表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/90

16. 悪魔の孤独な主張

<本稿のテーマソング>

澤野弘之『AcyOrt』(アルドノア・ゼロ OSTより)

https://www.youtube.com/watch?v=RJnjsnGhKSk

16


 エミリと達也は、四階中央ホールに突入。部屋に充満した重苦しい闇の中に目を凝らす。


 室内は、予想していたよりも明るかった。


 ホールの天井一面に貼られた透明のガラス面は、天井左角で斜め四十五度に曲がって、床まで続いている。上部左方のからは、ガラスを通して磨かれた、切れ味の鋭い月光が光の束となって差し込み、薄闇を切り裂くように差し込んでいた。


 光の先に垣間見える外部には、神殿のような西洋式テラスが闇に浮かんでいるようだった。


 月光のスポットライトが落ち込んだ丸い光の輪の中には、一人の男。天に抜けるかのように背の高い男は、闇に溶け込んでしまうような漆黒を纏っている。細く長い腕を高く掲げている。


 明るく鋭い月光も、男の黒だけは切り裂くことができないようだった。否、寧ろ、黒き男の存在こそが、月光を切り裂いているようにさえ見える。背中を攻めあぐねた光の束は、躰の表面を撫でるようにして溢れ、仕方なしに、足元へと溜まって佇んでいるようだった。足元から伸びた影は、清き月光の妖力さえも利用して、部屋の奥に転がされた人質の吹き溜まり向かって、食指を伸ばすように真っ直ぐに伸びている。まるで、闇の帳から、彼ら人間の養分を吸い上げる根のようにして。


 エミリと達也は、大きな影の警告に、思わず足がすくんでしまう。それでも、鍛え上げた二人の精神力は、辛うじて、目の前に突如現れた巨大な黒と均衡した。


「総理……!」しばらくの沈黙の後、エミリが声を上げた。


 漆黒の男の手の先には、この国の長の姿があった。


 革の手袋をはめた大きな手で首を絞められた総理大臣は、じたばたと足を揺らしてもがき苦しんでいる。顔面を歪ませ、両手で必死に男の手を解こうとしているが、男は時間が止まった石像のように微動だにしない。


「すぐにその手を離しなさい!」エミリが銃を構えて叫んだ。「さもないと撃つ!」

 エミリは、隣で硬直する達也を一瞥した。彼は今、あまりの恐怖に凍りつき、身動きさえとれない状況だった。


 エミリはすぐに視線を男に戻した。すると、漆黒のシルエットの中から、真っ白な目玉だけが一つ、じろりとこちらに向けられ、視線がぶつかった。


「ほう」男は口元をかすかに上げて、吐息のように囁いた。


 直後、男はこちらを見据えたまま、首を絞め上げた片手を解放し、総理を地面に投げ落とした。


 死にかけた赤子のように崩れ落ちた総理は、両手を床について這いつくばったまま、激しい嘔吐を繰り返してむせ込む。


「楽しげな邪魔が入ったな」男はこちらに向き直り、両手を広げた。まるでこちらを歓迎して迎え入れるように、優雅な口調だった。


 その瞬間、エミリは全身の肌という肌に、苦い悪寒が広がっていくのを感じた。


(笑ってる……)


 長い前髪に覆われほとんどが見えないが、青白く彫りの深い男の顔には、不気味な嘲笑の色がにじみ出ていた。


 与えられた玩具を弄ぶ子供のように無邪気な微笑み。その不敵な表情は、人の命を奪うことを楽しんでさえいる。そんな顔だった。


 相手の全身からほとばしる、透明な月光を濁らせるような妖気にも似たオーラ。


 ぐつぐつと煮えたぎるような、底なしの邪気。


「なにをしているの?」男の視線に射抜かれたエミリは、毅然とした態度で言い放ったが、内心は、恐怖に打ち震えていた。この場にまともに立っていられるだけでも不思議なくらい、彼女の心は満身創痍。いつ崩れておおかしくない状態だった。


