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悪役令嬢クリスタは、破滅と没落の夢を見る  作者: 日比野 くろ
第二章 侯爵令嬢と悪意の邂逅
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第31話 侯爵令嬢と第二の配下

 古爵家の娘アンリ・パトリックは、暗い寮の部屋で引きこもっていた。


 主の部屋とは天地の差がある、狭い木造の居室だ。

 ボロボロの部屋に、こじんまりとしたベッドが置かれている。その上で、膝をかかえて、震えながら一人でうずくまっていた。

 

「どうして、わたし……なんでこんな、っ……」


 アンリの様子は、明らかに普通ではない。

 思い出すのは、悪夢のような光景ばかりだ。

 その一つ一つは、アンリにとっては小さな傷だが、劣等感は膨らみ続けている。

 

『あなたには、氷系統に、才能はないようね』


 以前、クリスタに氷系統魔法を教わったとき、そう告げられた。

 侯爵令嬢から直々に教わった魔法は、どんなに努力しても使いこなせなかった。


『うーん……アンリちゃん。風系統は、向いていないみたいですねえ』


 水も、風も、そして最後に習った炎系統もだめだった。

 侯爵令嬢の配下でありながら、自分だけが魔法の腕は成長しなかった。

 だが元々天性の才能を持った主や、その臣下のレティシアなら、追い越されたとしても納得できただろう。

 しかし、アンリを最も苦しめたのが、学園に入学した平民の存在だ。


『見てください! ようやく、ちゃんとできるようになったんですっ!』


 アリスの杖から、眩しい日輪のような光が放たれているのを見たとき、アンリの心に、綻びが生まれた。

 自分より後に学園に入学して、全てが劣っていたはずなのに、あっというまに、魔法の腕では追い越されてしまった。


 彼女は、主から魔法の腕を信頼されるほどの成長を、今も続けている。

 ほとんどは、口に出さずに我慢していたが、主の前で嫉妬の言葉を出してしまうときもあった。

 せめて、得意な座学だけは決して負けるわけにはいかないと、励んできた。

 睡眠の時間さえ惜しんで、死ぬ気で努力を続けてきた。

 しかし、今はマルセルの声が、こびり付いて離れなくなっている。


『君のやっていることは全て、平民でもできるんですよ』


 今までやってきたことは、全て無駄だったと、そんな風にさえ思ってしまう。

 その通りだ。

 座学なんて、平民でもできる。

 魔法の能力を求められる貴族が、魔法が使えないなんて、あり得てもよいことではない。

 そして、今のアンリを苦しめているのは、それだけではなかった。



『悔しいでしょう。憎くて、辛いのは、全てあの平民のせいだ』


 聞いたこともない言葉が、アンリの頭の中に直接響いてくる。

 この部屋に、他に人の気配はない。

 自らの背中から這い出してくる白影に、アンリはまったく気付いていない。

 

「あの子が、アリスが、全部悪い……?」

『ええ、そうです。あの平民がいなくなれば、全てが元通りになりますよ』


 アンリの中に、黒い感情が湧き上がってくる。

 そうだ。アリスを追い出せば、この悩みも消えてくれるかもしれない。

 今抱いている想いが、アンリの心を黒く焼け焦げさせる。


 だが、しかし。


『殺してしまいましょう』

「ひっ……」

 

 しかし、それはアンリにとっては、あまりに黒すぎる感情だった。

 突然冷静になったアンリは、表情を歪めて、怯えるように壁に背中をついた。


「ち、違うっ。わたし、そんなこと……」

『あの平民の女がいなければよかったと、そう思っているでしょう。あなたは、殺したくてたまらないはずだ』

「やめてっ……!」


 耳元で囁いてくる影の言葉を、怯えながら、否定する。

 だが、直接響いてくる声は、抑える手を貫いてアンリの耳に声を届かせる。


『隠さなくてもいい。あの平民が、憎いのでしょう?』

「ち、違うっ……わたしが、できないから。だめだから……」

『平民のくせに、主に取り入るなんて、ずるをしているに決まっているでしょう。憎む気持ちを、隠す必要なんてありません』


 アンリの心が弱くなるたびに、邪悪が魂に入り込む。

 彼女を堕とすために、燻っていた嫉妬を、燃えさかる憎悪に変えようとする。


『君には、あの平民を殺す、魔法の力がある』


 それまで、アンリを責め続けていた影の声が、突然、甘みを帯びた。

 それは悪魔の囁きだった。

 白影はアンリの腹部に触れて、彼女に、それを使うように囁きかける。


 そこに体内に、存在しなかったはずの、魔力を感じた。

 生まれ持って得た魔力ではない。不愉快で気持ちの悪い、クリスタを襲った魔獣と同じ、おぞましく黒い魔力だ。


『その力を使え』


 急な強い命令に、アンリは体を震わせた。

 恐る恐る、視線を向けると、ベッドの脇には杖が置かれている。

 アリスと同じ、汎用の樫の杖。

 それを握りしめて、高鳴る心臓を抑えた。これでいつでも魔法が使える。


『そうだ。アリスを憎めば憎むほど、その力は強くなる』

「っ……」

『さあ、あの平民を憎め。ずっと欲しかった魔法の力を、使いこなせ……!』


 アンリの心が壊れるほどに、その力への違和感がなくなっていく。

 身体に入り込んだ異物が、憎い思いに同調するほどに、馴染む。

 だが、頭を伏せて、必死に耳を塞いだ。

 

