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08. 草凪美都里

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8


「ひぃい」

 みつほは、気絶するように息を吸い込み、頓狂な声で上げて後ずさりした。その勢いで、足を滑らせ、床に尻餅をついてしまった。


 彼女の目の前には、銃で頭を撃ち抜かれた二人の男がうつ伏せで倒れている。 周囲には、銃撃によって飛散した暗赤色(あんせきしょく)の血しぶきと脳漿(のうしょう)


 白い床には、赤い血だまりがみるみると広がっている。


 今度は、気絶ではない。間違いなく死んでいる。二人の男が剥いた白目と、青ざめ硬直していく表情がすべての出来事を物語っていた。


 みつほと千草、守。三人の脳裏には、二発の重たい銃声が、今も尚、鮮明にこびりついていた。頭が少し朦朧としているかもしれない。


 遠のく意識をなんとか手元に手繰り寄せたみつほは、部屋の入り口、背後から微かに漂ってくる硝煙の香りに目を向けた。


 振り返ったそこには、女性隊員が一人。(くろがね)の銃を構えたまま、二つの屍体を、無表情に見下ろしている。



「お前たち、こんなところでなにをやっている」

 硝煙の消えた銃を胸元にしまい込んだ女性隊員は、怯えきった表情で硬直した三人を睨み、きつい口調で言い放った。その声は、見た目の華々しさとは裏腹に、男性的な強さを感じさせる芯の太い声色だった。


 こちらを見据える目つきは、蝋人形のような独特の冷たさを湛えていた。目があった瞬間、みつほは全身にうっすらと鳥肌が立つのを感じた。


 肩の下まで伸びた黒髪は量が多い。毛先全体にはアシンメトリのシャギーが丁寧に入れられており、前髪は、右目を隠すほどに長く整えられていた。かろうじて見える切れ長の左目は、冷ややかな光を携え、漆黒のアイラインが引かれ、大きく厚い唇には暗めのパープルルージュ。鼻筋は高く、ほっそりとした妖艶な雰囲気の顔は、きめの細かい白い肌に覆われている。


 背丈はかなりの長身で、ファッションモデルの様な出で立ちは、軍人として異質な雰囲気を放っていた。


 みつほと千草が言葉を失い呆然とする中、最初に口火を切ったのは守だった。彼は彼女のことを知っているのだろう。「えらい助かりましたわ、草凪先輩」


「基地全域に厳戒令が出ているこの状況で、武器も持たずになにをやっていた」草凪と呼ばれた女性隊員は、鋭い視線を守に集中させた。


「ほんますんません……」守は、壊れた鹿威(ししおど)しのようにわざとらしく、何度もへこへこと頭を下げた。「どうしても、すぐに必要な研究資料が出てきてしもたんですわ」


 守の媚びへつらう態度の裏側を見透かしたのか、草凪は軽く鼻から息を漏らすと、今度は不安な表情で縮こまったままのみつほと千草に視線を移した。


「お前たちはなにをしていた」


「あ、あの……、ええと……」


 動揺した千草がなんとか事情を説明しようと口を開きかけたが、荒田はそれを遮るように言い募った。


「こいつらもワイと同じNFI。今日が入隊初日で、まだ武器もくそもあらへん新米ですわ。どうか許したってください」


 みつほは、流暢な言葉で、上っ面の謝罪を述べる守に驚き、彼の横顔を睨むように見つめた。


(なによお、自分だって新人のくせに先輩ヅラして。それに最初に助けてあげたの私たちじゃない……)みつほは強くそう思ったが、場をわきまえて言葉はあえて飲み込んだ。


 考えてみれば、守は昔から、咄嗟の場面を切り抜けるのに強い。悪く言えば、その場を取り繕うのが上手で、面の皮が厚いとも言えるのだが……。


「私が偶然通り掛からなければ、お前たちは全員ここで死んでいた」草凪は再び、床に沈んだ不審者の死体を見下ろし、きつい口調で言い放った。「緊急時の軽率な行動は、簡単に命取りにもなる。学校時代、なにを教わった」