「総理への……、挨拶」男は顎を引き、口元をさらに歪めながらゆっくりと答えた。


「そ……、外の死体は?」達也、怯えを振り払うように強い口調で問い詰めた。


 男は吹き出すように言った。「ああ……。ここまで来るのに邪魔だったから、全員死んでもらった。……と言っても、勘違いしてもらっては困る。俺はなにもしていない。俺の中に芽生えた黒い怪物が、勝手にやったことだ。すべての責任は、俺にはない」


「怪物……?」「彼?」二人は男をじっと睨んだまま眉を潜めた。


 男の言葉の端々には、狂気にも似た、なにか異質な意思が含まれている。


(狂ってる……)エミリは、直感的にそう感じていた。


「二人とも、気をつけて」

 硬直した鼓膜に、ニーナの忠告が遠く響いた。


 それは、その場に立つ二人が、誰よりも分かっていることだ。

 言われなくても分かってる。

 二人は、心の中だけでつぶやいた。


 男は、吐き捨てるように言葉を続ける。「ただ試してみたかっただけだ……。あいつらが先にしかけてきたから」


「武器を捨てて、投降しなさい」エミリは、相手の言葉をかき消すように、強い口調で告げた。


「武器?」男はにやりと笑ってエミリを見る。「そんなもの俺には必要ない。武器は、弱者の持ち物だ。そちらこそ、そんな物騒なもの、しまってくれないか? なあ。第百八十代内閣総理大臣様の御前であられるぞ。はっはっは!」


「ふざけないで!」エミリ、叫ぶと同時に冷たいトリガを引き絞った。

 青白い閃光が、一瞬のうちに暗闇を切り裂く。しかし、レーザーは闇に吸われて消えてしまった。さっきまでそこにいたはずの男がいない。


(消えた……?!)


 次の瞬間、男はエミリの眼前に突如として現れた。


 目の前に湧いて出た顔には、どこか女性的な繊細さが垣間見えた。しかし、それとは対照的に、相手の心を刺して潰すような黒い視線が右目から、こちらに向けて注がれていた。前髪の奥に見えた左目は、胡桃の殻ようにおぞましく潰されていた。


 その顔には、美しさの中に存在する、真の醜さが共存しているようだった。


 眩く煌びやかな光の中にのみ生まれる、真に黒い、すべてを閉ざすような、深淵を満たして止まない闇の塊。


 エミリは、男の視線に生気を奪われたような気がした。

 みるみるうちに視界は狭まり、軽い目眩さえ覚える。湧き上がる恐怖に全身の神経伝達が阻害され、息を飲むことしかできないでいた。

 肺が固まったように重く、呼吸が苦しい。


「お前、いい目をしているな」吐息を感じるほどの距離に迫った男は、エミリの顎先を指でつまみながらつぶやいた。「俺と同じ目だ……」


 エミリは男の手を払いのけようと試みた。しかし、全身は鉛のように鈍重で、まったく言うことを聞かない。口を紡ぎたくなるような汚い罵倒の言葉がいくつも思い浮かでも、それを音にして投げつけることさえできなかった。


「お前の奥にはなにがある……?」男は、品定めをするかのようにエミリの瞳の奥を覗き込みながら、楽しげな口調で続けた。「怒りか? 恨みか? それとも孤独、悲しみ……? 否、そんなに安直な、安いものではない……。お前の奥底にあるのは、俺と同じ、闇だ……。激しく高ぶり、けれども、ふつふつと燻ることしかできない脆弱な憎悪の黒炎。違うか? なぜ、そんなに正義振る? なにがお前を焚きつける? お前の真の心の奥底には、冷たい闇を感じるぞ……。この世のすべてを凍らせるような、冷徹な冷血の魂。そんなお前が、なぜ政府の飼い犬として落ちぶれている。下らないに身に安住し、世の安寧を願う……。自分が情けないと思わないか?」


