04. 図星
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昼時の西棟食堂はいつも通り大混雑で、今日は珍しく行列ができているほどだった。些細なことではあるけれど、テロによる中央棟爆破、倒壊の影響はこういったところにも表れているようだった。
普段、広大な基地の中にいるだけではわからないが、この時間に食堂に来ると、どれだけ大勢の人間がこの基地内で勤め働いているのかが実感できる。狭い食堂内には、職員のひしめき合いから生まれた熱気と厨房から漂う食事の香りが入り混じり、ねっとりと充満していた。
みつほと坂口は約十五分間長い行列で待たされた後、ようやく昼食を購入することができた。空席は少なかったけれど、ラッキィなことに、窓際のカウンタ席の隅が二つ空いたのを、坂口が目ざとく発見。軟着陸することができた。
みつほは中華丼。坂口は焼き魚定食だった。
どうやら二人の今いる西棟は、北に向かって凹の字型に建てられていて、この食堂は西棟東側の北端にあるらしい。中庭に向いたカウンタ席から見える景色は駐車場で、ぽつりとまばらに停められた車の周囲を取り囲むように、鮮やかなライム色の葉を茂らせたイチョウの木が等間隔で植えられている。そのイチョウ並木の隙間からは棟西側北端の植垣がかすかに見え、その奥には浅黒く煤けたコンクリート壁が覗いていた。
敷地面積は、基地内全棟の中で、中央島に続く二番めだと聞いたことがある。建物内部には、戦闘機隊や高射隊の本部、管制団や音楽隊が控えている、と坂口が説明してくれた。みつほも学生時代に何度か足を運んだことがあり、音楽隊の隊員たちと多少の交流があったので、そのことは知っていた。
「それにしても、後醍醐隊長がご結婚されていたなんて、私、ぜんっぜん知りませんでした!」みつほは、全身の力を込めて言い放った。周囲は昼時の大きな喧騒に包まれているので、少しくらい大きな声を出しても誰にも聞こえないから安心だ。
みつほは、まだまだ新鮮な歴史的、衝撃的事実を誰かと共有したくて仕方なかったけれど、こういう話に唯一付き合ってくれた千草は、残念ながら今はいない。こんな下世話な話、エミリに話したところで反応なんてしてくれるはずないのは百も承知なのだ。
「大きな声では言えないけど、あの二人、絵に描いたような美女と野獣よね」坂口は歯を見せてけらけらと笑った。
「でも、羨ましいなあ……」みつほはレンゲでウズラの卵をすくいながら呟いた。「隊員同士の結婚なんて、社内結婚みたいで憧れます」
「そう?」坂口は猫舌なのだろうか。抱えたお椀に醤油差しのようなおちょぼ口を近づけ、熱い味噌汁をすすり飲んでいる。
「そうですよお。しかも、NARDSFの隊員同士なんて、余計に素敵じゃないですか?」
「所長は一応、研究所員だけどね」
「そうなんですけどお……」みつほは口を尖らせて、高性能掃除機で吸い込むようにウズラの卵を口に取り込んだ。
「まあ、隊長もさ、あんな奥さんだといろいろと大変みたいだけどね」坂口は含みのある笑いを浮かべて、そのまま焼き魚に攻撃を開始した。今日の魚は、旬の鰹のようだった。
「あんな奥さん……?」
みつほの小さなつぶやきに、坂口は反応しなかった。
(薫子さんじゃなくて、隊長が大変なんだ……)
仕方なくみつほは、坂口の発言を深く吟味しながら、先日の会議で見た薫子の様子を思い浮かべる。しばらくすると、坂口の言わんとしていることがなんとなく理解できた気がした。
「なるほど……」
その後、二人はしばらくの間、黙々と食事に集中した。
周囲の喧騒は先ほどから変わらない。今も食堂の外の廊下には、空席を待つ長い行列ができているようだった。
「あのお……」みつほは、狙われた小動物のように周囲の様子を慎重に伺いながら、遠慮がちに上目遣いで聞いた。「坂口先輩は、彼氏とか……、そのお……、なんていうか、お付き合いしてる人って、いたりするんですか?」
「……私?!」突拍子もない質問に驚いた坂口は、食事の手を止めて目を丸くした。そして細くて白い首と両手を激しく振った。「ないないないない! 出会いもないし、縁もないし……、第一、恋愛するおカネがない!」