「あ、鬼の草凪……」みつほは、彼女のことをようやく思い出し、ついつい声に出してしまった。


「みつほさん……!」さすがの千草も驚いたのか、慌ててみつほの口を両手で塞いだ。


 しかし、当然、みつほの声は、草凪本人の耳まで届いていたのだろう。彼女は、顔をしかめるようにして無言でみつほを睨みつけた。


「お前、あほちゃうか……」隣にいた守が、小さな声でみつほを咎めた。


「す……、すみません……」みつほは萎れた菜花のように肩を縮めて頭を下げた。


 草凪といえば、士官学校時代、その厳しい指導で有名だった女性教官だ。ニーナの専任指導を受けていたみつほらは、草凪の指導を直接受けたことがなかったものの、目の前に現れた彼女の醸す雰囲気から、泣く子も黙る鬼の草凪、という異名に納得がいった。


 三人は、ようやく落ち着きを取り戻し、自分たちの置かれた状況を深く理解した。


 そして、揃って謝罪した。


「申し訳ありませんでした」


 神妙な面持ちで謝る三人の新人を見下ろした草凪は、ため息を吐くように「分かればいい」と軽く告げた。


 その表情は、口元だけが少し緩み、微かに笑っている様に見えた。自分の感情を表に出すのが苦手な人なのだろうか、とみつほは感じた。


「ところで……」草凪は改まった口調で言う。「さっきこいつらが死に際に言っていた種とはなんのことだ?」


 三人は、思いもよらない質問に戸惑った。犯人の叫びを聞かれていたのだ。


 しかし、それを聞きたいのはこちらのほうだと、みつほは思った。


 なぜこの不審な侵入者があのことを知っているのか。それ以前に、この二人が叫んだ「タネ」という言葉が、自分たちの知る「タネ」のことなのかどうかさえはっきりしないのだ。


 みつほが思考を巡らせていると、予想外に、千草がはっきりとした口調で答えた。

「私たちにもなんのことだかさっぱり分かりません」千草は、草凪の目を真っ直ぐに見据えて質問で返した。「なにか軍事的なことに関わりがあるのでしょうか。例えば、この自然研究所で研究していることとか……」


「それは……」草凪は予想外の質問に戸惑ったのか、一瞬だけ千草から目を背けて口ごもったように見えた。「部外者の私には分からない。そういうことは、荒田の方が詳しいのではないか?」


「ワイはずーっと開発ばかりで、ここの研究のことはよお分かりませんな」気軽な口調で言い放った荒田は、肩を竦めた。「解剖すりゃ分かるとは思いますけど、こいつらきっと、なんやおかしなクスリ、キメてますわ。そんな狂った奴らの言ったことを真に受ける必要はないと思いますけど」


 草凪は小さく息を吐くと、不審者の亡骸を見ながら腕組みをして唸った。なにかを考え込んでいるようだった。


 みつほは、自分の目の前に、さっきまで生きていたはずの人間の死体が転がっていることが未だに信じられず、早くこの部屋から逃げ出したいとさえ思っていた。草凪の様子を深く観察する余裕はないに等しい。


「まあいい。ここの事後処理は私がやる。お前たちがNFIなら尚更だ、早く司令室に向かえ。すでに後醍醐少将は現場に到着し、各関係機関との作戦会議に入っている」


 草凪の言葉は、みつほにとっては渡りに船だった。


 三人は、改めて礼を述べると、その場を先輩隊員に任せ、逃げるように廊下に出た。


 草凪は、新人隊員たちを送り出した後、部屋の入り口を振り返りながら、声にならないほどの小さな吐息交じりでひと言呟いた。


「NFI……」







 草凪を残して資料室を逃げ出た三人は、渡り廊下まで辿り着いた。周囲は変わらず真っ暗で、立っている場所だけが、うっすらとスポットライトのように照らされている。心なしか、廊下の空気が冷え込んできているようだった。