 額にはびっしりと、霧吹きで吹き付けたような脂汗が滲み出していた。しかし、額をぬぐうことさえできない。言葉を発することも、相手を睨むことも、攻撃することも……。


「やめてください……」隣で呆然と立ち尽くしていた達也が小さく呟いた。「彼女から……、離れてください……」


「あ……?」男は顔だけを動かし、達也を横目で睨みつけた。


「彼女から離れろ!」達也は大声で叫び、腰に装備していた黒い筒を取り出した。ボタンを押すと、筒の先からブレード型のレーザが照射され、黄色い光が闇に差し込んだ。


 達也は片足を力強く踏み込み、猛然とした勢いで男に斬りかかった。


 次の瞬間、臓腑を脅かす、鈍い音。


 男の指先から伸びた、黒紫色(こくししょく)の鋭利な光が達也の体を貫いた。


 達也は、鋭い痛みに全身を支配された。その直後、胃の奥から生暖かくて血生臭い粘性の液体がこみ上げ、口内に飽和した。液体はすぐに限界水位を突破して、達也の唇を押し広げる。


 達也は、激しい勢いで吐血。粘り気の強い赤黒い血液が、塊のようにびたびたと床にこぼれ落ちる。


 全身を襲う激しい痛みは、躰の内外にまとわり付くように広がり、彼から、生力と気力の両方を奪っていった。筋力を失い脱力した達也の両手からは、銃とブレードが、廃棄される鉄塊のように落下した。


 口の中が一気に錆び臭くなった……。


 目の前を、真っ白な砂嵐に覆われるような感覚。


 血の気が引く。


 全身に痺れが襲う。


 眠気に似た、気の遠くなる感覚が、達也の意識を覆い潰した。


「神代くん……!」エミリは、ようやく開きかけた口から、達也の名前を叫んだ。しかし、恐怖に凍りついた全身はどうしても言うことを聞かない。 


「まあ、そう慌てるなよ……」男は、唯一残された右の片目を中央に寄せ、達也をあざ笑うように口元を斜めにした。


 男は、上半身をバネのように引き伸ばして、差し出していた右手を引き抜くようように動かす。次の瞬間、達也の胸と背中から、激しい血飛沫が吹き上がった。


 達也の躰を貫通していた黒紫色の正体は、男の右腕だった。男の腕は、肩の先、肘周辺からまさに黒紫色の靄と化し、鋭く細長いレイピアになり、達也の躰を貫いていたのだ。


 エミリは、激しく吹き上がる赤の噴水に目を伏せることしかできなかった。強く瞼を閉じ、顔を背けた。


 達也はすぐさまその場に崩れ落ち、足元の暗がりに同化するように姿を沈めて動きを止めた。


「神代くん……?!」イヤモニタには、どうすることもできないニーナの悲痛な叫びだけが虚しく響いた。


「今日は挨拶に来ただけだと言ったはずだ……」男は、レイピアに纏わりついた血液を払うように腕を振り、背後で嗚咽を続ける総理大臣を一瞥すると、再びエミリに向き直った。顎先をつまんでいた指をそっと離し、吐息交じりの掠れた声で囁く。「よく見ておけ……。これが、俺の中に芽生えた黒い怪物だ」


 男は、激しく振戦を始めた上半身をゆっくりと前かがみに縮込めた。


 不気味なほど広く横に広がった口元からは、体温を感じる激しい吐息が漏れ出す。


 次の瞬間、男の背後から、不気味な形をした何かが、盛り上がった筋肉のように姿を現した。


 堂々と翼を広げて羽ばたく蝙蝠(こうもり)のような二枚の苞葉(ほうよう)


 巨大ワームの口のように大きく開く、薄気味の悪い花芽(はなめ)


 触手のように広がる、か細い無数の花茎(かけい)


 その姿は闇よりも黒く、悪魔よりも悍ましい造形だった。


 エミリは、体内で無限に肥大、増福していく恐怖の中、必死にその花の名を思い出す。


 実物は見たことがないが、昔、どこかで見かけたことのある花……。


 そう、図鑑だった。


 (デビルフラワー……!) 