「おカネって……」自信満々できっぱりと言い捨てた坂口に唖然とし、みつほは苦笑するしかなかった。
「どんなときにも、おカネは大事だぞ、青年」坂口はふざけきった顔をしてセリフ口調で言うと、みつほの肩に手を置いた。
「誰が青年ですか……」みつほは、ダルマのようなしかつめらしい顔をした坂口を見て吹き出した。「でも、一番身近なNARDSFに男性の隊員さん、大勢いらっしゃるじゃないですか」
「んー」元の顔に戻った坂口は、少し考えるように目を斜め上に向けて首を傾げた。「でもねえ、先々のことを考えるとさ、今時、恋愛とか結婚なんて、しても仕方ないかなって」
「そうですか……?」みつほは、あまりにドライな坂口の発言に肩を落とした。
「だってさ、薫子所長みたいに旦那が軍人だと、相手がいつ死んでもおかしくないじゃない? 私はそういうの、耐えられないかな……。現に後醍醐隊長、過去に何度も危ない目にあって死にかけているし……」
「……それは、言われてみれば確かに」みつほは表情を曇らせて軽く俯いた。「そうですけど……」
「それにさ、仮に誰か素敵な人と結婚したとしても、国とか社会、世界がこんな有様じゃあ、親として堂々と子どもに未来を残せないなっていうか、申し訳なく思うことがあるんだ」坂口は息を吐くように小さく笑ったが、顔は笑っていなかった。
食事の手を止めたみつほは、穏やかに語る坂口の横顔をじっと見つめていた。
「親はさ、自分の子どもを産むか産まないかを選択できるけど、子どもは生まれないっていう選択を取ることができないし、親を選べるわけでもないからね」坂口はそう言い終えると、空げな黒い瞳を窓の外に向け、どこか遠くをじっと見つめるようにして小さくため息をついた。「もちろん、今を生きてる私たちは、環境がどうであれ言い訳せずに道を探して生きていくしかないんだけどさ……。それは、わかってるんだけど、ねえ……」
坂口がこちらに向けた視線は、同意を求めるような、慰めを乞うような、そんな、惨めさと諦めが混載されたものだった。
返答に困ったみつほは、申し訳なさそうに目を細めて、余所行きの声で謝った。「すみません……。なんか、変なこと聞いちゃって」
「なんで高嶋さんが謝るの?」坂口は小顔をこちらに向けて吹き出した。
「いえ……、なんとなく……」
「おかしなの」坂口は笑った。「でもさ、もうこのおかしな世界にも、いよいよ正義の味方NFIが登場したんだから大丈夫。高嶋さんたちが世界を救ってくれるんでしょ? そうすれば、戦争も無事に終わって、私も堂々と結婚して、堂々と子どもを作って、明るく平和な家庭を築ける……、なんてね」
「せんぱいいい……!」みつほはどこか茶化された気がして、坂口の肩を片手で軽く押した。
その時、背後から聞きなれた声が聞こえた。
「みつほ」
振り返ると、そこには料理を乗せたトレーを抱える海馬巧が立っていた。しかし、そこに立っていたのは巧だけではなかった。
「草凪少佐!」みつほと坂口は、自分でも驚くくらい大きな声をあげたみつほと坂口は、とっさに席を立ち上がって、回れ右。百八十度回転してから、反射的に規則正しい敬礼をかかげた。
みつほにとって、草凪美都里と会うのはこれで二度目。あの日の夜、二人のテロリストに襲われかかったところを助けてもらった以来だった。
切れ長の片目、ギザギザに切り刻まれたアシンメトリの黒髪、厚い唇に塗られた薄紫色のルージュ、漆黒のラインとシャドウが丁寧に乗せられた大きな瞳、モデル然とした長身長足の佇まいは、あの日見た時同様、妖艶のひと言だった。しかし、日の光の下で改めてまじまじと見る彼女の姿は、制服の黒も相まってか妖怪女カラスといった雰囲気を醸し出していた。いや、日にも強い女バンパイアか……。
みつほは、余計な思考が間違っても言語化しないよう、邪念を振り捨てるように頭を何度か振った。
草凪の特異な存在感は、昼間の混み合う食堂では明らかに異質。周囲の必要以上の視線がこちらに集まっているのをみつほは敏感に感じていた。けれども、当然みつほは、彼女に見惚れていただけではなかった。あの日、緊急事態から救い上げてもらった礼を正式にしていなかったことを思い出したのだ。