 みつほは、ここまで歩いてきてようやく、自分が死に直面していた実感が沸きつつあるのを認識した。今更ながら膝が震え出したが、辛うじて、二人にはわからない程度のものだった。


 みつほは、目の当たりにした場面を思い返した。


 吸い込まれるかと思うほど黒く、深い銃口。


 引き金にかけられた、節くれだった男の指先。


 あの指があと数センチ動いていたら、自分は今頃死んでいたかもしれない。


 生まれて初めて体験した、死との対面。


 人間は、自分が思っているよりも簡単に死んでしまうのだろうな。


 たったふたつの銃弾で、あの男たちが一瞬にしてこの世から消え去ってしまったように……。


 小さな鉄の塊で、一瞬にして消し去れるほど小さな命って、一体なんなのだろう……。


 そんなことを思った。


「いやあ、ほんまに一時はどうなるかと思たで」荒田守はおちゃらけた様子で半笑いの表情をつくり、ボサボサ頭をボリボリと掻いた。暗くて見えないが、辺りにはきっと大量のフケが舞っているだろうなと思い、みつほは気づかれない程度に顔をしかめた。


「どうなるかと思ったじゃないでしょ……」


 みつほは、倉庫室に残った草凪に聞こえないように小声で咎め、念のため後ろを振り返った。さっきまでいた廊下の先は、既に照明が消えて真っ暗。きっと自分の声は、彼女には聞こえていないだろう。


「守ちゃんのせいで私たちまで怒られたじゃないの、まったく……」


「わはは、すまんのう」


「笑い事じゃない……」みつほは守を睨んだ。


「でも、不審者がいなくなってよかったですね」千草が小声で言って、微笑んだ。


「千草も楽観的過ぎ。私たち、本当に死んでたかもしれないのよ」


「そうですね……、ごめんなさい」


「まあええやんけ、こうして生きてるんや。これで今夜は、気兼ねなく枕を高くして眠れるっちゅうこっちゃな」


「捕まってた分際で偉そうに……」みつほは目を細めて、もう一度守を睨みつけた。「それに、私たちはこれから司令室から作戦司令に参加するんだから、まだまだ寝れないのよ」


「今夜は徹夜になるかもしれませんね……」千草は不安そうに言ったものの、どこかで期待に胸を膨らませているような、嬉々とした表情にも見えた。


「どあほ。今のは例えや。お前らなんてまだマシやで。ワイなんか、入隊前からずうっと毎晩徹夜でお前らの使う武器こさえとる。大隈のおっさん、マジでほんまに人使い荒いで」守は、大隈には相当の思いがあるのか、口を尖らせ毒づいた。「……あ、そや、ワイもたまには自分が作った発明品の成果をこの目で見届けんといかんな」


「守さんも、一緒に来ますか?」千草が聞いた。


「これから新しい研究に着手するところやけど、ちょうど仕事もひと区切りがついたところやし、かまへんなら一緒に行こか。達也と平太、エミリの初仕事の動きっぷり……、せっかくやからこの目でしっかり確かめときたいな」


「なによ、新しい研究って?」みつほが聞く。


「秘密や」


「相変わらず秘密主義者ね……」


「秘密を守るのも、研究者の仕事の一つやで」守は得意げに笑って見せた。


 三人は再び歩き出し、長い渡り廊下をゆっくりと進んで行く。


 渡り廊下の天井には、一定間隔でLEDのダウンライトが埋め込まれている。輝度の高いギラついた光が、長い廊下の暗闇を照らしている。どうやらここは、人感センサは設置されていないようだった。