 男の背後で肥大化していく巨大な花は、無数の花茎をゆらゆらと揺らし、二つの丸い苞葉を瞳のように開き、こちらをじっと睨みつけている。



 花……?



 植物……。



 種……。



 もしかして……。 



 それなら私の中にも……。


 

 黒紫のオーラに覆われた男の全身からは、不気味な妖気が(ほとばし)り、こちらの肌を焼き焦がすような熱を放っていた。

 エミリは、自身に突然襲いかかった激しい目眩と吐き気を必死に堪え、妖気に飲まれないように目を見開き、確固たる戦意を奮い立たせるよう、全身に力を込めた。



(逃げちゃだめ……。絶対……! 飲まれる!)



「怖いか……?」男は得意げに笑みを浮かべて、舐めるような上目使いの視線を向けた。


 エミリは瞬き一つせず男を睨み返し、津波のように迫り来る闇のオーラと対峙した。


 心臓は爆発寸前。指揮者を失ったオーケストラの如く、アンリズミカルな鼓動を激しく刻む。肺は、狂ったように伸縮を繰り返し、薄れた酸素を掴もうともがいていた。


 精神と肉体は、既に泥状の恐怖に埋め尽くされていたが、かろうじて正常な意識だけは保つことができていた。


 一ミリでも気を抜けば、すべてが闇に飲まれて終焉する。


 即席の確信と、いじましい生存心だけが、彼女の無二の支柱だった。


「こいつが俺の中で言うんだ……」男は、掠れた声のまま淡々と続けた。「殺せ……、殺せ……、もっと殺せ……、ってな。もっと血が欲しい、血をくれ、血液をくれ! 死を、悲鳴を、惨劇をおお! 」


 男は既に我を忘れ、乱心していた。半ば精神を蝕まれた狂者のように、胸を張り、両手を広げ、口をあけ広げて、絶叫した。


 こちらの精神を(えぐ)り返す、狂気に満ちた声色が、広大な室内に響き渡る。


 足元には、冷たく沈んだ達也の姿。


 背後には、嘔吐を繰り返す総理大臣。


 闇の帳には、肉塊のように動かない人質の群れ。


「俺はこいつに、千年花を咲かすために選ばれた……」


 千年花……?


 エミリはさらに大きく目を開けた。


 あんな、おとぎ話。


 かすかに笑えた。


 咲かす?


 なんのため?


 バカバカしい。


 狂ってる。


 あいつと同じ……。


 千年花……。


 狂ってる!



 恐怖に冷えた心の中に、ほんの僅か、青白い怒りの執念が芽生え出した。


 エミリはそれを見逃さない。


 千載一遇の機会を、朦朧とした意識の中にしっかりと引き込み、硬直した躰を奮い立たせるように動かす。辛うじて動いてくれた細い指先を、ゆっくりと引き金にかけた。



「こいつの名前……、教えてやろうか」男は言った。


 沈黙。


 暗黒。


 月光。


 黒紫の妖気。


 血飛沫が酸素に練り込んだ、どす黒い死臭が粘膜に滲みた。


 異常な生命が吹き込まれ、醜く蠢く不気味な花は、みるみる大きく徒長して、空間を埋め尽くすほどに膨張している。


 茎が擦れ、軋む音。 


 間欠泉に似た、薄い呼吸音。


 揺らめくオーラ。


 絶望の淵、黒闇の深淵から、死を司る悪魔の花がこちらの命を覗き見ている。


「俺の中に咲いた花の名……」


 聞きたくない。



悪魔 の 孤独な主張ダークネス・オブ・デビル



 エミリは、男の声を打ち崩すためにトリガを引き絞った。

※この物語はフィクションであり、実在する人物、法律、団体、名称とは一切関係ありません。


※当作品内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用を禁止します。すべての文章、画像等は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。

[ Copyright 2016 Koma Aoi. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission. ]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