草凪美都里は、エミリ以上に冷淡で妖艶な視線をこちらに向けマネキン人形のように立ち尽くしている。
「あ、あの、草凪少佐……」みつほは、周囲の視線が集まる中、思い切って勇気を出して一歩草凪に近づいた。「私は、高嶋准尉です。覚えていただいているかわかりませんが、あの日の夜……、助けていただいて、本当にありがとうございました」
草凪は、頭を下げたみつほを流し目で凝視すると、しばらくそのまま彼女を見つめていた。そして、しばらくそのままの状態を維持した後、たった一言、「構わない」とだけ言い放った。
「その席、空いているか?」草凪美都里は、たち尽くす坂口の左隣の空席に視線を向けた。
「あ……、ええと……、あ、ああ、はい! もちろん空いております!」上官の突然の登場に我を忘れていた坂口は、意味もなくもう一度改まって敬礼をした。その姿があまりに滑稽だったので、みつほは思わず吹き出しそうになったが、なんとか堪えることができた。
「堅苦しい挨拶はいらない」草凪は短く告げて席に着いた。「悪いが、座らせてもらう」
「い、いえ、全然……」坂口は、明らかな引きつり笑顔で頷き、壊れたロボットのようにぎこちないガチガチの動きで着席した。その時、一瞬だけみつほを見た彼女の顔は、恐怖に引きつっているようにも見えた。
みつほは、二人の先輩隊員が着席するのを見届けてから、自分も元いたイスに腰を下ろした。その際、草凪のトレーをこっそりと覗き見たが、コールスローサラダに野菜カレーと、思いがけない普通のメニュで、少し安心できた。本物の女カラスなら、もっとグロテスクなものを皿の上に乗せていたかもしれない。例えば、トカゲやネズミの丸焼きとか……。
「ところで……」ようやく腰を落ち着けたみつほは、自分の右隣に座った巧に顔を寄せて、先輩二人には聞こえないように小声で囁いた「……なんで巧くんがここにいるのよ。どうして草凪少佐と一緒なの? 検査はどうしたの?」
左にいる坂口と草凪は何度か短い会話を交わしていたようだったが、周囲の騒音にかき消されてほとんど聞き取れなかった。つい先ほどまで明るく話しをしてくれていた坂口も、さすがに大先輩を前にしては、かしこまるしかないのだろう。エミリとは一味も二味も違った、本物の大人の軍人オーラを放つ草凪の前では、誰しも致し方ないことかもしれない。多分、彼女と対等に渡り合えるのは、後醍醐少将以外にはありえないのではないか。みつほはうっすらとそんなことを考えた。
「一度に色々聞きすぎだろ」突然の質問攻めに、面倒臭そうに顔をしかめた巧は、みつほを一瞥しながらラーメンをすすった。「訳ありだよ」
「訳ってなによ」
「教えない」ずるずると音を立ててらーめんを頬張る巧は、みつほを見ず下を向いたまま答えた。
「少しくらい教えてくれたっていいじゃない……」しばらく待ったが、巧が答えてくれそうにないと悟ったみつほは、すぐに諦めて質問を変えた。「一輝は今、なにやってるの?」
「お前さ……」仏頂面を決め込んでいたはずの巧だが、ゆっくりと呼吸をすると再びこちらを向いて、今度は分かりやすくニヤけて言った。「昔から本当に一輝が好きだな」
「ちょ……、な……、何言ってるのよ! 意味わかんない! 別に私、あいつのこと、別にそんなんじゃないし……、なんともないし!」みつほは声を荒げながら、巧を睨んだ。
「おーおー。否定する割にはずいぶんと必死じゃねえか」巧は、してやったりと言いたげに口を斜めにする。「テンパりすぎて言葉が無茶苦茶。顔がゆでダコみてえに真っ赤だぞ? 図星だな」
「う……、うるさいわね!」
「幼い頃から胸に抱え、心に募らせた、けれども届かぬ恋心」にんまりと目を細めた巧は、完全に茶化し煽る口調で言う。
「いくら巧くんでも、それ以上言うなら叩くわよ!」顔全体に深い皺を寄せたみつほは片手を振り上げ威嚇した。
「あー、こわいこわい」両手で頭を抱えて棒読みで言い放った巧は、急に神妙な顔つきになる。「……まあ、一輝は昔から異常なくらい鈍感だからな。みつほも相当苦労してるだろうよ」
「だーかーら、本当にそんなんじゃないんだってばあ!」手を下げたみつほは、不貞腐れた子どものように口を尖らす。「私たち、ただの幼なじみで同級生でしょお」