 廊下の真ん中にきた辺りで、みつほが口を開いた。


「ところであの草凪さんて、一体何者なの?」


「なんやお前、草凪美都里少佐、知らんのか」


「もちろん知ってるわよ。鬼の草凪、でしょ」


「おお、そうや。知っとるやんけ、ちゅうかお前、本人の前で、あれ、言うことあるかい」守は若干声を荒げてみつほを責めた。


「それはごめん、つい思い出して口に出しちゃっただけ……」


「ったく……。知ってるなら何者もクソもあらへんやんけ」


「違うの。私が言った何者っていうのは、教官以外に、どこの部隊でなにをしている人なのっていう意味」


「お前、正式に入隊したくせに、ほんまになんも知らんのやな」守は、あっけらかんとしたみつほに呆れたのか、首を大きく横に振ってため息をついた。


「だってえ、知らないんだからしょうがないでしょお」みつほは口を尖らせた。


「あのなあ……。阿蘇中佐が後醍醐隊長はんの右腕なら、あの草凪少佐は左腕やって言われるくらいや。NARDSFの頭脳とも呼ばれとる。ワイもよう知らんが、聞くところによると体力、腕力男並み、銃の腕前は軍の大会で毎年優勝、バイクと車はもちろん、ヘリも戦闘機も乗りこなすわ、学問も研究もなんでもこいのスーパーエリート隊員らしいで」


「へえ、そんなすごい人なんだ」みつほは感心した様子で声を上げた。


「草凪さん、とってもかっこよかったですよね……」千草は、抱えた資料を抱きしめるようにして照れくさそうに言った。


「えー、そう? 私、ちょっと怖かったかな……」みつほは草凪の鋭い視線を思い出して答えた。


「同性として憧れます。ああいう強い女性」千草は、草凪を思い出しながら、頬を赤らめた。


「なに言うとんねん。お前らかて、めちゃくちゃ強かったやんけ。空手に合気道なんて、いつどこで覚えたんや」


「女は元々強いのよ」みつほは自慢げに答えると、うふふと笑った。


「首相官邸事件、達也と平太の代わりに、お前らが行ったほうがよかったんちゃうか?」


「ふふ、そうかもしれませんね」千草が口をすぼめて上品に笑う。


「昔はあんなにか弱かった少女たちも、今は見る影なし……。立場逆転やな……」荒田守は、両手のひらを上に向けて、呆れ返った様子で肩を竦めた。


「どういう意味よ、それえ」


「さあてなあ」守は言葉に冗談を織り交ぜ、話を誤魔化した。あんな目にあったばかりなのに、とても機嫌が良さそうだ。


 暗くて長い渡り廊下を、三人の足音だけが埋め尽くす。


 渡り廊下を渡りきる頃には、遠くからサイレンの音が聞こえたので、三人は、廊下の窓ガラスを開けて、顔を付きだし階下を見下ろした。


 草凪の連絡が行き渡ったのだろうか。研究棟の入り口には、すでに軍用車両や警察車両、救急車、マスコミ関係の報道車両が十数台以上集まってきていた。階下周辺は仰々しい赤色の回転灯に大げさに照らされ、基地爆破事件の進展を告げていた。


 みつほは、窓ガラスを閉めた。そこに映り込んだ自分の顔を見ながら、けれども頭は、どこかで一輝のことを考えていた。


(なんであんな奴のこと……)


 みつほは、自分の頭を否定したかった。けれども、なぜかできない。こんなにも頻繁に彼のことを考えたのは、もしかしたら初めてかもしれない。


 それはそうだ。


 彼は大事な同級生のひとりだ。今も生死の狭間で戦っている。気にならないわけがない。


 でも、本当にそれだけだろうか……。


 自分にいくら問いかけても、答えはまったく出そうになかった。


 ふと気がつくと、千草と守は廊下を渡りきっていた。


「みつほさん、どうかしましたか?」「はよせえや」


 二人は、暗がりの中でこちらを振り返って聞いている。


「ううん、大丈夫」そう答えると、思考を振り切って、みつほはすぐに二人に駆け寄った。


 これからきっと、長い夜が始まるのだろう。


 彼女はそう、確信した。

※この物語はフィクションであり、実在する人物、法律、団体、名称とは一切関係ありません。


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