた男の発言に、レティシアが思いっきり憤慨した。
怯えていたアリスは視線を逸らし、クリスタも不快感に耐えるように腕を組んで、言いつける。
「……レティ。遊んでいないで、やりますわよ。早く片付けてしまいなさい」
「むー……今の侮辱は、到底許せません。覚悟してください。痛い目に遭ってもらいますっ」
「へへ。お前達だけでどうするっていうんだよ……!」
男達は、あからさまに、一歩前に出てきたレティシアを侮った。
全力で悲鳴をあげられれば、誰か人が来る。そうなると面倒なことになりかねなかったが、向こうにその気配はない。
どうやら本気で、自力で自分たちを何とかしようと思っているようだ。
ならば、いくらでもやりようはある、と……そう考えていた。
しかし、男達の考えていることは、全て妄想でしかない。
僅かに姿勢を屈めたレティシアの体が、一瞬だけ、白く輝いた。
――そして、跳んだ。
人間では、到底あり得ない跳躍に、誰も反応もできなかった。
「うぐっ!?」
レティシアはまず、細身の男の首に当身を入れた。
前倒しになって、そのまま白目を剥いて倒れていく。隣に影を捉えた仲間も、気づいて、慌てて腕を振るった。
「な、このっ……がぁっ!?」
猿のような男は、頬に思い切り平手打ちを食らった。
盛大な音と共に壁まで吹っ飛んで、そのまま地面に突っ伏して気絶した……頬には、真っ赤な痕が残った。
そこまでやって、レティシアは一旦息を吐くために止まった。
一瞬で陣形を崩されるのを見て、リーダーの男はあからさまに慌てた。
「っ、何がっ!?」
「あなたも、寝ておいてくださいっ!」
地面に留まったレティシアが、再び飛びかかろうとする。
だが、ぶんっ、と。
慌てたように、抱えていた幼女を投げ飛ばしてきて、面食らった。
「うぇっ!? と、とっとっ……!」
途中で、かかとを使って急ブレーキをかけたレティシアは、かろうじて投げ飛ばされた幼女を、丁寧に受け止めた。
その隙に男は振り返って、一目散に、さらに奥の路地へと逃げ出していく。
「くそがっ……!」
「あ、ちょっ、待ってください!」
そっと幼女を地面におろして、慌てて追いかけた。
しかし遅かった。入り組んだ路地は、すぐさま男の姿を隠してしまう。遅れて駆け出したレティシアは、気配を追いきれなかった。
一瞬、魔法を使うことも考えたが、結局土地勘がないので追いつけないだろう。
とぼとぼと、幼女のそばに寄ったクリスタのもとに戻ってくる。
「すみません、クリスタっ……クリスさま。逃げられてしまいました」
「一人仕留めれば十分ですわ。アリス、レティ。暴漢を監視しておきなさい」
「了解です!」
意識のない子供の様子を確かめるクリスタに言われて、二人も頷いた。