「わーかったよ、うるせえな」巧はそう言うと、みつほの背後を顎で示して眉を顰め、声まで潜めた。「一応上官の前だぞ」
「んもう……」不満そうに口をへの字に曲げたみつほは、背後に目をやり小声で囁いた。「もったいぶらないで近況報告くらいしてよ」
箸を持った右手で肘をつくと、巧はひとしきり項垂れてから答えた。
「今日の検査は午前で全部終了。俺たち、明日からしばらく休暇だとさ」
「なにそれ、ずるい……」みつほは再び口先を伸ばして、本当にタコみたいな顔をつくる。
「あと、ひとついいこと教えてやるよ」
「いいこと……?」
「一輝とエミリは、二人仲良く一緒に基地外、外出中」リズムよく巧は言った。
「はあ!?」
みつほは、猛烈な勢いで腰を浮かし、思わず椅子を倒してしまった。彼女にとって、巧からの情報はそれだけ衝撃的だったのだろう。
安定していたはずの食堂の喧騒は、みつほの叫びによって一瞬ざわめきの色を見せたものの、すぐに落ち着いた。先ほどとは違う意味で顔を真っ赤にしたみつほは、気まずそうに周囲に頭を下げて謝った。もちろん、草凪と坂口のいる方向など恥ずかしくて見れるわけもない。
周囲から注がれる冷たい視線に耐えながら椅子を元に戻して着席したみつほは、必要以上に声のヴォリュームをさげて言った。「……どういうこと、それ」
「詳しく知りたいか?」巧は、詰め寄るみつほに向かってニヤリといやらしく笑った。
みつほは、どこか負けを認めるようで嫌だったが、仕方なく無言でこくりと頷いた。多分、頭よりも本能がさきにそうさせたのだろう。
「一輝は、表向きには治療中の身という前提だろ? だから、休暇中は病院に戻るか、それが嫌なら自宅に帰れと長官から言われたらしい」
「うん……、それで?」
「エミリの奴は、官邸事件の時に総理に対する無礼な言動が原因で、軍部から命令が下って、数日前から、実質的には無期限謹慎中」
「うん……、だから?」
「……さあ、それ以上のことは俺は知らないな」巧はわざとらしく肩を竦めて両手を挙げて、お手上げポーズを取った。
「なによそれえ」呆れたみつほは、これでもかと言わんばかりに目を尖がらせ巧を睨んだ。「全然詳しくないじゃない……!」
「気になるなら、本人に電話でもメールでもすりゃいいじゃねえか」
「べ、別に、そういうわけじゃないけど……」
「まったく……。お前、相変わらず素直じゃねえなあ」巧は、呆れた素振りを見せるために首を竦めると、再び真顔でラーメンの器に向き直った。「麺が伸びちまったじゃねえか……」と一人ぼやく。
「……うるさいわね、余計なお世話ですう」みつほは口を横に大きく開いて「E」を発音するときの形を作った。
「ガキかよ……」小さく舌打ちした巧は、レンゲを口に運びながらみつほを一瞥したきり、黙り込んだ。
みつほの脳内では、巧から与えられた情報をヴィジョン化する動きだけで既に精一杯の飽和状態だった。
(一輝とエミリが一緒に……?)
なんで?
どうして?
今までそんなことって、あった?
中途半端に放置していた食欲が消えていく感覚。美味しかったはずの中華丼に手を伸ばす意欲も半ば失った。
胃の奥底あたりにいがいがとした違和感を感じ、頭の中はもやもやと霧がかかり。
(だから私も、あの時種を食べておけばよかったんだ……。バカみつほ……!)
心の中で自分を罵倒した。
気がつけば、巧の右隣の席は空いていた。振り返ると、人の数も減ってきており、食堂全体の二割程は空席だった。時刻は十二時五十五分。昼食どきの混雑ピークはとうに過ぎていたのだ。
みつほが、入口の方に顔を向けてぼんやりと全体を見渡していると、いくつかの空席を通り過ぎてゆっくりとこちらに向かってくる人物がひとり、視界の端に入り込んできた。
つい数日前にも、どこかで見たような景色。既視感。
みつほはその男の憎らしいにやけ顔を忘れもしない。
口元を斜めにあげてこちらに近づいてくるのは、同期生の岸だった。
次回投稿は未定!(大変申し訳ない! 有料化に向けて現在諸々検討中です。)
※この物語はフィクションであり、実在する人物、法律、団体、名称とは一切関係ありません。