「やだっ、こんなの、いやぁ……!」


 アンリは殺したいなんて、思っていない。

 考えれば考えるほど、殺意が芽生えていく自分に、狂いそうだった。 

 そのおかげで声の主とアンリの感情は僅かにずれて、一線を超えなかった。



 そんなとき、扉が小さく叩かれた。


 暗い部屋で震えていた体が、ひときわ大きく飛び跳ねる。

 レティシアか、アリス辺りだろう。

 だが、今は誰とも会いたくない。必死に目を瞑って、早くいなくなってくれと願いながら、アンリは居留守を決め込んだ。


「アンリ、いるのでしょう。扉を開けなさい」

「えっ……クリスタ、様……!?」


 聞き間違いではない。闇の中にある扉の向こうから聞こえてくる声を、聞き間違えるはずもなかった。

 恐る恐る、ベッドから離れて、扉に近づいていく。


「本当に、クリスタ様、なんですか……?」

「ええ、その通りよアンリ」


 アンリは扉に手を置いて、滑るように膝をついた。

 安心する気持ちと、顔を見られたくないという感情。相反する二つの気持ちが、アンリの心をヒビ割れさせる。

 扉には鍵がかかっているため、二人は阻まれている。

 すぐにでも会わなければいけないのに、アンリには、それができなかった。


「そのままで構わないわ、アンリ」


 だが、扉向こうのクリスタの言葉を聞いて、アンリは顔をあげた。

 侯爵令嬢が自分を気にかけて、ここまでやってきてくれた。

 それなのに、こんな態度をとるなんて、どれほど無礼なことをしているのかは分かっていた。しかし、分かっていても、やはり扉は開けられない。


「あなたは、無事だったのね。怪我はありませんか?」

「はい……クリスタ様のおかげです」

「そう、安心しましたわ」


 アンリは、主の言葉に、胸が焼けるような想いを抱いた。

 こんな醜い自分を、心配してくれている。

 抱いていた憎しみの感情が、それだけで抑えられていくのを感じた。


「クリスタ様……」

「…………」


 だがやはり、アンリの心を、黒い感情が蝕みはじめる。

 さっきまでのような誰かを憎む感情ではない。情けない自分を恥じる気持ちだ。

 

「ごめんなさい、クリスタ様……」


 ぽつん、と。

 地面に滴が落ちる。


「わたし、あの時は何も、できませんでした」

「…………」

「クリスタ様が、戦っていたのに、わたし……」


 アンリはずっと、何もできなかった自分を悔いていた。

 

「確かにアンリ、あなたはあの場にいましたわ。あなたの力が及ばなかったのは、間違いないことよ」

「……はい」


 クリスタは、いったん言葉を切った。

 アンリは続く主の言葉に怯えた。見限られてしまうかもしれないという恐怖だけが、心にあり続ける。


「ですが、敗北したのは私も同じこと……あなただけが気に病む必要はありませんわ」

「そ、そんなっ……! だって、クリスタ様は……!」


 慌てて否定したが、クリスタの答えは変わらない。

 声だけで姿は見えなかったものの、敗北を認めたのとは裏腹に、堂々と言い放った。


「あなたを責めるとすれば、それは、私の側から離れたときよ」

「えっ……」

「あの時、あなたは逃げ出さなかった。間違った行動は一つもとっていないことを、私が認めますわ」

 

 恐る恐る扉に手をつけて、その向こう側を見透かそうとした。

 最底辺まで落ち込んでいた心が、浮かび上がってくる。 

 主は、全く怒ってなどいなかった。それどころか、まだ認めてくれている。


「力が及ばないというのなら、強くなりなさい」


 厳しい言葉は、アンリの心に傷をつけなかった。

 救いの糸を垂らしている。それさえ掴めば、元に戻れるかもしれない。


「あなたの魔法が劣っているのは事実。ですがあなたなら必ず、その状況を覆すことができますわ」


 扉の前に置いた手を握りしめて、悔しさに体を震わせる。

 部屋に閉じこもって逃げている自分が、ひどく情けなくなったのだ。

 だからアンリは、ドアの鍵に手を伸ばそうとした。


『平民にさえ劣っているあなたが、強くなれるはずがないでしょう』


 しかしその手が、途中で止まった。

 アンリの耳元に這い寄ってくる影が、冷たく、首筋を撫でた。


『あなたは、侯爵令嬢のお荷物なんですよ。そんなことも分からないんですか』

「……アンリ?」

 

 アンリは、再び、耳を塞いだ。


「あ、あぁ……っ」


 扉の向こう側のクリスタには、アンリの様子がわからない。

 影の囁きは、胸に広がった傷を拡げてしまう。思い出すのは、醜くて、弱い自分ばかりだ。

 その通りだ、何も状況は変わっていない。

 アンリにはもう、自分自身を信じることができない。

 扉を開けることが、できなかった。


 二人は、しばらく言葉を交わさなかった。

 だがクリスタが、優しく言う。


「……今は休みなさい。あなたを、待っていますわ」


 そう言い残して去っていく。アンリは、扉に手を伸ばした。

 だが、そこまでだ。その手が扉を開くことはない。


 そのまま、向こう側に人の気配がなくなって、ひどく後悔した。

 涙が、床に落ち続ける。


「クリスタ、様……ごめん、なさい……」

『それでいいんですよ。あなたに、侯爵令嬢に会う資格はないのですから』


 影の声によって、アンリは地獄に堕とされていく。

 それでも、最後の一線を超えることだけは、どうしても拒んでいた。主を裏切ることができない――だから、守り抜くことができた。


 だが、アンリは扉を開けることができなかった。

 主のクリスタも、配下の様子に、気付くことができなかった。


 それが王国に、新たな事件を引き起こす引き金となってしまった。


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― 新着の感想 ―
[一言] アンリは今もマルセルの言葉に苛まれ続けてるのか…… あークリスタも錬金術の事はこんな状態じゃ伝えられないからなあ
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